春と螺子
葉山祐介はスマホのアラームの軽快な音によって目を覚ましたが、暫く布団の中で、目をパチパチさせて、もう一度眠ろうか、とも考えた。
スマホのアラームは隣の葉山香奈の寝室から聞こえてきた。しかし他、一向に物音は聞こえない。
ええい、ままよ、と祐介、彼は起き上がって、そのまま書斎に向かった。カーテンを少し開けて見える空は朝焼けの空であった。
彼はまっさらな原稿用紙を取り出すと、詩を書こうとした。彼はずっと詩を書いてきた。
散文、殊に小説に対して本腰を入れて書きはじめたのは、2025年、去年の秋ごろであった。詩と小説、並列させて書いている内に段々小説が苦ではなくなってきたが、詩、というものが書けなくなった。読めなくもなった。勘所、というのがわからなくなってしまったのであった。
インターネット上で知り合った詩人には、「論理こそ詩である」と主張する方もいたが、他に「論理から外れたものこそ詩である」と真反対の事を主張する方もいた。
彼はバック・トウ・ルーツとして「中原中也全詩集」のすべての詩を通読した。閲した、と言っていい。まるまる二日かかった。そうして先の意見二つを検討するに、それは詩人の置かれた時期的問題だ、と解釈したのであって、この意見二つを同時彼は採用する事にしたのである。
詩を書こうとしたが、なかなか筆が進まない。何枚かの原稿用紙を丸めて捨てた後、やっと一作成す事が出来た。「春と螺子」と題を付す事にした。
春と螺子
思いがけず
昔の知り合いに会って
微笑み合い
孤立無援に帰れよ
シャッターが閉まっている
商店街を 朝
抜けてゆくのもいい
螺子のしなり
詩の為に 詩を書いた春の思いも
まっさらに抜け
須らくあたらしい詩句を開拓すべし
その為に
微笑み合い
孤立無援に帰るよ
・・・、書き足す所も無い。減らす所も無い。
全く詩が書けなくなっていたと思っていた自分が、なんとか作品を書き上げると、一気に肩の力が抜けて、ペンを離した。
そして彼は額に手をあてると熱く、彼はもう一度、寝室のベッドに向かい、眠る事にした。
香奈が目覚めたのは、その物音でわかった。
香奈は書斎の椅子に腰かけると、「春と螺子」の原稿に目を通した。彼女の目は輝いていた。
そして雄介の寝室の扉を開けると
「こらあ、祐介。なんで起こしてくれないの」
なかなか声量のある声だったので、寝ていた祐介はビクッとしたが、そのまま流す事にした。
そのまま眠ろうとしていたら、香奈は祐介の布団の中に侵入してきた。
「こーら、何やってんだよお」
「いいじゃん、いいじゃん」
祐介は反撃として、香奈の脇をくすぐろうとした。香奈はゲラゲラ笑った。攻防が長い間続くと
「いいかげんにしろ、祐介の馬鹿」
と言って香奈は祐介の頭を叩いた。
祐介は一言
「すいませんでした」
と告げた。
二人が朝食を済ませていると、祐介の母からLINEメッセージがあって、祖母の通夜、葬式に祐介と香奈が着てゆくフォーマルスーツを、明日ショッピングモールに見にゆく、という話で、香奈は病院の通院日であったが、その予定も加味して車を出して連れて行ってくれるというので、その段取りでお願いします、と云った旨、返信した。
朝食の納豆ご飯に焼きウィンナーを食べ終えると、二人書斎に向かった。
すると香奈が
「わたしの小説を印刷したい」
と言った。
祐介は、それはどうかな、と考え込んだ。第一、現在プリンターのA4のコピー用紙が無い。加えてシアンのインクが切れている。
そうして何より、この香奈の小説が百頁を越える大作であって、この十年以上使用しているプリンターにとって明らかにその印刷指示を出すと負担、という問題があった。
