11.再び
意識が遠のいたクレアだったが、落ちる、と思った瞬間に急に目の前が明るくなった。
空を覆っていたオーロラが下りてきたのかと思ったが、どうやら様子が違う。
この光は蛍光灯だ。
「あれ、みなみ、今意識飛んでた?」
璃子が言う。
明るさに目が慣れてくると、みなみは理解する。
……ここは、見慣れた自分の部屋だ。
「うん、なんか、ぼーっとしちゃってた」
反射的に答えるが、クレアの声ではないこの声にも、全く違和感がない。
今日は、レポート明けではなかった。
お気に入りの乙女ゲーム『成り上がり♡ETERNAL LOVE』のビジュアルファンブックが発売される日で、オリジナル予約特典付きの現物を購入して帰ってきたところだ。
カチッ。
キッチンで、お湯が沸いた音がする。
(そうだ、璃子が喜びそうだと思って準備しておいたフレーバーティーがあるんだった)
そう思うと、体が自然と動いた。
しかし、何なのだろう。
(この、自分が自分でないようなもやもやした感じは……)
お茶を入れてテーブルに戻ると、璃子が自分で買ってきたキャラメルナッツとドライフルーツをつまんでいる。
(この前はジャンドゥーヤだったような……)
頭が冴えてくるほどに、記憶が蘇ってくる。
そして、テーブルの上に広げられたファンブックをみて、絶句した。
「……!」
みなみの表情に気が付いた璃子が言う。
「婚約者クレアのページ、びっくりするほど多いよね! まあ、このゲームのヒロインはタイトル通り何ていうかゲスさが目立つけど、婚約者クレアはその中でも癒しの花っていうか~。ハイスペックすぎる完璧なお嬢様ってことでヒロインや攻略キャラよりも人気があるんだよねー!」
「へえ……」
乾いた返事が出る。
「えー、反応薄くない!? みなみも婚約者クレアのこと気にしてたじゃない! アスベルト様ルートを攻略すると、クレアはどうなるのかって。アスベルト様ルートでは残念だったけど、ほかのルートではそのハイスペックすぎる能力で攻略対象たちを子供扱いする聖女として君臨してたもの」
璃子の饒舌っぷりは止まらない。
「そうだった……わね」
しかし、それが確かだということはクレアにも分かる。
アスベルトを叱っている場面や、騎士たちにアドバイスを送っているシーンが、モニターに映るカラフルな映像で思い返せた。
「ん? みなみ? 言葉遣い、いつもと違くない?」
この世界は、夢にしてはずいぶんリアルだ。
手に取ったファンブックはずいぶんずっしりとしていて重みがあるし、淹れたてのフレーバーティーからはりんごとアプリコットの甘い香りさえする。
なにより現実味があるのは、今、自分の周りを包んでいるもの全てが違和感なくしっくりくるということだった。
この紅茶を買った時のことも覚えているし、目の前にいる友人・璃子の両親の顔まで思い浮かぶ。
ついさっきまで素足で海岸に立っていたのは確かなはずなのに、みなみの足はモコモコの着圧ソックスをはいてぽかぽかしていた。
そして、自分はクレアではなくみなみだ。……ここでは。
(どっちが夢なんだろう)
みなみの中のクレアがぼーっとしている間に璃子が続ける。
「このファンブックに付いているファンディスクがすっごく楽しみだったんだよねー! 攻略対象の隠しキャラが投入されるってSNSで宣伝されてて楽しみだったんだ―! 何パターンかあるみたいだし……今夜は徹夜だわ!」
熱くなっている璃子に、聞いてみる。
「ねえ、『成り上がり♡ETERNAL LOVE』にはリンデル島って出てきたっけ?」
「リンデル島……? このゲームかなりやりこんでる私だけど、リンデル島? は出てこないはず。似た言葉だと、婚約者クレアの母親の生まれが旧リンデル国ってことしか覚えてないなぁ」
(クレアの母親がリンデル国出身……どういうこと?)
