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水族館の裏

作者: 壱札キセキ

 誰かが「世界が我々に与えてくれるものは悲しみや苦しみ、そして絶望という理不尽な仕打ちだけだ」と言っていた。確かにそうかもしれない。

 望めば遠ざかり、願えば叶わず、信じれば裏切られ、得れば奪われる。変わらないものなど一つもなく、確固たるものもない。どこかの国では「ジシン」という大地が揺れる災害もあると聞くし、文字通り足元さえ不安定な中を俺たちは生きているのだ。

 だが、それもマシな方だろう。

 殺すために生み出された動物たち。ひたすら泳いで一生を終えると思っていたら突然捕まえられた魚たち。ただ生きていただけで目の前が潰れた虫たちなどなど……。予想も出来ない理不尽なことは多いけれど、それでも俺たち知的生命体はある程度自分で自分の身を守れる。下を見て安心しろと言うわけではないが、たまには下や上を見ることで今の立っている位置を確認しても良いのではなかろうか。

 そうしてみると、案外世界は救いを残してくれていることにも気付けるはずだ。

「あら、カタナウオですか。このような絵も描かれるんですね」

 短い金髪に、身に纏う素材からして高級そうなドレスが休日の温かい日差しに照らされる。何故か居て当然という顔で一般人である俺の家にいる姫様の影武者は、練習で描いた絵を見ながら言った。それは顔の先端が伸びている、一枚の魚の絵である。

「意外か?」

「そうですね、意外です。てっきりアドルフさんは、緩やかな波線を中心とした抽象画ばかりを描かれるものだと思っていました」

 確かに俺の絵は彼女の言うような物が多い。取り分け彼女の場合はその印象が強いのだろう。うちの美術学校が生徒・教師を問わずに作品を出す毎年恒例の、王宮が開く絵画展示会で俺と彼女を出会わせたのも波線を中心としたものだったから。

 しかし、だからと言って同じようなものばかり描いているわけではない。一つのものに拘って技術を上げていくのも方法だが、それよりも多くの異なるものを描く方が腕は良くなる。建物をモデルにしたら、次は人、家具、動物、風景……などというように。少なくとも俺はそうやって教えられた。

「カタナウオといえば、アドルフさんは水族館を知っていますか?」

「水族館? あぁ、なんだっけ。たしか港の方にある、水槽に入れて集めた小型の魚を展示している建物だっけ?」

 ちなみに、カタナウオとはこの国で食べられる小型の魚の一種である。大きさは顔の先端を除けば両手で掴み覆えるくらい。

 どこかの国では包丁のような鋭い切れ味を持たせ、技術を要する代わりに文字通り「斬る」ことが出来る剣を作っているとか。剣の名前は「カタナ」と言い、こちらの剣で主流の叩き潰すような斬り方とは使い勝手も、必要になる技術の質も違うらしい。

 カタナウオは長く伸びた顔の先端がカタナのように触ったものを切ることから、その名前が付いた。恐ろしいことに、うっかり暴れているカタナウオに近づいた漁師が指を切断したという事例もある。

「はい。あそこではカタナウオも展示されているんですよ。見に行かれたことは?」

「ないなぁ。出来たのが二年前だろ? まだ父さんと母さんが死んで間もなかったから」

「あ、すいません……」

 気にすんな、と手をひらひら振る。

 うちはデカくもなければ小さくもない一軒家だが、住人は俺一人。一緒に住んでいた両親は二年半前に他界し、財産と一緒に残していったものの一つがこの家だ。

 家事は母さんが生前から色々と教えてくれていたし、親戚の叔母さんも教えてくれたので、それほど困らずに済んだ。問題は土地を奪おうと考えている不動産屋か何かがいることだが、そっちは叔父さんが俺の知らないところで追い払ってくれている。

 今年のはじめに進学をした際は寮で暮らすことも考えたが、芸術家を目指す俺としては自分のアトリエが欲しかったのでそのまま住むことにした。幸いにも学校と距離もあまり離れておらず、寝坊さえしなければ余裕を持って登校することが出来る。

