第二話 魔物となって
暗闇の中、この空間に数時間居るだけで人間ならば気分が悪くなってしまう程に魔素が濃ゆい此処はダンジョンの最奥。
その最奥で一体のゾンビが誕生した。他のゾンビと比べれても見た目に何ら変わりは無い。ただ、そのゾンビには過去が存在していた。
ゾンビの元の名はユーリー。Aランク冒険者であり不死の王アドルノルフにより再び魔物として生を授かり今に至る。
ユーリーは過去の記憶を封印され、魔物の殺人欲求とアドルノルフへの忠誠心のみが頭を渦巻いていた。
抗おうとも抗う為の記憶も気力も無い。
契約魔法によって縛られたユーリーが取る行動はただ一つ。アドルノルフに仕える為に己を強くすることである。
通常、殺人欲求しかない魔物は魔物同士では争わない。
ただユーリーの様な元人間でありながら魔物になった存在は、魔物狩りを始める。
より魔物を倒し、倒した魔物の魔力を吸収することで成長し力が増していく事をアドルノルフに生を授かり本能的に知っていた。
アンリ達がダンジョンで遭遇したスライムもその一人である。
ユーリーとは違い、アドルノルフが試験的に使った魔物化の魔法で魔物へと姿を変えた人間の成れの果て。
近年、特異種と呼ばれる魔物は全て元人間である。ただ人々がそれを知ることはまだ先の話になる。
『ア”ア”ア”』
ゾンビであるユーリーは生を受け、本能のままに声を出したが、その声は既に人間のそれではない。
ただ、声や姿に対してユーリーが嫌悪感を抱く感情すら現在は持ち合わせておらず、ダンジョン最奥から上階へと上がる。
ユーリーが上階へ上がると、目の前には同種であるゾンビが徘徊していた。
その姿を見るや否や、ユーリーは筋肉が腐敗しているにも関わらず生前使う事の出来た身体強化魔法を施し地を蹴った。
ゾンビとは思えぬ速さで距離を詰め、呆気にとられたゾンビは躱す暇も無くユーリーの大きく開いた口が襲いかかる。
身体強化を施された強力な咬合力はゾンビの首を落とし、そのまま肉を咀嚼し始める。
魔力の最も効率の良い吸収方法、それは魔力の心臓部分と言える魔石を喰らう事である。
首が落ちても尚、生き永らえるゾンビを見下ろし、魔石のみならず全てを腰を落とし犬が食事をする様にゾンビを貪る。
体内に魔力が満ちていく感覚。
他の魔力が自分の魔力と交わり、新たな魔力へと変換されていき魔力の最大値が変わる。
魔物の原動力である魔力の最大値の上昇は身体能力すらも向上させ、様々な魔力を取り入れる事で姿すらも変わる。
その過程を潜在進化と呼び今まで見たことのない特殊な姿をした特異種と呼ばれる魔物が生まれるのである。
「ヴァァ……」
己が強くなっていく感覚にひとしきり酔いしれ再び魔物を探しにユーリーは歩き始める。
その姿にユーリーという存在は一欠片も確認することはできなかった。ただ、生前に行使することが出来た魔法を使う事が出来る。
それはユーリーの存在が全て無くなったわけではない事を意味している。
姿が変わろうとも、記憶を無くそうとも、どこか奥底にはユーリーが居る。
しかし現状、感情を持ち合わせていない、ユーリーの心は何処か奥底で眠り続けるしかなかった。
◇◇◇◇
魔物としての生を授かり一週間が経つ。
ユーリーは下層の魔物を見かけては殺し喰らい続けた。
眠る必要のない身体、魔素が濃ゆく活動の限界が無い中で一週間もの間、休まずに永遠と喰らい続けたユーリーは既にダンジョン内で敵は居なかった。
ゾンビでありながら生前使う事の出来た魔法の、炎系統魔法と身体強化を駆使し効率良く狩っていく中、魔物ではない生物を発見し接近していた。
現在ユーリーの目前には人間が立って居る。
粗悪な防具、粗悪な剣、初々しい面持ちをした三人の新人冒険者は突如目の前に現れた魔物を見て震えていた。
