五章二十六節 最悪の結末
黒が仕掛けるよりも先に、男が黒の腹部に蹴りを入れる。
「そう言えば、君達に挨拶をしっかりした覚えがありませんでしたね。改めまして、名を『波瀬』と申します。ご機嫌よう、『黒竜帝』『雷帝』『暁の戦王』『戦神』…と、モブ2匹」
笑みを見せながら、シエラの太刀を離す。
「シエラ……戦いの最中で悪いけど、今から大和に行ってくれる? きっと防御を固めた騎士がうじゃうじゃいるから――全員殺して来て」
シエラが頷くと透かさず、五右衛門と銀隠がシエラの前に立ち塞がるが、現れた白兵が2人の壁を容易く破壊する。
シエラが鼻歌混じりに、大和へ向かうのを黙って見ている暁、ハートは銀隠と五右衛門に命令を与えた。
「シエラを止めろ」「大和へ行って」
銀隠と五右衛門が強化した跳躍力で、大和へ向かう。
決して鴉から目を離さない黒が黒幻を握る拳に力を入れる。
目を閉じれば2年前の光景が浮かび上がり、高笑いする鴉と逃げ惑う仲間達が次々と消えていき、残りの団員達を暁が連れて逃げる。
傷付いた未来を見て、発狂し怒り狂う自分自身を心の奥底に押し込む。
「2年ぶりか…?仲間の無念と……帝都での借り返させて貰う」
刀を構える黒が目にしたのは、自分の視界に入り込んだ鴉の不気味な笑みと光沢を帯びた両刃の剣。
咄嗟に黒幻で剣を受け止め、姿勢を後ろに倒し剣を弾く。
甲高い音が辺りに響き、鴉はそんな音を楽しむかのように耳を澄ませる。
黒が歯軋りし黒竜を顕現させ、魔物と連携した攻撃で鴉に反撃の隙を与えない。
だがしかし、鴉は未だ余裕な表情で黒の猛攻を躱わし続ける。
黒の息に合わせ、翔と暁も鴉へと攻撃を加えるが――笑みは健在であった。
「――口でも切ったの?」
鴉からの指摘に、暁はいつの間にか口から大量の血を滴らせ、気づいた時は地面に血を吐き出していた。
「――止まって見えるよ?」
鴉からの指摘に、翔の腹部と顔に合わせて7発の拳が翔の反射神経を上回る速さで繰り出される。
「――動きが読めるよ?」
鴉の指摘に、黒の黒幻が片手で弾かれ、いつの間にか鴉は神器を手放していた。
力の差は歴然であった。
しかしそれでも、3人の攻撃の手は落ちる所か、攻撃の鋭さ、一手一手の力の入りようが始めに比べて増していた。
『五右衛門と銀隠がきっとシエラを止めてくれる』
そう信じているからこそ、目の前の強敵を後方に通さないためにも、3人は―――鴉をここで殺す事だけを、考えていた。
「やるねー…。でも、時間切れだ」
鴉が剣を真横に振り、大気が切れる音と凄まじい魔力の揺らぎを直感で感じた翔は黒の腕を掴み。
自分が倒れる重さを利用して、黒が紙一重で鴉の攻撃範囲から外させる。
翔の意図を知ってか、翔に身を委ねるように黒は無駄のない動きで鴉の攻撃を躱す。
鴉の最後から迫った暁の十國が、鴉の首を切り裂く。
「――――ッ!?」
鴉が首を押さえ一瞬の隙が生まれたと分かり、3人の魔物がほぼ同時に魔法を放つ。
大気を打ち鳴らし、岩盤が捲れ上がり、辺りの地形を一瞬変形させ、焼け野原に変える。
続けざまに、黒竜の火球が追い討ちとばかりに放たれ巨大な火柱を挙げる。
翔の建御雷神が放った落雷が黒竜の火球と合わさり、凄まじい魔力の爆発が辺りを呑み込む。
「暁ッ!魔力の回復急げッ――!」
翔のがらがらになった声が暁の耳に届くよりも先に、自分のすべき事を理解した暁は全神経を集中させて、魔力回復に全力を注ぐ。
炎の中から、全身を真っ黒に染めた鴉が暁に向かって距離を縮めに掛かる。
透かさず鴉の真横へと飛んだ翔が、雷を纏った左足を顔に叩き込む。
息の合った連携のように、動きが止まった鴉を黒の強化した拳が頭上から抉るように顔を殴り付け、大気を叩く鈍い音と共に鴉を遥か後方まで吹き飛ばす。