 それはともかく。

「水族館がどうかしたのか? 自分は見に行ったんだぞーっていう自慢なら間に合ってるからな」

「それもありましたが、置いておくことにします。私が思い出したのは、一年半前に起きた水族館での事件のことですから」

「捕まえた魚が海にでも逃げたか」

 いいえ、と影武者姫様は首を左右へ振る。

「それなら平和だったのですが、実際は違います。――開館から半年後、お客の衣服や鞄などが切られる事件が二日置きに起きたのです。私の知り合いも当時の警察として事件に関わりましたが、事件は三回目……つまり六日目に突然終了しました。犯人が逮捕されたのは、その二日後になります」

 迷惑な話だ。怪我人などがいれば傷害事件となったはずだから、おそらく被害に遭ったのは本当に服や鞄だけなのだろう。しかし、それでも一週間近くも続けば水族館側にとって相当な迷惑だし、もし客足が遠ざかったり風評被害が起きたりすれば、営業妨害として訴えられる立派な事件ではないか。理不尽なことだ、水族館が何をしたというのか。

「怪しい人物は見かけなかったという各証言から犯人は判りませんでしたが、精霊事件の可能性もあるため警察は対精霊事件用の捜査班を用意しました。しかし犯人は毎回現場にいるはずなのに確保出来ず、捜査は暗礁に乗り上げていました」

「うちの国の警察は隣の国と違って優秀とは言いにくいからなぁ」

 答えつつ俺は洗濯物を竿に干す。さすがに異性がいる前で下着は干せないので、今は主にタオルや私服を竿に通している。

 ――精霊。それは人間と同じ姿をしていながら、肉体を持たない謎の生命体。とりあえず世間では「肉体を持つ知的生命体」が人間だとするなら、精霊は「肉体を持たない知的生命体」だという認識が一般的だ。

 じゃあ精霊は見たり触ったり出来ないのかと言ったら、そうでもない。奴らは高エネルギー体である自身を凝縮することで、疑似的な肉体を作り出し実体化出来るからだ。言い換えれば実体化を解けば姿も見えなくなるのだが、その辺りの話は置いておこう。

「だけど、その事件の犯人は捕まったんだろ? 良かったじゃん」

「えぇ、本当に良かったと思います。ですがアドルフさん、事件のこと……気になりませんか?」

「ならねぇよ」

「えーっ?」

 不服そうな顔をする彼女に背を向け、俺はベランダに座った。下着を除けば全ての洗濯物が干し終わったので、少し休憩をする。

「大体、それを聞かせてどうしようってんだ? その事件は自分が解いたんだーっていう自慢なら間に合ってるからな」

「さすがに私の力では解決出来ませんが……アドルフさんなら出来ると思いましたので」

「買い被りだろ」

 確かに俺は彼女が持ち込んできた、事件と呼べなくもない不思議な話の答えを幾つか導き出したことがある。しかし、だからと言って俺が万能だったり天才だったりするわけでもなければ、そういう話自体が好きなわけでもない。どこかで不思議なことが起きたとしても、直接自分に影響しないなら関係ない。自分は自分、他人は他人だ。

「そういう話は、そこで一心不乱に飯食ってる姫様にでもしてろよ」

「マリアに謎が解けるはずないでしょう」

「いや、判んねぇぞ? 奇跡でも起これば直感が答えを教えてくれるかも」

「……海に沈んだ一つのコップを探すほどには夢がありますね」

 そんな俺たちのやり取りで自分の話が出たことを感じたのか。飢えた獣のように飯を食っていた少女が「なに?」とこちらを振り向く。

 短い金髪に、体のあちこちに傷を作っているこの少女の名前はマリア=C=シラヌイ。影武者姫様と瓜二つである彼女は、うちの国が誇れない本物の姫様だ。訳あって王宮から逃げ出し、現在は仕事も家族も放棄して俺の家に寄生している。

 ところで食ってる量が多くないか? もしかしてそれ、俺の夕飯も入ってね? なぁ。

「……判りました。アドルフさんが相手をしてくださらないなら、マリアで遊ぶことにしておきます」

「何だかよく判んないけど……『で』って酷くない? ねぇ、アミニア、ねぇ」

「ところでマリア、一年半前に起こった水族館での事件を……知るわけありませんでしたね。貴女は当時から遊んでいましたから」

 抗議の声を無視して、アミニアと呼ばれた影武者姫様はマリアと机を挟んで正面の椅子に座る。漏れた溜息はどういう思いが込められたものやら。


   *


 とにかくアミニアが水族館で起こった事件についての説明を始めると、マリアは興味深そうに頷いて話を聞き始める。

 曰く、事件は水族館が開館してから半年ほど経った時に起こった。客の服や鞄などが切られる被害が二日置きに三回続いたのである。目撃者はまるで口裏でも合わせているかのように現れない。そして捜査が難航して事件発生から八日目、アミニアの知り合いである精霊の警官によって事件は解決したという。

