最終章二十一節 竜人の戯れ
黒が目を覚まし、まず先に視界に飛び込んできたのは白色の天井であった。
俺は、魔神の試練には合格が出来たのか……。まぁ、戻ってるって事は合格したと、そう思っておくか…。
黒がゆっくりとベッドから起き上がり、身体の違和感が無いかを確かめつつ窓を開ける。
日は既に傾き、夕焼けの光りと吹き抜ける風が黒の頬に触れる。
魔神の試練から帰って、魔物である『黒帝竜』も『黒鬼』にもこれと言った変化はなく。
ただ、魔力を繋げても反応は無く。まるで眠っているかのような2体に黒は妙な違和感を覚えた。
黒竜も黒鬼も力は増した訳でも無いが、魔力を繋げた際にいつもよりも少し多めに魔力を持っていかれた感覚を感じた。
俺から持っていく魔力が多くなったにも関わらず、2人は反応が無い……。それでいて、力が増したわけでもない。
――そんな小さな違和感に一度でも気付いてしまえば、違和感が離れなくなる。
それでいて、試練の最中に朧気に見た白色に輝く竜の魔力と姿も脳内に焼き付いて離れない。
だが、あの竜の正体かは断言出来ないが、黒には1つだけ心当たりがあった。
そして、自分の中にもその力があって、彼女にも存在すれば――自分はより頂きに至れると確信していた。
思い立ったら……何とやらだ。速攻で出向いて、ハッキリさせるか――。
病室から出ようとした黒が、不意にベッド横に置かれていたデジタルカレンダーに視線が向いた。
試練に向かってから、どうや自分は『2日』も眠っていたらしい事だけは分かった。
試練に挑む前に、未来と少し口論となり思わず怒鳴った事や未来の反対を押しきって試練に挑んだ事で、未来を悲しませたと思うと……顔を会わせにくい。
非常に会わせにくく……。だからと言って会わせなければ、未来の機嫌がさらに悪化し、火にガソリンと灯油をタンクごと投げ入れるような事態となる。
それだけは、どうにかして裂けなければならない――。
でも……。何て声を掛ければ……。
――いや、ここは……。んー……この一歩が重いな…。
未来に先に顔を見せるか見せないかで悩んでいると、黒の寝ていた病室に誰かが入ってくる。
扉を開いて、花束を片手に黒の目の前に、天城 未来が現れる。
未来が扉を開いた瞬間に、その綺麗な栗色をした髪が視界に飛び込んで来たと同時に、未来が来たと予測し――普段あまり使わない脳みそをフル回転させ、謝罪の言葉や開口一番何を言えば会話が継続されつつ、未来の機嫌が安定するかの答えを導き出す。
――が、そんな黒の脳内シミュレーションを粉砕するかのように、花束を上へと投げた未来の風を切る蹴りが、黒の意識を闇へと突き落とす……。
黒も未来が怒っている事は想像出来たが、まさか出会って数秒後に渾身の蹴りが飛んで来るとは思っても見なかった。
そして、その蹴りは泉家の祖父母の武術と梓の3人から直接手解きされたと思わせるほどに、強力かつ正確な蹴りだった。
やっぱり、怒ってたよ。でも、蹴りが来るとはな――…。
意識を手放した黒が次に目を覚ました時には、外は暗くなっていた。
隣には、未来が椅子に腰を掛け静かにこちらを見ていた。
自分が目を覚ました事に気付いて今しがた目を覚ましたのか、それとも、自分が目覚めるまで、ここでずっと見守っていたのか――。
今の黒には、未来が前者なのか後者なのかはハッキリと出来ないが、心配を掛けた上にずっと側に付いていてくれた事に感謝しかなかった。
「ねぇ……。この瑠璃色のピアスと琥珀のネックレスの意味……。絶対……守ってよ…」
未来が自分の右耳に付けられたピアスに指を触れて、黒は気付いた―。
あぁ、そっか、梓や薫から聞いたんだ……。そのピアスの使い方を――……。
互いの魔力が反応し、『永遠』を意味する瑠璃色から『約束』や『誓い』を意味する深紅色へと変化するが、そのまた逆も存在する。
どちらか一方の魔力が急激に弱まったり、魔力が途切れ消えてしまえば反応も当然のごとく消える。
きっと、未来も黒が試練へ挑んだ事を翔や母親の薫から聞くよりも先に、ピアスへと繋がっていた魔力が途切れた事で察知した。
だから、これほどまでに怒って涙を見せていたのだろう……。
互いに、敵の手によって引き裂かれ、2人となった今でもどちらか一方がまた離れようとする。
