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青い瞳の少年(バルティス)

 遺跡から出て見上げれば、紺碧の夜空に浮かんでいるのは幻想的に輝く満月だ。

 湿り気を帯びた風が、肌をぬめるようにして通りすぎてゆく。じわりとふき出した冷たい汗が背筋を伝うのを、リンは自覚した。

 いや、彼女だけではない。この場に居合わせた全ての者が感じていた。空間を満たしている、張りつめた緊張感を。

 一行の前に立ちはだかっていたのは、一人の少年。

 月明りによって淡く照らされた顔は透き通るような白。整った輪郭線に収まる瞳と、サラサラとした頭髪は海の如く深い青。柔和な笑みを浮かべてこそいるが、まるで貼り付けたようなその笑みからは、なんの感情も読み取れない。

 年のころは十五~十六といったところか。だが、そんなことよりも、とリンは思う。少年の背中に生えているのは、カラスを連想させる漆黒の翼。ヒトでないのは明白なのだし、やはり彼が問題の魔族か。

 いつ襲い掛かられても対処できるよう、刀の柄をそっと右手で確かめた。

 それに、と背後に控えるルティスにも注意を配る。念のため、背中から襲われる可能性も考慮しておかねばなるまい。


「初めまして、ごきげんよう。月が綺麗な夜ですね」


 ひりひりとした空気漂うなか、会話の口火を切ったのは少年だった。声のトーンこそ高いが、実に落ち着き払った声だ。

 白々しい、とリンの顔が苦くなる。


「はい、こんばんは。今宵は丁度満月ですからね。私たちは──」


 過度に少年を刺激しないようにという配慮だろう。緊張感のない声で始めたシャンの口上を、途中で少年が遮った「ヒートストローク」と。


「この国で一~二を争う手練れの冒険者パーティ、と聞き及んでいますが、あっていますよね?」

「へえ……、知っていたんですか。それはそれは光栄です。それでは──」


 やり過ごそうと一歩踏み出したシャンの行く手を、同じ方向に半歩動くことで少年が阻む。


「通らせてはくれない、と?」

「残念ながら。通すつもりでしたら、わざわざやって来て正面に立ったりはしません」


 だろうな、とリンは心中で毒づく。


「それで? 君の目的はなんなんだい? やっぱり、ルティスを連れ戻しに来たのか?」


 やはり柔和な声でリンが問い掛ける。その通りだとしたら、少年はディルガライスの関係者である可能性が高くなる。

 不幸中の幸いなのは、遺跡の内部で少年と鉢合わせにならなかったことだろうか。狭い空間では、普段通りのフォーメーションが組めないため数の利を活かせない。

 もっとも……奇襲をかけるつもりなど、毛頭なかったのかもしれないが。


「そんなに警戒しないで。大丈夫だから」と少年が静かに笑う。「それは事の成り行き次第かな。僕がここにやって来た理由は、君たちに確認をしたいことが幾つかあったからだよ」

「確認だって?」

「そう。返答次第ではあるけれど、手荒な真似をするつもりなんてないから」

「だと、助かるんだが」


 カマをかけただけなのだが、これで二つわかったな、とリンは思う。ルティスという名前に少年は普通に反応した。つまり、この少女の名前はルティスで相違なく、また、彼とルティスは知り合いだという事だ。


「では最初の質問」

「悪い。質問に質問で返すようで申し訳ないのだが、こちらからも、質問をさせて貰っていいだろうか?」


 ふむ、と少年は満月を見上げ、顎に手をかけ思案する。


「こちらの質問に答えた後で、ひとつだけならいいでしょう」

「ひとつだけ、ね。了解した」


 もとよりこちらに選択権はないのだろう。それほどまでに、この少年から伝わってくる圧は強かった。見た目からして間違いなく魔族だろうし、もし戦いにでもなったら……きっと勝ち目はない、とリンは思う。


「ルティスを保護した理由はなんだい?」

「目的……」少年の声に、言葉を選ぶようにリンは間を置いた。「俺たちはただ単に、怪我をしていたこの()を保護し、その後、彼女がこの場所に来たいと言い出したから同行しただけのこと」