「あいたたたた…酷いなー。もう少し加減してくれてもいいんじゃないか?」
鴉が口内に溜まった血液を吐き出し、不気味につり上がった頬と血走った様な眼光が黒を見詰める。
構える黒と翔だが、2人の反応できる速度を用意に上回る鴉の速さが力の差をこれでもかと見せ付ける。
視界に捕らえる所か、移動している事にすら気付けない2人が地面に顔を埋める。
圧倒的なまでの実力差ではあるが、3人が戦いを止めその場から背を向け、逃げる。
決して埋まることの無い実力の溝を前に、黒は笑みを見せる。
―――こんな事ぐらいで、諦める訳にはいかない――
黒の体内で、心臓の鼓動が早まり急激に血液が全身の血管を駆け巡る。
心の奥底から湧き出すように、魔力が今にも溢れそうなのを必死に耐える。
鴉が黒の首に触れ、一気に力を込める。
鈍い骨が砕ける音が鳴り、鴉の不気味な笑みがさらに不気味に変わる。
しかし、骨の砕ける音は黒の首からではなく。
黒の放った右足が、鴉の胴体をへし折る音であった。
現実に帰った鴉が、黒から距離を置き地面に前のめりに倒れ脇腹を押さえもがく。
大量の血液が口から吐き出され、憎悪に満たされた鴉の顔は見るに耐えない程歪んでいた。
黒が黒幻に魔力を巡らせ、黒に向かって跳躍してきた鴉を切り裂く。
――ボトリッ…と落ちた鴉の右腕は、切り落とされても動き続けていた。
「まるで、虫だな」
黒の両目が青く輝き、黒竜の魔力が黒の身体を満たす。
吐く息一つでさえも、対峙する鴉を威圧する。
翔と暁が直感で理解したのは、黒がこの戦闘で格段に進化を始め、既に【十解禁】に近い力を制御している。
七解禁が黒竜の力を制御できる限界であったのが、この短時間で九解禁を完璧に制御し、次の段階へと進化している。
無論、翔は黒の成長スピードに驚いてはいるが、暁が知る中では黒は2年前から解禁上限は変わっていない。
ましてや、竜玄と川柳が施した封印はまやかしであった今、黒の感情の変化一つで暴走する危険が付きまとっている。
暁が神器に魔力を巡らせると、隣のハートが肩に手を当て暁を止める。
「お前の力は、後で必ず必要になる。こんな所で使うのは、あまり得策とは言えないぞ?」
ハートのそんか口振りに、暁は改竄されていた記憶がまた一つ蘇ったと理解した。
「気付いてたの?ハートちゃんは……」
「今の黒を見て、予感は確信に変わった。記憶は朧気だけど……黒が封印されていない事は、俺達ぐらいなら魔力を見れば分かる。2年前もこんな近くでアイツを見てたんだ」
ハートが聖剣を構え魔力で高めた斬撃を鴉に向けて放ち、その後に続くように、黒や翔が攻撃を合わせる。
鴉が息つく暇もなく怒涛の連携を前に、鴉の怒りは頂点に達し凄まじい魔力が爆発し、辺りを吹き飛ばす。
黒幻を地面に突き刺し、何とか魔力の余波を耐えた黒と盾魔法で爆発を防いだ暁以外は、吹き飛ばされ遠くの方で微かな魔力が感知できた。
鬼気迫る鬼の形相で地面を走る鴉が、両刃の神器が黒の死角から襲う。
凄まじい連撃を黒が黒幻で耐え、両サイドから翔とハートが仕掛ける。
翔を地面に叩き付け、刃を向けるハートを剣で払いのけ、黒を蹴り飛ばす。
体勢が崩れた黒に刃先を突き刺し、圧縮された魔力が弾ける。
抉れた地面と数摘の血痕が地面を赤く染め、上空に浮かび上がった黒は苦痛によって顔を歪める。
脇腹と左肩からは出血が凄まじく、血が滲んだ服が物語っていた。
「翔!俺に合わせろッ!」
黒が右手に集めた魔力が黒い稲妻へと変化し、翔の放った地上からの雷と黒の放った上空からの2方向から迫る雷が鴉を狙う。
