閑話☆鴨のコンフィ、腹に残るもの
わしの家は西住宅街にある。十年前に借金をして買った。こじんまりとした石造りで小さな庭もある。
「あなた、できました」
「ああ、美味そうじゃ」
鴨のコンフィは母の得意料理で、妻も覚えてくれて時折作ってくれる。酒は飲まない。皮を焼いた歯ざわりがパリッとして心地好い。
「この鴨は昨日、ガンツ様が持って来て下さったんです」
ガンツはギャレン本家の主であり、議員でもある。今年の春に王都の水路再開発が決定してから、羽振りが良い。
「礼に出向かんといかんのう」
「ふふ、そうですね。喜びますよ、ガンツ様はガンメタール様がお好きですから」
「爺同士で好きも嫌いもないじゃろう」
クスクス笑う妻はグラスに赤ワインを注いで少しずつ飲んだ。子どもはできなかったが、夫婦仲は良好にここまで過ごしている。
「この間、騎士を辞めたいって言っていた件、どうなりました」
「まだ、続けて欲しいとランスロット殿に頭を下げられてのう」
「じゃあ、まだ、王都にいられるんですね」
「なんじゃ、家の金も払い終わったんじゃし、そりゃあ、おるわい」
「でも……アオイ港に帰りたいんじゃありませんか? 活気も増しているでしょうし」
生まれ育った街に愛着はあるが、王都へ出て騎士となってからの人生の方が長い。空になった皿を押しやり、わしはしばらく酒を飲む妻を眺めて座っていた。
繁華街の巡回を終え、直帰の許可を得て帰路を急ぐ。貧民街の方から繁華街へ大勢の工夫が流れ込んでいる。廃墟と化した穀物庫の建て直しに雇われた者たちだろうか。
「ガンメタ爺さん」
聞き覚えのある声がわしを呼び止めた。路地の奥から大きな人影が手招きしている。黙って近づいた。
「もう帰りのところ、悪い」
「どうした」
「ちょっとある人を監視中なんだが……ほら、あのガキが財布を掏ったのを見かけて。何人もやってる」
メルヴィンの視線の先に、人混みの中を不自然に行き来する子どもがいる。痩せて背を丸めた十代前半らしき子どもが、夕暮れの繁華街を歩いている。不自然だが、浮かれた様子の輩は気づいていない。
「止めるとするかのう」
「恩に着る。今度酒でも奢る」
「わしは酒は飲まん」
「そうだった。おっと、じゃあ、また」
メルヴィンが様子見をしている男の歩き方に見覚えがあった。
「……厄介じゃのう」
ガンツ・ギャレンを追いかけるメルヴィンの後ろ姿を見送って、掏りを続ける子どもに意識を戻す。
「おい、こっちだ」
子どもの腕を掴んで道の端へ引きずった。
「何すんだよ、おい、爺、離せ」
「静かにせんか、大ごとになるぞ」
さっと顔色を変える子どもを人々の死角へ誘導し、掏った財布を回収する。
「落とし物として詰所へ届ける」
「え……お、おいらは」
「目立つ真似はやめろ、次はない」
自分の財布から銅貨を出して渡すと、子どもは素早く駆け去った。貧民街を追い出された子どもの掏りや窃盗が増えている。
「なんとかせんといかんのう」
呟いて一度詰所に財布を届け、帰路に就いた。
後日、鴨やワインのお礼にガンツを訪ねたところ、花街へ連れて来られた。
「水明楼を予約しておいた」
「これはこれは、ガンツ様、お連れ様も良くいらっしゃいました。いつもの集まり以外でいらっしゃっていただけて、うちの子たちも喜びます」
慇懃な主に出迎えられた。ガンツに連れて来られた老舗の娼館の名には聞き覚えがある。貧民街で舟を見つけた件を思い出したが、わしは黙ってガンツの後に続いた。
「ここは良く来るのか」
異国情緒溢れる宴席へ案内され、椅子ではなく毛足の長い敷物の上に座る。
「ああ、この部屋で、定期的に会合があるんじゃ。珍しい東方の品なども見せて貰ったりなあ」
「ほう……その、独特な香りは、東方のものか」
「そうそう。どうじゃ? 気に入ったなら、ガンメタ兄いにも融通してもらうよう、頼めるぞ」
「いや……わしはいい。爺が色気づいても仕方ないじゃろう」
「そうでもないぞ。家内にはずっと付けていろと勧められたぐらいだ」
嬉しそうに胸を張るガンツに、わしは苦笑した。
「奥方は、年寄りの臭いを嫌っただけなんじゃないかのう」
「むむ、わしが年寄り臭いのは兄いの口ぶりが移ったところだけじゃ」
ハハハと乾いた笑い声を上げる爺二人の元へ、若い娼婦が数名お酌をしにやってくる。高級娼館らしい控え目な立ち振る舞いで、爺二人の会話を静かに聞いていた。
「ガンメタ兄い、アオイへ帰る気はないのか? 地元で事業の手伝いをしてくれたら嬉しいんじゃがのう」
「わしはまだ、王都で騎士をやる。子どもみたいに見守って来た後輩騎士たちにも頼まれておる」
ガンツは若い頃から酒が入るとすぐ顔が赤くなる。隣の娼婦に水を持ってくるよう頼んでから、ほぐした鴨のコンフィが乗った皿に手を伸ばした。
「じゃあ、今日はどうしてついてきた」
「相談がある。議員としてのガンツにじゃ」
娼婦が持ってきた水を飲み干したガンツは、あぐらの足を組み替える。
「兄いの相談なら聞かんとな」
「……貧民街じゃ。穀物庫周りの整備で、人があぶれた。子どもは特に。なんとかせい」
わしの言葉に思い当たる節があったらしく、ガンツは顎を撫でて思案顔になった。
「兄いがわしを頼るとは、わしも偉くなった」
「ガンツは本家なんじゃから、分家より偉い。昔からずっとじゃ」
若い頃から言い続けている理屈を告げる。ガンツは膝を叩いて笑った。
「それを聞くと、王都にいながら、アオイに帰ったような気になるのう」
無邪気に笑うガンツに肩をすくめて、鴨肉を口へ放り込む。上品な味付けは嫌いではないが、腹に残る妻のコンフィが恋しくなった。




