第九話「良い人生」
「つまらねえつまらねえつまらねえ。充実感や達成感なんていつも得られやしない。その理由はなぜか。……黒須クンがいつもしている仕事は、黒須クンにとってクソをするよりも簡単な仕事だからだ」
「……………………」
黒須は黙り込んだまま、海堂を睨み続ける。
「図星だろう? わかるんだよ、俺も君と似ているからなァ。一度覚えた仕事を何回も何回も失敗なく繰り返していく。それができることは立派で誇らしいのかもしれねえが、実際どうだ? そこに面白さを感じるか? 感じるやつもいるだろうが、俺は感じなかった。これっぽっちも楽しくねえんだよなァ。わかりきった結果を見るために同じ行為を繰り返すなんざ、機械にでもやらせておけばいい」
「何だよ。つまり何が言いてえんだ、お前」
「つまり黒須クン、君は人生を楽しめていないんだ……。それはとても不幸なことだろう? 君ほど優れた戦闘センスを持っているのなら、もっともっと強い相手と戦えた方が幸せに違いない」
「そんな決めつけられても困るぜ。俺は別に、お前みてえな戦闘狂じゃない」
「黒須クン、嘘はいけないなァ……。本当は、もっと全力を出して暴れたいんだろう? 君は自分の可能性を腐らせている。とても見ちゃいられねえ」
「勝手に言ってろ。……それより、いいのかよ。えらくあっさり白澤を見逃してくれたみてえだが、お前も情報屋から金髪の女について聞きてえんじゃねえのか?」
「ああ、そうだなァ。……それがどうした?」
「どうしたって……。俺にはお前の目的がわからねえ。だいたいお前は何者だよ。お前も双子を追っているのか? まさかとは思うが、戸影ってやつに頼まれたのか?」
この海堂聖という男は何者なのか。あまりにもわからない部分が多すぎる。
情報屋とのやり取りから察するに、海堂も双子や金髪の女の居場所を知らないのはわかる。だが、海堂はそもそも何のために双子たちを探しているのか。それがわからない。
黒須と白澤のように戸影から「双子を殺せ」と依頼を受けたのか。それとも他の誰かから「双子を守れ」とでも依頼されたのか。
次から次へと湧き上がる疑問を黒須は海堂に投げていくが、
「おいおいおい、そんなに質問ばかりされても困っちまうぜぇ? だいたい、トカゲって何だァ? 爬虫類が俺に話しかけてくるとでも言うのかよ、黒須クン?」
「……どうやら戸影に頼まれたわけじゃなさそうだな」
「トカゲも何も、俺たちは誰からも頼まれていねえ。ただ、すげえ力を持つ双子がいるって情報を偶然得ただけだ」
「すげえ力だぁ? どんな力があの双子にあるって言うんだよ」
「わからん。詳しいことは全く知らねえ。けどな、すげえことは間違いない。あの双子の力を利用するためにいくつものおっかねえ組織が動いているって噂だ」
「で、お前たちもそのおっかない組織の一つってか?」
「俺たちはただ、双子を捕まえて、双子を欲しがっている連中に高値で売りつけたいだけだ。双子の力がどう使えるのかサッパリわからんからなァ。黒須クンこそ、双子の力を狙う組織の一員じゃねえのかァ?」
黒須は考える。普段黒須はあまり考え事をしないが、今は考えずにはいられなかった。
(こいつの話が本当なら、俺たちが殺そうとしている双子には高い利用価値があるってことだろ?)
双子の力を利用するために双子を追う者がいる。
海堂のように、双子の力について詳しくは知らないが、双子を交渉材料にしようと企む者もいる。
一方で、黒須と白澤はただ殺すためだけに双子を追っている。
(何か、おかしいよな……)
どうして双子を殺す必要があるのか。
生かして利用した方がいいのではないか。
本当に殺してしまっていいのだろうか。
「……俺もおっかねえ組織とは関係ねえよ。まあ、依頼人の素性がよくわからねえから、断言はできねえけどな。だいたい俺たちは、双子を捕まえるんじゃなくて殺すために追っている」
「殺すだって? 何で殺す必要があるんだァ?」
「さあな、俺だって知りたい。俺はお前よりも双子について知らねえんだよ。よくわからねえ双子をよくわからねえまま殺すのが今の俺たちのお仕事なわけだ」
「そいつぁガッカリだなァ、黒須クン。俺はてっきり、君たちが『違法点』あたりにでも雇われたのかと思っていたんだがなァ」
「いほうてん? 何だよ、それ」
「知らねえのか? 双子の力を狙う組織の中でも、一番おっかねえ組織だよ。一番おっかねえだけあって、双子について一番よく知っている」
「つまり何だ、お前は俺たちが『違法点』とやらに雇われていて、双子についての情報を持っていそうだと思ったから襲ったってことかよ」
「その通り。こうなると、もう笑うしかねえなァ? 俺たちは双子についてよくわからねえ同士で無駄に殺し合っていたわけだ。ハハハハハハハハ!」
海堂が大声で笑う。
この隙にここから逃げ出そうかと黒須は店内を見渡してみるが、
(……生かしておいた男がいねえだと?)
