七章五節 鬼の音が響き渡る
後々梓の従者から聞かされた話では、私は丸々1日眠っていた。
そして、魔教練に接近する大軍勢の異形やそれらを率いる敵勢力の存在も、既に私の耳に入る頃には――壊滅していた。
強いて言うなら、私が起きた時に戦いの火蓋は切られていたが、たった3人の実力者によって魔教練に近付くすべての敵勢力は有無を言わさず全て、殲滅された。
円卓騎士の一席に席を置く――橘 薫――…。
魔教練の講師を勤め、黒焔と竜帝の第一師団の団員であり、黒焔唯一の魔獣師――ソラリス・ウォン・アークランド――…。
橘家四十七代目当主にして、数多く存在する竜人族の中でも最高峰に相応しい力の『魔』と『武』の2つを扱う反則過ぎる――橘 梓――…。
この3名の活躍によって、魔教練に敵の侵入所か攻撃が到達することはなかった。
……それも、一人の騎士の持つ神器の力によって無抵抗な相手を痛め付ける様な光景と成り果て、力の差などの言葉では足りない程の実力差が彼女らと敵には存在した。
未来が目を覚ます二日前の事であった。
薫が梓の元を離れ魔教練へと戻れば、予想通りの問題に薫は思わず吹いてしまった。
視界を多い尽くす程の人混みが同じ道を行ったり来たりと、その慌てぶりを見て、薫は円卓本部にてマリアナから話されたまるで未来予知のような今後の展開に、薫は信じはしなかった。
だが、ここまでマリアナからの話し通りな展開に、疑う方がバカだろう。
マリアナの話し通り、狙われたのは魔教練であるが、目的がハッキリとせず。
分岐点と思われる未来は、既に梓へと預けたので更なる分岐点への準備は整った。
そして、魔教練に残るもう一人の分岐点と思われる『キーク』の存在があった。
敵組織の狙いが、キークや魔教練そのものと言う認識に間違いない。
その2つの確信がある限り、薫の表情から笑みが消えることはない。
魔教練内の講堂に集められた全生徒と講師達は、魔教練へと向かっている敵の存在は既に広まっている。
講師を含めたすべての者達の顔に不安や恐怖が見えると、薫は青紫色のマントを羽織って全生徒と講師の前に立つ。
その場の全員の前に立つ薫の姿は、力無き者達のために剣を取る『騎士』そのものであった。
「――皆さん。何も恐れる事はありません…。そもそも、私の前に集まった皆さんは……後に異形達が蔓延る地獄とも言える戦場に、その身一つで足を入れ。隣にて共に戦う魔獣を指揮する者達です。言わば――未来の勇敢な戦士達です」
薫が壇上から飛び降り、流れるような動作で全身に魔力を巡らし人族でありながら、異族の者達を圧倒する覇気を纏う。
講堂内の魔力濃度が徐々に変化し、押さえ込んでいた魔力をゆっくりと解放する。
「…皆さんが魔獣と共に死地へと赴くのが、少し早まった程度…。それに、そもそも――ここが死地になる事はありえない…」
薫が講堂を出ると、それに続くように講師の者達が講堂を出て檻の中に閉じ籠っている各々の魔獣の元へと走る。
魔獣と共に己を鼓舞するの様に吠える男性講師や、魔獣の足に抱き付き高鳴る鼓動を魔獣に伝える女性講師。
その姿を見て、薫は自分の役目を再認識する。
――この、戦いに勝たなければならない―…。
薫が腰に携えた聖剣の柄を握りしめ、遥か前方から異形を引き連れて突き進む敵を強化魔法を施した視力で視界に捉える。
四足歩行型異形種、両翼飛行型異形種、比翼飛行型異形種、三つ首中型異形種、双頭中型異形種、大型異形種、飛竜異形種、翼竜異形種などの大型や中型の異形が空や大地を埋め尽くす。
そして、その異形の足下には、溢れる程の小型異形種が蠢く。
薫は、事前に貰っておいた聖獣連盟や評議会が所有するどの異形のデータよりも、事細かに詳細や特徴を記した書類に目を通す。