「怪我……?」

「あ、いや」


 失言だったか、とリンは即座に後悔した。少年が知り合いであるならば、彼女の情報を隠す理由もない。


「彼女は不思議な魔力を持っているようで、怪我はあっと言う間に完治したんだけどね」

「ふむ」と少年は頷いた。「一応、嘘はなさそうだ。では次の質問。ルティス──なにか思い出したことはあるかい?」


 二つめの質問が自分たちではなくルティスに向けられた事に、一行の間に僅かな動揺が走る。あわせて八つの瞳がルティスに集中した。


「バルティス」


 意味不明な単語がルティスの口から出てきたことに、シャンやオルハが怪訝な目を向ける中、少年の顔がぱっと輝いた。


「あなたの名前は、バルティスなのですか……?」


 しかし、その後に続いた言葉で、表情は喜びから落胆へと差し替えられる。


「そうか……。この場所に戻ってくる事で記憶が戻るんじゃないかと期待をしていたんだが、まだまだ時間が必要そうだね」

「戻ってくることで?」

「それは質問かな?」リンの言葉に、少年は意地の悪い笑みを浮かべた。「だが、この程度ならサービスで答えてあげよう。そう、君たちが『禁忌の場所』と呼称しているこの遺跡は、僕と彼女にとって(ゆかり)のある土地なんだ」


 だろうな、とリンは思う。そしてそれは、みんなも同じだったのだろう。誰一人として驚きの声をあげない。


「ふむ……。つまり、記憶が戻るためのトリガーが、まだ足りていないということなんだろう。それも止むを得ないことか。申し訳ないんだけど、もう暫くの間、ルティスの面倒をみて貰えるかな?」

「いや、ちょっと待って下さい」


 その時、憤りの声をシャンがあげた。


「ここまで聞いている限りでは、あなたとルティスは知り合いなのでしょう?」

「うん、そうだね」

「それなのに、記憶を失い、不安がっている彼女を置き去りにしたまま去ろうというのですか? あなた方の関係についてはわかりませんが、その冷たいリアクションと無責任さは理解に苦しみますね」


 苛立ちを隠そうともせず、シャンが言う。聖職者である彼女にとって、人命軽視とも取れる少年の発言は看過できなかったのだろう。


「んー。残念ながら、僕にもやるべきことが色々あるんだ。まだ記憶が戻っていない彼女を連れ歩いたとしても、足手まといにしかならないからね」

「まるで物みたいな扱いと言い方ですね。いったいあなたは、何者なんですか?」

「それが質問ですか?」


 と少年は問いかける。シャンはごくりと喉を鳴らしたのち、後ろの三人に目配せを送った。ええ、それで構いませんよ、とみな一様に頷いた。


「ええ、それでいいです。君はいったい何者なんです? 簡潔に分かり易く伝えて欲しい」


 すると少年は、ふふふ、とくぐもった笑い声をもらした。


「なるほど、いい質問です。僕の名前は、先ほどルティスが言ったとおりバルティスで間違いないよ。それから、君たちは僕のことを魔族じゃないかと疑っているようだけど、これは、厳密にいうと間違い。おそらく今後、君たちの敵になることもないだろう」


 どうだか、とリンは心中で呟く。


「なるほど。みな良い目をしている。じゃあ、これが最後の質問だ。質問というか、確認かな」


 視線がかち合った瞬間、少年の瞳の奥に、愉悦の色が宿るのをリンは感じた。背筋が凍りつくような笑み。初めて少年が見せる、ヒトでないモノの本性。


「ちょいとばかり、手合わせ願いたい。君たちが、僕の妹を預けるに値する力を持っているのを疑う気はないが、直接確かめてみたい」

「手合わせだって?」

「……ちょっと、ええ!? ……妹ってどういうこと?」


 リンとコノハの驚きの声が重なった直後、少年の姿が忽然と消失。な、と瞬きひとつする間に、リンの眼前に彼がいた。

 ──速すぎる!

