2 私は恋を手放した(中)
何がどうしてこうなった……?
私は、彼らが抱き合っていたシーンを見たその日の内に『惹かれ合っている二人の邪魔などで来ませんわ』と両親に訴えた。端から見れば、密かに心を通わせる二人の為に自ら身を引く健気な令嬢。だが実際の所は今まで被り続けていた淑女という名の猫を颯爽と脱ぎ捨て、死亡フラグ回避ヒャッホー!で脳内お祭り状態でしたが、何か?
そんな内心を隠しつつ、ちょっとだけ盛った話を両親にして、彼との婚約を白紙にしてもらうようお願いした。自他ともに私に甘い両親だったが、そこは貴族。婚約破棄をするにしてもまずは事実確認をしてからでないと、ということだった。
チッ……とか思ってナイデスヨ?
確かに相手側が原因とはいえ、婚約破棄は醜聞の内に入る。貴族の女性としての私のこれからの人生の汚点にもなるから、家としても親としても事は慎重に進めたいのだろう。
あーもう、貴族ってめんどくせー。体面とか沽券とか見栄とか気にしないといけないなんて。
まあそれらを疎かにしたら敵対する勢力につけ入れられて悲惨な事になるかもしれないから、弱みは極力作らない、もしくは見せないようにしないといけないのは貴族としては常識の範囲だけれど。
さてさてゲームだとあのシーンが出るのは、ある程度彼の主人公に対する愛情度が高くなってからだった。あのイベントの前にいくつか恋愛イベントがあったはずだし、それらのイベントは誰かが目撃しているだろうから、聞き込みなんかをすればそれが証拠になるはず。
本人達はこっそりしているつもりでも、人目なんてどこにでもあるものだ。壁に耳あり障子にメアリー……じゃない、目あり。この国には障子なんて存在しないけれども。
そんなわけで、私と彼の婚約が白紙に戻されるのは確実だと思う。
ぶっちゃけ、城内には彼と聖女様に関する噂話もひっそりと囁かれている、というレベルではないくらいにあったしね。聖女様に関しては彼以外との噂話も大量に聞いた事が……。それこそ逆ハーエンドでも目指しているのかってほどに。
しかしこのゲームには逆ハーエンドは存在しない。いや、だからこそだろうか。ゲームのシステムという枷がないならば、そのエンドだって夢じゃない。現実的かどうかはさて置いて。
それにしても凄まじきは女のネットワークである。好奇心もあるだろうが、そこには将来性もある前途有望ないい男ばかりと親密になっていく聖女様への、女の嫉妬とか怨嗟とかがないとは言い切れない。
乙女ゲーだから皆格好いいのは仕方ないよねー。私の中では、ここは現実と思いながらも『キャラクター』としての彼らの印象が強いせいで、鑑賞用の芸能人みたいな感じだったけど。
事実確認をしている間、ただ呆っとしているわけもなく。これ幸いと王都にある邸宅から領地にある屋敷へと私は戻ってきていた。王都から領地までは馬車で二日程。遠くもなく近くもない距離。
元々前世の私が田舎育ちだった為、王都の賑やかでゴミゴミした感じより、領地の緑のある落ち着いた環境の方が好きなのだ。
自分の家のお気に入りの場所で、お気に入りのお茶を飲みながらまったりと過ごすひと時。陽射しもぽかぽかと暖かくて気持ちがいいし、いやはや至福だわー。
はいそこ、年寄り臭いとか言わない!前世も合わせた精神年齢なんか関係なくってよ!乙女はいつまで経っても乙女なのだから。
元々のゲームの話はよくある物で、異世界から来た女の子が『聖女』となり、仲間達とともに世界に蔓延る瘴気を浄化しつつ、瘴気の原因である魔王を倒すために彼らと恋愛をしながら旅をしていく、という話だった。世界を救うための旅をしつつ恋愛をする、ではなく、恋愛をしながら旅をする、というのが乙女ゲーの乙女ゲーたる所以である。かっこわらい、かっことじ。
攻略対象は『王子』『騎士』『魔術師』『聖職者』『情報屋』『獣人奴隷』『傭兵』『剣闘士』『精霊術師』『吟遊詩人』『スパイ』『エルフ』に、二周目からはラスボスである『魔王』まで入れて十三人。だが一回のプレイで攻略出来るのは、魔王を除いてパーティー編成の出来る四人までという周回プレイを基本としたもので、全員攻略しようとしたら中々時間のかかるゲームだったと記憶している。
しかもパーティーメンバーの組み合わせ次第で、同じイベントでもイベントスチルが変わるという鬼仕様。スチルのフルコンプを目指した乙女達の費やした時間は計り知れない。私はお気に入りキャラを適当にクリアして満足するような、ライトなプレイヤーだったけれど。
そんなゲームで、私の死亡フラグが折れたせいで『彼』が『世界救済(笑)』の旅の仲間にならなくても、誰かしらが聖女様のパーティーに入るだろうし、これからの世界の展開には心配などしない。
ここは現実だが、私の婚約者が彼だったように、何やら主人公補正ならぬ聖女様補正があるようだしね。彼女等がどうにかするだろう。……恋愛の片手間に。
そんな事をつらつら考えていたら、何か外が騒がしくなってきた。私のまったりした時間を邪魔するなんて何事だ。まったく、記憶を取り戻してからの数年間の気苦労からやっと解放されてのんびりしていたのに。
騒がしい方を二階のバルコニーから覗くと、そこには婚約者だった(私の中ではもう過去形である)彼がウチの使用人ともめていた。
え、何でここにいるの?というのが正直な私の気持ちだ。いやほんとまじで。呆気にとられて見ているしかなかった私の視線に気付いたのか、使用人と口論していた彼が顔を上げた。
ばっちりと絡まる視線。驚きのあまり動けずにいた私とは違い、私の姿を認めた彼の行動は早かった。
使用人の脇を素早くすり抜け、勢いをつけた助走のまま地面を蹴り、壁を数歩駆け上がって、勢いの落ちる前に壁を蹴り上げ、バルコニーの柵に掴まって、腕力に任せて身体を持ち上げると、手摺を飛び越えてあっという間に私の目の前に立っていた。
声を出す間もなかった。二階といっても貴族のお屋敷。それなりの高さがあるのに駆け上がってくるなんて誰が想像しようか。騎士の身体能力マジパネェ……。
これが打倒・魔王パーティーメンバーの実力の一端か。運動神経がそこまでよくない私からすると、何であんな動きが出来るのか不思議で仕方ない。
壁を走るだなんて、普通無理だろう。忍者か。NINJAなのか!いや、騎士だったね。うん、ごめん、自分でも解ってるから。ちょーっと混乱してるわ、HAHAHA。
突然と言っていいほど、いきなり目の前に現れた彼の姿を見上げる。息ひとつ乱していない。あれだけの動きをしても平然としているだなんて、普段から身体を鍛えている人は違うなあ。
動いたせいで少し乱れた髪をかき上げているその姿をじっと見つめていると、彼の顔が不意に歪んだ。と思ったら、これまたいきなり彼の腕の中に閉じ込められた。
ちょ、なんばすっとねー!
息も出来ないくらいにぎゅうぎゅうと強い力で抱き締められて混乱する。頬を押し付けられた彼の胸の鼓動が速いのは、背中に回されている腕が小刻みに震えているのは、私の気のせい?
何故ここに?とか、聖女は?とか疑問が浮かぶも、ひたすら縋り付くような彼に何も言えなくなった。
だってあまりにもその抱擁がきつすぎて、私の意識がブラックアウトしたから。