これまで、空を飛ぶ異形を飛行型と捉え、大きな身体を持つ異形を大型、それより一回りに小さな異形を中型と簡単に呼称していた評議会よりも、魔教練独自の呼び方の方が断然対処もしやすければ、作戦時の混乱を抑える事が出来る。
薫が自分の背後で不安げな病状をした年下と思われる講師の肩を優しく叩く。
「辛いと思ったら、無理せず逃げて良いのよ。誰も攻めないし、逃げる事を臆病だと思わないで……。退くと言う選択も、勇気がいる事だから」
薫が腰の聖剣を掴み、鞘から抜き去る。
「……抜剣。――法則の聖剣…」
抜かれた聖剣が神々しい光を放ち、高密度な魔力が剣に収束されて行き、薫が振り下ろしたと同時に縦に長に伸びる巨大な光の斬撃が薫の正面から向かってくる異形達を滅する。
何体かの大型や飛行型を蹴散らし、残った中型や小型が戦闘態勢へと切り替わり、一目散に魔教練へと向かう。
薫が再度魔力を剣に集めるよりも先に、三つ首と双頭の異形が薫の目前まで迫る。
急ごしらえの少ない結界も付け焼き刃同然に、中型の足止めにすらならず霧散する。
しかし、薫の頭上を抜けて、2体の魔獣が中型を踏みつけ、首に噛み付きその鋭利な牙を持って異形の首を噛み千切る。
真っ黒な毛並みに深紅の瞳を持った2体の魔獣は、まるで次の指示を待つかのように、後方へと振り返り深紅の瞳を薫の背後に立っていた者に向ける。
「――『ゼラ』『ゾラ』…。この魔教練に異形共を一匹たりとも入れるな。それさえ守れば……好きなように暴れなさいッ!」
ソラリスの号令を受けて、ゼラとゾラと名付けられた二体の魔獣が天高く吠えると、地を蹴って異形の元へと駆け出す。
凄まじい速さで異形の身体を爪や牙で蹴散らし、邪魔な木々を投げ倒しながら四方を囲む異形を蹴散らす。
「皆さんは、新たな結界の準備を…。今度のは生半可な攻撃では、傷一つ付かない強固な結界をッ!」
薫とソラリスの2人が同時に踏み込むと、後方の講師一同が結界を再度張り直すために、魔力を一気に高める。
徐々に張られる結界を確認して、薫は神器の能力を解放する。
空間や地面を幾度となく切り付け、まるで踊るかの様に剣を振りながら魔獣の足下を抜けた小型を的確に切り伏せる。
その場から、数歩進んだ場所の地面に剣先を突き刺し、聖剣へと魔力を流す。
そして、人差し指を軽く振るうと、まるで大地や空間が捻れ曲がるように、その形を変形させながら、異形を取り囲むように隆起した地面や捻れ曲がった空間に異形が次々と吸い込まれ、突き刺さり。
周辺一帯の地形を変形させる代わりに、その光景を見ていたすべての者達が唖然とする程の量を一掃する。
凄まじい魔力を一気に消費したのか、薫の頬から汗が滴り際ほどまでの余裕な表情が曇る。
「竜人族でもなければ、危険極まり無いほどの広域殲滅攻撃…。聖剣と称される神器の能力は、秤知れませんが……。手にした者の魔力が低ければ…それは諸刃の剣です。少し、休んでいてください」
「大丈夫……。前々から神器に貯めてた魔力を代わりに使ったから、それでも自分の魔力も少し使ったけど…。久々に、魔力を全開にしてるから、身体が驚いてるの…。……鈍ったかしら?」
薫を心配するソラリスの手を借りて、ゆっくりと立ち上がり乱れた呼吸を整えた薫は、聖剣を振る。
聖剣に合わせて、地面が捲れ上がり天候が一瞬で切り替わり豪雨と土砂による地形変化に対応できず、異形の足が止まる。
好機とばかりに、魔獣が地を駆け異形に食らい付く。
しかし、まるで指揮する者が居ると言わんばかりに大型や地形変化に屈しない大型や飛行型が、次々と同時に侵攻を開始する。
