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人彼らを名探偵と呼ぶ  作者: ボルネオ
case04画家殺人事件
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4話【容疑者候補】

 弟子である三嶋さんに連れられて、アトリエに向かうと、件の人物である香取善三さん本人が出迎えてくれた。三嶋さんそれと同時に、私はこれでと言って会釈とともに去っていく。

 もう60を超えているはずだが、背筋が伸びており矍鑠とした印象がある。口にはライオンのように白くなりかけた髭を蓄えていた。

「ようこそ、真行寺君。あの時以来だろうか」と善三さんは言う。

「ご無沙汰しております。今日は依頼は何よりですが。お会いできることを楽しみにしておりました」と先生。よくもいけしゃあしゃあと。さっきまで忘れていたくせに。

 香取善三。筆名は香取蒼然。大阪府大阪市生まれ。風景画を得意とする。1974年東京芸術大学入学。1980年同大学を卒業。大学在学時にイタリアに留学の経験がある。

 大学の同級生である彫刻家・香取葉子(旧姓九島)と1990年に婚約している。

その特徴は精緻なタッチと独特な世界観、色使いにあるという。ちなみに某オンライン百科事典調べである。

 先生はおもむろに窓の外を見る。その視線の先に私も合わせると、そこには緑色の縦長の草が地面から垂直に生えていた。ちなみに窓辺の木枠には水の入ったペットボトルが乗っている。

「スイセンですかね」と私が尋ねる。

「いやそれはあそこからここまで。こっから向こうがニラだね」と先生が言う。その言葉に善三さんが同意する。先生は料理とかしないくせにこういうことには詳しい。

「スイセンは善三さんが?」と今度は先生が尋ねる。

「ああ、10年ほど前に植えたんだ。以前に君が来てくれた時にもここにはスイセンが生えていたんじゃないかな」

 そういえばと思って周りを見回すと、アトリエの壁には庭のスイセンを描いた絵がかけられている。その額縁の右下には小さな紙片が張り付けられているが、完成した日付は14年前となっていた。

「ニラのほうも?」と再び先生が尋ねる。

「いやニラは弟子の三嶋が少し前に植えたものだよ」「なんでまたニラなんか」と私は尋ねる。まあしかしこうして見ると、ニラの花というのも鑑賞に堪えうるような気もする。

「製作中はイチイチ屋敷のほうに戻るのも億劫なのでこちらで簡単な食事を取ることもあるのでね。冷蔵庫のなかにはほかにもいくつかの食材があるし、畑のほうにもほかにも野菜が植わっているよ」

 へえ、と先生はどうでもよさそうに言った。

 改めてアトリエ内を見回してみると、今善三さんが言った言葉を裏付けるように冷蔵庫やコンロが置いてあった。と同時にアトリエ内が思ったより散らかっていることに気付く。画材やキャンバスに被せるためと思われる黒い布が床に散乱している。

 散らかってはいるが掃除そのものは行き届いているのかあまり埃っぽくはない。

 先生はおもむろに窓辺に付いている木枠を指でなぞった。その指にほこりらしきものは付いていなかった。

「ところで善三さん、件の手紙の件ですが」と先生。

「ああ、そういえば君が来たのもその手紙の案件だったな。どうやら伊古野あたりからもう説明は聞いているようだね。私はただのいたずらだから心配するほどのことではないと言ったんだがね。伊古野や三嶋が聞かんのだ」

 善三さんは葉巻を取り出すと、火を付ける。白い煙がうねりを上げている。

「失礼を承知でお聞きしますが、あの手紙について心当たりはございますか? あの怪文書のことです」と先生。

「心当たりとは、どういう意味で?」

「あのような手紙を出す人間に心当たりはあるかというのがまず1点。今1つはあの手紙を出した人間が何かしかけてきたという心当たりはあるか、ということです」

「2点目から答えましょう。私としてはただの偶然だと思っているのですが、ひょっとしたらと思うことは確かにありました」と善三さんは言う。

「伊古野たちが警察や探偵に届けるべきだと言っているのもそのせいだろう。一つは杖のネジが外れていたんだ」

 そう言って善三さんは杖を見せる。黒を基調とした杖だ。高級そうな様相である。手に取ってみると思ったよりは軽い。杖のなかほどの辺りに杖と同系色で目立たないようにしたネジがある。