「概要はこんな感じです。何か確認したいことはありますか?」

「なんで警察はその精霊を捕まえられなかったの?」

 言葉の持つ意味や印象について深く知り、誤解のないよう話すアミニアは少し考える。

「現場に精霊が数柱程度いたため一気には捕えられなかったことと、回りが水槽だらけだったので大きく動けなかったことがあります。あとは……まぁ、この国の警察なので」

「あぁ……うん、そだね」

 姫様たちにも散々言われてるなぁ、警察。哀れと思えないあたりが余計哀れだ。

「実体化を解いていた精霊って、正確には何柱いたの?」

「毎回数は前後していたようですが、精霊の警官四柱が確認したところ数柱程度はいつも必ずいたと聞いています」

 精霊によると、実体化を解いて姿を見えなくした場合、同じ精霊であっても気配しか感じられないらしい。つまり、姿を見たり触ったりすることは出来ない。

 だが気配を消す技術は、肉体の内側に魂と呼ばれる生命エネルギーを潜ませることで可能になると聞いた。当然、肉体を持たない知的生命体である精霊には肉体がないため、その気配は常に漂い残っている。この気配に同じ精霊が気付かないなど、有り得ないと言って過言ではないとか。

 ちなみに、現代においての精霊は良くも悪くも人間社会と共存している状況だ。人間社会に溶け込んで労働に勤しむ精霊もいれば、全く関わらず自然の中で生きる奴もいる。法に忠誠を誓う考えの持ち主がいれば、犯罪に走ることなど厭わない考えの持ち主もいた。今のところ俺の知り合いである精霊は、学校の友人なども含めて人間社会に溶け込んでいる奴らばかりである。当たり前か。

 そして空気が壁を通り抜けたり、雷が屋根を通過して屋内の人間に当たったりしないように、精霊もまた壁抜けなどは出来ない。空気と同様、見えなくても在ることに変わりはないためだ。ただ、静電気が紙を浮かすことは出来るように、軽いものなら実体化を解いていても触れるらしい。

「水族館って、中はどんな感じだったの?」

「そうですね、たしか……置かれたテーブルとテーブルの間にあった幅は大人二人がすれ違えるかどうか。壁際には棚が置いてあって、各段に水槽が二つから三つずつ置いてありました。テーブルは決められた順路を進むように道を作る形で置かれていて、そちらにも水槽が並んでいました。おそらく今も変わっていないのではないでしょうか」

 水族館自体の大きさが判らないから何とも言えないが、開館当時はさぞ窮屈なことだったろう。行かなくて良かったというか、行けなくて助かったというか。俺の両親は新しいものが好きだったから、生きていたら確実に連れて行かれたことだろう。貴族ほどではないけど、うちも一般家庭としては裕福な方だったし。

「鞄や服って、どんな素材が多かった? アドルフが持ってるような普通の?」

「はい、多くは港町に住む一般の方でした。いずれも布や薄い皮で出来た鞄ばかりです」

 家を放棄しているとはいえ本物である姫様と、影武者とはいえ実質上の姫様が言うと何だか嫌味に聞こえるな。安物しか使えなくて申し訳ありませんね。

「水族館って有料?」

「もちろん。入館時にお金を払う必要があります」

「ふーん……変な話だね」

 変で不思議だからこそ、アミニアも話そうと思ったのだろう。確かに色々と納得出来ないところはあるが……犯人については特定の人物だと決めなくても良いなら難しくない。問題は服や鞄を切った凶器であるナイフのことと動機、そして精霊たちについてだ。

 俺からも確認したいことはあるが、それはマリアの話が終わってからでも構わないだろう。もしマリアが途中で確認してくれれば手間も省けるし。

「犯行内容から聞く限り、通り魔的な事件だよね。でも何で水族館を場所に選んだのか、何で服や鞄を切るだけにしたのか判らないなぁ」

「と言うと?」

 首を傾げるアミニアに、マリアはフォークを弄りつつ答える。

「だってさ、別に近くの人の服や鞄を切るだけなら水族館でやる意味ないじゃん? もし人の集まる場所が必要だった、って言うなら普通は殺人でもするもんじゃない? 場所を選んだ理由も判らなければ、やることが半端すぎる。よし、この事件の犯人に『ハンパッパ』という名前を付けよう」

 なんて酷い渾名だ。思わず失笑するじゃないか。

 しかし……水族館を選んだ理由か、なるほどな。そう考えると凶器は――って何を真面目にやっているんだ! 俺は!

