四章十六節 弄られていた記憶
この記憶は、きっと忘れてはならないとても大切な記憶だったのだろう。
だけど、今の俺の記憶では既に泡のように消えていた記憶だ。
それなのに――何で、俺の頭の中では記憶として浮かんでは消えて行くんだ。
『……黒ちゃん』
久しく忘れていた、大切な人の声が頭の中で響き渡る。
そして、俺の心を引き裂き、締め付け、粉々に砕く。
『私はどんな時でも、味方だよ? きっと、騎士団の皆もそう思ってる』
未来はいつも俺の側で微笑み、そっと優しく寄り添ってくれた。
それなのに―――俺は未来を殺してしまった。
――この手で、未来のまだ暖かい体を抱き締めて、涙が流れた頬を血で濡れたその手で優しく触れる。
その体は既に冷たくなっており、俺に向けてくれていたあの優しい微笑みは、もう見られない。
全身から力が抜ける。
心は放心状態、周囲から炎が上がり建物が崩れ、美しかった都の姿は欠片も残っていなかった。
「黒団長、速く! ラウサーとベルガモットが押さえてる内に――」
誰かが、俺を呼んでる。
でも、その声は既に黒の耳には届かず、愛した人を失った悲しみに暮れる男にゆっくりと近付く人影は、不気味な笑みを見せる。
「ラウサーとベルガモットは動ける者を直ぐに呼べ! ハートとヴォルティナは俺に続け!」
「おう!」
「私に……命令するな!」
3人が人影に向けて突き進み、ドライバとドライバが交わる火花と魔法と魔法が相殺する衝撃が、その場に更なる爪痕を付ける。
「ザザッ…。寧々と銀隠を連れてきたぞ! この場は一旦体勢を建て直すために引く。団長を連れて引くぞ!」
「団長…! 速く! 頭達が…ザザッ…押さえてる今の内に――速く!」
黒は血に濡れた両腕で団員の手を振りほどき、黒幻を抜刀すると共に人影を一刀両断する。
地面は抉れ、建物が紙切れのように切り刻まれていき、その場に居るだけで自分達の命が危ない事を察知する。
「団長1人では危険です! 私も加勢にッ――!」
「お前は状況を良く把握しろ! 俺らがいると団長の邪魔になるだけだ!」
団員同士で黒の邪魔にならないように、素早く後退する。
「この場は団長に任せるぞ! とにかく未来様を安全な場所に、アイツの目的は未来様の体だ!」
「了解!」
黒が人影と対峙する間に、黒焔騎士団と思われる団員達がそれぞれの行動を開始する。
(ラウサー…ベルガモット…銀隠…知らぬ名ばかり―――。いや、俺が忘れているだけかも知れない)
消えていく記憶に映る、名も知らぬ団員達が黒の隣で笑い合いながらテーブルを囲む。
本来なら思い出として、記憶の中で存在し続ける筈の記憶。
数多くの黒焔騎士団団員達との愉快な時間を、黒は全く覚えていない。
解散させた2年前の黒焔に在席していた団員達の顔ぶれもあるが、靄が掛かったように顔が見えない者も記憶の中にいる。
ましてや、ザザッとハートの2人が俺の――……
頭が割れる程の痛みに黒が耐える最中、黒の体は理性を失った獣とかして黒竜と刃を交える。
「むん。…私が未だに黒の中に入っていたと思うと、ゾッとするのぅ。黒の内から早めに出てきたお陰で、黒が支える私の魔力も少なかったようだしのぅ」
常人の目では追い付けない程のスピードで繰り広げられる、両者の持つ同レベルの剣術の腕前と同品質の刀と刀での攻防は、誰ひとりとして、付け入る隙が無い。
両者の振る刀の軌跡がその場に残って見える程に加速してきた頃。
