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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第三章 白い爪痕
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第5話

 騎士宿舎の食堂隅で、ナックルは白身魚のグリルを咀嚼していた。


「ナックルせんせい、前、よろしいですか」


 丁寧に問いかけるヒースレッドを見て、ナックルはフォークを置く。


「食堂の席は予約制ではない。断りはいらない」


 会釈して置いたトレーにはローストした塊肉とバゲット、温野菜サラダとトマトスープが乗っていて、ナックルは深く頷いた。


「ヒースはバランスの取れたいい食事をしている」


「え、そうですか。それなら、良かったです」


 戸惑いつつも、ヒースレッドも食事を始める。ナックルが最後にフルーツを食べようと顔を上げた頃には、ヒースレッドのトレーは片付けられていて、彼は優雅に紅茶を飲んでいた。


「セイラのことか」


 今日の昼間、ターニャに庭でのランチを勧められたセイラが、暗い顔をして戻って来たのを見ている。


「はい、昼から戻った時、様子はどうでしたか」


 ナックルはオレンジの皮をむきながら答えた。


「沈んでいた」


「そうですか……」


「何があった」


「フェリーチェ家の親戚でもある白竜の騎士が、セイラさんを執拗に誘っていたみたいで。ターニャさんに頼まれて、セイラさんに絡むのをやめるよう苦言を呈しました」


「どうしてそれでセイラが沈む」


「……遊び相手として声をかけただけ、と侮辱されたからでしょう。女性に対して大変失礼だと、思います」


 ナックルは小さく鼻を鳴らす。


「貴族というのは家の呪縛に絡めとられて、己を失くしてしまう者が出る。どこの国も同じだ」


 ヒースレッドは俯いて拳を握った。


「フィリップ兄さんは、亡くなったジュール先輩に対しても、失礼な態度を取っていたんです。黒狼と白竜で隊が異なるのに、雑用を押し付けたり……親戚なのが恥ずかしい」


 悔しさをにじませるヒースレッドに、ナックルは半分に割ったオレンジを差し出す。


「食べろ」


「え……はい、ありがとうございます」


 オレンジの甘味と酸味を味わうヒースレッドに、ナックルは静かに言った。


「ヒースは……セイラも他の者も人に見えている、それでいい」


 ハンカチで手を拭い、ヒースレッドは口元を引き結んで頷いた。





 診察室の床をモップで掃除しながら、ターニャはため息を吐く。ローズは慣れない発注書類を手に、必死で目を走らせていた。


「ええと、この試薬高いなあ……ターニャ?」


 記憶を辿ろうと首を巡らせたローズは、モップを手に考え込むターニャに気づいて書類を置く。


「え、はい、どうかしました、せんせい」


 声をかけられて我に返ったターニャのモップが床を滑り出した。


「どうかした様子なのはターニャでしょ。なあに、何かあった?」


 椅子に座るよう促され、診察用の椅子に座ったターニャは、机の下にもぐって丸まっていたコタロウが寄って来たので背を撫でる。


「せんせいが忙しそうだったんで、私が独断で動いたんですけど、セイラが白竜の騎士にしつこく迫られて困っていたんです」


「ああ、近衛の白い方ね……」


 ターニャは赤い毛先を指で摘まんで丸めつつ頷いた。


「はい、お高く止まった人が多い、白い騎士たちです」


 ローズとターニャは目を合わせて小さく笑う。互いに彼らに対して抱いている印象が同じなのだと通じ合った。


「セイラは、大丈夫なの」


「はい、セイラに声をかけてたのが、フェリーチェ家の人だったので、ヒースレッドさんに、間に入ってもらいました」


 コタロウがローズの足に顔を擦りつけながら、また机の下にもぐる。ローズはコタロウの耳に触れて、口許を緩めた。


「ヒースレッド君がとりなしてくれたのね」


「はい、そうなんです。セイラには言わず、助けに入って貰う手筈を整えて、上手く行ったんですけど……」


「けど?」


 ターニャはローズの大きな碧眼から視線を反らす。


「なんか嫌な感じです。王宮使用人の女の子は誰でも、貴族と縁を繋ぎたいって、見染められたいって思ってる、そういう風に一括りにされているのが、気に入りません」


「まあねえ、そういう子も多いし、玉の輿に乗りたいっていうのも、それはそれで、一つの生き方だから」


「うーん、わかってるんですけど、なんというか、やっぱり、気に入らない。なんなの、もう、もやもやする!」


 鼻息荒く宣言したターニャは、すくっと立って掃除を再開した。


「若い女の子ってそれだけで生きるのが大変なんだよねえ。きっと、ずっと」


 訳知り顔でつぶやいたローズは、目の前の書類に意識を戻した。




 表庭での一人ランチの翌日、セイラは弟妹の様子を見に孤児院を訪れていた。東住宅街外れに建てられたこじんまりとした孤児院は、シスターたちの手によって清潔に保たれている。


「あら、セイラちゃん、いらっしゃい」


「ご無沙汰しています、シスター。これ、お土産です。皆さんでどうぞ」


 商店街で買った大量の焼き菓子と、ターニャが譲ってくれた古着を渡した。


「あら、いつもありがとう。衣類もあるの? 成長期の女の子が多いから、助かるわ。妹に個別に渡してもいいのよ?」


「いえ、いいんです。全員に平等に分けてください」


 上がった給与の一部を寄付しようとして、断られている。貯金していずれ弟妹を引き取って住む時の資金にするよう提案された。


「エルラは授業中で、レオンとミナはお使いに出ているわ。トビーはお昼寝中よ」


 一番年下の弟の寝顔だけでも見て帰ろうと、セイラは昼寝室へ足を踏み入れる。他の子への配慮から、訪問は月に一度だけと決めていた。健やかな末弟の寝顔を見たセイラは、はだけた布団に腕を入れてやる。


「トビー、お姉ちゃん、頑張るからね」


 小声で囁くと末弟が薄っすら目を開けた。


「あれ、お姉ちゃん」


「まだ、寝てていいよ」


 安心しきった緩んだ表情で再び寝入る末弟に、セイラも自然と笑顔になった。孤児院に隣接した職業訓練所では、様々な年齢の子どもたちが学んでいる。かつてセイラも世話になり、王宮で職を得た。


「お姉ちゃん、来てたんだ」


 妹のエルラが、セイラを見つけて駆け寄る。


「うん、元気そうだね。エルラは裁縫を学んでるんだ」


「そう、よく……繕い物を手伝ってたから、得意なんだ」


 セイラははにかむ妹の頭を撫でた。


「そっか……エルラは器用だものね」


「うん。お姉ちゃん、なんかちょっと元気ない? お仕事、忙しいの?」


 姉の顔色を鋭く伺うエルラに、セイラは苦笑する。


「大丈夫。エルラたちに会ったら、元気出た」


「本当に?」


 口を尖らせるエルラの手を取って、セイラは静かに言った。


「うん、私にはエルラとレオン、ミナとトビーがいる。大事な家族がいるから」


「そうだよ。でも、一緒に住まなくても家族だから、節約を頑張り過ぎないでね」


 姉の肩に頬を寄せ、エルラは大人ぶった釘を刺す。


「ふふ、うん」


「あー、姉ちゃんじゃーん!!」


「お姉ちゃん、来てたの」


 お使いに出ていたレオンとミナも戻ってセイラを見つけて、駆け寄った。元気な弟妹の話に耳を傾けながら、セイラは心の中のわだかまりがゆっくり解けるのを感じた。

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