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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第三章 白い爪痕
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第3話

 お使いに出たセイラが戻って来ない。ターニャはコタロウの背を撫でて気を静めてから、身を乗り出して階段の方を確認する。裏門に届いている薬の受け取りに出向いただけなのに、小一時間ほど経っていた。


「せんせい、すみません。セイラが戻って来ないんですけど、見て来ていいですか」


 診察室にいるローズに声をかける。受付へやって来たローズは、起き上がって跳び付いて来るコタロウを制した。


「コタロウ、お座り。次の診察まで空いてるから、ここにいるわ。様子を見て来てくれる?」


「はい、予定通り届いていなかったんですかね?」


「どうかしら、届いてなかったら、一度二人で戻って来て」


 ターニャは頷いて、階段へ向かう。軽快な足取りで五階分下りきったターニャは、額に滲んだ汗をハンカチで拭いながら一階ロビーを歩いた。


「あの、医局のターニャ・チェンバレンです。セイラ・ソーダが薬の受け取りに出向いているんですが、戻らなくて」


「ああ、医局ね……確かにまだ、戻っていないようです」


 残された記録と懐中時計の時間を見比べた黒狼騎士に礼を言い、ターニャは表情を曇らせて裏門へ向かう。騎士棟前の道を通り過ぎ、空き時間らしく静かな訓練場に差し掛かった。


「あの、本当にもう、戻らないといけなくて」


「そんなにつれないことを言わないで」


 訓練場の脇にある大木の方から、聞き覚えのある声が聞こえる。ターニャは息を整えつつ近づいた。


「で、どういうデートに行きたいんだい?」


「デートなんて、恐れ多くて」


「僕だって、ただの騎士の一人だよ。モーガン家のメルヴィン殿には毎日貢いでいたそうじゃないか。確かに僕はフェリーチェ家だが、分家だしね。庶民だってそう、気負うことはない」


 大木に左手を付いて、奥にいるだろう人物の行く手を塞いでいる白い制服の背が見える。セイラが白竜騎士と話しているのだと察したターニャは足を止めた。


「あの、私は……」


「ふふ、かわいいね、そんなに潤んだ目で見つめられたら」


 首と背を丸めてセイラに覆いかぶさるような態勢を取る騎士の背に向かって、ターニャは声を張り上げる。


「セイラー! どこにいるのー?」


 今来たと言わんばかりに走りながら叫んだ。


「あ、ターニャさん」


 騎士の圧から抜け出したセイラは、小走りにターニャの元へやって来た。振り返った藍色の瞳の騎士は、柔和な笑顔で近づいて来る。


「やあ、お嬢さん。君も小さくて可愛らしいね」


「ごきげんよう、白竜の騎士様。至急の用事があります。申し訳ありませんが、失礼させてください」


 ターニャは硬い声で答えて、セイラの腕を引いた。


「おや、それでは仕方ない。ではまた改めて……セイラ嬢」


 引きつった顔で頭を下げたセイラは、急かすターニャの後を必死で追った。





 医局の受付で診察を待っていたヴィヴィは、薬保管庫から出て来たセイラの沈んだ表情に気づいた。


「なんか元気ないねー」


 何気ない質問の仕方に張っていた気が緩んだのか、セイラがハラハラと涙を流す。


「わ、ちょっと、どうしたの」


「申し訳、ありま、せんっ」


「いいから、ほら、こっち」


 ヴィヴィ以外に誰もいなかったので、受付の奥へ押しやって、落ち着くまで臨時で周囲に気を配る役を買って出た。


「もう、大丈夫です」


 鼻を赤くしたセイラが、恥ずかしそうにはにかんだ。ヴィヴィは小さく頷いて診察待ち用の椅子へ座り直す。セイラは彼女の前まで来て丁寧に腰を折った。


「お見苦しいところを見せました」


「いやあ、別にいいけど、話、聞こうか? ナックルせんせいの患者さん出てくるまで」


 ヴィヴィは、臨時で助っ人をしていた時にも良く見せていた、ヘラリと力の抜けた笑顔になる。


「自分が情けなくて……」


「ふむふむ、情けない、と思うような出来事があったと」


「はい、あの、騎士様に誘われて、上手く断れなくて……ターニャさんの手を煩わせてしまって」


 ヴィヴィは小首を傾げる。


「ターニャちゃんが代わりに断ったの?」


「いえ、逃げる手伝いをしてくださって……私が、もっとしっかり断っていれば」


 ぐっと拳を握って俯くセイラの腕を、ヴィヴィはポンと軽く叩いた。


「いやあ、まあ、押しが強い男の人って一定数以上いるから。セイラみたいな若い子が上手く断れないのも仕方ないよ。ターニャちゃんははっきり言えるけど、セイラは言えない。それってどっちがイイも悪いもないんじゃないかな」


 予想外の意見だったのだろう。セイラは目を瞬かせて麦わら色の髪を耳にかけた。


「そう、でしょうか」


「うん、そうそう。あんまり気にせず、ターニャちゃんに感謝しとけばいいじゃない」


 ヴィヴィが自分の意見にうんうん頷いていると、ナックルの診察室から前の患者と部屋の主も出て来た。


「セイラ、処方箋を」


「あ、はい」


 ナックルに渡された処方箋を手に、セイラは薬保管庫へ向かう。


「次はヴィーか。どうぞ」


 ヴィヴィはナックルに呼ばれて診察室へ入った。患者として医局を訪れるのは初めてだが、勝手知ったる場所なので、さっさと診察台に腰を下ろす。


「立ちくらみか、いつからだ」


「今朝です。出勤してすぐ」


「動悸や息切れは」


「ありません。ちょっとクラっとして。前にナックルせんせいが、貧血気味って言ってたから、一回ちゃんと診て貰おうかなと思いまして」


 ナックルは頷いて診察台の前で跪いた。長身なので高さ調節のための行動だったが、ヴィヴィはぎょっとしてのけぞる。


「腕を」


 気にせず淡々と壁に掛けられた時計を見つつ言う。脈を測ってから、目の下にそっと触れて下まぶたの裏も確認した。


「月経は重いのか」


「ああ、はい。だいたい、数か月に一回、こうなります」


「寝不足か飯抜きか」


 ナックルの問いにヴィヴィはヘラリと笑う。


「今日はどっちもです」


「血の多いものを意識して摂れ。あとは寝ろ」


 低く冷静な声が耳に心地好く、ヴィヴィは素直に受け入れた。


「はーい」


 ヴィヴィの腕を掴んだナックルは、先に立ち上がる。


「ゆっくり立ち上がれ。風呂と階段には気を付けろ」


 そろそろとお尻を持ち上げたヴィヴィは、音もなく手を離した長身痩躯の医師を見上げた。


「ナックルせんせいもちゃんと、医師なんですねー」


「……褒めているのか」


「そうですよー」


「そうか」


 眼鏡の奥の瞳が一瞬だけ弧を描いたが、ヴィヴィは運悪く見逃した。



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