廃墟とランタン
とつとつとつ、と靴音が響く。
そこは小さな廃屋。ツタが這いまわり、風穴がそこかしこに開いたその場所その無人となった屋敷に存在する地下階段を、男が一人歩いていた。
男の手にはランタンが一つぶら下げられ、他には何も持っていない。
ゆらゆらと揺れる焔の光だけが目の前を照らし、明々とボロボロになった岩壁を照らしていた。
眼光は鋭く、口元は真一文字に引き締められたその顔を、見るものが居れば総じて畏怖するであろうその男は、何も言わずにただ階段を下り続ける。
コツコツコツ、と靴音が変わる。
踏み出した先の地面が絨毯から石造りの床へと変わったのだ。
そのまま数分長い足を入れ替えれば、目の前には重厚な扉がそびえたっていた。くすみ始めた薔薇の紋章が、かすかに見える黒塗りの扉。
少し力を込めて押し開く。依然暗いままの部屋のなか、ひんやりとした空気が男の真横を纏わりつくようにして吹き抜けていった。
ランタンを持った腕を掲げ、男はその薄い唇を開いて息を吸い、静かに呪文を唱えた。
ランタンの光が飛び散った。
縦横無尽に駆けていくその光たちは、岩壁にぶち当たって光の跡を残していく。
光の軌跡が広がり、徐々に明るくなっていくその部屋の中央に、どっしりと大きな棺が置かれていた。
「ただいま、エリザベート」
男は棺の隣に跪き、ランタンをその場に置いて棺桶の蓋を開く。
ふわりと、薔薇の香りがかすかに漂った。それを追うように花弁も舞う。
絡みつく白い腕。何の予兆もなくしがみついてきたその腕を、しかし男は振り払おうとはせず、まっすぐに受け止めた。
グシャリと、皮膚が裂け肉が断裂する音が部屋に小さく木霊す。
「おかえりなさい、我が愛しき人」
まるで間欠泉のように男の首筋から血が噴き出した。赤く染まる両者の頬と酷くゆがんだ口元がいやに煽情的であった。
エリザベートと呼ばれたその眠り姫は、思うさま血を貪り、男はそれを黙って受け入れた。
きゅうきゅう…………という吸啜音が断続的に続き、顔を上げた彼女は満足げに鮮血色の下で口元を舐めとる。
男は愛おしげに彼女の頭をサラリと撫でた。
「我が愛、やっと見つけた」
愛しい人との再会に涙し、男は血を吸われた右側の腕をだらりと下げたまま、左腕で彼女の華奢な身体をかき抱いた。
エリザベート。この世界最後にして最恐の吸血鬼。
彼女の目覚めは、まだ世界に知られてはいない。