前編。われらドンキュン検証会。
「オマエガスキダ。ワタシノモノニナレ」
壁を背にし、私を見上げる草食系男子は、目を丸くしている。それもきょとんとした表情で。
「やはり、か。これが現実だろう」
「あの……濡羽さん。演劇部にでも入ったんですか?」
「バカを言うなあんなしちめんどくさい物誰が好んでやるものか。人前で恥をさらす行為を喜んでやるとは、連中はマゾヒストなのか?」
「そう……ですか。ならどうして、こんなことしたんですか?」
実に不可解そうに、目の前……いや、目の少し下の同級生は問うて来た。
「気になっているのだ私は。『壁ドン』やその亜種が、どうして世の中に『ときめきを感じる行為』として描かれているのか」
そう。そうなのだ。
壁ドン。それは、逃げ場を失わせ、己の欲望をかなえると言う鬼畜の所業。
なぜかそれは、巷で「ときめきを感じる物」として描かれている。
はたして事実は小説よりも奇なるのか。それをされて本当にときめきを感じる物なのか。
私、濡羽風景はそれが気になってしかたがない。と言うことで、その疑問の検証を実行に移した。
それが現状、つまり。
放課後の体育倉庫で男子生徒を壁際に追い込み、更に両腕で逃げ場を塞いだあげくの、見下ろしながらの理不尽な告白行為
と言う蛮行に及んだ原因である。
……ん? なにやら、似たようなことを以前どこかで言ったような気がするな。
ーーデジャブか?
「それで、ぼくを標的に実験をした。って、ことですか」
「そうだ、武人のような名前に反して勇ましさが欠片もない新羽時雨君」
「名前負けしてるの気にしてるんですから、あんまり言わないでください……。後、この壁ドン状態。解除してくれませんか?」
「いいだろう」
了承し、私は新羽君から距離を取った。
「やれやれ。いきなりなにかと思いましたよ」
「ほっとした表情だが、顔が少し赤いぞ?」
これは、もしかしたらいい素材かもしれないな。この検証を続けるためには。
「あなた、自分の容姿に頓着してないんですか」
呆れかえられてしまった。
「容姿?」
「そうですよ。濡羽さん、その……すっすごく人気なんですからっ」
「なんだ、顔の赤みが増したが」
「し しょうめんきっては、いえることといえないこととあるんですよっ」
「そうか。しかし新羽君、君はとてもいいな」
「い、いい? いいって、なにがですかっ?」
とたんに声が裏返った。おかしな奴だなぁ。
「まさか君は。この壁ドン検証が、たった一度で終わるとでも思っているのかな?」
「……え?」
「たった一度ではデータが不足だろう? ならば、何度も試す必要があるじゃないか」
「でも、それは。ぼく一人に対してやっても、あんまり意味がないんじゃ?」
「いや、ある」
「そうですか?」
「ああ、あるとも。今の君のリアクションを鑑みるに、今の私の壁ドンには何かが足りていない。草食系ならばその辺は詳しいだろう。その足りない物を教えてもらおうと思ってな」
「完全に偏見で物言ってますよね、それ。まあ……知らないわけじゃないですけど」
「そらみたことか。ならば君は助手だ。私のこの、『壁ドンされた人間は本当にときめくのかの検証』 略して『壁ドン検証』のな」
「むちゃくちゃな人だなぁ」
苦笑いでそう言うが、その雰囲気に拒否の意志はなさそうだ。
「さて、今回の検証は終わるとしよう。君の疲労度を見ると、あまり一日に数をこなすのは得策ではなさそうだ」
「濡羽さんっ?」
「なぜそう声を裏返す? 助手を一日で壊してしまっては、なんのためのサポーターだ。教室に戻るぞ」
「えっ? ぼくが同じクラスだってこと、知って?」
また声が裏返った。忙しい声帯の持ち主だ、この同級生は。
「でなければ、教室を出たところで君を捕獲などしない」
答えて、私は新羽君を放置して教室へと戻った。
***
「で? なぜついてくるのかな?」
校門を出て帰路を行く私。その少し後ろから、新羽君が付いてきているのだ。声をかけざるをえないだろう。
「助手の自覚がしっかりとあると言うことか、関心関心」
「違いますよ」
迷惑そうな声色で、そう新羽君は言うのだ。
「ならどういう理由だ?」
