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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第三章 白い爪痕
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閑話☆グリル鶏サンド、ハニーマスタードレモン

「非番のたびにここに来てたら、全然休めないじゃない」


 ローズせんせいが心配そうに整った眉を歪めた。


「気楽にお手伝いさせていただいているだけなので、疲労はありません」


 最近数日おきにヒースレッドさんに会える。非番のたびに医局へちょっとしたお手伝い労働を求めてやってくるからだ。顔が見られたら嬉しいが、ローズせんせいと同じく、休めていないんじゃないかと心配になった。


「中庭は綺麗になったし、もう、やってもらうことなんて、コタロウのお散歩ぐらいしか……」


 言いつつローズせんせいは、絶妙にカールした艶やかな髪の毛先に触れる。


「セイラって、聖樹の森の温室へ行ったことあったっけ?」


「いえ、ありません」


「よし、じゃあ、ヒースレッド君と一緒に行って来て。ついでにコタロウのお散歩もしてくれたら、私もコタロウも嬉しい。どうかしら」


 目を瞬かせる私に、ローズせんせいは温室の鍵と記録ノートを差し出した。


「この、ノートはなんですか」


「うん、森の温室でね、試験的に色々な薬草を育て始めたの。定期的に生育状況を記録してて、確認して来て欲しい」


 ローズせんせいの言葉に深く頷きながら、ヒースレッドさんとのお出かけに心が弾んだ。


「では、私はコタロウの面倒を見ながら護衛します」


「うん、護衛っていうか、まあ、案内かな。ヒースレッド君は、温室の場所わかるよね?」


「はい、学生時代、潜伏訓練で利用しました」


 満足そうに頷いたローズせんせいは、立ち上がって休憩室を出て行く。


「じゃあ、出かける準備をして迎えにきます」


 ヒースレッドさんは、品よく微笑んで言ってくれた。


「あ、はい」


 彼はいつも胸がじんわりと温かくなるような、優しい口調で話す。ずっと気にしないようにしていた。自分の中で少しずつ育っていた淡い想いに名前がついた。先日フィリップ様から助けて貰った時、ターニャさんが頼んだのだとわかっていても嬉しくて、それが今も息づいている。




 木漏れ日を浴びながら、弾んだ足取りのコタロウちゃんに引っ張られるよう早足のヒースレッドさんを追いかける。森に入って汗ばんだ背がひんやりとした。ヒースレッドさんは、白いシャツに濃緑のベストとスラックス姿で、革製の鞄を斜めにかけていて、チャコールグレーの制服姿より幼く見えた。会話は途切れがちだが、彼が急かさず待ってくれるので話しやすい。隣にいると落ち着ける人だとは感じている。きっとそれはターニャさんも同じなのではないだろうか。


「コタロウ、あ……セイラさん、袋を」


 コタロウちゃんが、木の影で踏ん張っている。耳を伏せてお尻を地面に向けている姿は必死で可愛らしいが、犬の便はなかなかに臭い。お散歩用の鞄から紙袋を出し、排泄物を拾おうとすると腕を掴まれた。


「私がやる」


「あ、いえ、そんな、大丈夫です」


 素早く袋を取り上げたヒースレッドさんは、コタロウちゃんの便を拾ってしっかり口を閉じる。


「セイラさん、私は、犬の世話もできるし……出自に関係なく、やるべきことはやります」


 藍色の瞳、フィリップ様と同じだが全く違う色に見えるヒースレッドさんの目をじっと見返した。


「はい……」


「すみません。私の出自が私がやるべきことを遠ざける傾向にあって……責めた訳ではない」


「あ、わかって、ます」


 丁寧に説明しながら、ヒースレッドさんはコタロウちゃんの排泄物を革袋に放り込んで密封する。持ち歩いても臭いが漏れないようにする優れ物で、ナックルせんせいが生まれた国の商品らしい。コタロウちゃんは、自分が排泄した木の影に鼻先を近づけてフンフンと確認している。


「行きましょう」


 リードを引いて先へ促すヒースレッドさんの足に一度トンっと跳び付いてから、コタロウちゃんは先立って歩き出した。


 温室に着いた私は、袖をめくって早速作業を始める。ヒースレッドさんは中へ入らず、コタロウちゃんと周囲を散歩すると言って一時的に離れた。一抹の不安と緊張から解放された安堵が同時にやってくる。一人で黙々と勉強したり作業するのは気楽だし、好きだと思う。振り返ると、家庭の不穏や将来の不安から逃れるためもあって、勉強にも職業訓練にも没頭した。幸いなことに今では上級使用人として働くことができている。


