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天に焦がす  作者: 京宏
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第二話 世界

 美貴の創出した朝廷という統治機構の、その首都である零紫京より東に百里あまり。盆地を脱し、海と見紛う湖を超えて、二三の鬱蒼とした山川を征くと、天を衝く山に隣接して、その都市が現れる。


 都市の名は別根院(べつねいん)と言う。外郭を囲む城壁は巨体を横たえ厳粛であり、濃厚な戦の臭いを漂わせている。一大軍事拠点として築かれてから二百年。処々に傷を負い、その分だけ血を吸ってきた壁は、衰えることなく四方に威を発していた。


 この拠点は敵の眼前に突きつけた矛である。敵とは即ち、朝廷の支配に、世界の秩序に抗う者たちのことだ。美貴は彼らを人間とは認めていない。人間に似ている、化け物たちとして、化者(けもの)と呼んでいる。化者という言葉には、獣の意味も含んでいる。彼らは野生の獣たちと共存し、自然を崇める。


 別根院という巨大な矛の剣先が向かうは、北西にある天を衝く山、不霊山(ふれいさん)である。強靭な樹々が繁るその山では、文明の光も掌ほどに厚い葉に阻まれている。朝廷は千年より前にここら一帯の征服を始め、二百年前に完了した。この山を除いて。美貴の聖なる領地に落ちた一滴の黒染み。それが、不霊山とそこに跋扈する化者だ。


 別根院領主を在真(ありま)シウミという。在真は美貴の中でも特に高貴な者と言われる至美貴の一族である。その女の肩には領主であると同時に不霊の山を征討するための総大将の任が乗る。故に、その責務を果たすため手先には八千の兵がいる。八百は美貴にて、残りは醜下にて構成され、美貴の悉くは在真一族の徴となる火炎が如く赤の軍装である。


 夏のその日、在真シウミ配下の八百が一騎、エミに率いられる隊は別根院を出て東へと進んだ。零紫京より訪れる一人の美貴を迎えるためであった。蝉も鳴けぬ酷暑である。

 一月後に別根院にて領主による祭りが催される。名を昇炎祭という。迎えにゆく美貴は高貴な者の足跡を文に編む生業をしているらしい。名を真加髪ナリトという。昇炎祭りは代々の別根院領主が八年に一度行う大規模なものであるが、それでも京より史家を遣わされることは前例がない。


 早朝に発した隊はおよそ十刻進み、日が沈むころに別根院の近くの宿に着いた。すでに美貴は到着しているとのことであった。


「醜下しかおらんのか」


 急ぎ参上した己らに降ってきた言葉は鈴の音のように凛として、しかし落胆のものであった。ため息が続いた。京から来た美貴は、美貴の血を半分継ぐエミを含め、醜下と断じたである。美貴にも格差があるということを思い出した。下から、小美貴、中美貴、大美貴となり、頂きにいる者を至美貴という。美は血によって継がれてゆく。美貴と認められし一族は朝廷に千ほどいるが、その多くは最も位の低い小美貴である。そしてエミのように美貴と醜下の混合は半美貴と言われ、美貴とするか醜下とするのかは見る者の立場によって変わった。


 ナリトの絹のような黒髪は肩に垂れ、刀のように細い首筋に鼻。頭を下げる間際に見えたその容貌は、確かにエミとすら比べられないものであった。己はひたすら服従する心であった。


「なぜ、私がこんな僻地に来なければならないのか。私が何をしたというのか」


 美貴の丁寧に織られた繊細な声が鼓膜を揺らす。その音は悲哀を帯びている。己は鼓膜に響くその音を信じ切れず、思わず、顔を上げた。美貴が泣く? 美貴が悲しむ? この美貴がためにある世において?


 美しき者は細長く初雪のような白い五指で顔を覆い、嘆いていた。ナリトの対面に座する姉の後ろ姿が緊張した弓のように沿っていた。眼より落ちる水玉は煌びやかに。ナリトは己の視線に気づいたように顔から手をどけた。目は充血していた。


「醜下よ、お前すらもそんな目で私を見るのか。私がここに来た理由がわかるか。

 私は都で朝の史の編纂を行っていた。それが真加髪の生業だ。我が手は過去を編む。幼きころより幾千回、幾万回、何度神羅万象を綴ったことか。生み出す字には毛ほどの粗があってはならない。墨が紙に染み込むその範囲までも御さなければならない。

 それもこれも、全ては至美貴様の足跡を常世に刻むため。我が指は、その栄光のために存在していた」


 ナリトの手は再び顔を覆った。爪の形は精美な筆の毛先のようであり、指の隙間から漏れる涙は、自尊の慟哭を訴えていた。


「だが、その至美貴が一人たる在真シウミ様が別根院の歴史を編纂されたいという要望を持たれ、私がいた部に要請された。

 誰か行かねばならなかった。けれど幾ら至美貴様の命とはいえ、誰が望んで都から堕ちるだろうか。真加髪は歴史を編むが、しょせん、小美貴だ。編む過去は末端の末端。ならば他の真に宮を記す者たちの代わりに、都より離れ、末の末に居を構えても十分に仕えることができるのではないか。

 最後に中美貴様から言われたその言葉が、頭を離れない。後ろで笑みの表情を浮かべていた同輩の顔も」


 言葉が出なかった。思考も止まった。

 

 美貴もまた、生を苦しむのか。


 日も没しても日輪の名残りは熱と化して肢体に絡みつく。高貴なる者の涙は神が泣いているように思えた。この失敗した世界に。

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