「ぼく、家あなたの隣の部屋ですから」
私はアパートに住んでいる。値段は大家のプライドを尊重して伏せて置くが、高くはないとだけ言っておこう。
「そうだったのか。なんともご都合主義的な僥倖じゃないか。これで夜を徹して各種『ドン』について語り合うことができる。
フフ。フフフ。ハッハッハッハッハ!」
この高揚、笑わずにおられようか。
「なんでそんな、悪役みたいな笑い方なんですか」
「頭でも抱えていそうだな、新羽君」
「抱えてますよ、いろんな意味で」
「いろんな意味、とは。どんな意味が内包されているのかな?」
「言えないから『いろいろ』なんです。ラノベ主人公みたいに心の機微に疎いんですね、濡羽さん」
「なにせ私は生まれながらの『濡れ場』だ。心の機微など通り越した状態でこの世に性を受けているからな」
「自分の名前でふざけるのは、どうかと思いますよ」
「自分の名前だからこそふざけるのだろうが。他人の名前でふざけるのは失礼すぎる」
「そのボーダーライン、どうなってるんですか」
また、頭を抱えていそうな声色だ。
「やれやれ忙しいな、新羽君は」
「誰のせいですか……」
そんなこんなで、図らずも助手と共に家路を行く私なのであった。
***
「やあ、夜中にお邪魔したよ」
「元気そうですね。眠たくないんですか」
薄い黄緑地で、上着にかわいらしく猫の顔が小さくプリントされたパジャマを着た新羽君が、いい加減にしろとばかりに目を細めて出迎えてくれた。
「壁ドンやその他ドンが登場するWeb小説を読み漁っていたら目が冴えてしまってな」
「……大事な話があるって言うからドア開けたのに、それですか。ぼく、寝たいんで帰ってくれますか?」
「冷たいことを言うな助手ー。君と私の仲ではないか~」
「甘えても駄目です。帰ってください、隣の部屋に」
「ぐう、強情な奴め」
「どっちがですか」
この男子。私が体育倉庫に引っ張った時は、小動物のように辺りを気にしてばかりいたくせに、眠気が入るととたんに強気になるな。
「しかたない。なら一つ。一つだけ聞かせてくれないか?」
「なんです?」
「体育倉庫での私の壁ドン。なにが足りなかった?」
「そうですね」
溜息交じりに言うと、ひとことスッパリと答えを新羽君はよこした。
「棒読みでした」
「なに?」
まったくの予想外だ。棒読み。演義がへたくそすぎて聞けたものではない、と言うことだな。
「あんな、いかにも台詞をなんの興味もなく読み上げました、って言う言い方されて。誰がときめくんですか」
「そうかなるほど棒読み。つまり、私がもっと演技力を上達させることができれば、もっといい『壁ドン』シチュエーションの土台になると言うことだな」
「おそらくは、ですけど」
「だが演劇部に入って鍛錬すると言うのは、放課後でも言ったがめんどうだ。独学でなんとかしよう」
「めんどうな人だなぁ。やるのは構いませんけど、ぼくに壁殴りさせないでくださいよ」
「愚か者。あのシチュエーションで、どこに叫ぶ要素がある?」
「うまく行った時に叫びかねません。さ、答えも出たことですし、帰ってください」
しっし、と追っ払う動作をされてしまった。
「しかたない、帰るか。おやすみ」
「おやすみなさい、濡羽さん」
その声を背中で聞いて、私は自分の部屋に戻った。
「さて。レッスンを始めようか」
*****
「ワタシノモノニナレ」
「朝っぱらからですか。おはようございます、濡羽さん」
「む、リアクションがまったく普通か。台詞を練習したんだがなぁ」
おはようと言いながら私は、部屋と部屋の間の壁に突いていた両手を離した。
「って、目にクマできてるじゃないですか……どんだけですか」
また呆れている。いや、呆れる通り越してうんざりしているようだな。
「検証するための土台を作らないとならないからな、鉄は早いうちに打てと言うだろう」
「それは、違う気がします」
「行くぞ、助手」
気怠く歩く私。流石に睡眠と言うより仮眠程度しか眠っていないからな。
「やれやれ。困った人だなぁ」
助手こと新羽君は、呆れた声を出して私の後を歩いて来る。
なんだかんだ言うわりには、付き合ってくれるつもりのようだ。本当に、僥倖だな。