徐々に黒竜が力で押され初め、黒竜の額から汗が滲む
「そろそろ、限界か……我ながら情けない」
黒竜は正面から向かってくる黒の死角に潜り込み、黒幻を囮に黒の意識を別の方へと向けさせる。
「目を覚ませ! いつまでも、いつまでも……ウジウジしてるから、誰も守れないんだよ! そんなんだと、黒焔の団員達から笑われるぞ!」
黒竜は黒の胸ぐらを掴み、黒の耳元で叫ぶ。
「んな…こた……分かってる…はボケ! 邪魔だから、退いてろ!」
理性を取り戻した黒は、暴走している黒竜の魔力を内側から締め付けるように抑え込む。
「俺は、もう……逃げない! 未来の為にもな――」
黒の体内に残っていた黒竜が残した魔力のカスを無理矢理抑え込み、黒の体を覆っていたドス黒い魔力がみるみる消えていく。
「――黒。自分がなぜ、魔法を拒んだか……分かるな?」
黒竜は黒幻をぼた餅の体内に収納すると、ぼた餅をソファーへと作り替えて横になる。
「――あぁ、理解した。――俺は逃げたんだな。未来が目の前で冷たくなっていく事から、団員達の団内の雰囲気が暗くなっていく事から逃げた。騎士団を解散させたのは、俺の力不足じゃない。橘黒と言う男の心が弱かったんだよ」
黒は土で汚れた体のまま草原に仰向けに倒れる。
「俺は未来を救えなかった事に絶望したんじゃない。救う事を諦めた事に絶望したんだよ……きっと」
黒は首を擦りながら立ち上がり、祖竜と親しく話をしている皇女の前に歩み寄る。
その身から感じる魔力は、皇女と会ったばかりの黒とは別人のように安定しており、魔力の質も量も格段に上がっていた。
「この魔力が、本来の橘様なのですか?」
「その呼び方は止めてくれ……黒で良いよ。――皇女殿下」
呼び方の訂正を求めた黒は皇女に膝を突くと、皇女は黒の額を小突き。
頬を膨らませながら、自分の呼び方も訂正するように命じる。
「親しい呼び方で呼ぶことを許可します」
しかし、黒には皇女を親しく呼ぶ事が出来ない理由があった。
「悪いけど。俺さ、皇女のフルネーム知らないんです……けど…」
申し訳なさそうに謝る黒を、皇女は竜人族固有の凄まじい眼光で黒を睨み付ける。
それも当然であろう、竜人族の頂点に座す竜人族の皇女の名を知らないのだから。
竜人族の皇族は他の種族とは違って、神と竜神との間に産まれた竜人の直系血統である。
そのため、皇族として産まれた竜人は他とは比べ物にならない力を秘めている。
象徴とも呼べる竜人族の皇族は、産まれた時から神と呼ぶに相応しい立場なのだ。
その事から、皇族の名を知らない竜人族はほとんどいない――黒を置いて。
「私の名は、竜人族皇族が1人。『椿 羽織』です! 皇族の名前を知らない何て……変わってますね」
「それはそれは、申し訳ありません。羽織姫」
姫と呼ばれ、一気に顔を赤く染める羽織は黒へと向き直り、何かを言おうとするが直ぐにそっぽを向く。
「悲しいねぇ……。所で【黒竜】。何でお前が外に居るの? 今の俺は、戦意を喪失して魔法を拒んだんだぞ? お前が俺の魔力無しで実体を保てるとは思えねぇ……」
黒竜は黒の疑問に答えるように、指を空へと向ける。
「まず、お前はここがどこかを確かめなくてはならない」
黒竜の指摘に黒は意味が分からないまま、辺りを冷静に見回してみる。
すると、魔力探知を行って初めて気付いた事に黒は驚き、黒竜と祖竜を交互に見る。
「むん……。ここは、皇女様の精神世界。魔物が実体を保つ上で触媒が必要で無い世界だ」
