魔法
シェルヴェス皇国の外れ。豊かな自然に囲まれた小さな家に蒼太はいた。
ふかふかとしたソファに座るがなんだか居心地が悪い。
隣に座っている碧も同じようで、きょろきょろと辺りを落ち着きなく見回している。
一族が滅亡したあの日、蒼太と碧は父と母の愛によって生かされ、使用人に連れられ、隣国シェルヴェスにたどり着いたのだった。
朝日の差し込む室内は、蒼太と碧の元いた部屋とは違い、机や本棚などの家具が多々ある。
蒼太としては、こんなに多くのものがあっても使い方に困ってしまうというのが正直なところであった。
二人の使用人、皐月と如月はせくせくと朝食の用意をしていた。
それにしてもこの二人よく似ている。
切れ長の瞳に艶やかな黒髪。髪型の違いがなければ見分けをつけるのは困難であろう。
「蒼太様、碧様、朝食のご用意ができました」
皐月さんは深々とお辞儀をしたのち、部屋を出ていった。
蒼太は4人がけのテーブルに腰掛けた。碧もそれに合わせて向かい側に座る。
前の部屋にいた時は、こんな風に碧と食事をしたことはなかった。
これが家族というものなのだろうか。それならば、なかなか悪いものではない。
朝ごはんを口にしながら、蒼太はずっと考えていた。今考え始めたことではなく、車で皐月さんの話を聞いてからずっと考えていたこと。
魔法、魔力。この世界にはそのような概念が存在している。今まで閉鎖された空間にいたこともあってか、それを認識することはなかったわけだ。
しかし皐月さんの話を聞くに、俺は秋月の血を引いていることからして、それなりに強い力を持っているのではなかろうか、とそう結論づけたのだ。
こればかりは考えてもわからない。
部屋の隅で直立の状態でいる如月さんに聞いてみることにした。
「ねぇ、如月さん、俺って魔法使えるのかな」
如月さんはチラとこちらを見たのち、いつも通り抑揚なく話し始める。
「はい、おそらく使えると思われます。秋乃様が封印していた魔力はすでに蒼太様と碧様の中に戻っていますので」
そう言われてふと思い出す。
あの日、母秋乃に接吻をされた時、腹の奥底の何かが燃えるような感覚があった。あの時、もしかしたら魔力が体内に顕現したのかもしれない。
「どうやったら魔力を使えるの」
蒼太の問いに一瞬逡巡する如月さん。
「蒼太様、碧様、お食事が終わったら外に出ましょう。魔法の基礎をお教えしえしますので」
魔力というものは誰の中にも存在する。大体の人間は5歳か6歳ごろから簡単な魔法を使えるようになる。
今の魔法文明においては、照明や調理器具など魔力を必要とする便利品で溢れかえっているのだ。
さらに勉強を重ね、同世代のおよそ三分の一程度の人間が魔法を主とした職業に就く。宮廷魔導師団といったエリートから魔法技師といった専門職までその職業は多岐にわたる。
蒼太や碧のように魔法の源たる魔力それ自体を封印されていた例などは遡れる過去になかった。
「よって蒼太様や碧様には魔法を使う感覚、魔力の流れというものをかんじていただくのが先決かと」
皐月さんの説明は至極わかりやすい。
ここは家の前の庭である。といっても家の周りには森が広がっていて、その中にぽっかりと空いた小さな広場であるが。
「ここなら多少破壊力のある魔法を使っても大丈夫です」
という如月さんに続いて、皐月さんが話し始める。
「魔力の流れを認識するのなら、魔法を補助して使うのが最も簡単で有効です」
そういうと皐月さんは蒼太の後ろに回り込み、背中に両手を当てた。如月さんも碧に対して同様にする。
背中に触れた皐月さんの手は、とても冷たい。
碧もその冷たさにピクリとする。
「俺はどうすればいいんだ」
「蒼太様は両手を前に出していただくだけで結構です。魔法制御は私がいたしますので」
「わかった」
蒼太は言われた通りに両手を掲げる。
碧も蒼太を見て同じように掲げた。
「では、参ります」
背中に当てられた手に少し熱が生じたのを感じた。
「精霊よ、我に呼応し汝の性を顕現せよ」
皐月さんと如月さんの声が重なる。
