第4話 レイモンドの告白
「許して、ロザリンド」
耳のすぐそばで、声がする。
砂糖菓子のように甘い声。それが今は少しざらついている。
「どうしたの、レイモンド」
「すまない、ユキムラ」
囁いた唇が、耳朶に触れた。蕩けるような甘さを脳髄に直接注ぎ込まれるような錯覚に目眩がした。
目眩の原因は、レイモンドに胸部を締め付けられているせいかもしれない。
後ろから抱きつくみたいな姿勢で、レイモンドはロザリンドを拘束しているのだ。
「君がここにいるべき人じゃないのは知ってる」
耳のすぐそば、吐息を感じるほどの近くで喋られるので、なんだかあちこちがむずむずする。不快かといえば必ずしもそうではないけれど、だからって心地よくもない。
叶うなら今すぐ逃げ出したい。
そんな遠くでなくていいから、せめてこの拘束の外に。
けれど、レイモンドはロザリンドを締め付ける腕に一層の力を込めた。
痛い。
「本当は男の子だということも知っている」
甘いのに、ざらざらした黒砂糖みたいなレイモンドの声。
苦しそうに聴こえるのは何故なんだろう。
……っていうか、レイモンドの目的は何?
「私がロザリンドの婚約者だというのもわかってる」
混乱している僕をよそに、レイモンドは独白を続けていた。
ぎゅうぎゅうと締め上げられて、ロザリンドの心臓がせわしなく動く。
これはちょっと……あんまりよくないかも。
「それでも……」
レイモンドの声が、震えた。
僕はぎょっとして、思わずレイモンドの手に触れる。
痛いほどの力で、レイモンドはロザリンドの骨張った手を握り締めた。
「君を選んではだめか?」
……は?
想定外の台詞に、一瞬頭が真っ白になった。
……待って。これ告白なのでは?
「君が美味しそうに食事をしてるのを見るのが好きだよ」
だめ押しのように、レイモンドが囁く。
声に含まれていたざらざらはいつの間にか消えて、代わりに微かに震えている。
「ユキムラは私が嫌いかい?」
レイモンドみたいな完璧貴公子でも告白するときには緊張するんだな、なんて僕は他人事みたいに考える。
しかも相手を間違えてるし。
「レイモンドの事は好きだよ。……でも違うでしょう? 君が好きなのはロザリンドだよ」
「違う!」
「違わないんだよ。ここにいるのはロザリンドなんだから」
強めに言い返してきたレイモンドに、僕は努めて冷静に言い返した。
このからだはロザリンドのもの。
僕はそれを借りているにすぎない。
レイモンドは最初からロザリンドを想っていたのに、僕という存在が乱入したことで彼を惑わせているのだとしたら、申し訳なさすぎる。
それでもそれを何とかする術は、僕にはないのだ。
「大丈夫だよ、レイモンド。ロザリンドはきっと帰ってくる」
それは今はまだただの気休めにすぎないけれど。
「……君にも帰るべき場所があるんだよね」
呟きとともに、レイモンドの腕から力が抜けた。
……僕が日本に帰りたいかと言えば、それはそうでもないんだけど。今はそれを口にするべきじゃないだろう。
「僕には、ロザリンドの体調を管理するって役目があると思ってる。ロザリンドがこのからだを留守にしている間は、僕が責任を持って彼女を守る。……だからレイモンドにはそれを手伝って欲しい。これは、貴方にしか頼めない」
「……君って人は、意外に強情だな」
締め上げるような力強さはなくなったものの、レイモンドは僕を抱き締めたままだ。
「まぁ、そういう所が好きなんだけどね。……わかったよ、今は君の側に居られるだけで満足しておく事にする」
頬に柔らかなものが触れて、レイモンドの笑い声が耳をくすぐった。
何も伝わっていない気がしないでもないけれど、今はそれでいいという事にしよう。
「ねえ、レイモンド? 食べ物を粗末にするの、僕はあまり快く思わないんだけど?」
「……わかってる。私が責任をもって全部食べる」
僕たちの一年に及ぶ攻防戦は、こうして幕を開けたのだった。