「だよねえ」
何だか胸騒ぎがして、手元のファンブックのページをめくる。
(……これって……!)
そこには、見開き2ページの一面に、昼間見たばかりのリンデル島の景色がカラーのイラストで広がっていた。
美しい青い海も、小さいながらも荘厳な雰囲気をまとった城も、色とりどりの可愛い花たちも、全部そのままだ。
ページの右上には『トゥルーエンドの続編スペシャルストーリー! ヒロインが美しい島で再会した王子様とは』と書かれている。
急に、鼓動が早くなった。
次のページをめくりたいが、答えを知りたくない気もする。
(そもそも、トゥルーエンドってどんな感じだったっけ)
みなみはプレイした記憶を掘り起こす。
王立貴族学院の卒業パーティー。ヒロインは、アスベルトとクレアが華麗に入場してくるのを憧れの目で見ていて、周辺には攻略対象たちが勢ぞろいしている。みんな仲良くめでたしめでたし、の図だ。
卒業パーティーは異例でアスベルトとクレアの正式な婚約披露パーティーも兼ねていた。後に行われる夜会には周辺国の王族もゲストとして招いていて、盛大なパーティーが開かれる中をヒロインが攻略対象のハーレムを築きながらはしゃぎまわる、という品のないエンディングだった気がする。
(あれ……確かその中に……)
記憶の中の背景に、金髪にエメラルドグリーンの瞳が目を引く端正な顔立ちの、青年とも少年とも言い切れない彼が映る。
(ヴィーク!)
みなみが、次のページを開くのをためらっているのを不思議そうにしていた璃子が言う。
「新しい攻略対象の王子様、気になるー!」
そして、勢いよくページをめくった。
「あ……」
心の準備ができないままに開かれたページに描かれていたのは、予想通りヴィークだった。
「あっ。彼、トゥルーエンドのモブにちょっといたよね!? ちょっといいなって思ってたんだー! お堅いアスベルト様もいいけど、かわいい少年系も素敵!!」
璃子がテンション高く覗き込む。
(少年っぽいのは外見と声だけ。中身はさらに素敵な方だわ……って、あれ? )
璃子の言葉に、心の中のクレアが相槌を打つ。
みなみの頭は大混乱し続けていた。
ふと、お皿にのせられたキャラメルナッツに手を伸ばす。口に運ぶと、カリカリした触感と甘いキャラメルの風味が口の中をじーんとさせた。
(うん、夢ではない)
続いて、頬を二回抓ってみる。まずは弱めに。そして、二度めは強く。
(痛い)
(それはそうよね)
信じられない気持ちと、当然だという気持ちが入り混じるが、今はみなみとしての意識の方が強かった。
「璃子……このゲームって、VRかなんかだったっけ?」
答えは分かっているのに、聞かずにはいられない。
「何を夢みたいなことを! でもいいねーそれ。このゲームをVRで攻略してみたいわー! 攻略対象をリアルにドアップで見られるなんて……!!」
璃子はすっかりマイワールドに旅立ってしまったようだった。
みなみは一人暮らしをしている大学生で、好きなお菓子もゲームも飲み物も、お気に入りのブランケットやワンピースまでも全てこの部屋に揃っている。
確かに、住んでいるのは現代の東京のこの街なのだ。
にもかかわらず、自分の意識はゲームのキャラクター達との交流をはっきり覚えている。
ドニの笑顔、キースの凹んだ顔。加護の魔術をかけてくれたリュイの温かい手、ヴィークの肩が目線のすぐ横にあった時の高揚感。
(つまり……)
(私が生きている世界は、このゲームの中にあるっていうことなの?)
自分でも信じがたいその答えにたどり着いた瞬間、また急激な睡魔に襲われた。
「璃……子……わたし……」
皆まで言わないうちに、クレアは今度こそ、落ちた。