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王宮食堂の女給ー1

 王宮の本殿は五階建てであり、一階は中央階段を擁するロビー、官吏棟、騎士棟、使用人宿舎や庭への連絡通路、食堂等がある。食堂は王宮に出入りする者だったら誰でも利用可能で、二交代制で運営されている。早番勤務を終えて食堂を出た女給(ウェイトレス)のセイラは、先輩女給(ウェイトレス)たちに背中を押されて宿舎とは異なる中庭の方向へ誘導されていた。草と土を踏む足音は夕闇の庭に吸い込まれて消える。夏ゆえ開け放たれた扉からはロビーの喧騒が聞こえて来るが、庭の奥にある古びた四阿近くまで来ると微かなざわめき程度に変わった。

「ねえ、セイラ、どうしてこんなところまで連れて来られたのか、わかってるわよね」

 刺々しい台詞と声音が、背を丸めて縮こまる少女、セイラに向けられる。

「わかり、ません」

「嘘ばっかり、孤児でもないのに孤児院出身だとか言って、サルエルさんを騙そうとしてたじゃない」

 また別の甲高い声がセイラを責める。

「騙そうなんて、あの、孤児院の職業訓練は、孤児じゃなくても受けられ」

「そんなこと知らないわよ、謝りなさいよ!」

 土を踏みしめる音とともに、セイラに三人の女性がにじり寄った。一人が手にした灯り(ランタン)を後輩女給(ウェイトレス)の顔の目の前に突きつけ、一人は上背を活かしてセイラを睨み下ろし、一人は剣のある声で言い募る。

「だいたい、簡単な配膳も失敗する癖に、接客担当になるなんておこがましい」

「そうよ、どうせ、調理人(コック)に媚でも売ったんでしょ」

「ちが、違いま」

「何が違うのよ!!」

 後輩を責めているうちに感情的に盛り上がった三人は鬼気迫る形相になっていた。

「サルエルさんだけじゃない、ほらあの、貴族議員の秘書にも色目を使ってすり寄ってたわよね」

 食堂女給(ウェイトレス)として働き始めて一年ほど経ち、接客に抜擢されて客席(ホール)係になった途端、セイラは男性客からよく声がかかるようになった。セイラも詰め寄る三人もまだ二十歳にも満たない。年若い使用人たちの間で、男女関係のいざこざは珍しくない。

「そんな、アタシはただ、お話を聞いてい、た、だけ、で」

 泣き出しそうになりながら必死で弁明する少女の肩を、先輩女給(ウェイトレス)のうちの一人が押した。たたらを踏んで息を飲むセイラに、押した方が興奮したように鼻息を漏らす。

「言い訳はいらないのよ!」

 決して小柄でも華奢でもないが、セイラの表情や姿勢は頼りなさそうに見える。男性からは与しやすしと気軽に口説かれ、女性からは媚を売っていると誤解された。

「たいして美人でもかわいくもないくせに、生意気なのよ!」

 弱い反撃しか来ない後輩に嗜虐心を刺激された先輩女給(ウェイトレス)の一人が、とうとう腕を大きく振り上げた。セイラは咄嗟に目をつぶる。

「ハイハイ、そこまで。詰め寄りがさあ、古典的過ぎておもしれえよ、お嬢さんたち」

 衝撃を覚悟したセイラの前に、大きな人影が立ち塞がった。灯り(ランタン)が遮られたため、セイラの視界が暗くなる。

「な、何よ、なん、ですか」

 女給(ウェイトレス)三人組は、突如現れた大柄な人物に抗議しようとして口を噤んだ。割って入った男が、彼女達にも見覚えのある警邏の騎士の制服を着ている事に気付いた。

「食堂の仕事に口出すつもりはないけど、誰もいない中庭に呼び出して手を上げるのは違うんじゃねえか?」

 後ろめたい自覚があったようで、女性三人は強張った顔を見合わせる。警邏部の騎士の中でも一際目立つほど大柄なメルヴィンは、静かな口調で笑顔を浮かべていても威圧感があった。

「手を出すなんてそんなことは……」

 一昔前と異なり身分制度は緩和されているが、自分達の言動が騎士に反論出来るようなものではない自覚はある。

「イマドキさ、騎士だって理不尽に鉄拳制裁したら問題になんだぜ」

 青ざめて黙り込む三人を見下ろし、メルヴィンは背後を振り返った。

「どうする? 厨房長(せきにんしゃ)に報告するか?」

 問われてセイラは咄嗟に首を左右に振った。おおごとにして騒げば、働きにくくなる。メルヴィンはくっきり大きな目を細めて、軽く二度頷いた。

「まあ、怪我した訳じゃないし、軽い行き違い、ってことにしとくか。手え出すのも、人の目のないところへ呼び出すのも問題になるから、やめとけよ。王宮が働きにくいなんて噂になっちゃ、困るしな」

