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5 俺は唯一を手に入れた(後)

 彼女の家族に根回しをしていて良かった。王家の意向で聖女に近付くが他意はなく、聖女との噂が聞こえても無視して欲しい、と伝えておいたのが幸いした。備えあれば憂いなし。

 彼女にも伝えていればいい話だったのだろうが、聖女を利用して彼女の気持ちを知りたかったため何かと理由を付けて伏せておいたのだ。しかし可能性の話としては考えていたが、まさか彼女から婚約破棄の話が本当に出るなんて。自分はまだまだ甘いと自戒する。






 それにしても聖女の動向を探るためとはいえ、側に侍ることは苦痛だった。全てがチグハグで、まるで夢物語の中を生きているような態度には違和感しか感じなかった。

 ある人間には強気で勝ち気な態度で接し、ある人間には大人しく儚気な印象を抱かせ、別の人間には無邪気で甘えたがりな面を見せ、さらに別の人間には凛として自立した人柄を示すなど、対する人間に応じて変わる言動や行動は一貫性がなく、それは八方美人というよりも人格障害を疑うほどに酷いもので。

 監視されているのに気付かず、人気のない場所でブツブツと何事かを呟く様も不気味で、得体の知れない雰囲気を漂わせていた。

 それは関わった幾人もの人間が、本当にあれが聖女なのかと何度も王子に尋ねるほどに。


 だが、あれが聖女だという事実は残念ながら何度尋ねても覆らなかった。性質と能力は必ずしも一致しないということなのだろう。

 見目のいい男を漁る事しか考えていないようなあれに比べれば、彼女の方がよほど聖女らしいと思う。いや、でも彼女が聖女だとしたら瘴気の漂う危険な場所に赴かなければならなくなるのか。ならば危険な場所に行くのがあれで良かったというべきか。


 瘴気の浄化があれにしか出来ない現状、機嫌を損ねることはまずい。だからあれが不必要に俺の身体に触れてきたり、ねっとりした猫撫で声で話しかけてきたりするのにも国の為だと思い我慢をしてきたが……そろそろ俺の限界が近い。

 なんなのだ、あれは。ありもしない事をあれこれと。なにより、根拠もなく彼女を批難するのには腹が立って仕方がない。


 彼女が俺を束縛する?そんな事実はない。どちらかと言えば距離のある付き合いしかしていない。いっそ束縛してくれたらどんなにいいか!むしろ嬉しいに決まっているだろう。それだけ俺を想ってくれているという事なのだから。


 傲慢で我が侭で理不尽で、人を人とは思わず、性根が腐っている?彼女のどこを見てそんな事が言えるのか!もっと我が侭を言ってもいいと思うくらいに控え目で、自領の孤児院に訪れたり、領民とも気さくに話し『姫様』と慕われている彼女のどこにそんな事を言われる要素があるというのだ。


 人を愛する気持ちは止められない?そんな事言われずともわかっている。俺の彼女への気持ちは誰であろうと止められるものではない。たとえそれが俺自身だとしてもだ。しかし、だからといって婚約者がいるとわかっている異性に対して迫るのはどうかと思う。それも複数の人間に同時に。それは結局は相手の気持ちや立場も考えず、自分の感情を優先しているのとどう違うというのか。


 イライラする感情の、気休め程度に愛用の剣の柄に手を添える。いったい何度、あれに対して湧き出る衝動のままこの剣でいっそ一思いに……と考えた事か。ああもう本当に理性が生理的嫌悪に押しつぶされそうだ。

 いつ何時腰に佩いた剣をあれに向けて抜いてしまうか、俺の周囲が危惧するほどに俺はギリギリだった。

 王子には冗談めかして『やらかすのは全てが終わった後にしてね』とまで言われるほどだ。


 そのギリギリの均衡を崩したのが彼女からの婚約破棄の話。もう形振りを構っていられなかった。家族の方には根回しをしていたとはいえ、俺が彼女にとっては切り捨ててしまえるくらいの存在でしかないと言われてしまったようで、俺はあっけなく理性よりも感情を優先した。それに後悔はない。ここで彼女を掴まえないと取り返しのつかない事になりそうな、そんな嫌な予感がしたのだ。

 一応、王子にはあれの相手は金輪際しないことを伝え、直ぐさま領地に戻った彼女を追う。王子は溜息を吐いていたが、後の事はあれがどうなろうと俺の知った事ではない。

 大切なのは彼女なのだから。






 彼女の屋敷に行ったはいいが、彼女に会う前に使用人に止められる。今すぐに会いたいのに、会って話したいのに、抱き締めて閉じ込めたいのにそれを止められて殺意が湧く。しかし彼女の家の者にそんなことは出来ない。そんなことをしたら彼女にどう思われるのかなんて一目瞭然だろう。ただでさえ醜聞になることを承知で婚約破棄をするくらいに、俺の存在は彼女の中では軽いのだ。下手な行動はしない。

 よって使用人を斬り殺すことも出来ず、押し問答を繰り返していたら。騒ぎに気が付いたらしい彼女が二階から姿を現した。


 明るい陽射しの中佇む、会いたくてたまらなかった愛しい人の姿に目眩がしそうだ。早く速く疾く。彼女の元へ。ただ彼女だけを目指して、俺は駆け出した。一歩進むごとに近くなるその姿に全身が歓喜をあげる。この腕に閉じ込められる彼女を思い浮かべるだけで頬が緩むのを止められない。

 そして抱き締めた彼女は細く、柔らかく、いい香りがして。つい、力加減を間違えてしまったようで、気が付いたら気絶してしまっていた。

 少々慌てたが、呼吸も正常だし、心音も速くはなく、脈拍も異常がなかったから大丈夫だろう。

 このまま立っているのも彼女の負担になるかもしれないと思い、室内にあったソファーへ向かう。ああ、やっと彼女を思い切りこの腕に抱き締められた。意識のない彼女の柔らかな頬に触れる。


 幼い頃からどれ程こんな風に触れたいと思っていたか、君は知らないだろう。たまに俺に見せる無邪気な微笑みが嬉しかったり、自身に誇りを持ち凛と立つ姿に憧れつつも、壊して俺だけのものにしたいと相反する思いを持っていた事なんて、知りもしないだろう。

 けれどそれで良かった。彼女が俺の側にいてくれるのならば。知らなくていいのだ。この思いが普通でない事はわかっているから。この葛藤も、俺が抱えて生きていくものだ。彼女への愛とともに。






 しばらくすると、彼女の瞼が震えた。どうやら目覚めが近いらしい。今は閉じられた、あの強い意志を宿す瞳が目覚めて一番最初に俺を映すのだ。心が今までになく高揚するのがわかる。さあ早く目を開けて、俺を見て。


 目覚めた彼女に口付けを繰り返す。箍が外れたように。唖然とした表情から恥じらう姿まで、そのすべてが愛おしい。俺の膝の上で身じろぎする度にあらぬ所を刺激するが、彼女は気付いていない。このまま押し倒したらどうするだろうか。そんな事を思いはするが実行はしない。そんな事をして軽蔑されたくはない。俺は彼女に俺のことを欲してもらいたいのだから。


 だから甘く囁こう。

 君への想いを。

 そして何度も繰り返そう。

 君への愛を。


 俺には君という存在を手放す事なんて出来やしないのだ。

 だからどうか俺のこの手におちてきて。


 そして、愛していると言ってくれ。


「貴女が、俺の唯一」

 

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