夏一夜
気まぐれに小さな頃の夏の思い出を巡らせると,大抵は夏祭りですね。手懸けたノベルから断片的に話を繋げたので,ツギハギが目立ってしまいました。
煌々と煌めく小さな田舎町。
至る所で親子連れやらカップルやらの姿が見え隠れする。
そんな中を小学校の同級生,柚奈とテクテク歩く。
今日は年に一度の夏祭りなので辺り一面,勝負浴衣の女の子ばかり。
あそこにも1人,そこにも……と,りんご飴の屋台で電光に照らされているのは従妹の和美だ。
見慣れた背格好が無意識的に彼女だと感じさせる。
向こうも気付いたのだろうか……オレは普段着のままだから,柚奈の浴衣に目が向いたのかもしれない。
「あ……お兄ちゃ〜ん!」
大げさにブンブン手を振り回す素振りは相変わらずだ。
駆け寄ってくる和美に軽く手を振って返す。
「よ,久しぶり。元気してっか?」
そう言いながらセミロングに軽くクシャっと挨拶をするのが2人のお約束だったりする。
「あぁ〜もう,お兄ちゃんったらぁ,いつもいつもそうやって……」
「そう言うな,従兄妹とはいえ数少ない家族じゃないか……嫌ならやめるけど」
「うぅん……いいよ,いつものことだもん」
少しばかり言い回しが悪かった気もするが,和美はハッキリ物事を言うタチなので,それに合わせている。
和美もそれには文句を言わないし,それが理由で互いを嫌うこともない。
小柄な背を見下ろすと,可愛らしい小さな飴のような飾りの付いたポニーテール。
誰かと一緒に来てるみたいだが……まさかオレの知らぬ間に彼氏の1人でもできたのか?
ちょっと興味があって聞いてみる。
「そういや今日はオマエ,誰と来てんだよ?」
りんご飴を片手に次の標的を伺っている小動物みたいな浴衣娘に声をかける。
そういえば,たしか去年は従兄妹どうしで食べ歩きしてたっけ……。
今年は柚奈も一緒に3人でのんびり回ろうかと思っていたのだ。
そんな矢先……つい先日だが,柚奈から電話が来た。
「あ,浩樹クン?今年のお祭りなんだけど……」
どうやらオレの代わりに和美へ誘いの電話をしてくれたらしい。
「和美ちゃん,別のお友達が予約済みなんだって……だから,今年は私と2人でいいかなぁ?」
ちょっと意外な反面,腐れ縁とはいえ女の子と2人きりなんていう未体験ゾーンが目の前に広がる。
柚奈と2人……それは16年間に及ぶ人生で一度も考えた事がなかった。
いやいや,もう10年以上の付き合いになるんじゃないか……なんで今さら揺れてるんだ,オレ。
「あ……あぁ,別にオレは構わない……けど?」
とまぁ,そんな身の上話はよしとして……和美は別の誰かと過ごす,つまり一緒に行けないということだったのだ。
電話口では柚奈の声が少しばかり高くなった気がした。
「じゃあ,決まり……だね?」
何だか複雑なテンションで受話器の先から即決御免の一声。
まぁ和美も誰か一緒に行く相手がいるみたいだからいいだろうと思ったのだが。
どうやらオレと柚奈の予感は正しかった。
「和美ちゃん……逸れちゃったの?」
そう言って口調は優しくも,酷いことを言ってる自分に顔をしかめる柚奈。
だが和美は黙ったまま顔を曇らせて見上げようとしない。
「和美……」
それ以上は言えなかった。
というより,そのタイミングすらなかった。
ポニーテールの基始部,そして黄色の可愛い浴衣が小刻みに震えている。
「……ぅえっく……ぅう……」
とりあえず揺れる肩を落ち着かせようと優しく撫で包む。
「和美ちゃん……どうして……?」
もちろん先日電話をかけた柚奈だって心配している。
「和美……」
彼女の右手を取り,彼女の目線まで腰を下ろし,じっと彼女の目を見詰める。
「話してごらん……お兄ちゃんに」
「……っく,ぅ……」
いつしか柚奈も彼女の左手を取り,オレと同じ体制になって和美の頬を拭う。
「柚奈ちゃんと……2人で行って……欲しかった……」
その言葉で和美の手を握っている手がべとついた……おそらく柚奈も。
「お兄ちゃんと柚奈ちゃん,とっても仲良しで……悔しいけど,お似合いなんだよ」
「だから……ってそんな」
だが,それ以上は何も言えなかった。
柚奈と2人見つめ合い,少し長い無言が続いた。
そして。
「あの……ね,和美,お兄ちゃんたちに言わなきゃいけないの」
「な,何をだよ?」
「和美ちゃん……」
「あのね,和美……お兄ちゃんたちにサヨナラしなくちゃ……いけないの」
不意に彼女の口から発せられた思いもろよらぬ想い。
「な……何でさ」
「そうよ,どうして……」