 ちらりとアミニアが見ていた絵に視線を向けた後、ぶんぶんと頭を左右へ振る。余計なことに首を突っ込むな。結果が面倒なことになることは、マリアやアミニアたちと関わった時に学んだことだろう!

 八百万だか一千万だか知らないけど無駄に多くいる神様たちの誰か。一般人の家で無意味に犯罪のことを駄弁る二人の姫様に天罰を! タンスでも何でもいいから角に小指をぶつけるとか。出来れば間髪入れずに左右両方とも。

「お、何だかアドが面白いポーズしてるね?」

「まぁ。あれは……なんでしょう? 神に祈っているのでしょうか?」

「どちらかって言うと土下座っぽくない? ――まぁそれはいいや」

 全ての皿を空にして、フォークを置きつつ話を戻す。

「とりあえず、犯人は精霊も人間も含めてお客か館員だよね。一番簡単に事を済ませられそうなのは人間のお客なんだけど……身体検査や持ち物検査ってしたの?」

「ええ。入館前に行いましたが、問題はありませんでした」

 だけど犯行は起きている。

 うーむ、と悩むマリア。

「じゃあ館内にそれっぽいのは?」

「確かに鋏くらいはありましたが、お客が触れるような所には置いていません。館員の身体検査も定期的にしましたが、誰も凶器を持っていませんでした」

 定期的ということは、途中で持ってくることも出来なかったわけだ。

「なるほど。実体化して入館した精霊はいなかった?」

「いましたよ」

「検査は?」

「行いましたが、問題ありませんでした」

 これでほぼ人混みに紛れて事を済ませたという可能性は消えた。俺は現場にいたわけじゃないし、実体化を解いた精霊もいたらしいので断言は出来ないが。

「実体化を解いた精霊たちはどうなの? 触れないなら検査も出来ないでしょ」

「はい。しかし、それ故に彼らにもまた犯行は難しいかと」

「どゆこと?」

 首を傾げる姫様に、影武者姫様は説明をする。

 個人差はあるが、実体化を解いていても精霊は軽い物なら持つことが出来る。だがそれは精々がコインを二枚か三枚程度。服の裾を引っ張ったとしたら、全力でやっても何かに引っ掛かったかなと思う程度の力しか出せないのだ。仮に凶器が小型の鋏やナイフだったとしてもコイン二、三枚より軽い鋏やナイフなどないだろう。

 仮にそんなものが存在していても犯行は不可能である。物は当然ながら使わなければ効果を発揮しない。しかし実体化を解いた精霊は、疑似肉体を持っていない。疑似でも肉体がなければ手はない。手がなければ道具は使えない。当たり前のことだ。

「精霊が自分のエネルギーで物を作るってことは……ないか」

 そう、ない。

 既に説明した通り、精霊は自力で疑似的な肉体を作り出せる。だったら簡単な道具くらい作れるんじゃないか、というのは精霊をよく知らない人間の意見だ。それならあんたらは自分の肉や骨で道具を作れるのか、という話になる。もちろん不可能ではないが、そんなことをするメリットはないだろう。

 また、自力で肉体を作れると言ってもそれは望んだ形に出来るわけじゃない。男の体にしたい、女の体が良いと望んでも、実体化してみたら希望と違いました……などという話はよく聞く。これも精霊本人の弁だが、人間が生まれてくる際に姿を自由に決定出来ないことと同じそうなのだ。

 尤も奴は「人間と大して変わらない姿をしていながら絶対的に違う。そんな認識が広く浸透しているので誤解を招くのは仕方ない」とも言っていた。

 うむぅ、とマリアが呻く。

「実体化を解いたまま中に入って、そこで実体化し犯行に及んだとか?」

「実体化を解いていれば持っている物を隠せませんよ。ナイフが勝手に浮いて移動したのですか?」

 想像すると怖い。街中で見かければ、ちょっとした怪談になるだろう。

「となれば、後は水族館の職員しかいないじゃん。でも自分の職場でそんなことする理由なんて――あ! 退職を考えてた職員とかいなかった!?」

 ほう、そうきたか。

 確かに職場への不快感や嫌悪が溜まり、何かの形で復讐してやろうと考える人間は少なくない。たとえば腹の立つ上司の秘密を広めるなど良い例だ。そういう類の事件ならアミニアが持ってきた話の中にもあった。