「……さん、セイラさん」


 集中していたため、温室の外の声に気づくのが遅れた。


「すみません、もうすぐ終わります」


 急いで残りの記録を片付けて温室を出る。コタロウちゃんは遊び疲れたのか、陽が降り注ぐ草の上で丸まっていた。


「コタロウも疲れているようですし、あそこで昼休憩にしませんか」


 木々の先に開けた場所がある。ヒースレッドさんに誘導されて移動した。


「ワフウ」


 欠伸しながらついてくるコタロウちゃんに、頬が緩んだ。ヒースレッドさんは肩から掛けた鞄を開けて、大きな敷き布を取り出して地面に広げた。続いて大きな包みを一つ、掌大の包みを一つ出す。小さな方の包みにコタロウちゃんが素早く寄って鼻面を近づけた。


「干し肉の匂い、わかったのか」


 優しい笑顔に優しい声で語り掛けられているコタロウちゃんが羨ましい。


「セイラさん、どうぞ、座って」


 コタロウちゃんに干し肉を食べさせながら、ヒースレッドさんは言った。おずおず布の上にお尻を乗せて足を横へ流す。


「宿舎の食堂で包んでもらいました。鶏は好き?」


 開かれた大きな包みは鶏肉を挟んだサンドだった。私は受け取りながらお礼を言う。


「はい、ありがとうございます」


 ランチは戻ってから食べるつもりだったので、彼が持参していることに驚いた。


「食べましょう」


 勧められるまま齧りつく。コタロウちゃんも一生懸命干し肉を咀嚼している。


「美味しいです」


「うん、……蜂蜜とマスタードですね、レモンの酸味も少しある。好きな味です」


 簡単な料理しか作ったことがないので、ヒースレッドさんのようにソースの材料はわからない。彼は生まれた時からずっと、当たり前のように美味しい物を食べて生きてきた人で、私は鶏肉が好きかどうかも良くわからない。食べられるなら、どんな肉でも食べるだろう。


「セイラさん、あの後、フィリップ兄さんと会いましたか」


「あ、いえ……お会いしていません」


「そうですか、良かった……改めて本当に申し訳ありませんでした」


 そっと口許をハンカチで拭って丁寧に頭を下げるヒースレッドさんのサラサラとした金髪のつむじを眺める。


「セイラさん?」


 頭を上げたヒースレッドさんの藍色の瞳に、黙り込んだ私の顔が映っていた。




 胸に渦巻く行く当てのないもやもやを、曖昧に笑って誤魔化して、帰りは私がコタロウちゃんのリードを持った。


「ありがとうございました」


「いえ、私も久々の森林浴で気分転換になりました」


 軽い会釈で別れて医局へ戻り、ローズせんせいに記録ノートを見せて報告をする。整った爪がノートをめくっていく様子を静かに見守った。


「うん、大丈夫。できてる。さすがね、セイラ。お疲れ様でした」


「はい、では、受付に戻ります」


 受付ではターニャさんが明るく迎えてくれた。


「お疲れ。どうだった?」


「はい、森の中って静かでいいですね」


 胸の中には清浄な空気ともやもやとした感情とが、共存している。表には出すまいと努力した。ターニャさんは人の顔色を読むのが上手い。気づかれたくなかった。


「ヒースレッドさん、優しいよね……ちょっと、保管庫行くから、受付お願いね」


 声のトーンを少し落として呟いた後、ターニャさんは処方箋を手に薬の保管庫へ去った。




 戸締りを確認して日が延びてまだ明るい窓の外を見る。夕方の患者さんの診療キャンセルが相次いで、せんせいたちは検査室へ籠った。コタロウちゃんはルークさんが散歩に連れ出して、ターニャさんは帰宅してしまっている。


「ふう」


 一人きりで静かに息を吐く。階段の方を見て、物音が聞こえた気がして足が止まった。


「気のせい、ね」


 呟いて少し笑った。乾いた笑い声が、無人の廊下に吸い込まれて消えた。

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