だが,今頃になって2人は気がついた。
いつ,どこから集まってきたのか,和美の周りには無数の蛍たち。
その光が彼女の“存在”を透過してオレたちの網膜を刺激する。
和美の存在が今までのそれではないことを知るに要する時間は僅かだった。
ついさっき手に取った彼女の右手も,まるでCGの合成画像みたいで現実の透明度ではなかった。
それでも不思議と心は落ち着いていた。
たぶん柚奈も同じ……アイツは和美の左手を手にしたまま,その先にある大きくてぱっちりとした瞳に見入っていた。
それから一瞬だけオレの方を向いて,また和美へ目を向ける。
「あのさ,和美ちゃん……今夜は浩樹クンの家に泊まったら?」
またしてもオレを不意打ちする言葉の彩。
お……おいおい,それはちょっと……おいしいけど,まずいだろ……ってそんなコト。
「いや……いかんいかん,オレがダメだということではなくて,こういう展開は……」
「いいじゃない,和美ちゃんは浩樹クンに会いに来たんだよ?」
「そ……そうなのか?」
いつからか自分に向けられている視線を辿って,目の前にいる彼女に聞いてみる。
彼女は黙って,コクンと深く頷いた。
その帰り道。
いつものように和美と手を繋いで砂利道を闊歩する。
柚奈は気を遣ってか,用事があると言って足早に道を逸らした。
それが嘘であるのは今の2人にとって明々白々であるのに。
そこまで気を遣わなくてもいいじゃないか……。
とは思いつつも,ちょっとばかり感謝の念が湧くオレ。
結局のところ和美とは殆ど会話をできなかったが,その間ギュッと握り合った手の血潮を通じて何かを感じあえた気がする……。
「あまり話せなかったな……」
「う……ん……」
でも……。
「こんなに長く手を繋いでたのは初めてだよ」
時間がないことを象徴するかのような透明な笑顔。
それがオレの心の奥に心地よいまでの痛みを深く刻んでくれた。
あれからもう夜も遅くなって,時刻はすでに深夜1時……休みの日くらいしか味わえない時間帯だ。
あれからオレは和美と夜食を食べて,ようやくゴロゴロできるようになった。
「ねぇ……お兄ちゃん?」
「ん……?」
背中越しに和美の可愛い声が飛び込んでくる。
「私のこと……嫌いになった?」
ちょっとだけ震え気味の細い声。
「さぁ……な」
「はぁう〜,いっつも誤魔化すんだから……」
「あんまダダッ娘してると追い出すぞ?」
和美を見ていると,可愛くてついつい意地悪く振舞ってしまう。
「ぁう……いじわるぅ〜」
そうして,いつものように反応を楽しんでしまう
「はは,オマエはいつまでたっても変わらないなぁ……」
そう言ってちょっとこ後悔した。
「悪ぃ……そんな意味で言った訳じゃ……」
「うぅん,こんな姿になってもお兄ちゃんがいつものようにしてくれて,嬉しいよ」
頬を伝う涙と思われるそれは,てらてらと妖しい光を放つまるで蝋燭の雫のようだった。
「ねぇ……お兄ちゃん?」
「ん……何だ?」
「お兄ちゃんは……いつまでも和美のお兄ちゃんだよね?」
「バカか?当たり前だろ」
「あは……よかった……ホントに……」
そう言って和美はオレの右腕にしがみついた。
オレには,それが何か得体の知れない恐怖からの逃避であることが分かった。
「和美……」
「ん,なぁに?」
「さよならなんて言わないよな?」
「……」
「オレはおまえのこと片時も忘れたことはない,それはこれからも同じだ」
もはや70%以上が透明で見えない,微かな肉体の形跡に話しかける。
「もし現実の世界で終えないなら,せめて夢の中でだけでも待っている」
「……ぉにぃ……ん……」
立体感のない透明な液体が勢いを増す。
「だから……また……いつでも来い」
そう言って華奢な身体をしっかりと包み覆うように抱きしめた。
「ありがとう……おに……ぃ……ちゃ……ん」
和美の身体が透明感を増す。
もう髪の毛も見ない。
辛うじて大好きな大きい円らな瞳の中央部が見えるだけ。
「和美!待ってるからな,いつでも戻って来いよ……」
薄れゆく肉体の最後は柔らかく温かい笑顔だった……。
「……っくしょう!」
ただ1人の広い部屋の中で憤り,悲しみ,思い出……様々な感情や情景がフラッシュバックする。
大好きだった,たった1人の従妹。
「ぜったい……来いよ……また……ここに」
そうして男らしからぬ皺くちゃな顔を洗って,少しでもこの感情が落ち着くのを待つ。
しかし,どうも神様はイベントを与えてくれたらしい……それも悪趣味な。
がちゃ……!