轟音が鳴り響き、大気へと分散する雷が暁とハートの身体を通り抜ける。
「派手だな…全く」
「息はピッタリだけど、周囲への配慮に欠けるよね」
暁とハートがその場から距離を取り、身体を通り抜けた雷の痺れから解放される。
翔が雷の直撃に合わせて、畳み掛けるように鴉に向け特大の落雷を叩き落とす。
全身を雷で焼かれ、脆い炭のように崩れている四肢は翔と黒の放った雷魔法の威力を物語っていた。
両腕が肘から下は既に崩れ、フラフラと揺れながら一歩一歩進む鴉に警戒を続ける5人。
黒が黒竜を顕現させ、応急処置程度の回復魔法を自身に掛ける。
「むん……。妾は、回復キットか何かか?」
「無駄口を叩くな。炭になった所で、途端に再生して掛かってくる」
鴉から目線を外さず、黒は真っ直ぐ鴉が倒れた場所を見詰める。
暁の魔力も徐々に回復し、作戦に支障が出ない範囲の魔力へと達する。
「暁、行けるか!?」
黒が黒幻を地面に突き刺し、身体を軽く捻りストレッチを行う。
翔が義手の調子を確認するように、何度も指を動かす。
深呼吸を繰り返し、冷静になろうと心を落ち着かせるハートは聖剣を握る拳に力が入る。
十國を構え、十國に魔力を集中させる暁の額は汗ばんでいた。
(鴉とシエラの強敵と言える奴は、既にバラバラな状態。このまま十國の神器能力で、作戦範囲外に待機させた天童達の空間を繋げて鴉とシエラを挟み撃ちにする。このまま行ければ――僕達の加地だ)
「――って、考えてた?」
暁の背後に回った鴉が剣を真横に振る。
突如襲う凄まじい轟音と衝撃に、黒達はその場から吹き飛ばされる。
目を疑う光景に、黒の持っていた黒幻がカタカタと震えている。
今回の作戦の要と言える暁が、背中を切られ力無く地面に倒れていた。
鴉へと駆け出した翔とハートの2人を止めるように、現れたレックスと澤本の2人が薄気味悪い笑みを浮かべている。
――最初から、作戦は見抜かれていたかの様に――
「君達の作戦は最初から知ってるよ。ここよりも遥かに遠い場所に待機させた多くの騎士達とここの空間を入れ換えて、僕達を挟み撃ちにしようとした作戦でしょ?」
澤本が笑みを浮かべ、倒れたままの暁を踏みつける。
鈍い音が聞こえ、暁の口から血が溢れる。
「でも、残念。既にここら一帯は旦那の結界で覆われ、逃げることも増援だって駆け付けない。作戦範囲外の別動隊は、決して手出しは出来ない」
「既に、貴様ら騎士に勝ち目はない。作戦も読まれ、増援も駆け付けない現状、戦力差は歴然……。2年前の帝都戦で既に大勢の仲間と同士を失った黒竜帝、貴様にはな」
レックスがナイフを取り出し、黒の間合いへと一瞬で潜り込み黒幻と刃を交わす。
火花が散り、黒を襲うナイフと砂魔法の連携は現在の黒では捌ききるのでやっとであった。
正面から黒を襲うレックスと背後へと回った澤本が、黒の体勢を崩しに畳み掛ける。
ハートと翔が澤本とレックスを黒の前から突き放そうと、動く。
しかし、それを見据えていたのか突如として、澤本が低姿勢のまま地面を駆け出し翔の義手に蹴りを入れ、翔の動きを止める。
「スピード勝負と……行こうぜ」
「お望みとなら、雷の速度でお前を殺してやるよ!」
翔の義手が駆動音を挙げ、澤本の頬がつり上がる。
義手を主体にした翔の体術に澤本は、両足に装着させたブーツモデルのドライバで応戦する。
ハートが鞘に納めた聖剣に魔力を集め、レックスに向け光の斬撃が伸びる。
黒を蹴り、蹴った勢いで後方へと飛び退いたレックスがナイフで地面を数回傷付ける。
傷の入った箇所から襲い掛かる砂の触手を華麗に聖剣で捌くハートが、魔物を顕現させる。
「我に光を――【戦神】ッ!」