物凄い速度で結界を突き破る大型や飛行型の対処に遅れたソラリスと薫の目線の先には、扇子を広げた一人の女性が写る。
魔教練へと突き進む異形に対して、その女性は人差し指で軽く空間をなぞり、続けざまに結界を異形の前に張る。
「薫さん…。守りは任せなさい。攻めだけに集中すれば…楽でしょ?」
梓が着物の袖を縛り上げ、両腕を用いて魔教練の全方位を結界で覆うと、仕上げとばかりに魔教練を目前にした異形の足下から、強度を底上げした結界で突き上げる。
薫の指示を受け、ソラリスはゼラとゾラを魔教練へと退却させると、薫の聖剣が光を帯び。
隆起した岩盤と荒れ狂う天候が、それぞれ生きた竜の様な形状へと変化し、上下から次々と異形を食らい付き残りの異形を一瞬で殲滅する。
ここまでの戦力差に、恐れをなした敵勢力を逃すまいと薫の魔法によって、敵の足下から突如出現した樹木が敵を一網打尽にする。
「樹木魔法――【深緑の樹海草】」
まるで、樹海のように敵を瞬く間に捕らえた薫の魔法の精密かつ的確な操作能力と広範囲に魔力を張り巡らした緻密な魔力制御に、梓は微笑む。
「薫さん。また、見ない間に魔法の精度と魔力制御を上達させましたね。最高峰の騎士でありながら、まだまだ、研鑽の予知があるようで…」
「……そんな、お義母様には遠く及びませんよ。私はただ…誰かさんの隣に立っても恥ずかしくない実力を身に付けただけですよ」
薫が神器を鞘に納め、捕らえた敵を巨大な樹木の檻に放り投げる。
樹木の檻に捕らえられた異形を崇拝するイカれた者達が、口々に異形が自分達の神であるやら騎士の世界を守ろうとする行為が、神を冒涜する行為だと次々と罵声が飛び交う。
魔教練から少し離れた薫達であっても、その罵声は魔教練まで届いた。
そして、しばらくし魔教練へと攻め込んだ不届き者達を、早々に連絡を受けた議会の者達へと身柄を引き渡す。
すると、魔教練の裏手にある山が高濃度な魔力を霧散させ、山の頂上に聳え立つ巨大な樹木と魔法で隠されていた本来の山の一部が姿を現す。
その魔法が霧散した事により、魔教練や魔教練の下に集まった都市に住まう全ての獣人族が、その威圧的なまでの魔力に敏感に反応する。
魔教練の魔獣達が飛び上がったり、空に向かって吠える様は怯えや恐怖からではなく。
―――帰還した喜びと姿を現した興奮からであった。
『――我らが同志達よ。長らくこの地に住みながらも、存在を隠し続けた事を謝罪する。だが、今こそ立ち上がる時ぞッ!――異界のゴミ共の喉に、我らが牙を穿つ時ぞォ――ッ!』
天高く吠えた大地を蹂躙せし白狼の王に続いて、魔教練のすべての魔獣がほぼ同時に吠え、大陸全土に響き渡る咆哮に――自らの結界や封印で隠れた十王達が反応する。
視界を遮り吹き荒れる猛吹雪の中で、その時が訪れるのを待ちわびた――山脈を統べる霊馬の王――…。
曇よりも高く何人たりとも到達出来ぬ未開の霊峰にて、陽光を浴び続ける――陽光を背負いし不死翼の王――…。
深海の更に深き海の底にて、海の流れに身を任せていた者は時満ちたりと、深海より現れる――大海を呑み込む大いなる鯨の王――…。
光さえ届かぬ深き森の奥地にて鍛練に鍛練を重ね、己の武を極め限界を超越せし――秘境を守護し大地を司る巨人の王――…。
数多の妖精達を束ね、遥か悠久の時から世界最大の樹海を守り見守る自然の化身――自然と慈しみ与えん清らかな妖精の王――…。
人類を超越した遥か上位の神が創造せし、人類に対する脅威の成り得る者――創造者であり破壊者でもある機械の王――…。
魔獣を従え魔物を従え、遥か昔から畏怖の存在として名を轟かせた力の体現者――魔を束ね覇道を掴みし魔の王――…。
異族最強の名を冠する種族の王にして、竜の魔物の祖である白銀の巨竜――竜の祖で竜の母である天を貫く巨竜の王――…。