眼前に立ちふさがる魔物はゾンビの様な見た目をしていたが、ゾンビではなかった。
腐敗した肉は脈打ち、発達した筋肉は膨張している。目は赤く光り二本の角が生えている。
半開きになった口から息を吐く度に漏れ出る魔力により、更に凶悪さが増していた。
「な……なんだよ、ここは。このダンジョンは……初心者用じゃないのかよ」
前衛の剣を構えた少年が恐怖で顔を引き攣らせて、声を荒げる。
構える剣は小刻みに震えながらも剣先はユーリーに向けられている、新人でありながら肝の据わった新人である事は確かだ。
ただ、本能が警告を鳴らしている。自分ではこの魔物を倒すことができないと。
「お前ら、残り魔力で俺を強化しろ。そして逃げろッ」
「わ、わかった」
現状を生きて帰還するには前衛である少年を最大限まで強化し少しでも時間を稼ぎ、その間に後衛二人を逃がす。
その後に、少年が隙を作り逃げる。ただ最大まで強化されても何秒、持ちこたえれるか分からないが、少しでも生き残る可能性に賭けて少年は一定の距離を保ちユーリーと対峙した。
「ア”ア”ア”ア”……ア”ァ”」
「襲い……かかってこない」
構えて敵の動きを待てども襲い掛かってこない魔物を前に戸惑う。
呻くだけで思考停止したように動きを止めたユーリーを前にして困惑する少年は、それでも集中力を研ぎ澄まし構え続ける。
いつ、どこから襲いかかってくるかわからない。時間にして数十秒しか経ってはいないが、少年にとって無限の様に時間が圧縮されたと感じていた。
そんな最中、ユーリーは己と葛藤していた。
生前の記憶は眠っている。だが、ユーリーの潜在的な感情では人間を殺したくはないという感情が動きを止めていた。
脈打つ鼓動、アドルノルフの契約魔法に抗い無意識に動こうとする身体を抑え続ける。
契約魔法とは簡単に切る事は出来ない、簡単に切れてしまえば契約魔法の意味がなくなるからだ。
しかし、抗い続ける事で消耗していく精神力、この状態を維持することは命を削るに等しい行動である。
抑える事三十秒、ユーリーは抑え続ける事が困難になり無意識に体が動き始める。それに合わせて少年も下半身に力を込めた。
「来るかッ」
構えた直後、ユーリーは身体強化が施され魔物を喰らった事で、強化された肉体は少年の反応速度を超え剣の範囲まで加速した。
一瞬の出来事、振り上げる腕が遅く見える。振り下ろされた手が少年の頭を捉えれば次の瞬間には少年は肉隗へと変わるであろう事が安易に想像できる。
死に直面し殺意を受けた少年は剣を握る力が無くなり、剣が手から零れ落ち乾いた音が石畳を鳴らす。しかし、ユーリーの腕は少年に届くことはなかった。
「に……げ、ろ”」
ユーリーは最後の最後で、一瞬だけだが声を発した。
契約魔法に背く行為、ただ一瞬だがユーリーがアドルノルフに勝った瞬間であり、その一瞬が少年の命を助ける事になる。
恐怖で目を瞑っていた少年は言葉を聞き目を見開くと、目の前には振り下ろされた腕は頭上で静止していた。
魔物が話すはずはない、聞き間違いかと思ったが、逃げろという言葉は眼前の魔物の行動によって聞き間違いでは無い事を悟った。
「ひ……ひぃぃ……化け物ッ」
ただ、聞き返す行為などするはずも無く、恐怖のあまり落とした剣を拾わず、少年はユーリーに背中を向けて駆け出す。
冒険者として背中を向けて逃げる事は迫ってくる魔物に対処が出来なくなり行ってはならない行為であるが、ユーリーは少年を追いかける事は無く、少年が消えるまでユーリーは静止した状態で見守り続けた。
「ア”ァ”」
少年の姿が見えなくなるとユーリーは、少年が落としていった剣を拾い再びダンジョンを徘徊し始めた―――。
次の話は、別の日に投稿します!
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