 いつの間に握られたのだろう。少年は右手に持った漆黒の剣を横凪ぎに振るう。リンは刀を居合いで抜くと、ぎりぎりのところで防いだ。

 素早い打ち合いが数度続き、激しく火花が舞う。

 何度か刃が衝突した直後、力比べに移行した。


「素晴らしい。全て見切りましたか。僕の放った魔獣を退けたのだから、最低限の力はあると知っていましたが」

「やっぱりあれは、お前が放った魔獣なのか」


 ギギッ……とリンが更なる力を加えたその時、リンの刀をぐいと押し戻して少年が後方に逃れる。次の瞬間、少年が飛びのいた場所をめがけ、オルハの放った矢と電撃の魔法が一直線に走った。

 闇夜を真っ二つに裂く矢と電光。しかし──。


「外した!?」


 コノハの呻きがもれる。残像を残して少年の姿は既に消失していた。

 次の魔法を準備するべく彼女が詠唱を再開するなか、少年の動きを見失わず、彼の側方に肉薄していたのはシャン。


「へえ?」


 驚いた表情を浮かべた彼の懐に飛び込み、左、左、右と拳による三連撃を叩き込んだ。少年は、二発めまでを余裕の顔で耐えきったのち、本命の右を受け止め、強く引くとシャンの腕を絡め取った。


「くそっ!!」


 身を捩って抵抗の意思を見せるも、シャンの軽い体は、そのまま一本背負いで投げ捨てられた。

 飛ばされながらも空中で体を捻って地面に手を着き、バク転の要領で受身を取るシャン。

 着地後顔をあると、即座に彼女は指示を出した。


「コノハ! 今です!」

炎の渦(ファイアストーム)!」


 シャンが時間を稼いでいる間に完成していたコノハ最大の魔法が、炎の渦となって炸裂した。

 耳をつんざく爆発音が響き、炎の大きさにあたりが一瞬明るくなる。

 間違いない、今度は直撃だ、とリンは確信した。

 熱風に顔を背けつつ目を凝らす。かき消えた炎の中から現れたのは、しかし、まったく傷を負ったように見えない少年の姿だった。


「嘘でしょ……!」


 万事休す。

 絶望を表情に滲ませたコノハの横でオルハが次の矢を弓につがえ、リンが地面を蹴った。


「わかりました。もう、やめましょう」


 少年が両手を広げて降参の意を示した。されど、失われていない瞳の輝きに、気圧されたように二人の動きが止まった。


「このまま戦闘を続けて、勝てるとお思いですか?」

「いや、残念ながら思わない」


 元々、少年の方から仕掛けてきた戦いなのだし、彼が戦意をなくしたのであれば戦う理由は既に無い。それ以前に、コノハ最大火力の魔法が通じなかった時点で、勝ち筋はほぼ見えていなかった。


「僕に勝てないのは当然の話。それに」と彼は瞳を細めた。「十分力は見せて貰いました。文句なく合格です。それでは──」


 何か言い掛けて、しかし口を開けたまま固まっているリンを尻目に、少年の体がふわりと宙に浮く。翼を強く羽ばたき、闇夜の彼方に消えていった。

 そこまではあっという間の出来事で。

 満月の中心に浮かぶ点となってしまった少年を呆然と見送り、リンは大きくため息をついた。

 なんとも情けない話だが、戦いが途中で終わったことを、心底リンは安堵していた。もっともそれはコノハたちも同じだったようで、ルティス以外の全員が気が抜けたように地面にへたり込んでしまう。

 数多の魔獣を退けてきた一行でも、これほど強い敵との戦闘は初めてだった。少年が放っていた気配と力は、禍々しくも圧倒的。

 まいった、と手のひらで顔を覆ったリンの背中から回されてくる両腕。驚いて振り返ると、抱きついていたのはルティスだった。


「わっ、突然どうしたルティス」

「……ごめんなさい。もう少しだけ、このままにさせておいて欲しいのです」


 背中に顔を埋め、蚊の鳴くような声で囁いた彼女の手が、微かに震えているのが伝わってくる。


「ああ、いいよ」


 そのまま、彼女がするに任せておいた。

 さきほどの遺跡で見た、業火に晒される町と女性の絵のことをリンは想起していた。

 記憶は戻っていない、とルティスは確かに言った。だがもしかすると、なにか嫌な記憶の断片でも思い出したのかもしれない。なにか隠しているのかもしれない、とリンは思う。……ゆっくりでいいさ。話してくれる気になったなら、その時伝えてくれればいい。