鬼嶽門の最深部にて座する鬼の力と武具創造の頂点に位置する、最強の焔王――焔纏いし炎熱を打つ鬼嶽と鬼の王――…。
狼王の咆哮を聞き、世界に散らばり身を潜め時が来るのを待ちわびた十体の王がそれぞれ動き出す。
「……今…。俺呼ばれた?」
凄まじい数の鬼を前に人であり、鬼の様に拳を振り続ける天童を断崖から見物する閻魔が、側近の鬼に尋ねる。
「きっと…狼王様の遠吠えかと……。しかし、今ここを動く訳には参りませぬ…」
「…たりめーだ…。天童の勇姿を俺だけでも見てやらねーとな…。それに、黒との約束まで時間もねー」
閻魔が立ち上がり、数体の鬼に殴り飛ばされた天童の元へと降り立つ。
「……時間…ねーぞ?」
その言葉を聞いてなのか、ゆっくりと立ち上がった天童の眼光に天童の前に溢れんばかり集った鬼達が、自身の背筋が凍り付いたのを感じた。
既に人間とは思えない雄叫びを上げ、血を流しすぎたのか霞む視界にて、天童の目的のとする場所が微かに垣間見えた。
しかし、数百以上の鬼が周囲を固め次々と天童へと襲い掛かるその光景は、もはや雪崩となんら変わらない。
倒しても倒しても、次々と押し寄せる鬼の壁は、人間が突破するには巨大かつ分厚かった。
だが、ボロボロに壊れた天童は、いまだその瞳の輝きが消えることはなかった。
幾度も足を踏み締め、鬼と正面から衝突を繰り返す。
その姿に、閻魔は自分の役目を全うするために、今自分に必要な物の準備を再度始める。
従者が用意した玉鋼を全て炉に投げ入れる。
従者が唖然とする中で、閻魔は再度希少な玉鋼と通常の玉鋼の両方を注文する。
閻魔の意図を掴めない従者に閻魔が鋭い眼光で、用意を急がせる。
炉に入れた玉鋼が溶け始めると、直ぐ様素手で鷲掴み燃える腕など構わずに、槌で玉鋼を叩く。
響き渡る金属音と叩いた余波によって、閻魔の工房内の空気が弾ける。
凄まじい魔力濃度の中で、閻魔はひたすら玉鋼を叩き続ける。
従者の持ってきた玉鋼を炉にくべ幾度も槌で柔らかくなった玉鋼を叩き、自分の魔力を直接玉鋼に注ぐ。
初めの数本は、閻魔の魔力に耐えきれず玉鋼が真っ赤に染まったと同時に破裂し、工房内に破片が突き刺さる。
血を流しながらも閻魔は玉鋼を打ち続け、次第に玉鋼が破裂することなく閻魔の魔力によって深紅に発光する。
そして、数日間工房にて玉鋼を打ち続けた閻魔の両腕が火傷と魔力行使によって真っ赤に燃える。
流れ出る汗が途端に蒸発する程の熱気と閻魔の体内温度がさらに上昇する。
そして、閻魔の工房へと足を踏み入れた一人の人影に閻魔は、苦笑いを浮かべる。
「こっちもこっちで、ボロボロだな。――天童」
「うるせぇよ…。時間がねーんだ…さっさと、始めろ…」
片腕を流れ出た血液で真っ赤に染め、片目も満足に開けない満身創痍を通り越して、既に死にそうな見た目の天童はその手に握られた。
――錆び付いた一刀の刀剣を閻魔に渡すと、糸が切れたように倒れる。
側にいた従者に、天童の治療を任せた閻魔は炉に投げ入れた約数千の玉鋼を液体にまで溶かした中へと、錆びた刀剣を水面に置くように静かに置く。
炉の熱によって、閻魔の皮膚はほとんどが火傷によって焦げ始める。
しかし、ボロボロになってまで刀塚から持ち帰った刀剣を前に、閻魔の瞳に炉よりも熱い焔が灯る。
―――天童が、錆びた刀を手に入れる数時間前の出来事。
並み居る鬼達によって天童の肉体は限界へと到達し、地に倒れる。
『所詮は、人間』『種族の差は埋まらぬ』『無謀な事だ』などの鬼達から、笑われる天童は霞む視界の中で自分も鬼達同様に納得する。
――最初から、結果は見えていた。