「そのネジを外すとその部分が外れるようになる。鞄などに入れるときにかさばらないというわけだ」

「しかし見たところ杖が必要なほど足腰が弱っているようには見えませんが」と先生。確かにというか、先ほども杖を持たずに歩いていたような。

「まあ事実アクセサリーみたいなもんだね、これは」と善三さん。

「このネジが緩んでいたんだよ。それが人為的なものかどうかはわからんがね」

「なるほど。いくら杖に頼って歩いているわけではないとはいえ、階段辺りで急にネジが外れれば一大事だ」と先生。

「その通りだ。大事にはいたらなかったが、転びはしたよ。家の階段に絵の具を入れるための缶が放置されていることもあった。まあ踏めば転ぶこともあるだろう。

 この家で今絵を描くのは私か弟子の三嶋だけだ。当然覚えのない私は三嶋を叱り付けたが奴は覚えていないという

 次に私にこんな手紙を出すぐらい私を恨んでいる人物だが、どうだろうね。私を恨んでいる人物と言えば何人かは思いつきますが、こんな殺害予告めいたものを送ってくる人物となるとはっきり言って心当たりはありません」

「それはどのような方ですか」と先生。

「1人は井岡という画家だ。東京芸大のころの同期なんだが、奴も国内ではそれなりに名を博していて職業画家のはずだ。奴とは大学時代少し揉めてな。まあ理由はつまらんもんだから別にいいだろ」と善三さん。

「ぜひお聞かせください」と先生。

「……敵わんな。まあ妻の葉子をめぐって揉めたんだ。つまらん理由だろ。まあ結局は井岡が身を引いた形で終わったんだが。だが葉子が死んでから5年今更そのことで井岡が私に復讐するとは思えない」

「論理的なご意見です」と先生。

 普通は女を巡る争いというのは相手を失せば自分がその女を手に入れることができるから起きるものである。当然今回の事例はそれには当てはまらない。

「あと1人は画商の高坂君かなあ」

「それはどういった人物なんですか?」

「大手画廊の営業マンで数年程前まで私と取引があったんだ。昔の私としては画廊に自分の絵の流通を任せていてもよかったんだが。数年前から気が変わってね。どうせなら自分の納得の行く相手に売り渡したいと考えるようになったんだ

 まあ所詮は生活に余裕があるがゆえの道楽だがね」

 芸術家の拘りというやつだろうか。まあ例えば絵を大事にしてくれない人に譲りたくないとか、ちゃんと審美眼のある人に買ってもらいたいという気持ちであれば芸術家でもなんでもない私にも想像に難くはない。

「それでなんでその人が善三さんをお恨みになるんですか」と私。

「まあ高坂君は私との取り引きに最後までこだわってくれていたからね。まあ結局は長い付き合いにもかかわらず、私がそれを無碍にしたわけだ。そういう意味では恨まれているかもしれない。まあやはり殺されるほどの筋合いはないとしか言いようがないけどね」

 同感だ。そんなことでイチイチ人を殺していられるはずがない。もっとも背景にはどんなストーリーがあるかはわからないので、絶対に殺されるほどの恨みは抱かれていないとは言い切れないが。

 例えば善三さんとの取り引き中止の責任を取らされ、その高坂さんという画商の出世が阻まれたのかもしれない。

 仮にそうだとしてもそれは逆恨みというやつだが。

「やはりその2人に善三さんを殺害しようというほどの恨みがあるとは思えませんね」

「私が推測しているようにただのイタズラならば、それぐらいには恨まれているかもしれないなとは思うがね」と善三さん。

「あの時の件と――」

「――関係があるかもしれませんなあ」

 先生と善三さんは意味深に視線を合わせた。あの時の件。

 今朝方宗方さんが言っていた先生が新人のころに解決した事件の話だろうか。

 どうやら先生も善三さんもそれ以上のことを語るつもりはないようだった。

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