 だが、これにも彼女は首を左右へ振る。

「えーっ、これも違うの? じゃあ、あと犯人になりそうな人なんて……まさか、警察の誰かが犯人!?」

 うお、その発想はなかった。確かに客にも館員にも犯人がいないなら、現場にいた人間や精霊の中で残るのは警察だけである。

 図書館に置いてある物語なら有り得る展開かもしれないが……現実では館員が犯人である時と同様にメリットがないから無理だろう。そもそも犯人自身も含めて警察官がいる中で犯行に及ぶのは、余程の自信がない限り危険すぎる。

 案の定、アミニアは首を左右へ振った。

「えーっ!? もー何なのさ、犯人なんていないじゃん!」

 本人にとってはこれ以上ないほどの名案であり答えだったのだろう。少なくとも間違っていなければ、そこから凶器や動機について考えることも出来る。尤も、それも間違っていなければの話だが。

「うー。せめて凶器が何なのかくらい教えてよー」

「それでは面白くないでしょう? しかし、そうですね……一つだけヒントをあげましょう。凶器は館内から毎回発見されました」

 余計判んなくなったー! とマリアは怒っているが、そうでもない。これで更に考えを進められるじゃないか。捨てられた凶器は「その場にあっても構わなかったのか」「その場に残しておくしかなかったのか」「その場に捨てる必要があったのか」という具合に。

 構わなかったのなら、それは外や自宅などに持って行って処分する必要すらなかったということ。つまり館内にあっても不自然ではないものだ。

 逆に捨てるしかなかったのなら、それは館内にないと不自然なもの。あるいは外や自宅で処分しようとすれば、見つかった時に決定的な証拠となる可能性があるものだろう。

 最後の捨てる必要性があったのかについては、前の二つとは少し違う。つまり、館内に捨てることで何かの意味を持たせる場合。

「うー。姿の見える人や精霊のお客は凶器を持ってないっぽいし、実体化を解いた精霊に犯行は不可能。館員と警察にはそんなことをするメリットがないし……降参! 無理、判んない!」

 そりゃ解決の糸口すら見つけられなければ嫌になるわな。これが警察のような立場の仕事だったらそんなこと言っていられないが、あくまで素人による謎々形式の雑談だし。

 特に何も言わず正面の相手から視線を離したアミニアは、それをゆっくり俺へ向ける。

「アドルフさんはどうですか? 何か確認したいことは?」

「いや、何で俺に言うんだよ。あんたはマリアで遊んでたんだろ? 俺には関係ないと思って今まで聞いてなかったぞ」

 ふふっ、と彼女は上品に笑う。

「お気付きになっていないのですか? 考え事をする際、あなたは必ず人差し指を上下させて何かをトントンと叩くんですよ。では、なぜ貴方は話を聞いていなかったと仰られるのに今もやっておられたのでしょう?」

「ぐっ」

 そんな癖があるとは知らなかった。何か言ったとしても、俺が話を聞いて色々考えていたことはバレてるってか。

 仕方ない、と俺は軽く両手をあげて降参のポーズを示す。話を聞いて色々考えていた、それは事実だからだ。

 判らないと言って誤魔化しても良いけど、中途半端に答えの見当がついてしまったため黙っておくのは気持ち悪い。間違っていても正しくても、ここで吐き出してスッキリすることにしよう。

「じゃあ一つだけ訊くけど――実体化を解いた精霊が数柱くらい常にいたらしいし、その水族館……事件の前から警察と関わりがあったな?」

 堪えきれなくなったのか、満面の笑みを浮かべ声すら漏らしつつアミニアは笑う。

「お見事です、アドルフさん」


   *


 視線をこっちへ向けるマリアの目には困惑と、驚きと、答えを教えてほしいと言うように訴える光が宿っていた。ちらりとアミニアの方を見たが、ひたすら微笑んでいるだけ。どうやら俺の代わりに説明してくれる気はないらしい。やれやれ、と溜息を吐く。