そう言うと、黒竜は本来の竜の姿へと変わり草原を飛び回る。
「やはり、久しき竜の姿は良いものだ! 血が疼く!」
テンションが久々に昂っている黒竜は黒達の事を気にも止めずに草原を駆け巡る。
しかし、あまりの風圧に皇女が転倒すると、祖竜が跳躍と共に黒竜の鼻を掴み。
草原に叩き落とす。
「……流石は祖竜だな。人型とか関係無いな」
ボロボロになった黒竜は草原に倒れ込み、祖竜の膝の上でぐったりしていた。
「――そうだ! 羽織様は、何で祖竜の力が暴走してしまったんですか?」
黒の問いに羽織は一呼吸置いて話を初める。
「――私は記憶が無いんですが。祖竜が言うには、記憶が弄られていたらしいです。弄られていた時の私の認識では、『祖竜の力は巨大で、凶暴である。一度力が溢れれば身が持たない。絶対に力を使ってはならない』そう言った認識だったんです」
その皇女の言う説明に、黒の心音は高ぶり初める。
「でも、橘様が私のトラウマを呼び起こして、精神が不安定になった瞬間に弄られていた記憶の蓋が外れ。記憶が、あの、修正…でしょうか。されて、祖竜との意志疎通が図れて無事に制御が可能になったんです」
記憶が何者かに『弄られていた』その事実を知った黒は、頭を襲うとてつもない痛みに膝を折る。
「――ぐッ…! これは何だ!」
黒は痛む頭を必死に耐えると、途切れ途切れで見えてくる景色に違和感を覚える。
「何だ……この…景色」
視界に広がるのは、傷だらけになって倒れている黒焔騎士団の団員達と禁忌の聖騎士仲間達や見知らぬ者達。
そして、中央に佇む人影の手前で、力無く崩れ落ちる未来。
『コレが結果だ。君達が求めて止まなかった、結果だ。そうだろ? ――黒竜帝』
「――クソッ…! ガッ……!」
コレも身に覚えのない光景。
だがしかし、この体の内側から感じる、このドロドロした感情は何だ?
これほど鮮烈な記憶は覚えていないのに、全身の細胞一つ一つに魔力が迸り、人影に対して無性に殺気が沸き上がる。
『――殺せ。その者を、殺せ』
『汝らが本来過ごす筈である。一時の平和を崩壊させる、敵である』
『殺せ! 本能のままにッ!』
『それが、天から定められし結末。――結果であり。答えである!』
『私達の……悲しみの連鎖を止めて…。貴方自身の手で』
知らない声が黒の脳内に響き渡る。
「誰なんだ……お前達はッ――」
「チュウグナ・トトゥヌティ・カンク・バース」
黒竜は黒の額に手を当て、魔法ではない見知らぬ呪文を唱え黒を眠らせ、意識を失った黒をぼた餅ソファーで横にする。
「黒はしばらく寝て貰うとして……。まず、皇女殿にはこの精神世界から元の世界への帰還を可能にしてほしい」
「えッ…私が皆さんを元の世界に戻すのですか? 無理ですよ! だって、方法何て私は知りません」
羽織は黒竜に対して、帰還方法を知らないことを告げるが、隣の祖竜が羽織を後ろから抱き締める。
「方法は、既に貴女は知ってる……でしょ?」
優しく羽織を抱き締める祖竜の腕の中は暖かく、心地良い物であった。
「……ん、温かいよ。――【白銀の祖巨竜】」
羽織の精神世界である草原に光が差し込み、羽織達を光の波が呑み込む。
羽織が気付いた時は、皇宮内の寝室で目を覚ます。
「やっと起きたか……羽織」
「お父様。――私…私…」
羽織の頬を伝う涙が次第に増えていき、布団に涙が溢れる。
「もう、分かってる。何も言わなくていい、全部分かってる」