取り敢えず祐介は、近くのドラッグストアに行き、五百枚のA4プリンター用紙を二束、千枚買ってきた。そうして原付バイクを飛ばし、ホームセンターに向かって、シアンのインクを買ってきた。プリンター用紙を補充し、インクを補充した。
香奈は小説の印刷に何度かトライしたのだが、なかなか上手くいかない。エラーになったり、途中で印刷が中止されてしまう事が起こった。祐介は黙ってそれを見守っていた。
そうして香奈は痺れを切らし
「もう嫌になっちゃう、疲れる」
と言った。見てられなくなった祐介が
「だからさ、うちのプリンター、年季入っている事知っているでしょう。百枚の小説だったら、これを五十枚、五十枚に分けて、そうしてそれぞれ印刷すればいいわけさ」
「でも、パソコンでコピーすると、間違って切り取り、になっちゃったりするから嫌なの」
祐介は香奈のパソコンの前に座ると
「じゃあいいよ、任せて」
暫くして、プリンターが景気よく動きはじめた。香奈は祐介に目配せしてから、うん、うん、と頷いた。
「腹が減った、コンビニのチキンが欲しいな」
と、祐介が何気なく言ったとき、香奈はもう創作モードに入っており、無事刷られた百頁の小説の推敲に入っていた。
祐介は一人コンビニにチキンを買いに行こうと外へ出ると、青空に十二時を報せるチャイムが鳴り響いた。
コンビニに着いて、彼は時刻が十二時をまわっている事を確認すると、チキンのついで、二人分の昼食のカップラーメンを買って帰ろうと考えた。カップラーメンの「山頭火」と「すみれ」を選んだ。加えて香奈の好物であるチャイラテもとってきて清算した。
二人カップラーメンを平らげると、祐介一人書斎に向かい、印刷したばかりの香奈の小説に目を移した。
そうして、彼は少し前に完成させて小説投稿サイトで発表した自叙伝のような私小説「宿命」五十枚を印刷してみようかと考えた。
それは主に、明日、香奈の病院での面談、診察を待ってから、スーツを買い求めに出るわけで、祐介と祐介の母には待ち時間が沢山ある事が想定された。その待ち時間でいいので、是非に、「宿命」を読んで欲しいと思ったのであった。
問題は、その「宿命」の主人公が、山、或いは自然に傾倒し過ぎるあまり、アルバイトにあまり出なくなってしまったといった描写や、過去の事ではあるが、喫煙シーン、飲酒シーンというものも出てくる。東京時代の同性相手との暮らしぶりも描写されており、それらに対する母の反応が、やはり気にかかる、という事であった。
しかし私小説というのは言葉のアルバムであるから、懸命書いた事も含めて、その人生の愚かさも含めて読んで欲しい。
余り母が好まない表現が出てくるので読ませない方がいいかも知れない。いや、人生の汚点も含めて、自分の人生を読んで欲しい。
二つの気持ちの合間で揺れていた。
「ねぇ、一応、小説できたよ。感想聞かせて」
香奈は祐介に、百頁の原稿を渡した。
「ふむ、興味深い」
祐介は淡々とその小説を読みすすめていった。
それは、香奈の自叙伝のような私小説であったが、驚いたのはその記憶力であった。
「まだ、書けるんだけど、そうすると、凄いボリュームになっちゃうもんで」
「あとさ、結構、食べる事と人間みたいなものに焦点がいく小説だと思うんだけど」
香奈は、え、そう?といった顔をしてみせた。
「加えて、登場人物の中で、確固とした役割を与えられているのが、僕の読んだかぎり、お母さんしかいないんだよね。他の登場人物との関係は季節のように移り変わり消えてしまうから、そういう小説構造があるっていうのが、まず発見だったかな」
香奈は
「それっていい事なの?悪い事なの?」
「いや、いいも悪いもなくて、僕は、考えさせる小説はいい小説だと思っている。ともかくこの小説に関しては、再々解釈の可能性があるね」
そうして、祐介はその原稿用紙の束を置いた。