未来も黒が自分の元から離れようとするのも、世界の為や自分の身を守る為の事だと理解していても、心と体はそれを簡単には受け入れない――。
心は『どうして、離れるの』と叫び、体は『行かないで、一人にしないで』と引き留めようとする。
黒と小さな言い争いになった時も、涙が自然と溢れた。
黒焔の中で、誰よりも感情を押し殺す事が得意で一人で何でも抱え込むと、団員から言われている自分は『黒と離れ離れになる』この事になると、感謝は押し殺す事が出来ずに自分勝手でワガママになってしまう。
どうしようもなく恥ずかしいが、それを上回るほどに黒には死んで欲しくも無ければ、常に側にいて欲しいのであった。
「……約束…絶対に守ってよ。……バカ…バカ……。バ…カ……」
嗚咽をこらえその震える声で、黒の肩を殴り付ける。
誰もが黒の生還と無事を信じて疑わないが、未来にはそんな事は関係ない。
例え、8割の確率で黒の生存が約束されていたとしても、残りの1割に未来は不安を募らせる。
今までも、多くの戦場や大規模作戦で黒の背中を仲間達と共に幾度も見送って来たが、心の奥底では不安があった。
そして、『何で、黒ちゃんなの――?』と自問自答しては、不安な日々を送っていた。
作戦から無事に帰還し、体に無数の傷や包帯が巻かれた上で、みんなして無理して笑って見せるその姿に未来は胸が張り裂けそうになる。
無事に生還していたとして、黒は大勢の仲間に囲まれながら未来に見えないように傷を隠すようして、無理した笑顔を見せる。
未来を心配させないようにと、黒は痛みを隠し続ける事が何より耐えれなかった――。
そうか……。俺は、未来に心配かけないようにって笑顔で居たけど、未来はそらを見抜いた上で笑ってた……。自分の思っていた以上に、未来は団員や俺を心配してたんだな。
無理して傷を未来に隠す事は、もう出来ないって事は分かった。
黒がベッドから起き上がり、涙を流す未来の頭を優しく撫でる。
再び未来のピアスに魔力を流し、黒は今度こそ未来を泣かせ無いようにと心に誓った――。
「未来……。確かに俺は、お前の側を離れて試練に挑んだ。でも、それは……未来の側に居続ける為なんだ」
黒が未来の耳飾りに触れ、涙を流す未来に自分の気持ちを伝える。
「どう言うこと?」
未来が黒を真っ直ぐに、その潤んだ瞳で黒を見詰める。
「――この前までは、別に世界とか国がどうなろうと……。わりとどうでも良いって考えてたんだよな。でも、不意に考えちゃったんだよ」
黒が未来の手を握って、月明かりだけを頼りに黒は未来の顔を見詰める。
泣いているのか、怒っているのか、それと――照れているのかは分からない。
だが、それでも関係ないと、黒は未来の手をぎゅっと握った。
未来の手は温かく、まるで太陽のような暖かみを持った未来には、幾度も救われた――。
全てに憎しみを持って、目についたあらゆる物に怒りをぶつけて、心が磨り減って死んだ魚のようにそうになっていた自分を明るく照らしてくれた――太陽。
「俺は、未来と一緒に老いて死にたい。そこにはきっと、可愛い子供や孫達が居て……。そんな子供達に囲まれて、俺は笑顔で死にたい。だから、戦うんだ。君といつまでも一緒に居たいから……。この世界を守るんだ」
未来の頬から涙が流れる。
ただ、未来と一緒に居続けるだけじゃ。俺は、物足りない。
――子供の代まで、孫の代までこの世界が存在し続けるために、今を精一杯出来る事をする。
……きっと、未来には苦労を強いる事になるが、それでも俺は――未来とその子供達が笑ってくれる世界を守りたい…。
黒が未来を抱き締め、黒の決意を聞いてそれ以上何も話さない未来は、ただ黒の胸の中で涙を流すだけであった。
――その涙は、悲しさからなのか嬉しさなのかは誰も知らない。
―――知る必要は……無いから……。
翌日、黒が目覚めた事を聞いて仲間や家族が顔を見に来るが、揃って黒の心配よりも、未来を2度も泣かせた事に対する説教が続いた。
ベッドの上で、何人も何人も説教を聞かされる黒は、諦めた様に説教を右耳から左耳へと聞き流す。
これで、7人目か……。同じ事を何度も繰り返されると、説教じゃない気がするが…?
