6話【サンドイッチ】
警視庁の刑事が到着したのは5時を少し回ってのことだった。私たちは鑑識の邪魔をしても行けないと思い、大広間で一服してから向かうことにした。
「井口警部? 井口警部じゃないですか」
陣頭指揮を執る私服刑事を見つけた先生は喜色満面といったうさんくさい笑みで歩み寄っていく。井口警部と呼ばれた人は年のころは40歳程度だろうか。身体の大きさは先生の2倍はあろうかというほどの巨漢だ。
と言っても中年太りなどではなく、引き締まった岩のような体格をしている。
頑強そうな顎が某長寿料理漫画の主人公を思わせる。
とてもうれしそうな先生とは対照的に井口警部は苦虫をかみつぶすような顔をしている。先生が差し出した右腕もそれを取る気配はなかった。
「またお前か」
「ええ、また私です。そういえば警部とは10年前にここで事件があったときも顔を合わせましたね。あれが初対面でしたか? 当時は確かまだ警部は警部補でしたか?」
「そうだ。……いや当時は巡査部長だったか?」
「そんなことより警部」「お前が聞いたんだろうが」と井口警部。しかし先生はそれを意に介した様子もない。
「もう所轄の人間から聞いているかもしれませんが、この屋敷の主人・香取善三さんは以前より強迫を受けておりました。もちろん近くの警察署に相談にいったそうなんですが、なかなか相手にしてもらえなかったそうで」
「ああ、その話は聞いている。もちろん事件が起きていない段階で警察が十分にその機能を発揮できないのは我が国警察の課題だ。面目次第もない。しかし真行寺君、いくらなんでも今回の事件は事故で決まりではないかね」
そう言って井口警部はアトリエの机の上にある皿を指差した。
その皿の上には二切れのサンドイッチが乗っていた。善三氏が食べ残した分だと思われる。サンドイッチは三嶋さんが作ったものであるという。三嶋さんは8切れ作り、自分では1切れも食べなかったというので、うち6切れが善三氏の胃のなかに収まった計算になる。年の割にはなかなかの健啖家である。
そしてその具材は納豆としらす干しだった。
「君たちも同じ結論に達したらしいが、病院の医師の診断も納豆アレルギーだった。つまりこれは知らず知らずのうちに納豆アレルギー体質になっていた香取善三氏が納豆を食べたことによってアナフィラキシーショックを発症し、溺死しかけた、ということだろう」
「その結論は早すぎるのではないですか? 誰かがそうした結果を狙って納豆を善三さんが食べるように誘発したのかもしれない」
「だったらサンドイッチを作った弟子の三嶋由香里が犯人だというのか?」
もちろん、こんな激論を伊古野さんたちの前でやっているはずもなく、彼女たち3名は別室で待機してもらっていた。
「警部短絡的ですよ」
「なんだと?」と井口警部はギロリと先生を睥睨する。
「もうそのぐらいのことは調べているでしょうが、このアトリエの冷蔵庫や調理器具は善三さん本人と弟子の三嶋由香里さんしか使わないんです。つまりこの冷蔵庫に納豆を入れておけば、あくまで食べる習慣がないだけで納豆が嫌いなわけではない善三さんの口には大体50%の確率で納豆が運ばれるんです」
「ふん、そのぐらいのことは当然調べがついているし、お前が今言った可能性も当然検討している。しかし冷静に考えてみろ。本人すら知らなかったアレルギー体質をなぜ他人が知っていてそれを利用できるんだ」
「本人が知らなかったかどうかは分かりませんよ。何らかの事情があってご家族やお弟子さんには言えなかったのかもしれない。この納豆誰が買ってきたか、もう聞きましたか? ちなみに私は聞きました。少なくとも三嶋さんではないそうです」
「なら善三氏が買ってきたんじゃないか?」と井口警部。
「まあ、その可能性もありますね」と先生はあっさり折れる。「確かに、外部犯がこんな回りくどいやり方をするというのはいささか不自然に思います」
「同感だ」
「しかし警部、今日はやけに決め付けてかかりますね。いつもはもっと慎重なのに
ひょっとすると何か圧力でもかけられになっているとか? 警察としては大失態ですよね。脅迫状めいたものを送りつけられてその相談を受けているにもかかわらず、みすみす、最低でも殺人未遂。なんとか事故で片づけるようにと上からのお達しがある、というのは邪推でしょうか」
先生は挑発するように井口警部に詰め寄った。
「邪推に決まってるだろうが」
「でしょうね」
挑発した割にはあっさりと引き下がる。
「そもそもこうした場合にはむしろ我々はしっかりと調査をすることが唯一見せられる誠意なんだよ。しかも相手は高額納税者。合理的に考えればわかるだろ」
「それならばお願いしますよ。少なくともこのアトリエ内は徹底的に調査してください。プールも。」と先生。
「言われるまでもないわ」と井口警部。「ただし、もちろん、君たちも例外ではない。覚悟しておけよ」
そう言って警部は先生の背後の私や犬神さんにまでにらみを利かせる。とばっちりだ。