「どこから話したもんかねぇ。ま、適当でいいか。――はじめに犯人から特定していこうか。さっきアミニアが説明した通り、実体化を解いた精霊が服や鞄を切ることは難しい。なら、犯人は人間か実体化している精霊しかいない。客か館員かはともかく、これで容疑者が減った。じゃあ、犯人は客なのか館員なのか? 答えは館員だ。客は入館前に検査をして危険物を持ち込んでいないことが確認されているから、事件は起こせない」

「でも、館員にはそんなことをするメリットがないじゃん」

 姫様の抗議は尤もだ。しかし犯人は館員しかいない。

「考えてみろよ。実体や肉体があった入館者は全員身体検査と持ち物検査をしたんだぜ? そして何も発見されなかった。じゃあ、凶器は一体どこから来たんだ?」

「あっ」

「外から入ってきたんじゃなければ、凶器はもともと館内にあったことになる。そして警察の目を掻い潜って持ち込めるのは、館員だけだろ」

 さて、次は実体化を解いていた精霊について話すか。

「じゃあ最初から実体化を解いていた精霊たちは何をしていたのか? 誰にも見えない状態で何かする必要がないなら、実体化したまま入館料を払って入った方が楽じゃないか。むしろ誰にも見えなければ入館料を払うことも出来ず、実体化していないから金も持てない。金を払わず中に入れば警察の厄介となるし、デメリットが多すぎる」

「それはそうだけど、実体化を解いた状態の精霊たちに犯行は出来ないんでしょ? 考えることに何の意味が――あっ!」

 手を合わせるマリアに、俺は頷く。

 そう。実体化していなかった精霊たちの目的は、入館料を払わず中へ入ってタダで魚を鑑賞することだったのである。だから実体化を解く必要があった。

 海の近くにある自然界で暮らしている精霊もいるが、街や海の近くではない自然界で暮らす精霊ももちろんいる。そういう連中にとって水族館は、普段見ることが少ない生きた魚を見られるということで珍しかったことだろう。

 犯罪を厭わない精霊なら、罪の意識もなくタダ見をするかもしれない。だが人間社会に馴染みが薄くて法律という社会のルールを知らず、金も持っておらず、でも見たいという欲求が勝ってしまった奴らはどうなるか? 多分、悪いことだと思わずタダ見をするのではないだろうか。無垢な幼い子供が、興味や好奇心の赴くまま突っ走るように。いや、そもそも金銭が必要だということすら知らなかったかもしれない。金銭は自然界で生きている精霊や獣たちにとって直接的な縁などないのだから。

 しかし、どちらにしても人間の社会に入った以上は法律などのルールに従ってもらうべきだ。水族館には精霊の館員もいたはずだから、無賃入館した存在に気付いた奴も何柱かはいるだろう。気付けば当然、警察を呼んだはずだ。

「それでさっきの『水族館は事件の前から警察と関わりがあったか』っていう確認が必要になるのね。はー、なるほど」

 実体化を解いていた精霊たちの目的が判れば、ここまでは容易に想像出来るだろう。

 そうなると一番の問題となるのが凶器だ。現場では誰も持っておらず、それらしき物も発見されていない。一体何を使って、どこへやったのか? どこへやったのかは判らないが、何を使ったのかは今までに出た情報をまとめて考えると推測出来る。

「じゃあ凶器は何か。これは現場が水族館であり、犯人が館員だと判ればその正体に見当を付けることが出来る」

「全然判んないんだけど……」

「よく考えてみろ。水族館はどんなことを商売にして、何を置いている?」

「どんな商売で何を置いているかって、小型の魚を集めて展示を――」

 背中を向けていながら、マリアのハッと息を呑む音が聞こえた気がした。どうやら凶器の正体が判ったらしい。

 現場にあったものは人、水槽、テーブル、客の私物、その他小物、そして魚だ。水族館はマリアの言った通り、小型の魚を水槽へ入れて客に見せることを商売としている。そしてアミニアがこの事件を思い出した前後の様子から、それは俺も描いたことがあるのだ。

 カタナウオである。

 生きている必要はない。水族館ならカタナウオの死体くらい一つや二つあるだろうし、なかったら市場で食品として売られているものを買って用意しておけばいい。見つかっても水槽に入れておけば「気付いたら死んでました」と、水槽の中以外の所であれば「死んでいたので処分しようと思った」と言えば怪しまれることはない。魚を扱う水族館ならではの凶器だ。