全身に纏った戦神の魔力によって速度が羽上がったハートが、レックスの間合い外からすれ違い様に攻撃を与え、レックスに防御以外の行動を抑制する。
ハートがレックスを押さえ、翔が澤本を押さえる。
鴉と黒の一騎討ちでの勝負が幕を開けるが、5対1の状況でさえも勝ち目が薄かったにも関わらず。
黒の瞳から、光が失われる事はなかった。
「――あの作戦は単に、お前達の相手をするのが俺達じゃなくなるだけで、増援が必須な訳じゃない」
「うーん……苦し紛れの言い訳?それとも単に、虚勢でも張ってるのかな?」
鴉の身体が完全に修復している事に、黒は驚く様子すら無いことに鴉は嫌な予感を感じる。
(……自己修復機能があると、黒竜帝にバレてる?それとも、微かながらの魔力変化によって感付いた?どちらにせよ……こちらの自己修復のカラクリを感付かれた訳じゃない)
一歩二歩と目の前の黒から後退する鴉の頬から、珍しく汗が滴るのを見て、レックスと澤本が驚愕を露にする。
――そして、鴉の息の根を確実に止めるために、気配を隠していた男が、鴉の一瞬隙を突いて鴉の顔を削ぎ落とす。
鴉の顔半分が宙を舞い、鮮血が周囲に飛び散り真っ赤に染める。
獣の様な雄叫びが、大気を震わしヨレヨレと後退し続ける鴉は顔を押さえ真っ赤に染まった両手で不気味な鴉の仮面を剥がす。
粉々に砕けた仮面が塵になり、呼吸を荒くした鴉が再生し万全な状態にも関わらず。
どこか、落ち着かない様子で隠されていたのか、突如として顔に靄がかかり、現れた仮面を何度も何度も触って確認する。
存在を確認した鴉が落ち着こうと深呼吸する。
「黒ちゃん……自己修復のカラクリは解けたね」
「あぁ……。それよりも、お前の傷は大丈夫か?背中バッサリいかれたろ?」
黒が隣に立った暁の背中を強引に確認する。
傷は無く、出血も跡形もなく消え、死にそうな顔でもない事から流石は吸血鬼族と感心する。
先程とは雰囲気がガラリと変わった鴉は、憎悪にまみれた表情で黒と暁を睨む。
自己修復のカラクリがバレてしまい、絶対的な安心感と有利性が崩れた。
しかし、自己修復機能がバレたとは言え、残りの回数までは知られていない。
それだけで、こちらの有利な状況にする決め手になる。
仕掛けがあると、考え好戦的に向かっては来ないと考えた鴉であったが――その考えこそが甘かった。
「修復するってことは分かった。そして、傷を治すのと無かった事にするのでは、意味も違ってくる」
「回復するなら、体力も魔力のどちらかを消費するがそう言った反応は見られない。つまり……回復じゃなく。身代わりか無かった事になる」
二人は武器を構え、一瞬で鴉の間合いに入る。
凄まじい連撃の嵐に鴉は先程の余裕さが無くなり、一瞬で立場が逆転する。
「さっきに比べて、攻撃を避けようとする姿勢が見られる。回復なら、多少の致命傷でも離れて回復する時間を作る筈だ。そして、無効化または無かった事にするなら、回数やデメリットがある前に俺達を倒そうと攻めてくる。――いよいよ、身代わりの線が濃厚か?」
勢い付く二人に対し、消極的に陥り始めた鴉はレックスと澤本に目線を送り助けを求める。
無論、そんな事をさせる筈もない翔とハートは二人を鴉から遠くへと離す。
「調子に……乗るなァァァァァッ――!」
鴉が神器を両手で掴み、魔力を神器に集中させる。
「神器解放――【天叢雲】ッ!」
両刃の剣が光を放ち、間合いを詰めてきた黒と暁の目の前で光の軌跡が高密度な魔力を発する。
轟音か大地と大気を揺らし、寸前で斬撃を躱わした黒と暁が地面を転がりながら砂煙の間から見える鴉の神器を睨む。
両刃の剣が日に照らされ、神々しく光を反射する刀身から異質な魔力を感じる。
「暁、手加減無しで行くぞ…」