驚いた。今までに感じたことのない感覚。体の中に血とは違う何かが巡っているのがはっきりとわかった。
「兄さま、見て、すごい」
碧の声音は興奮を隠しきれていない。
見れば碧の手の前には赤と青と白の色が渦巻く、拳大の球体が存在していた。
碧の呼吸に合わせるかのようにふわふわと上下に動くそれはまるで生きているようで、神秘的だ。
対して蒼太の方は、
「兄さまの方は真っ黒だね」
「そうだな」
漆黒の球体がそこにはあった。これは闇属性なのだろうか。見ていると吸い込まれてしまいそうで、得体の知れない恐怖を覚える。
皐月さんの手が背中から離れる。
同時に目の前の球体は風船がしぼむように小さくなり、やがて消えた。
これが魔力を使う感覚。言葉にはできないがその感覚は掴めた気がした。
「今の魔法はお二人の最も得意な魔法属性を確かめるためのものです」
そういった皐月さんの言葉に続いて如月さんが口を開く。
「碧様には火、水、光の三属性への適性があります」
なるほどそういうことか、と蒼太は納得した。碧の球体には赤と青と白の色が出ていた。それが得意属性を表しているという簡単な話だ。
一縷の間を起き、再び口を開く。
「蒼太様の属性はわかりません」
「黒いのは闇属性じゃないの」
綺麗なまでの黒、だったはずなのに。
「闇属性の時に現れる黒とは毛色が違いました。あの色が示す属性は私の知るところではありません」皐月さんに続けて如月さんが話し始める。
「お二人とも魔法を使う感覚は掴めたと思いますので、今度はご自身だけで使ってみましょうか」
「詠唱はいらないの?」
碧のした質問と同じことを思った。
先ほど皐月さんと如月さんは何かの詠唱をしていた。しかし蒼太と碧は詠唱など唱えたこともないし、もちろん覚えてもいない。
「詠唱というものは必要なものではない、ただ少ない魔力で大きな魔法を行使しようとする時には、人のイメージ力が必要です。詠唱というのはそのイメージを抱きやすくするためのものでしかないのです。今は戦闘などの実践ではないので、詠唱はいらないでしょう」
碧はコクリと頷くと、先ほどと同じように手を前に突き出した。
目を瞑り、呼吸を整える。
体内の魔力を感じているようだ。
「はっ」
短く声を出す碧、直後碧の手のひらに水の球体が現れた。
「兄さま、みて、綺麗」
思わず、といった様子で声が漏れる。
球体は不規則に凹凸が現れては消えを繰り返す。まるで生きているかのような振る舞いに、蒼太も見とれてしまう。
「何か形をイメージしてみてください」
皐月さんの言葉に、碧は再び目を閉じた。
直後、水の球体はグニグニと形を変えていき、やがて
「花だ」
水によって作られたバラの花だ。この世のものとは思えないほど綺麗だ。
「兄さま、花、花だよ」
興奮した様子で、目の前から蒼太へと視線を移した瞬間、神秘的な花のオブジェはまるでシャボン玉が弾けるかのように、霧散し、周囲に霧の雨を降らせる。水は土の地面にシミをつくった。
「消え、ちゃった」
ひどく残念そうな碧。
(魔法というのはとても繊細なものです。少しでも集中を欠くと、それは瞬く間に消えてしまう)
如月さんから碧へのフォローである。
「では次は蒼太様の番です」
皐月さんの言葉に、蒼太は先ほどと同じように手を前に突き出した。
目を瞑り集中する。
体の中の魔力の流れを掴み、それを手に集約させていく。心なしか手がむず痒い気がした。
キィィィィン、という音とともに手のひらに集めた魔力が空間に向けて実体化していく感覚。
目を開くとそこには先ほどと同じ黒い球体。いやよく見るとこれは
「回ってる」
三角錐型の黒い塊が高速で回転していた。
球状に見えたのは、あまりにも早く回転しているため。
それに気づいた刹那、視界が急に開けた。目の前には青空。
自分が倒れていると気づくのにはそう時間はかからなかった。
倒れながらも、顔だけをなんとか起こす。
さっきまでそこにあったはずの森の代わりに、巨大な黒い三角柱が鎮座していた。
その後、一瞬で収縮するそれ。
そこにあったはずの森は、綺麗さっぱり消失していた。