説教を聞き流しながら、数年前にも似たような事があったなと昔を思い返す。
本格的に黒焔として活動する以前の少ないメンバーでのちょっとした言い争いを未来やミシェーレ達に、半ば呆れられつつ怒られた昔の思い出――。
楽しくもあり、今以上に多かった異形と議会や連盟からの名指しの依頼や命令に日夜振り回されつつも、依頼や大規模作戦を次々とこなしていた昔は懐かしかった。
……こんなにも、黒焔は大きくなって、大所帯になったのか…。
ここまでに至る前に、亡くなった者達も当然居れば自分の道を見付けて去っていた者も大勢いた。
兵団規模では、円卓には負けるものの円卓にも負けず劣らずな家族のようなこの騎士団と未来を守りたい――。
その為にも、黒は白黒ハッキリさせないと行けない事があり、それは多くの者の反対を押しきる必要があった。
「じゃ……。始めるか――」
「ほ……本気で言ってたんだ……」
黒が神器である『無糾閻魔』と『血燐一刀』を持たずに、魔力を効率的に流しやすい素材を使った黒色の手袋をはめ、目の前で棒立ちの橘 白を睨み付ける。
さてと、実力のほどを確かめつつ、感覚を徐々に戻していく――。
とは言え、ギャラリーが多いなコレ……。茜かあの姉妹が呼んだのか?
構えつつも黒は周囲を取り囲むギャラリーの多さに、単なる手合わせでここまで大事になるとは思っても見なかった。
それでいて、屋敷の外で軽くと白に言ったにも関わらず、勝手に戦う場所が『闘技場』となったり、円卓や黒焔の団員だけでなく。
まさかの一般人までも、軽く観戦に来ているのはちょっとどうかと思う。
だが、白は思いの他ギャラリーがいることには驚いていおらず、冗談めかしに告げた手合わせに驚いていた。
「……黒…。神器無しって本気で言ってる? 体術と魔法だけってのは分かるけど、魔物も無しなのは何でなの?」
「逆に尋ねるが……。白は魔物使えるか? 使えんだろ? だから、魔物は無しだ。白の魔物は覚醒はしているが、上位の魔力に反応して、冬眠してんのを叩き起こすのに魔物は最適だが、まずは白の実力を知っておきたい。――恩恵無し…のな」
黒が構え、白が遅れて構えると観客からの歓声が沸き立つ。
茜もどう宣伝して、ここまで人を集めたのか知りたいが……。とにかく終わったらお仕置きだな。
っと、黒が余計な事を考えている隙にがら空きとなった脇腹へ白の掌底が、肉を押し退け衝撃が骨を粉砕するかのような痛みに黒は思わずその場から飛び退く。
骨まで衝撃が届き、膝を付いて脇腹を押さえた黒を見て観客も盛大に盛り上がり、どこか満足そうであった。
なんか、俺がダメージ受けると人が喜ぶんだよな……。そんなに嫌われてんのか?