それを、どうにか見ぬ振りを貫き続け、それでも到達できると信じ続けたかった。
鬼でさえも到達不可能に近いと言われた領域に、人族であり魔物にすら覚醒していない人間一人が敵う筈もない。
(このままいっそ…目を閉じて、楽になったらどれほど楽なんだろうな……)
目を閉じ掛けた天童の脳裏に、かつての強敵として自分の目の前に立った一人の男の背中が過った。
「――殺してくれ?冗談言うなよ…。なんでテメーの自殺に俺が協力しないといけねーんだよ。それに、助かった命だ…これまで奪って、踏みにじって来た奴らの為にも、お前は行き続けて罪を償え。死んで楽になるな。それが許されるのは――この世に誰一人として存在しねーよ」
黒と呼ばれた男は、ボロボロの天童の胸ぐらを掴み上げ、その濁りきった瞳に光を差し伸べる。
大勢の人を殺し続け、既に真っ黒に染まった掌に白い布を巻いてくれた妻や仲間達――…。
そして、愛すべき愛娘と妻の笑顔が天童の視界を満たす――…。
天童の瞳に炎が灯り、ボロボロの腕を叩き付け痛み共に立ち上がり、自分が黒から貰った――愚者の力を最大限発揮する。
気付かない天童だが、天童の背には以前までのような写し鏡の自分ではなく。
黒の先祖であり、歴代黒竜が辰一郎以外が勢揃いしていた。
「やっと、まともな愚者に会えたと思えば…。我らが孫ではなく。その友であったか…」
残念がる橘 晴だが、そんな顔に反して笑みが少し溢れていた。
『――聞こえるか、我らが子孫の愚者よ。悪いが……その体をしばし拝借するぞッ!』
不意に天童の頭に語り掛けられた声が響き、声の主が天童に乗り移ったかのような言葉を投げ掛けると、感覚が瞬間的に切り替わり鬼の攻撃に対して天童の動きが変わる。
鬼の巨大な掌へと叩き込まれた右足の蹴りは、鬼の手を弾きそのまま左足が鬼の首を直撃する。
「何千年ぶりの生身だ?…だが、まともに動ける肉体が、人族とは虚しいな。竜人族ならば、幾らか本領を発揮して行けたもの…よ―ッ!」
迫り来る鬼の群れに対して、その場で軽く跳躍し捻りを加えた回し蹴りによって、鬼の体勢は崩れる。
間髪入れず叩き込まれる殴打の速さは、天童以上の速さと正確さであった。
まるで、天童とは人が変わったように、並み居る鬼達が次々と膝を折って屈する。
天童の顔から笑みが溢れ、戦いを楽しむ様な狂気さが感じられる。
だがしかし、天童へと憑依した者を突き放すように、天童が肉体の所有権を手に取る。
「これは、俺の戦いだ。――邪魔すんな」
天童が鬼の拳を体で受け、そのまま鬼の顎を打ち上げると透かさず地面へと叩き付ける。
先ほどの洗練された武術のような戦いとは一変し、鬼神の如き力任せな戦い方に鬼は困惑する。
そんな中、天童は1つの疑問が頭を過った。
黒から貰った愚者魔法が、魔物の力を体に直接流して魔物へと変化する魔法と知らされた。
だが、この魔法にそんな力はは無いことを薄々感じていた。
黒の言うとおり、確かに体調が変化し体が徐々に魔物へと近付いた。
しかし、自身に問いかけてきたうるさいもう一人の自分を消した際に、魔物へと近付いていた体が途端に人間らしくなった。
他の大陸へと密かに渡った際に、あちらの医師に見せてもほとんどの者から『魔物の反応は少ない』と言われた。
心臓や内蔵などは既に魔物の力に染まっているが、それ以外はいたって普通の人間となった。
そして、先ほどの声と同時に自分へと憑依した感覚と愚者魔法を使用した感覚が似ていることから、黒の愚者魔法と先ほどの声の主が使った愚者魔法とでは、使い方は一致するがその方向性は全く異なっていた。
天童が意識を集中させ、先ほどの声の主に言葉を投げ掛ける。
『さっきの声はあんたか?……一体なにもんだ…?』