 俺も甘くなったもんだな、と密かに失笑しながら。

 その直後、質問をぶつけてきたのはシャン。


「ルティス。あの少年は君の事を妹だと言った。ほんとうに何も知らないのか? 心当たりがあるんじゃないか?」


 相変わらず聞くタイミングが悪い、とリンも隠すことなく苦い顔になる。


「……わかりません、本当にわからないのです。彼の顔を見た瞬間、頭の中に浮かんだ単語が、『バルティス』だったんです。妹だとか急に言われても、知らないものは知らないのです」

「……コノハ。あいつの正体について、何か分かったか?」


 怯えているルティスの頭を撫でながら、リンはコノハに質問をなげた。

 普段から楽観的で考えなしに見えるコノハだが、魔術師らしく博識である。彼女の知識にある情報と一致すれば、少年の正体を看破している可能性があった。


「残念だけど、ちょっと無理かな。……確かに、近い特徴を持っている魔族の情報なら幾つか思いあたるよ。でも、完全に情報が一致するものはないし、そもそもあの子、ヒトと同じ特徴すら併せ持っているからね。正直、全然わかんないよ」


 なるほどね、と返したリンも同感だった。青い瞳と透きとおるような白い肌は、むしろヒトが持っている特徴である。

 その時、オルハがリンの傍らに寄って耳打ちをした。


「……ですが。彼がもし魔族であったとしたら、必然的にそういうことです」

「ああ、無論わかってる」

「……正しい判断を」


 こちらの不安が伝わってしまったのだろうか? ルティスは怯えたような表情に変わり俯いた。


「折角ここまで連れて来て貰ったのに、何も思い出せなくてごめんなさい。もしかするとボクは、これ以上みんなと居るべきではないのかも。きっと、迷惑を掛けてしまうのです……」


 リンは小さく溜息を吐くと、振り返ってルティスの肩にそっと手を置いた。


「……そうかもしれないし、そうならないかもしれない。あの少年のことも、ルティスのことも、この遺跡のことだって、何もかも分からないことだらけさ。それでも俺が思うことはただ一つ。今ここで俺たちがルティスを見捨てることで、君の未来が悲しみに染まってしまうのであれば、それだって我慢できない」


「……でも」そう言い掛けたルティスの手を、コノハがしっかりと握り締める。


「リンの言う通りなんだよ。私たちも、そしてあなたも、本音を言うと、不安で一杯なんだよね。全てを知り合えないというのは、きっとそういうこと。でもね、今は何も気にせずに寄りかかってくれればいいよ。そんで、ルティスがなにか思い出したならさ、その時またみんなで考えればいいじゃない」


「でも」となお難色を示しているルティスの口元に、リンがそっと指を当て遮った。


「良いんだ。ルティスは黙って俺たちに頼っていればそれでいい。俺は、冒険者パーティ『ヒートストローク』のリーダーとして、君を助けると決めたんだから」


 もう、迷わない。何ができるかは、正直わかんないけれど。

 こちらから積極的に動くメリットはないかもしれない。それでも彼女が救いを求めてくるなら、やはり俺らは彼女に手を差し伸べるんだろうな。


「ルティスの正体が何であっても受け入れる。差し延べられた手は握る。君が迷惑だと感じたなら、俺の手を振り払えばそれでいい。だが、その瞬間まで俺たちは……仲間なんだ」


 コノハが満面の笑顔で頷き。

 シャンは「しょうがありませんね」と嘆息して肩をすくめ。

 オルハは黙ってリーダーの決断を見守っていた。

 そして、ルティスは恥ずかしそうに俯きながら、一言だけ。

「ありがとう」

 と、囁いた。


「じゃあ、戻ろうか」


 リンの言葉に頷いて、一行は急ぎ帰路についた。夜半過ぎまでには村に帰れるように、と多少ペースを上げながら。

ルティスの正体が何なのか。記憶が戻った時、彼女はいったいどんな運命に直面するのか。その時、俺たちはどうやって関わっていくべきなのか。

 正直なところ不安も課題も山積みだ。

 そんな、陰鬱な感情を振り払うように、リンは少女の手を強く握る。


 今は、これでいいんだ……と自分に言い聞かせ、彼女はふっと相好を崩した。


 繋いだ手の温もりは、冷え込みを増した闇夜の中でも、不思議と暖かく感じられた。


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