 場を納めようと笑顔で圧を掛ける大柄な騎士に、三人の少女は青ざめたまま何度も首を縦に振る。じりじり後退しながら小さな声でもごもご謝罪らしき言葉を口にして、先輩女給(ウェイトレス)達は去って行った。

「メル先輩、終わりっすか」

「アーオゥ、ワオオン」

 両手を胸の前で組み、メルヴィンの大きな背中を見つめていたセイラの後方から、低めの声と甘えたような獣の声が聞こえる。

「おお、ルーク、コタロウ、待たせてごめんな」

 少女達が持っていた物より数段明るい灯り(ランタン)に照らされて、セイラの背後から、茶色い毛の塊が駆けて来る。メルヴィンはさっと屈んで、跳びついて来るコタロウを抱き上げた。

「よしよし、いいこだ。あのお嬢さんたちだが。釘は刺したから大丈夫だと思うが、また何か言って来るようだったら、怖がらず厨房長(じょうし)に相談した方が良いぞ」

 コタロウの頭を撫でながらメルヴィンは優しい声を出す。

「女の子とはいえ、三人が暴れたら大変だったろうから、良かったっすね」

 ルークはセイラの隣に並んで、彼女とメルヴィンの顔を見比べる。

「あ、ありがとう、ございました」

 涙声になるセイラにコタロウを見せて、メルヴィンはわざとらしいくらい笑顔を浮かべた。

「散歩の邪魔だったから、追い払っただけ。ほら、かわいいだろ」

 少女を元気づけようとコタロウを近づけるものの、コタロウは一つ鼻を鳴らして(ふんす)下ろせとばかりに全身をよじり出す。

「悪い、悪い、下ろすから」

 暴れる柴犬をものともせず、優しく地面に下ろすメルヴィンの挙動をセイラは一心に見つめている。地面に下ろされたコタロウは、灯り(ランタン)を掲げるルークの足元にじゃれついて短く息を吐いた。

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

「今日のことは、第一のメルヴィン・モーガンとルーク・レコメンドが目撃したから、もし証言が必要になったら騎士棟に来てくれ」

「は、はい」

「じゃあ、この子が来たら面会できるよう、名前聞いといた方がいいっすね」

 問いかけるルークへは視線を送らないまま、セイラは上目遣いにメルヴィンを見つめている。

「セイラ・ソーダです」

「食堂の女給(ウェイトレス)で良いんだよな?」

「はい、一年ほど勤めてます。十六才です。孤児院で接客業の職業訓練を受けましたが、孤児ではないです。ひと月前に接客担当になったばかりで」

 緑色の目を潤ませつつ弱弱しい声音ながらも淀みなく自己紹介を始める少女に、ルークは苦笑を浮かべて

「いやいや、尋問してる訳じゃないから、名前だけわかればいいって」

 突っ込みを入れた。質問した己ではなく、メルヴィンばかりをひたむきに見つめる少女の心中が透けて見えてむず痒い。メルヴィンは鷹揚に頷くにとどめ、表情からは内心は伺えない。

「ルーク、扉まで誘導してやれ」

「ええ、その役って俺でいいんすか」

 灯り(ランタン)を指して顎をしゃくる先輩騎士に揶揄うような笑みを見せて、ルークはふざけた口調で言った。

「いいから早くしろ。セイラさん、災難だったな。俺だけじゃなく、騎士なら誰でも助けてくれるはずだから、めげずに仕事を頑張って」

「はい、うれしいです」

 弾んだ調子で返答を寄越す少女から不自然に目をそらし、メルヴィンはルークに鋭い視線を向ける。ルークは慌てて本殿へ通じる扉に向かって歩き出す。後輩騎士を見ようともしない少女の肩を、メルヴィンはそっと押した。

「あいつに付いて行って」

「あ、はい」

 嬉しそうにはにかむ少女を彼は表情を消して見下ろしたが、灯りが遠ざかっているため互いの表情は判別出来ていない。メルヴィンは足元を静かに徘徊しているコタロウに視線を向ける。気配に気づいたコタロウが、遊ぼうぜと跳躍を始めたので、メルヴィンは少女の影を視界から追いやって犬と戯れた。

「おーい、えと、セイラさん、こっちっす」

「……はい、おやすみなさい、メルヴィンさま」

「おう、気をつけてな」

 名残惜しそうに何度も後ろを振り返りつつ、セイラはルークの持つ灯りを追いかけた。

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