一章二節 絶体絶命と魔法
正面に待ち構える女子生徒はゆっくりと黒との距離を詰める。
(マジでヤバイ時って、世界がゆっくりになって見えるのかな? ……なってくれたらマジで感謝なんだけどな)
心の中でそんな叶いそうにない願いを抱く。
「絶体絶命って奴か? これ……」
黒の目の前には突き出されたレイピアの剣先が日の光を反射してキラキラと輝く。
レイピアを黒に向けていた女子生徒が、ため息を溢し黒に残念そうな目を向ける。
「ねぇ…あんたが侵入者でしょ? 仲間とかはいないの?」
女子生徒がレイピアの刃先を向けたまま、尋ねる。
「さっきから、俺が妙に狙われているから……そうらしいな。てか、仲間の有無を俺がお前に話すとでも?」
黒は女子生徒を挑発するように、手招きをする。
「単身で挑むのに自信が無くて、お仲間の到着を待ってるのか?」
女子生徒の頬がピクリと動いたのを、黒は見逃さなかった。
女子生徒の持つレイピアが黒の前からゆっくりと下ろされ、常人では捕らえる事はほぼ不可能な速度で真横に振られる。
近くにあった階段の手すりがキレイに両断され、見た目は安っぽそうなレイピアだが中々な業物だと判断できる。
「…ホントに仲間とか居ないの? 私からしたら、あんた一人だと弱すぎて…侵入者に見えないの」
流石に候補生の子達に本気で手を挙げるのは良くない。
しかし、今の黒は目の前の生徒にだけなら良くないか、先ほどから色々と黒に舐めた態度を取っているコイツだけなら――と。
「居ったら、どうするんだ?」
ゆっくりと後方の階段を一段一段降りながら、尋ねる黒と其を追うように生徒も一段一段降りる。
「そっちに行くかもね。…あぁでも、ちゃんとあんたを引き渡した後にだけどねッ!」
女子生徒は黒には一切興味を示さずに、仲間の方に行くと断言する。
最近の星零学院生は癪に障る奴だ。
と言っても自分が相手と同じ立場だったら、そうしてるから何とも言えない。
不意に黒は気が付き、目の前の生徒は黒を弱い奴と断言し認識している。
黒はある秘策を思い付に、それを女子生徒に試す事を決意する。
「なぁ、理事長室ってどこにあるか分かるか?」
まるで、親しい友人と話すような敵意を一切感じさせない素振りで生徒に話し掛ける。
そして、生徒は少し驚きつつも、何故かそんな黒の敵意の無さからつい口に出してしまう。
本来なら、侵入者の要望を聞き入れる事は学院やそこにいる生徒の身を危険に晒す行為。
「『分かるか?』って……分かるに決まってるでしょ? バカなの? 理事長先生は星零学院で最強の人よ、私もあの人の様な魔導騎士になりたくて、この学院に来たのよ」
(なるほど、あのババァに憧れてか……)
「で――何処に居る?」
黒は今に追ってくるであろう、他の生徒達と鉢合わせになる面倒事を避けるためにいち早く理事長の居場所を聞き出す。
「この階の大きな扉の所よ。理事長室って看板もあるし」
女子生徒は、疑う素振りすら見せずに簡単に居場所を吐いてしまう。
非常に黒からすればありがたい事だが、候補生としてはまだまだ甘い。
「1つ。人生の先輩からアドバイスだ。自分が所属する組織の重要人物の居場所をそう簡単に敵さんに吐いちゃ駄目だろ? 俺からしてみればラッキーだがな」
女子生徒は口を開いて、自分のしでかした事の意味を再確認する。
そして、女子生徒が黒が理事長室に向かうよりも先に仕留めようと焦り、手元が狂う。
「はい、焦りは禁物。それと、相手の力量を見謝るなよ?」
女子生徒が黒を捕らえようとした時には、既に手遅れだった。
黒の全身を覆い隠すように現れた、蒸気が全身から吹き上げる。
全身から両腕に集まる蒸気は、凄まじい出力だという事は一目瞭然だった。
「まさか! こんな複雑な魔法を同時に…てことは、調律級魔法!?」
女子生徒が驚いてるいる間にも、黒の全身を覆う蒸気が更に増していき、両の腕に納まる
「調律魔法【蒸気強化】!」
黒が魔法を唱えると、腕に貯まっていた蒸気が一気に解放され爆発した。
凄まじい蒸気の解放音は、爆発と大差なく。
凄まじい爆破音は、女子生徒が耳を塞がなければ鼓膜は破れていただろう。
爆風で辺りの窓ガラスと壁は吹き飛び、解放された蒸気は高熱で壁の塗装が剥げていた。
「う…嘘でしょ……」
女子生徒はなす統べなく、ただ耳を押さえて破壊された廊下を見詰めていた。
黒は廊下を調律魔法で生じた爆風に乗り、理事長室の前まで来た。
「やっとか。ここまで長かった……」
扉を開けた瞬間に、黒は自分の首下を狙う薙刀を紙一重で避け、薙刀を蹴り飛ばす。
「手厚い歓迎で痛み入るよ」
「…ッ!」
目に前の女は殺す気で狙った攻撃が当たらないことに、舌打ちする。