脇腹を擦りながら、黒が白を注視する。
白の体から魔力が微かに漏れていることを確認し、その魔力に反応して白の内部で閉じ籠った存在が僅かに動いたのを黒は見逃さなかった。
下位領域の魔力に馴染めた白も黒同様に魔法に関しては同等なレベルだが、体術や剣術に関しては黒よりも勝っていた。
もとより、体術や剣術の才能があったのか茜に似て、感覚的に様々な流派や武術をこの短期間で難なくマスターした。
泉の者も驚くほど、白の学習能力の高さと基礎が完璧に整った武術や剣術には『剣聖』と呼ばれた祖母も久しぶりに熱くなっていた。
そう言えば、碧が『魔法系』に関しての才能が高くて、茜が『剣術、武術』に対する適性が異常に高かったよな。
――その姉で、俺の双子の方はその両方の良いところを持ってるとか、羨ましいね……。
黒が白の素早い殴打や魔力を纏った蹴りなどを躱わしつつ、次第に強く揺らぐようになった白の内側の存在を――警戒する。
(黒の奴…。何を考えてるんだ? 攻撃も防げるものばかりで、隙があっても反撃の素振りすら見せない――。また、私をおちょくっているのか?)
白が、そう感じならばと黒へと振り下ろした踵に魔力が集中し、地面を容易く割った。
驚いた黒と盛大に盛り上がる観客の前で、兄の恥ずかしい負けっぷりを晒そうと決意した。
――絶対に、その伸びた鼻をへし折って妹に負けた兄の醜態をここで、晒してやる。
白が少しばかり微笑むと、その笑みに気付いた黒がひきつった笑いを浮かべた。
この人……良からぬ事を考えてるよ。なに、お兄ちゃん晒し者にしたの? 上等だよ――。
「何考えてるか知らんが。そう簡単には、俺は負けんぞ?」
「今さらだけど、ホントに大丈夫? 神器も魔物も無しのハンデ付けて、負けた後で『神器と魔物あれば、俺が勝った』とか、言わないでよ?」
2人が地面を蹴って、魔力を纏った拳と蹴りで大気を叩き付け、闘技場全体に衝撃が走る。
両者の同質力の魔力が衝突し、魔力と魔力が稲妻を生み出し甲高い破裂音が幻聴のように聞こえさえもする。
2人の一歩も譲らない魔力のぶつかり合いを観戦する橘家の姉妹2人は、どこかワクワクした気持ちで会場の特等席から試合を眺めていた。
――凄い。ただ、その一言にまとめられる。
余計な言葉も無ければ、他の言葉で現す事が出来たとしても、万人が先ず先に口にする言葉は――凄い。
それほどまでに、2人の白熱する戦いは目が離せないほどであった。
生き別れた姉が優しくも知識が豊富で、何より自分達よりもこの世界に馴染んでいなかった数日前とは、何もかもが大違いであった。
きっと、あの域に達するには、血の滲む努力が必要なのだろう――。
恵まれた環境でも、努力だけがきっとあの域に到達する条件じゃないだろう。
本当に、強く『なりたい』と言う思いの強さで、兄と姉はあそこまで上り詰めたに違いない。
そう思える何かが、自分には足りていない――。碧はそう感じていた…。
兄である黒は、仲間や家族と言った騎士団や未来姉さんの存在が一番守りたい物で、その為ならば自分の命すら捨て去るほどの『修羅の如く精神』を持っている。
姉である白も、黒に負けず劣らずな家族やまだ日が浅いが、仲間と思える存在である団員達や多くの友人を守る気持ちは、黒にも負けない。
特に、小さな子供や両親のいない孤児院の子供達に対する愛情は『聖母』の様に常に気に掛けていた――。
茜は研究や開発で、優れた姉や兄に囲まれても気にも止めない……。でも、ふと思ってしまうのが『自分の弱さ』なのだろうか。
妹の様に幾ら魔法の知識を高めても、奇抜で誰も考えなかった発想には程遠く。
姉の様に器用に、多くの武術や剣術などの技術を一度に身に付けるほどの才能も無い。
兄の様に折れない不屈の心も無ければ、強敵や強大な壁を登ろうとする確固たる覚悟の強さも、自分には無い。
――兄妹に合って、自分には存在しない何か1つの大きな『何か』が碧は欲しかった。
『知識』でも『才能』でも『覚悟』でも、何でも良かった――。
兄達と同じ――橘の者であると言う何かが欲しかった。
竜人であるから、魔物を持ってるなどと言う簡単な物ではなく。
胸を張って、持っていると断言出来る何かが欲しかった――。
そんな込み上げてくる気持ち胸に押し殺して、戦いを眺める。
両親に相談出来なければ、橘や泉の祖父母にも頼れないこのモヤモヤに、碧は長い間苦しめられた。
だから、あの時敵の手に堕ちて、仲間に傷を与えてしまったと深い心の底で情けなさを噛み締める。
きっと、兄さんなら何か思い付いて、行動するかな……。茜ちゃんなら、前向きに考えるよね。白姉さんなら、悩まずに言葉にするのかな……?