「黒ちゃん。最初から、手加減なんて必要無いよ」
暁の持つ神器【十國】が暁の魔力を纏い、鴉の異質な魔力と同格な魔力を放つ。
黒幻を数回ほど左右に持ち変え、黒竜の魔力を口元を覆い隠す様に纏い、首筋から両腕までをプロテクターのように纏わせた黒竜の魔力が漆黒の鱗へと変化する。
七解禁を物にし、十解禁を完璧に制御し始めた黒の力に暁も同様に魔物の力を解禁する。
「十國…限定解放。『九尾』力を貸せ…」
『そう言う…契約だろ? とことん、満足行くまで暴れな』
暁の腰下から現れた九本の尻尾が、周囲の魔力を吸収し次第に暁の魔力が上昇し始める。
「あまり……僕を舐めるなよ?」
鴉が叢雲を構え直し、刃先を黒の首筋目掛けて突き出す。
金属音に似た高音が辺りに響き、畳み掛けるように鴉が叢雲を振り回す。
衝撃波となった斬撃が地面を削り、砂塵が視界を覆い隠す。
「―――黒切り」
鞭のようにしなやかに動き、叢雲で咄嗟に防いだ鴉を襲う巨大な斬撃は、鴉の衝撃波を打ち消す。
鴉の正面に生まれた巨大な溝は、黒の放った斬撃が地面を削った証拠。
一太刀で黒の間合いから遠ざけられた鴉は、一瞬で額に血が登り血管が浮き彫りになる。
鴉の動きに合わせるように、暁の神器が鴉の神器を弾く。
「邪魔を…するなァァァァァ――――ッ!」
鴉の怒号と共に、振り下ろされた叢雲からおびただしい程の蛇か出現し、暁の身体に纏わり付く。
透かさず尾で蛇を弾いたが、叢雲へと戻った蛇の数体が暁の魔力を抜き取ったのは回避出来なかった。
急激な魔力低下によって、九本あった尾は既に七本へと減少していた。
暁へと意識が集中していた鴉を黒の刀身が背後から襲う。
鮮血が飛沫となって黒の頬に血が付着し、続けざまに放った圧縮された魔力が鴉の身体を吹き飛ばす。
「――黒ちゃんッ!」
暁の声よりも先に、黒の胴体に食らい付いた大蛇が黒を地面の中へと引きずり込む。
黒の神器だけを残し、暁の前から姿を消す。
砂塵が止み暁が目にした光景は、暁を絶望の淵に叩き落とすには十分過ぎた。
光の無い瞳と、口から流れ出たと思われる大量の鮮血、力無く崩れた落ちた身体。
心臓に突き刺さる天叢雲が今まさに引き抜かれ、鮮血が辺りを染める。
「黒ォォォォォ―――ッ!」
暁の想定していた最悪の結末に、鴉の手が掛かる。
鴉の笑みが何よりの証拠であり、暁はその笑みが示す意味を一瞬で把握する。
「まさか……お前の目的は…未来じゃない…」
暁がその場に崩れ落ち、スキップ気分で暁の側に立った鴉が――黒の魔力を頬張る。
「天城未来が行った黒竜帝に対する禁忌魔法。仮死状態となった黒竜帝がこの現実で活動するための人形。その人形へと送り込まれる魔力の座標を奪えば……どうなると思う?」
暁が涙をこらえ、十國を振りかざす。
瞬間的に膨れ上がった鴉の魔力が暁の神器を跳ね返し、圧倒的な魔力濃度と密度で暁を押し潰そうとする。
鴉の中に存在する2種類の性質の似た魔力とは別に、別の第3の魔力が生成される。
新たに産み出された魔力が徐々に膨れ、鴉の外見を変化させる。
その姿は、まるで黒竜そのまのにも見て取れる容姿に、暁は魔力を全身に巡らせ突撃する。
しかし、流れるような動作で鴉の攻撃を避け、間髪入れず胴体に数十にも及ぶ殴打を叩き込む。
吐血共に地面に倒れ込んだ暁に鴉は満面の笑みで、その場でターンする。
翼竜の様な真っ黒な両翼が鴉の背中から現れ、鋭利な爪と両腕両足に纏わせた鎧の様な竜の鱗。
現在の鴉は膨れ上がる魔力が溢れ出し、溢れ出た魔力で全身を覆い鱗の鎧を形成する。
ふらつく足で立ち上がった暁に、鴉は容赦なく腹部に拳を叩き込む。
メキメキッと骨が軋む音が暁の身体から発せられ、数十メートル上空へと飛ばされ、抵抗する事もなく地面へと落下する。