そして、再度黒の肩を狙って降り下ろした薙刀だが、黒は避ける所か片手で受け止めそのまま握り潰した。
「――なッ!?」
薙刀を持っていたのは学院の生徒ではなく、教員の一人だと黒は気が付いた。
全身を黒スーツに身を包み、見た所理事長の秘書と言うポジションではだろう。
色気がある女性の特長がほぼ当てはまる、完璧な秘書。
そんな事を考えていた黒は、秘書さんから見れば隙だらけであった。
懐から素早く取り出し黒に向けて投げ付けるクナイは、黒の体勢を崩し、そのまま黒の首目掛けて止めを刺そうとする。
「――止めな」
その声を聞いた秘書は黒の喉仏寸前で押し留まった。
「なぜです!? コイツは理事長を暗殺しようと来た、刺客かもしれません。お人柄の良い理事長先生ですが、相手がここまで無傷で来たと言うことは……それほどの手練れです」
だが、理事長はそこを退くように秘書に言うと、秘書は渋々と黒の前から飛び退き。
空中で一回転して理事長の隣に立つ。
「その子は私の呼んだお客さんだよ。久しぶりだね『橘黒ちゃん』」
そう言って嬉しいそうにニコニコ笑みを浮かべ、椅子から立ち上がり黒の方に向き直る。
黒は今すぐにでも、目の前のババァこと理事長を殴り倒したい。
だが、そんな事よりもまず先に、犬歯を剥き出しにして睨み付けてきているこの女をどうにかしない事には始まらない。
「自分で呼んどいて侵入者呼ばわりとかねぇだろ。って言うか…ババァ、お前わざとだろ? この銀の硬貨にGPSでも仕込んで、タイミング良く候補生達をうまい具合に誘導したろ? レイピア持ってた子の待ち伏せと、女子生徒二人の配置と周辺の監視諸々」
黒は理事長の近くまで行こうと一歩踏み出すが、秘書が黒の前に立ちはだかる。
右手の袖から釘の様に細いクナイが数本現れ、黒の頬を掠める。
掠めて理事長室の壁に突き刺さった釘型のクナイは、以外と痛く。
黒は涙を堪える。
(いや、客に対して失礼過ぎないかこの秘書? マジでクナイが掠めた所痛いんでけど!?)
「――止めな!」
秘書が一瞬にして黒との間合いを縮め、黒の首を確実に狙ってきた。
黒が秘書の動きに合わして、一歩後ろへ体勢を傾けると理事長か二人の間に割って入っていた。
(おいおい、高速魔法? 予備動作無しの高速魔法とか反則でしょ? いや……違う音速魔法?)
黒が考えに耽っていると、秘書が理事長の右側から身を乗り出す。
意識が反れていた黒の顔に、秘書のダイレクトな拳がめりこむ。
まさかの攻撃に、理事長は驚いていた。
だが、秘書の拳が黒の顔に叩き込まれ、間を開けて黒の表情が一変する。
「ッ! ――理事長先生!」
黒は全身に巡らしていた魔力を更に増大させ、秘書の心臓に狙いを定める。
テーブルを真上に蹴り飛ばし、テーブルに置かれていたペンを中指で弾く。
全身に巡らしていた魔力と黒の腕力が合わさった指から弾かれたペンは音速を越え、秘書の右胸に向けて飛んでいく。
「――キャッ!」
秘書が声を自分の目の前で破裂したペンの衝撃に驚き、女らしい悲鳴が口から出てしまう。
しかし、目の前には、理事長がたっているだけで黒の姿が見えない。
そして、何故か背後の窓ガラスが壁諸とも崩れており、大きな大穴が空いていた。
秘書が崩れた壁から、外を除き込むと中庭に大きなクレーターを作り、その中央に黒が倒れていた。
つまり、理事長が弾かれたペンを手刀で叩き壊し、一瞬だけ本気になった黒の腕を掴み、そのまま背後の窓に叩き付け中庭に背中からダイブしたと言う事だ。
「私の大事な秘書を殺す気なのか……橘ちゃん?」
「あのババァは化け物か? …コレじゃ、殴る所か蹴りすら入れられんな……」
黒は崩れた中庭から、這い出て周囲の状況を確認する。
いつの間にか集まっていた星零学院の騎士候補生達が、各々の武器を携えて黒を囲む。
その数は、数える気にならない量であった。
視覚的情報以外にも、魔力で周囲を探知すると校舎内や屋上と周囲の木々から弓や銃で黒を狙う者もいる。
先ほどのレイピアを携えていた女子生徒との戦闘以上にピンチである。
レイピア持ちと同等かそれ以上の魔力を持った生徒も数人存在する。
もちろんレイピアの女子生徒も、確認できる。
中庭の周りを囲むのは、そんな既に騎士としての異形と戦う力を備えた者達が多く集まっている。
だがしかし、力など誰でも持てる。
本当に騎士に必要なのは―――短剣や槍、太刀や銃等の武装では無く。
―――どんな強敵にも屈しない心の強さが必要不可欠だ。
「いやー……絶体絶命の大ピンチってやつか? ――面白ぇ…」
大ピンチと自分で言っておきながら。当の本人はどことなく嬉しいそうだった。