襲撃者のうち、一人だけ生かしておいた男――奥村の姿が見当たらないことに黒須は気づく。
奥村の手足は縛られていて、そう簡単に動けないはずなのに。
気になって、黒須は奥村の倒れていた場所をよく見てみる。
そこにあったのは、切り裂かれた衣服の残骸。手足を縛るために使われた衣服が切られていたのだ。
奥村は刃物を隠し持っていたか、近くに落ちていた刃物を利用し、拘束を解いたのだろう。そしてここから逃げ出した。そういうことらしい。
(俺としたことが、今の今まで気づかねえとはな……。これはマズイかもしれねえ)
奥村が外へ出た。それはつまり、奥村が白澤や情報屋と接触している可能性があることを意味している。
(白澤があんな雑魚に負けるとは思わねえが、何が起きるかわからねえからな)
いつまでも海堂と遊んでいる場合じゃない。
そうは思っても、この海堂があっさり見逃してくれるとも思えない。
黒須は薄々感づいていたのだ。海堂は俺をある意味で気に入っている。海堂の俺を見る目が、白澤を見る目と異なることに。
「おう? 奥村クンがいなくなったことにようやく気づいたみてえだなァ……」
「ああ、今気づいた。こんなことなら、もっと強くぶん殴っておけば良かったぜ」
今思えば、バットで殴られ気を失っていたのは演技だったのかもしれない。
もっとも、激しい頭痛に耐えながら演技をしていたとは信じ難いが。
「おいおい、そんなことしたら奥村クンが可哀想だろうが。奥村クンは期待の新人なんだぞぉ?」
「期待の新人ねぇ。どうせお前がボスの組織なんて、ろくでもねえ組織なんだろ? そこで期待されてる新人なんざ、ろくでもないヤツに決まってる」
「否定はしねえ。俺たち海堂組はどうしようもねえクズの集まりだ。好き放題、自由気まま。本能に従って獣のように生きている。だから暴れてえ時は暴れるし、理性なんざ無いようなものだからどんなえげつねえことだって平気でやる」
「海堂組って、ヤクザか何かかよ」
「ああ、言ってなかったかァ? 俺は元ヤクザなんだ。俺だけじゃなく、海堂組の構成員は元ヤクザが多い」
「元ヤクザの集まりってわけか」
「全員がそうじゃねえけど、七割はそうだなァ。俺たちがどうしてヤクザを辞めたか教えてやろうか?」
「別に聞きたくねえよ」
「……自由じゃなかったからだ。当たり前っちゃ当たり前だがなァ。ヤクザになったのも自由を求めたわけじゃねえ。他に受け入れ先がなかったからだ」
黒須の言葉を無視し、海堂は語り続ける。その語る様子は、どこか昔を懐かしんでいるようにも見えた。
「で、ヤクザの世界もお前たちを受け入れてくれなかったわけかよ」
「そうだよ、よくわかってるじゃねえか黒須クンよぉ……。俺たちは正真正銘社会のはみ出し者。異端者、異分子、はぐれガラスってわけだ」
「そんなはみ出しものたちも結局集団を作るんだな。類は友を呼ぶとは言うけどよ、何か妙だぜ」
「一人で生きていけるほど世の中は甘くねえ。そのことを俺たちは知っていただけだ」
「俺たちねぇ。なんか悪いな、お前の仲間ほとんど殺しちまって」
海堂の仲間を殺した張本人である黒須が、挑発するように言う。
いくら海堂でもこれには激怒するだろう。そう黒須は思っていたが、
「………………あれ? 怒らねえのか」
海堂は怒らなかった。表情を変化させることなく、ニヤついた顔をしたまま立っている。
「怒るって、どうして怒る必要があるんだァ?」
「どうしてって、仲間が殺されたんだぜ? 普通ブチ切れるだろうよ」
「じゃあ俺たちは普通じゃねえのかもしれねえなァ……。教えてやるよ、黒須クン。俺たちが一番大事にしているのはな、良い人生を送ることなんだ」
「そんなの普通だろうが。誰だっていい人生送りてえだろ」
「ところがどうだ? 世の中の多くの人間は本当に自分にとって良い人生を選べているのか? 良い生き方を追求しているのか? 俺にはそう思えねえなァ……。どいつもこいつもクソくだらねえ常識に雁字搦めになっている」
「それは……」
黒須は言葉を詰まらせる。
……それは仕方がないことだ。そう言いたかったが、言えなかった。
なぜなら、黒須自身似たようなことを思っていて、海堂に共感してしまったから。だから海堂の言葉を否定するのを躊躇してしまったのだ。
「……なあ、黒須クン。本当はみんな、どのように生きることが自分にとって良いのかわかっている。わかっているが、それができずにいるんだ」
「バッサリ否定はしねえが、みんながわかっているってのは言い過ぎじゃねえか? 良い生き方なんてよくわからねえもんだろ」
「そうかァ? 俺はそう思わねぇ。世の中は案外シンプルなんだぜ、黒須クン……。良い生き方とは何かという問いに答えがあるなら、それは快楽を得ることだろうよ」
「快楽を、得る……?」
「そうだ、気持ち良くなることだ。もちろん人によって何が最高に気持ちいいのかは違う。うまい飯を食うことが最高に気持ちいいと思っているやつもいるだろうし、好みの女を抱くことが最高に気持ちいいと思っているやつもいる。多くの人間から称賛を受けることが最高だと思うやつもいるだろうし、苦痛を受けることが最高に気持ちいいと思っている変態だっているだろう」
「……なるほどな。それでお前たち海堂組とやらは、好きなだけ快楽を得て良い人生を送りましょうねって、馬鹿やってるわけか」
「その通りだよ、黒須クン。俺の目的はただ一つ。快楽を得たいんだ」
海堂の眼光が鋭くなる。不敵な笑みを浮かべたまま、心底楽しそうに言葉を続ける。
「……なあ、黒須クンよぉ。初めて射精した時の感覚を覚えているかァ?」
「………………は?」
黒須は一瞬思考停止する。
一体こいつは、急に何を言っているんだ。