『ほぅ…愚者魔法の使い方がなっとらんと思ったが…。思いのほか、光る物を感じる者もおるな…』
天童が晴へと尋ねると、その返答の代わりにと天童の肉体の所有権を奪う。
群がる鬼を蹴散らしながら、晴は天童の脳裏に本来の愚者魔法の使い方を伝授する。
そして、再度天童へと所有権を渡し、身を潜める。
「……なるほど…。確かに、愚か者の魔法だな…。作った奴の顔が見たいな」
『ふッ……。我が家に伝わる巻物に、その者の名が記されている。貴様の王とも浅いなりの縁はあるだろう…。さぁ、無駄な話よりも我らをより一層楽しませよ』
鬼嶽門内部のさらに奥に存在する刀塚の領域に向けて、天童はさらに踏み込む。
先ほどよりも洗練された動きと、先ほどと変わらず力任せに暴れる天童の動きに、並みの鬼をなど対応出来ずに膝を折っていた。
次第に鬼嶽の奥へとたどり着き、群がっていた鬼達が場所を開けるように遠ざかり、巨大な2体の鬼が姿を現す。
馬の顔に筋肉質な体を持った巨体な鬼と牛の顔に馬の鬼よりも大きな巨体に筋肉質な体をした鬼が天童の前に立ち塞がる。
「我が名は、馬頭鬼…。ここより先は、神聖なる刀塚の領域である。お前のような命知らずから、鬼嶽の秘宝を守る者」
「我が名は、牛頭鬼…。秘宝を求める強欲な者達を蹴散らし、この地を死守する者のなり」
巨大な棍棒と大太刀の2方向から天童の体を叩き潰そうと迫る攻撃に、天童は右腕に黒竜の力を纏わせ馬頭鬼の棍棒を受け止め、背中に迫る牛頭鬼の太刀を左足に纏わせた黒竜の力で弾く。
体勢が崩れた牛頭鬼の鼻先に飛び掛かり拳を叩き付け、馬頭鬼の真横から繰り出された拳を右腕で防ぐ。
馬頭鬼の攻撃によって外壁に深く叩き付けられた天童へと、牛頭鬼が太刀で外壁諸とも両断する。
間一髪右腕で太刀を受けた天童は真っ赤に流血し、使い物にならなくなった片腕を捨てて、牛頭鬼の大きな角を傷の浅い片腕で掴みそのまま地面に向けて叩き付ける。
牛頭鬼のくぐもった声を他所に、馬頭鬼の棍棒を躱わし懐に潜り込むと同時に馬頭鬼の下顎目掛けて全力の蹴りを叩き込む。
あまりの威力に脳を激しく揺らし、意識が途切れた一瞬の隙を突いて、天童の片腕に纏わせた黒色の魔力が馬頭鬼の顔を地面へとめり込ませる。
地響きと凄まじい魔力が鬼嶽門内部の大気を刺激し、全身から血を流す一人の人間が、巨大なうえに分厚い大扉に片手で触れる。
瀕死の体と擦り切れた体力ては、強固な壁はびくともしなず1ミリも微動だにしない。
それを好機と見た鬼達が次々と馬頭鬼と牛頭鬼の体を飛び越え、天童へと手を伸ばす。
すると、それまでびくともしなかった扉が勢い良く開かれ、中から小さな鬼人が姿を現す。
「――鬼共よ、目障りだ。即刻…消え失せろッ!」
小さいながらも、その怒号は大気を揺らし群がっていた鬼が跡形もなく消え去っていた。
あまりの衝撃に呆気を取られていた天童へと、鬼人は手を差し伸べる。
その意図は分からないが、天童は無警戒なまま手を伸ばすが咄嗟に身を引く。
あまりにも自然に人の心を掌握するほどの不自然さと、敵意の欠片も感じられないまでに天童の脅威と思えない鬼人が、群がる鬼を一喝で退かせれる訳が無い。
骨が軋み、苦痛に歪む顔のまま天童は1歩2歩とその場から後退る。
すると、地面に力一杯叩き付けた牛頭鬼と馬頭鬼の2体が起き上がり、顔から流れる血を拭う。
そして、武具を手放し天童の前に頭を垂れる。
「「――貴殿の心意とくと感じ申した。揺るがぬ鋼の意思と、ただならぬ覚悟…。我ら、感服致しました」」
「そら見ろ、馬と牛も揃ってお前を認めた。コイツらも人間であるお前の姿を見て、確信したんだ。――お前のような人間に、鬼嶽の秘宝を持つ資格があるってね」