 残るは動機だが、こればかりは判らない。他人の心の内が読める能力なんて俺にはないし、あっても使わないだろう。っつーか、そもそもいらねぇ。

「動機は何なのでしょう?」

 微笑みを絶やさないまま言うアミニアに、俺は肩を竦める。

「さぁな、知らねぇよ。他人にも判る動機なんて、よっぽど強いか露骨なだけだろ」

「確かにそうですね」

 クスクスとアミニアは笑う。

「やはり流石です、アドルフさん。事件を解決した警官の推理と、動機に対する意見まで全く同じでした」

 なんと。思わぬ形で変なふうに他人の思考を読んでしまったらしい。なんてこった、いらないと言ったばかりの能力が備わっているとは……恐ろしや恐ろしや。

「お察しの通り、凶器はカタナウオで犯人は館員でした。本人によると今回の犯行は『警察官を入れ替えるために行った』そうです」

「警察官を入れ替える?」

 心底理解出来ないと言わんばかりに顔を歪めるマリアへ、アミニアが説明する。

 なかなか犯人が検挙出来ないこの国の警察とはいえ、事件が長引けばそれだけ対策もする。具体的には警察官の数を増やしたり、より有能な人員を投入したり。犯人の狙いはそれで、一刻も早く入館料を払わない精霊たちを捕まえてほしかったそうだ。

 現代の技術だと大抵の場合、魚は一日展示していると酸欠で死んでしまうため何日も生かすことが難しい。そのため毎日新しく魚を仕入れなければいけなかったが、その資金は入館料から多くが出ていたと言う。

 そして犯人は少しでも多くの人や精霊に長く楽しんでほしくて頑張っていたのに、その頑張りを否定するように入館料を払わず魚を見物していく存在が許せなかった。だから役に立たない警察官を入れ替えさせることで一刻も早い逮捕を望み、上手くいけば問題の精霊たちに罪を着せようと思っていたらしい。

 だが犯人の思いとは裏腹に、館員が客へ害を与えたという噂が広まって水族館は二ヶ月後に閉館。画期的な観光名所になるだろうと話題になっていた期待は、僅か一年と保たずに潰えてしまった。

「当然の結果と言えば当然なんだろうけど……やりきれないよね。楽しみを与えたのに利益を奪われて、誰かのために願ったことは自分のせいで叶わなかったんだもん」

 重い声でマリアは言うが、仕方ない。犯人は道を間違えたのだ。

 誰かが言っていた「世界が我々に与えてくれるものは悲しみや苦しみ、そして絶望という理不尽な仕打ちだけだ」という言葉。それは真理なのだろう。望めば遠ざかり、願えば叶わず、信じれば裏切られ、得れば奪われる。変わらないものなど一つもなく、確固たるものもない。そんな世界に俺たちは生きていて、自分たちの存在もまた理不尽なものなのだから。

「それでですね、本題はここからなんですよ」

 珍しく持っていた鞄を漁ると、アミニアは一枚の紙を取り出す。そこには「新装開館、次世代の観光名所水族館!」と書いてあった。

「以前の水族館は潰れてしまいましたが、僅かな期間での集客率には目を見張るものがありました。そこで、今度は国が作ってみようということになったのです。館員も経験のある方が良いため、以前の水族館に勤めていた方々を集めました。アドルフさん、マリア、どうです? 一度来られませんか? もちろん、入館料は頂きますが」

 突然の展開に俺たちは目を見開いた後、耐えきれなくなって笑い始めた。マリアは立場上、変装をしていく必要があるけれど行くことにしたらしい。経験は何よりも大きく成長の糧となるから、俺も色々学ぶために行くとしよう。

 確かに世界は理不尽で、そこに住む人間や精霊もまた理不尽な存在だ。

 しかし、だからこそ辛いことの中でも楽しいことを見つけられる。苦しみから喜びを掴みだせる。無駄になりかけた誰かの思いも、次へ繋げることが出来る。どんなに悪く思えることでも、見方を変えれば何より強い武器となる。

 絶望ばかりすることはない。案外、世界は救いを残してくれているのだから。

 それを見つけられるかどうかは判らないけど、見つける力は誰にでもある。

「あ、マリア。あんたさっき俺の夕飯分まで飯食ったから、入館料を俺に出せって言うのは無しな」

 頑張れよ!

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