娘を抱き締めた皇帝陛下は、今この時だけは陛下としての立場を忘れて子供のように娘と泣いた。
「へー…。それで、お前はトラウマを克服して魔法が使えるんだな?」
竜玄が退屈そうに息子である黒の話に耳を傾ける。
「んだよ。親父が『経緯を説明しろ』って言うから説明してんのに……」
「それにしても、お前が魔法を使えなくなった原因がまさか、戦いが怖くなって逃げたとはねぇー」
笑みを浮かべる竜玄は黒を小馬鹿にするように、黒の頭を撫でる。
竜玄に子供のように頭を撫でられることに、恥ずかしさで狂いそうになった感覚を覚えた黒は竜玄の手を払う
「いつまでも、ガキ扱いすんな! これでも【帝王】の一席に数えられてるんだぞ!」
「ムキになんなよ。俺ら親からすれば、お前達は何時まで立っても可愛い子供のまま何だよ」
ムキになる黒を小馬鹿にしつつ、竜玄は病室を後にする背中にはどこか恐怖を覚えた黒であった。
「【紫陽竜】黒の状態は?」
『そろそろ、十解禁まで行くわね。今が三と四の間って所ね。黒竜からだと、奥の手を出す程の拒絶反応が出たらしいわよ』
竜玄は城内の暗い通路を早足で進み、正門から1人数多の星が煌めく夜空の下を進む。
城の下に作られた城下町をただ真っ直ぐ進み、城下町の更に奥にある。
高い外壁で造られた検問所を通り、至る所から獣の臭い充満し雄叫びが響く。
暗い森へ足を踏み入れる。
「【紫陽竜】辺りを見回してくれ。もしも、生体反応があったら教えてくれ。敵だったら問答無用で消してくれ」
『分かってるわよ』
紫陽竜が竜玄の魔力の7割を触媒に夜空へと飛翔し、紫陽竜が竜玄を中心に半径2キロを偵察する。
『――竜玄。お目当ての、お客さんだよ』
「紫陽はそのまま偵察を続けてくれ、何かあれば報告を……」
竜玄は林の奥からゆっくりと木々を掻き分ける人影を睨み付けつつ、残りの魔力で全身を強化する。
「流石は、竜玄さんだ。警戒を怠らない所は昔っから変わりませんね」
「当然だ。黒とお前がおねしょしてた、ガキの頃から知ってんだぞ? お前を警戒しないとどうなるか何て分かりきってんだよ。――暁!」
竜玄が暁と呼ぶ者は、黒の愛した人を殺して世界を敵に回す男。
「僕を呼んだってことは……計画通りじゃ無いっていう解釈で良いのかな?」
暁が竜玄に尋ねると、竜玄は静かに頷き近くの倒木した丸太に腰を下ろす。
それを見た暁は、竜玄と出来るだけ正面になるように移動し、丁度影に隠れれる所の木に寄りかかる。
竜玄が話を始めようとするが、暁は何かを思い出したかのように、懐から小型のカプセル型機械を竜玄に向けて投げ渡す。
「……コレは?」
「それは僕も今一つ理解してる訳じゃ無いけど、先生特製の精神妨害の機械らしいよ。【機械王】が作った機械何だから、性能は試さなくても分かるよね?」
暁はそれを渡し終わると、空間を開き帰ろうとするが竜玄が暁を呼び止める。
「話は終わってねぇぞ。ここからが、本題だ。黒が目覚め始めた。コレが、黒の覚醒が近くなって来た証拠なら……奴等からの接触も近い内に何らかの形で行われる。お前らでも警戒しといてくれよ?」
そう言うと竜玄は紫陽竜を体内に戻らせ、足早に城へと向かう。
「なるほど……黒ちゃんが目覚め始めたんだ。なら、他の皆も仕掛けを作動しとかないと」
夜空から顔を出す月明かりが、暁の顔を照らす。
「やっと……2年前の借りを返せる。黒ちゃんが覚醒したら、再結成だね。――黒焔騎士団」
 