抑えきれない孤独と劣等感に、碧は目の前の自分の理想的な立ち位置の兄と姉の試合から思わず目を背けた。
――が、後ろに立っていた梓がそんな逃げだそうとした碧の肩を強く掴みそのまま無理矢理にでも前へ向き直らせた。
「言葉にしたくても出来ないのは、お祖母ちゃんは始めから分かってるわ。きっと、薫さんも竜玄も気付いている。でも、どうにもなら無いからと――ここら、逃げて良い理由にしないで……」
碧が梓の方へと顔を向けると、梓は柔らかく微笑み碧を後ろから抱き締めた。
碧の側には父親や母親がいて、椅子に座って茜と辰一郎がワイワイ楽しく試合を観戦している。
きっと、自分の悩みなど見透かされていたのだろう――。
橘と言う歴史があり、竜人族の中でも名のある名家に生まれた自分に、誇れる部分が無いと――それでも、足掻いて足掻いて……探し続けた。
今日まで探して、兄と姉の戦いを見て、自分があそこまで強さを追求出来ないと思い知らされた。
何一つ――自分に誇れる点が無いことに、深く絶望し……。自分の変わらない未熟さを呪った。
――顔を、上げろ――。
突如聞こえた大歓声すらも静まらせる声に、碧はうつ向いていた筈の顔を上げた。
そして、自然と梓の腕から離れ声がしたと思う方へと一歩一歩進んだ。
――下を見ても、何一つ答えはない……。前だけを見て、進み続けろ――。
声の正体は、一体誰に向かってそんな事を告げているのだろうか。
真の力に覚醒していない者に告げているのか、楽天的で好奇心のままに歩む者に告げているのか、自分の可能性に気付かずに落胆する哀れな者に告げているのか――。
その場の誰もがその者の心意は理解できないだろうが、その声に後押しされた者達は少ないが居ないわけではない。
「――突然叫んで、どうしたの? 可愛い妹ににエールでも送ったつもり?」
「憶測で語っても、当たった試しが無いってのは俺の経験談だ。何より、うつ向いてたのは一人だけとは限らないからな」
黒が魔力を全開に解放し、会場全体の熱気を掻き消す様に魔力を解き放つ。
肌をヒリヒリと刺激する魔力と胸の奥を高鳴らせる不思議な感覚が、一人の心を僅かに動かした。
ネットやテレビなどで中継されていることを知っているのか、それともただこの場の誰かの為にしているのかは分からない。
だが、1つだけ分かることがあった――。
――コレが皇帝か――……。
多くの者達がその魔力を目にして、真っ先に頭に浮かべ口から溢した言葉はその一言だろうか。
多くの騎士団やそこに所属、または所属しようとしている多くの未来ある若者や騎士候補生にメッセージを送った。
『お前らの目標は果てしないぞ』
そう告げているかのような魔力解放と、男の笑みは会場をさらに沸かした。
――そうか、兄さんは限界を知らない目標なんだ…。何も持ってない私何かが目標として、見て良い存在ですらない。
実力以上に、目標としていた者のあまりの高さに碧は涙を堪えきれなかった。
そして、竜玄や薫が言葉を掛けるよりも先に、椅子に座っていた辰一郎が――碧へと言葉を投げ掛けた。
「何をそこまで、強さを求めるの……金? 地位? 普通の人ならこのどれかだよね。そして、黒ちゃんは愛した『人』白ちゃんは『家族』……。どれも、ステキで素晴らしい理由だよね」