全身は既にボロボロになり、霞んだ視界が真っ赤に染まる。
「これで、黒竜帝がこの世界に戻るための座標も戻る肉体も存在しない! 空庭の本体から供給される。黒竜の皇帝と言われた魔力は―――俺の物だッ!」
愉快に笑う鴉がボロ雑巾状態の暁を掴み挙げ、数回地面に叩きつける。
「これで、お前らが俺に勝てる希望は潰えた……。戦乙女でも頼るか?だが、お前が天城の居る次元とここの次元を繋げば…俺の優秀な部下が無抵抗な天城を殺す」
暁の口から大量の血液が溢れ、鴉の腕が真っ赤に染まる。
「空庭の魔力供給を停止する権利を持つのは、天城のみ。しかし、天城をお前の空間から出せば途端に部下達に殺される。――絶体絶命って奴だな」
「…な…なぜ…お前が…未来の居場所を…知ってる……反逆者の中でも…限られた人物だけの…筈だ……」
暁が鴉を睨み、首を絞めている鴉の手をありったけの力で掴む。
「お前ら、黒焔には……僕の優秀な部下がスパイとして潜入している。お前らの動きを影で僕は把握していたんだよ。だから、天城の居場所が空庭ではなく、お前が造った空間内だと言うことも知ってる」
鴉が不気味な笑みを浮かべ、暁の首にさらに力を加える。
既に鴉の魔力は、黒以上の魔力となり2年前の脅威を遥かに越えている。
「…十國…限定解放………」
暁の魔力が一瞬上がり、そのほとんどの魔力が十國へと流れ、特定の空間を暁は操作する。
「お前バカなのか?なーんで、自分から天城の空間を繋げるんだよ……。まぁ…おかげ、部下の仕事が捗ったって事よ」
鴉のポケットが振動し、端末の画面を見詰め笑みを浮かべる。
「ほら…優秀な部下からの連絡だ。『天城を消しました』って分かりきった報告だよ」
鴉が暁を放り投げ、手早く端末を開き耳元に押し付ける。
『もしもーし、暁は無事か? 』
端末の向こう側から聞こえてくるのは、聞き慣れた部下の声ではなく。
見知らぬ何者かが、端末の向こう側から話し掛けてきた。
「お前は…誰だ……。なぜ、僕の部下からの連絡で、部下でもない人間の声がするんだ…答えろッ!」
『知らねーよ。てか、お前の優秀なスパイってのは……案外バカだな。黒焔の中で重要なポストの奴に、護衛が付かねー訳ねーだろ?』
それだけ言うと、端末の通信が切れる。
怒りを露にした鴉が端末を握り潰し、隣で微かに笑う暁を睨む。
「確かに……最初の作戦は、お前達の罠で失敗した。けど……黒ちゃん達には、黙ってたけど…。僕の作戦はここからが本番だ」
暁が十國で空間を開き、開かれた空間から見知った顔の存在かあった。
「貴様…なぜ、その力を持っている」
鴉が一歩二歩と後退り、額から滴る汗が事実を語る。
「お前が……2年前の帝都で改竄し、改竄仕切れなかった記憶は存在諸とも異空間に隔離した。無論……俺の記憶も力もそうだ」
目の前の男は身に付けていた丸眼鏡を外し足下に落としてから、ポケットから取り出したサングラスを掛け直す。
出会った者達のほとんどが、今の鴉と同じ事を感じるであろう。
眼鏡からサングラスに付け替えただけで、既に魔力は通常よりも遥かに高い量と濃度を感じた。
静寂が3人の間に流れ、生唾を飲み込んだ鴉がさらに冷や汗を流す。
間合いの外から視認出来ない攻撃が右肩の装甲が弾き飛ばした。
目の前の男が笑みを浮かべ、一歩二歩と踏み込む。
その男が進むに連れて、全身の細胞が悲鳴を挙げる。
「――――ッ!」
声になら無い雄叫びを挙げ自身を奮い立たせるが、気付いた時には、右腕の感覚は無くなり。
大量の鮮血が、足下を赤く染める。
鴉の面が砕け、目の前で佇む男―――天童 宗近を恐れていた。