馬頭鬼と牛頭鬼の手によって完全に開かれた大扉の先には、石畳で統一された道と祭壇が各所に所狭しと並び、墓石と思われる朽ちた建造物の前に、武具が奉納されている。
ゆっくりと確実に、歩を進める天童が天まで長く伸びた石畳の階段を馬頭鬼の肩に乗せて貰い進む。
鬼人と馬頭鬼、そして天童の3人だけで刀塚の領域へと進みさらに奥まで進む。
そして、鬼嶽門とは思えないほどに緑豊かな土地に景色がガラリと代わり、先ほどまでの炎と剥き出しの岩肌だけだった鬼嶽が、自然豊かな景色へと変わった。
まるで、地獄から天国へと登ったような感覚の天童が、馬頭鬼の肩から下ろされ、鬼人の案内で正面の滝を見上げる。
流れ落ちる滝の水量も想像以上だが、その真下の滝壺の中に建てられた巨大な寺院の姿に、天童は驚いた。
鬼人の指が真横に引かれると、滝がその流れを止め真下に広がる寺院から水が消える。
鬼人と共に、滝が流れ落ちた空間へと飛び降りると、不思議な力に纏われたのか、天童の体から痛みが消える。
古びた寺院の内部へと進み、さらに奥地へと進み。
真っ赤な大扉の先に案内され、鬼人の手によって開かれた扉の先に埋め尽くすばかりの錆び付いた刀剣が目に入る。
だが、それよりも祭られるように祭壇に奉納された太刀が、神々しく光を放つ。
「――鬼嶽門の深部へとお前は到達し、その地に眠る宝刀――【湯玄雄一郎の始刻丸】……それが、お前の欲しかった物だろ?」
光を纏った宝刀に手を伸ばそうとする天童だが、その手を反らし祭壇の手前に突き刺さる錆びた刀剣を引き抜く。
その行動に鬼人は驚き、間違えて抜いたとばかり思い大慌てで天童に宝刀の場所を指差す。
だが、天童は満足気に微笑むと、手に取った刀剣を見詰める。
「これが、欲しかった…。これで、約束を果たせそうだ……」
宝刀や伝説に名をの記した武具に一切目移りせずに、天童は閻魔のもとへと向かう。
当然、出口で待っていた馬頭鬼や牛頭鬼は驚愕し、天童に宝刀の方が良いと進めたり、まだ数本持ってこれるなど提案するが提案に聞く耳を待たず。
閻魔へと錆びた刀剣を渡し、その意識はそこで途切れた――…。
現在――鬼嶽門内部は、吹き付ける熱風と炉から溢れる凄まじい熱によって、鬼嶽門の温度は上昇する。
そして、閻魔が炉に火を入れ錆びた刀剣を玉鋼の液体に浸け、幾度も叩くが液体に浸し、玉鋼と一体となり真っ黒に変色した玉鋼だった物は幾度も熱し叩いても変化所か傷1つ付かない。
数時間炉に入れ槌で叩く作業を続けても、塊に変化はない。
すると、数十名もの鬼人の鍛冶職人達が閻魔の小さな公房へと集まり、ある場所へと案内する。
そこは、閻魔さえも知らない――三千年の時を越えて、今の閻魔の為にと建てられた三千年もの時間を掛けて作られた。
閻魔の為の工房であった。
炉に火が灯されると、先ほどの数百倍もの熱が鬼嶽門に広がり、閻魔の影が鬼嶽門に住む鬼人や鬼に景色として写る。
炉に熱し玉鋼の塊を金槌で叩くと、凄まじい魔力と金属音がまるで太鼓のように鬼嶽全土に響き渡る。
「――これは、良いぜぇ…。心が疼きまくるぜ――ッ!」
閻魔の金槌が叩く音が次第に激しさを増し、塊が真っ黒から赤く色づき始める。
太鼓のような音色を上げる金属音に釣られて、鬼人や鬼達が太鼓や笛を片手に、鬼嶽門の全土で周囲の音を消し去る程の大音量の太鼓が響き渡る。
太鼓のリズムにのって、踊り狂う鬼達と沸き立ち鬼嶽門の真っ赤な石全てに、溶岩が流れ閻魔の不在の間に消えて枯れ果てた熱と活気が漲るように、鬼嶽門全土に閻魔の魔力が行き渡る。
打ち付ける金属音が響き渡り、大気を刺激し合う音と歓声に閻魔は、騒々しく活気に満ち溢れた鬼嶽門の景色に頬を緩ませる。