梓と薫が互いに目を合わせ、辰一郎を止めるか迷っていた。
だが、辰一郎の言葉の意味を理解した竜玄が父親に任せて、しんいの隣にいた茜を連れて一歩後退した。
「黒も白も……。命を懸けるに価する何かを持っていて、その為に自分を磨いた。碧ちゃんが誰かの為にって思って強くなろうとしてるの?」
「そ……それは……」
――分からない。問い掛けられたら、真っ先に頭に浮かんだ答えがそれであった。
何のためにかと言われ、自分が何のために強くなろうとしていたのか、正直分からなかった。
ただ兄や妹に比べられるのが嫌だったのか、それとも引き離されるのが嫌だったのかも分からない。
自分が生まれた時に、その力を宿して多くの者達から危険な目に遭ったのもそうだが、それ以上に強い『使命感』が碧の中にはあった。それを言葉にするのであれば――…。
碧の口が震える様に動き、辰一郎が笑みを浮かべる。
「黒ちゃんや白ちゃんにあって、もちろん茜ちゃんにもあるかもしれないけど……。3人よりも大きくて、人一倍優しい碧ちゃんにしかない。それが――『答え』なんじゃ無いのかな?」
「答え……。コレが、私にしかない物?」
「誰にもあるけど、碧ちゃんよりも小さく少ない物だよ。でも、誰もが手に入れれる物じゃない。その答えの為に、強くなろうと思ってたんでしょ?」
胸が跳び跳ねるように高鳴った――。
辰一郎の言葉もそうだが、きっと兄達はそれに気付いていた。
気付いていて、私が見付けるまで手を出さなかった。
本来なら自分で見付けれれば良かったのだろうが、碧が少し鈍感だったのやもしれない。
だから、辰一郎は言葉にした――。
誰もが持っていて、誰も持ち得ない可能性に満ち溢れた碧の強さ――。
その答えを胸に秘めて、碧は涙を拭って兄の背中を見詰めた。
途方もない程遠く、見上げる事しか出来ないかもしれない目標をしっかりと見続ける為にと――。
「それで、どうするの? そんなに魔力出して碧ちゃんに格好付けるだけ付けて、私に負けたら……。笑い者だけど?」
「白……。口よりも、手や足を動かせよ。まだ、俺はピンピンしてるぞ? それに、俺が叩き起こす相手は……碧だけじゃねーからなッ!」
踏み込んだ黒と身構えた白の魔力が衝突し、弾けて稲妻を生み出す。
殴打に殴打で応戦し、弾ける魔力と稲妻となって地面や壁を穿つ2人の同質で同濃度の魔力が、2人の身に宿る魔物を意図せず呼び覚ました――。
まるで、互いに共鳴したように2体の竜が咆哮を轟かせ、太陽を覆い隠していた雲が晴れる。
黒が漆黒の魔力を纏うのと同じく白は、全身に純白に光輝く魔力を纏っていた。
周囲の観客がざわつく中で、乾いた破裂音が響いたと思いきや会場の壁まで吹き飛ばされた黒が反応出来ずに瓦礫の下敷きとなっていた。
観戦していた者達以上に、何が起きたから理解できていない黒が瓦礫を蹴り退かしつつ、大量の血液を吐き出す。
皇帝とかって、呼ばれて色々な奴らと戦ったが――赭渕より速い攻撃は、久しく味わって無かった…。
激痛が走る腕と腹部を押さえて、ひび割れたあばら骨や折れ曲がった左腕を魔法でどうにか治療する。
僅かに間に合わず調律が乗っていない魔装だったが、それでも黒の纏ったのは紛れもなく黒竜魔装である。
