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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第三章 白い爪痕
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第8話

 作業用手袋をはめ、ナイフでひたすら草を刈る。散歩に使う代わりに中庭の手入れを申し出ているのはローズだが、想定以上の業務で日中の空き時間がほとんどない。代わりを引き受けたターニャの後方では、ヒースレッドも作業着姿で草刈りをしている。


「ヒースレッドさん、あの、ヒースさん!」


 熱中していてターニャに呼びかけられたのに気づかなかった彼は、汗を拭いながら立ち上がった。


「一回、休憩しましょう。セイラが四阿にお茶の準備をしてくれたので」


「ふう、はい」


 一つ息を吐いてから、ヒースレッドはナイフをケースに収納しながら四阿の屋根の下へ移動する。花の季節は通り過ぎ、緑の季節がやってきている。草の成長速度も速い。


「せっかくの非番なのに、草刈りで潰していいんですか」


「いいんです。私個人がお役に立てることは限られていますから」


 重たい言葉を聞いて、水色の瞳を瞬かせるターニャに、ヒースレッドは上品な笑みを向けた。


「セイラのことだったら、ヒースさんのおかげで丸く収まっています」


「それは……はい。それだけではなく、兄がお世話になったローズせんせいに見当違いの疑いを抱いて、視察の場を乱したりしましたので、その償いというか」


 なるほどと相槌を打ちながら、ターニャは手袋を外す。


「ローズせんせいは、フェリーチェ議員には高級なお店でご馳走になったって仰ってましたけど」


「はい、謝罪と改めてお礼の場を設けるよう進言しました。ローズせんせいは兄に、これ以上の償いや便宜は不要だと、釘を刺されたそうです。医局についても公平に判断して欲しいと」


「ああ、せんせいってそういうところ、あります。ふふふ」


 微笑みながら紅茶で喉を潤す。


「ターニャさんは、周りを良く見ていますね。私も見習いたい」


 薄っすら頬を染めたターニャは、フィナンシェを少しだけ齧った。


「ヒースさんには、セイラのことでお世話になりました。医局は今までよりずっと騎士を診なくちゃならないから、隊に抗議したりして、大ごとにしたくなかったんです」


 ヒースレッドはゆっくり深く頷いて、カップの中身を干す。


「あなたの判断で正しいと思います。私の兄もフィリップ兄さんの言動については、注意を促すと言っていました。私が言うより効果があるでしょう」


 二人は穏やかに微笑みを交わした。温かな風がナプキンをそよがせる。


「彼のせいで、悲しむ女の子が、少しでも減ってくれたら、いいと思います」


「……はい」


 二人はお茶と菓子で休憩してから、日暮れまで中庭の草刈りに励んだ。





 訓練とは異なる疲れのせいか、自室でうとうとしていたヒースレッドは、兄の秘書官から呼び出されて本殿へ出向いた。


「お呼びと伺いました」


「ああ、休んでいるところ、すまない。フィリップの件だ」


「はい」


 背筋を伸ばすヒースレッドを、兄は隙のない眼差しで見据える。


「ワーロング医師に、抗議された。医局の娘にちょっかいをかけていたそうだ」


「存じております」


「うん、お前が注意して退いたそうだが、それだけじゃない、色々と噂が広がっている。王宮付きの侍女たちを遊び相手にしている、だとか」


 眉間を指先で叩きながら、ヒースレッドの兄は深いため息を吐く。


「特別な会合へ行くなら連れて行ってくれ、と頼まれたと触れ回っている議員もいる」


「会合、ですか」


「議員連中の社交だな。フェリーチェ家としての意思か問われて泡を食った」


 ヒースレッドは頭の中で兄に明かしても可能な情報を選別して慎重に答えた。


「特捜の捜査に関わることなので詳しくは言えませんが、フィリップ兄さんの行動は追った方がいいかもしれません」


 曖昧に濁すヒースレッドにそれ以上は突っ込まず、兄は背もたれに身を預けてぼやいた。


「ワーロング医師が、藍色の目が嫌いになりそうだから、気を付けろと言っていた。絶妙な抗議をする人だな」


 ヒースレッドは緊張を解いて少し笑みをこぼす。


「せんせいに嫌われたくはないので、努力しましょう」


「まあ、そうだな」


 




 一張羅の昼用ドレスに身を包み、クラリッサは王宮表庭の四阿にいた。背筋を伸ばして瀟洒な帽子が飛ばないよう押さえている。


「おや、確か君はポート家の……」


「フィリップ様、先日ぶりでございます」


 上品な笑みを浮かべるクラリッサの側へ近づき、フィリップは四阿の柱に腕を添えた。


「君は王宮勤めではないよね? 何か用事かな。ご令嬢が好むような催しは開催していなかったと思うけれど」


 柔和な中低音を優しく響かせるフィリップを、クラリッサは上目に見上げる。


「あの、先日あなた様にお会いして、是非もう一度お目にかかりたいと、居ても立っても居られず、参りました」


 情熱的な発言だったが、クラリッサの瞳は彼ではなく白い制服の肩越しに固定されていた。フィリップは彼女の目をのぞき込んで、小さく笑う。


「なんだい、ポート家は再開発に一枚噛みたいとか、そういう感じかい」


「再開発……王都の水路の話でしょうか」


「そうそう、僕に口利きして欲しいとか?」


 フィリップが自然な手つきでクラリッサの顎に指をかけた。


「いいえ、私には難しいことはわかりませんわ。ただ、フィリップ様にお会いしたかっただけです」


 顔をのぞき込んで来る藍色の目を冷静に見つめ返し、クラリッサは弱々しく言う。


「へえ、殊勝なことを言ってかわいいね」


 顔が近づいてくる。唇が触れる直前、クラリッサが素早く囁いた。


「触れてもかまいませんが、責任は取ってくださいませ」


「……愛人にでもしてくれって?」


「ポート家は旧い家柄です、フィリップ様。さすがにそのような……父も抗議申し上げるでしょう」


 声音は甘いが、内容はシビアだった。フィリップはすっと顔を上げて彼女から距離を取る。


「残念、僕にはそれを決める権限がなくてね」


 艶然とした笑みを残して、フィリップはヒラヒラと手を振って去って行った。クラリッサは帽子を目深に被り直し、じっと地面を見つめていた。

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