これは紛れもなく玄関からの音……オレの家か?
これだけ鮮明に鼓膜へ届く音だ,言うまでもなくココだろう。
もしや泥棒,はたまた強盗か……鍵を閉め忘れたか?
こんなシリアスな状況に加えて荒らしとは何て疲れる1日なんだ。
その気配は足音を殺して居間へと向かっている。
しかし,残念ながら今のオレはものすごく機嫌が悪い。
片手に懐中電灯,他方には一升瓶……呑んでてよかった,八海山!
そのまま一気にカタをつけてしまおうと,居間の入り口で敵を待つ……。
そして,暗順応したオレの足元にヤツの爪先が見えた瞬間……!
すかっ……!
「あわ……ッ!」
てっきり大人かと思い,自分の肩の高さ辺りを狙って八海山をフルスイングしたのだが……。
「ん……きゃ,ぎゃぁあ〜っ!」
それに続いたのは出刃包丁でもワルサーp38でもなく……。
「ちょちょちょ……ちょっとぉ〜何なのよ,お兄ちゃん!」
和美……?
「オマエ……和美か……?」
和美の顔を見て心のどこかで何か一段落したのだろうか。
自分でも不思議なくらい落ち着いて,それでいて可笑しなコトを自分の意志で発していた。
それからオレは和美にこっ酷く叱られた。
真夜中の丑三つ時に玄関の鍵も締めずにいたこと。
いきなり一升瓶で襲ったこと……でもこれはオレを驚かそうと電気をつけずにこっそり入ってきた小娘にも責任がある。
そしてやはり,あの一言だった。
まぁ……言われるがまま,されるがままにオレは小一時間も説教を受けたのだが。
それにしても,さっきまで一緒にいた彼女は何者だったのだろう?
どうやら後から登場した和美は,本当にクラスの友達と祭りへ行ってたみたいで,今まで向かいの晶子ちゃんの家にいたそうだ。
でも,それまでの奇妙奇天烈な話をしたところで口うるさいコイツの説教がフリータイムに突入するだけなので黙っていた。
死んだ者が年に一度だけ甦り,小さな生命となって故郷へ戻ってくる。
夏の暑さにも負けず,残された者たちへ自分の“存在”をアピールする舞台。
この地では8月中旬,夏祭りの時期になると多くの蛍が集まる。
祖先が自分の末裔を伺いに戻ってくるのだ。
「お帰り……どうだった?」
ゆっくりと落ち着いた口調で1匹の蛍に声をかける青年……およそ10代後半といったところか。
「楽しかった……とても」
「それはよかった」
にっこりと微笑んで彼女の帰りを喜ぶ。
「お兄ちゃんも行けばよかったのに……いっつも篭ってばかりで……」
「わかった,わかった……じゃあ来年は一緒に行こうか?」
お兄ちゃんと呼ばれたその青年は,彼女の円らで大きな瞳に満遍の笑みを絶やさず送る。
「あの人たちには,オマエの姿が見えていたみたいだね」
「え……そんな,もしかして……後を付けてたの?」
「はは……勘だよ,とても楽しかったって……顔に書いてあるよ?」
「え,ぁ……あわわ……」
「でも,どうやら図星だったようだね」
「う……ん,あの“お兄ちゃん”も……とても優しくて,いい人だったな」
そんな機嫌のよい彼女の目の前に彼は寄る。
そして,その少女の右手を取ってぎゅっと軽く握った。
「オマエはいつもこうしないと人と話ができなかったからな……」
「あは……それ,向こうのお兄ちゃんも同じコトしてくれたよ」
「へぇ……それはそれは……」
少し驚いたかのようであったが,彼は話を進める……。
「話してごらん……お兄ちゃんに」
この時期に集う魂は数多の祖先の霊。
もしかしたら,それは自分の前世を生きたそれかもしれない……。
同じ本質から派生しながらも,異なる時代を生きる魂たち。
もしかしたら従兄妹の前世は兄妹だったのかもしれない。
<完>
自分の前世って気になりますね……自分の祖先だったりしたら驚きです。初投稿でベタなものですが,ここまでお付き合い下さり有難うございました。