白は黒の魔装の硬度を遥かに上回る破壊力で、黒を容易く吹き飛ばし、壁に叩き付けた。
魔物に覚醒し、その僅かに油断した黒の隙を付いたからなど考えれば考えるほど、白の攻撃を防げなかった理由が次々と溢れてくる。
だが、それでも変わらない事実がある――。
「……アナタ…。白ちゃんの攻撃……見えた?」
「うん、少しだけだったけどね…。多分黒も驚いてるかな?」
辰一郎の言葉通りに、困惑しつつも驚いている黒は痛みが引いて骨を治した左腕をぐるぐると回していた。
単純な攻撃だからこそ、余計な考えも魔力も必要無い――。
一撃に全てを込めることが出来れば、強大な壁すらも撃ち破れるが、白の一撃はそんな言葉程度で言いくるめる事は出来ない。
単純な力業と言ってしまえば簡単だが、正面から味わった黒だけが分かる白の力の正体……。
『おーい、主よ。生きておるかー?』
(死んでたら、お前の魂は別の竜人族に移ってんだろ? たく……起きるのが遅いんだよ。こっちは、骨やってんだぞ?)
黒が脳に話し掛けてきた黒竜に悪態を付きつつも、全身に漲る魔力と魔物の魔力を混ぜ合わせ、全身に巡らせる。
試合のルール上では、魔物の力は無しではあるが――元より覚醒させる為のゲームなので、白が構わなければ黒は問題は無い。
――が、黒は想定していなかった。……白の性格を……。
「……ルール違反だ。私が、真っ先に魔物の力……か? を使ってしまった。だから、ルール上は、私の敗けだ」
おいおい、マジかよ。俺の双子だからと決め付けてたけど、そんなハイハイ素直にルールに従うのかよ……。
黒が巡らせた魔力を解いて、ざわつく観客を見回し、どこか冷めきらない会場を見る。
そして、再度白に試合を申し込んだ――ルールは簡単、ただぶつけるだけだ。
――神器無しの本来の竜人族らしい戦い方を、黒は白へとその身をもって教え込む。
「……神器無しなのは、変わらず…。『魔物』アリの勝負だ。本気で来いよ? 魔物に慣れる良いチャンスと思って、全力で来いよ……さっき見たいにな」
「また一度尋ねるけど、良いの? さっき見たいに、また私の一撃で死にかけても?」
白のどこか楽しそうな笑みに、黒は鼻で笑って白を挑発する。
下位領域での生活に慣れ始め、妹や家族ともそれなりに馴染めてきた白だが、まだ竜人としての力には慣れていない。
だが、それも辰一郎や梓達に習えばすぐに覚えてしまうだろう。
白には、それを可能にする『技術』があって、上位領域での独学に近い格闘術も持ち合わせている。
梓が編み出した橘の武術や泉の武術の8割を短時間でマスターした恐るべき、天才だが黒には遠く及ばない――。
何故なら――黒は、そんな天才達を数多く戦い打ち勝ってきた経験と、窮地にこそ魔物の力が増大する事を知っている。
「――ここからは先は、手加減無しだ……」
「――今ここで、神に祈りなさい。懺悔する時間はある……」
対の竜2体が宿主の背後から顔を出し、漆黒を纏った者は青く光る瞳を闇から光らせる。
暗闇に負けじと、純白の中から紅く色付く紅の瞳が、敵を捕らえ闇を押し退ける様に光が闇を呑み込む。
2人が同時に踏み込み、その青と赤に輝いた瞳で瓜二つな自分を視界に入れ、全力の魔力をぶつける――。
本当の火蓋は、ここで切られた――……。