「弐段・疾走」
房春は、城内より抜け穴を通り、岩山城へと通じる森の中へと急いだ。
背負った隼人の身体の重さに共に重ねた年月を感じていた。
「若を何としても護らねば・・・」
歯を食いしばりながら、有らん限りの力を振り絞り抜け穴を疾走していた。
暫くして出口の扉へと着いた。
「敵に見つかっておらねば良いが・・・」抜け穴の出口には、配下の者数名と馬を待機させてある。
扉に耳を当て外の音を確認しそっと扉を開けた時「殿と奥方様は?」小声で近づく者があった。
「死に場所と心得られたようじゃ。若様だけは何としても護らねばならぬ。時間が無い!急ぐぞ!」
馬を繋いでいた縄で隼人を背負い縛ると、その背に飛び乗った。
配下の者達も馬に跨り後に続く。
房春は夜目が利く方であったが、夜陰の森の中を時折差し込む月明りだけで進むのは容易ではなかった。
更に、敵に見つからぬよう音を立ててもいけないのだ。
暫く森の中を進んだ頃だった。
「奴らを逃すな!」背後から声が上がった。
「房春様、ここは我らにお任せを!」配下の者達が馬の首を返すのが目に入った。
「頼んだぞ!皆の者、死んではならぬ!」房春は配下の者に声を掛けると馬に鞭を入れ走り出した。
「我こそは、房春なりぃ!!我が刀の露になりたい者は掛かって参れっ!!」配下の一人が大声を上げ敵へと突進して行く。
房春は、後ろ髪を引かれる思いで更に馬を急がせた。
その頃、春日昌信は皐月ヶ崎館の方向に火の手が上がるのを見たとの報を受け、直ぐに手勢を率いて向かうところであった。
「待てっ!」昌信は館へ通じる山道に差し掛かる手前で進軍を止めた。
両脇の森から立ち昇るただならぬ気配を察知したのである。
「物見を・・・」昌信が小声で命じると、数名の者が素早く走り出ると両脇の森へと姿を消した。
ザワザワと木々が揺れ出し少し風が強くなり始めている。
「この匂い、雨になろう・・・」昌信は夜空を見上げた。
程なくして物見が帰って来た。
「両脇の森に伏兵が居ります。」
甲斐家四名臣、家中随一の用兵で進軍し「春日の逃げ弾正」と謳われた昌信の勘が冴える。
「隊を三つに分けよ。私は、このまま気付かぬふりをして道を進み伏兵を引き付ける。お前たちは背後より伏兵へと迫り、挟撃せよ。」
「はっ!」昌信の号令一下、手足の如く小隊二隊が分かれ左右の森へと進み出した。
昌信はやや速度を落として進軍を開始した。
夜陰に包まれた両脇の森は不気味なほど静まり返っている。
空には先程まで皐月ヶ崎館にあった雨雲が風に流されぽつぽつと雨を降らせ始めていた。
山道を中程まで進んだ時であった。
ヒュッ!と両脇の森から投射が射かけられたと思うと、黒尽くめの兵達が昌信隊へ襲い掛かって来た。
「それっ、今じゃっ!」昌信の号令と共に隊はくるりと向きを変えると、伏兵部隊へ突撃を開始した。
裏を舁かれた伏兵部隊は大混乱に陥った。
そこへ更に追い打ちをかけるように別動隊が突撃し、なす術もなく伏兵隊は壊滅状態となった。
「走るぞ!皆の者続けっ!」昌信は、残兵に切り付けながらその場を抜けると山道を疾走した。
暫く走ると、昌信の眼が数名の影を捉えた。
「皆の者、叢へ伏せよ!」昌信に続いていた者達は、次々と脇の茂みへと身を隠した。
房春は、隼人を背負っているため思う様に動きが取れず、更に隼人を庇って敵の投射を左腕へと受けていた。
馬も疲労し速度を落とし始めた。
「逃がすか!!」背後より声と、数頭の馬の足音がどんどん迫って来る。
「くっ!何としても若だけは・・・」房春が馬首を返して抜刀した瞬間であった。
森の中から次々と投射が飛び出し敵兵たちを貫いた。
「房春かっ!」昌信は声を上げながら茂みより飛び出した。
「昌信か!!助かったぞ!まだまだ、追手が来る。替えの馬はあるかっ!?」
房春は、息を荒げながら次の馬へ跨った。
「若は無事なのだな!殿は?」昌信の問い掛けに「死に場所と心得られたようじゃ・・・」と一言だけ残し馬へ鞭を入れた。
その言葉を聞き昌信は唇を噛み締め「城まで退くぞ!」低く告げると岩山城へと退却を始めた。
下書き