もう一人の魔王(仮)
妹はそそくさと家を飛び出し、学校へと向かって行った。妹を見送り、身支度を整える。学校の制服に袖を通しながら、ふと、いきなり抱きついたのはまずかったかもしれないと思った。
あちらの世界ではハグは挨拶のようなものだったため、ついつい深く考えずに動いてしまったが、ここは日本だ。自分だって、向こうに転移したばかりのころは、その文化ギャップに戸惑ったのではなかったか。
そもそも自分と妹はそれほど仲が良かっただろうか?特別嫌われてはいないと思うが、しかし兄からのスキンシップを歓迎するようなブラコンでも無い。どこにでもいる一般的な兄弟の関係だ。
「んんん・・・どうしよう」
まさかセクハラで訴えられたりしないだろうか。学校帰りにケーキのひとつでも買ってやって、ご機嫌を取った方がいいかもしれない。
そんなことを思案しながら、鏡越しに制服に身を包んだ自分の姿に目をやった。
「まあ、多少は似合うようになってきたか?」
高校入学当初、「これから絶対に背が伸びるから!」という母理論に基づき、1サイズ大き目の学生服を購入。袖や肩幅など、あちこちの丈がが不恰好に余っていたが、どうにかこうにか身体の成長が追いついてきたらしい。
悠斗は制服の生地を撫でたり、腕を回したりしながらながらその感触を確かめてみた。生地の質はやはり高い。向こうの世界で売ったらいくらになるのだろうか。だが防御力は全く期待できそうに無い。こんなペラペラの布じゃあ、炎も剣も防げやしないだろう。
「・・・っていやいや!いらないんだったそういうの!」
ドラゴンも魔法も、この世界には存在しない。剣も槍も無くはないが、普通に生きている限り関わることはない。
「もういいんだよ俺!もう戦う必要なし!痛いのも怖いのも、もう俺には無縁!これからは好きなことやって生きていけばいいんだ!」
改めて言葉にして、ようやくその実感が湧いてきた。喜びが溢れだしてとまらない。何をしよう?何でもできる。使命に縛られずに生きることができる。そう考えると、途端に制服の襟が窮屈になったように感じられた。
「ええい学校なんか行ってられるか!とりあえず漫画!アニメ!ゲーム!」
「ほう?」
―――ぞくり
悪寒。噴出す汗。すくむ足。背後から感じる、殺気。
「昨日まで散々だらだらした夏休みを過ごしておいて、まだ足りないって?」
「いや、あの、ですね」
いつの間にか部屋の入り口に立っていた女性。エプロンをつけ、長い髪を後ろでひとつにまとめ、鋭い目つきで悠斗を睨んでいる。悠斗にとってこれまた1年ぶりに会う相手。我が家の帝王にしてある意味魔王――直江。
「違うんです!話を――」
「問答無用!」
「ぎゃあああああああああ!!!」
痛いのも怖いのも、全く無縁では無かった。というかむしろ身近になった。