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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第三章 白い爪痕
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第1話

「ナックルせんせい、ほら、ズボンにコタロウの毛が付いています。粘着テープで綺麗にしてください!」


 ターニャ主導で、議員団視察直前の総点検が行われている。コタロウ同伴は許可されているものの、不都合を指摘されれば、許可取り消しもあり得た。議員秘書を務める父親から、参加議員の情報を仕入れたターニャは、万全を期そうと朝から忙しい。


「そろそろ抜け毛も落ち着いて来ただろう」


 黒いスラックスについた抜け毛を除去しながら、ナックルがつぶやく。柴犬のサラサラとした夏毛をなでて、セイラが笑顔になった。


「そうですね、コタロウちゃんは空気が読める子ですから」


 自分の指示も聞いてくれるようになったコタロウに対して、セイラの愛着も深くなっている。


「ねえ、ターニャ、これでいいかな」


 いつもは緩くまとめているか、下ろしている長い髪を、きっちり編み込んであちこちをピンで止めたローズを見たターニャは、感嘆のため息を漏らした。


「せんせいって、頭も顔も小さいんですね」


「本当に。バレエの発表会の女の子みたいですね」


 ローズは薄っすら頬を染める。


「ターニャがきっちり見える髪型にしろって言ったんじゃない」


「確かに頭が小さい」


 音もなく近づいたナックルが、ローズの頭を大きな掌で無遠慮に掴んだ。


「ちょっと!」


 抗議の声と共にナックルの腕が払われる。実行したのは掴まれた本人ではなかった。


「女性の頭をむやみに掴まない方がいい」


 チャコールグレーの制服姿のランスロットが、低い声で苦言を呈する。ナックルは小さく頷いた。


「そういうものか」


「そういう、ものです」


 ターニャとセイラは、男二人のやり取りを聞いて、顔を見合わせる。ローズは髪に差したピンを引き抜いた。


「ターニャ、子どもみたいには見えないきっちり髪型を教えて」


 ターニャに話しかけつつ、ローズはランスロットを見上げる。彼はいつも通り、ローズを目で追っていたので、視線がかち合った。議員団の医局視察に、特別捜査部隊から、ランスロットとヒースレッドが立ち会う手筈になっている。検査室視察の際、騎士団側からの補足をするための人員である。


「失礼します、皆さま、準備はよろしいでしょうか? 今、議員団が階段を上り始めたところです」


 ターニャはローズの腕を掴んで休憩室へ引っ張り込み、高速で髪型を修正した。


「はい、ピンは差し過ぎず、自然に流れてくる髪はこんな感じで大丈夫です」


「ありがとう、ターニャ……緊張するわね」


「はい、でも、大丈夫です。父に、しっかりフォローしてくれるよう、頼んでありますし」


「ええ、心強いわ」


 頷いたローズが先だって、休憩室を出る。医局の人員に加えて、特別捜査部隊の二人は、医局前に一列に並んで議員団の到着を待った。




 議員とその秘書、護衛の白竜隊騎士、総勢二十人ほどの視察団は、ローズとターニャの案内に従って、医局全体を見学した。診察に関して、薬保管に関して、患者への治療方針など、事前に準備していた説明をした。


「ふむ、継続治療を始めたのは最近だとか、ただ……うちの弟は、継続で診て頂いていたようですが」


 にこやかに発言した金髪で藍色の目をした議員が、ヒースレッドの兄だと気づいて、ローズは緊張に強張っていた顔を僅かに緩める。


「はい、専門的な医院を紹介できず、医局で処方する薬でも対処可能な患者さんは、継続診療もしていました」


「ふうん? 議員の縁者だからといって、特別扱いをするのは感心しませんね」


 一度緩んでしまった頬に手を当てて、ローズは目を瞬かせた。


「そういった意図ではありません。他にも、継続診療をしていた患者さんは何名かおります」


 困惑気味に答えるローズを、ヒースレッドの兄がじっと観察している。出番ではないので後方で待機していたヒースレッドは、抗議の眼差しを兄に向けたが、視線は合わなかった。


「おやおや、医局は予算欲しさに縁故作りまでするんですか」


 ヒースレッド兄とローズの会話に別の議員が割り込んで来て、不穏な空気が加速する。後方に控えていたランスロットが一歩進み出た。


「失礼ながら、発言をお許しいただけますか」


 丁寧に礼を示すランスロットに、全員の視線が集中する。


「医局の管轄移管と捜査における科学的補佐業務に伴う検査室設置は、騎士団上層部の意向です。医局は……それを受け入れただけにすぎません。予算獲得のために動いたのは、医局ではなく我々騎士団の方です」


 場が静まり返る。ランスロットは静かにヒースレッドの兄を見つめていて、ローズからの感謝の眼差しには気づかなかった。


「フェリーチェ殿、今日は視察ですからそういった話はまたにしてください」


 ターニャ父の上司である議員が、笑顔で割り込んでその場は収まった。




 検査室ではナックルが淡々と検査に関する業務内容を説明し、議員団の素人的質問にも簡潔に淀みなく答える。兄の袖を引いたヒースレッドは、検査室から連れ出し、廊下で小声で抗議した。


「兄上、一体どういうおつもりですか、感謝こそすれ、見当違いに攻めるなど」


「ヒース、ホワイトの名も冠している当代のフェリーチェは良くも悪くも大き過ぎる。取り入ろうとする輩は多い。警戒をし過ぎて困ることはないし、釘を刺すのは長男である私の役目だ」


「……彼女にそのような意図はありません」


 腕を組んでそっぽを向く兄に、ヒースレッドは苦笑する。


「騎士たちをたぶらかしている女医がいると、噂になっている。我が物顔で振る舞っているとも」


 兄の懸念に首を振りつつ、ヒースレッドは冷静に言った。


「兄上、私は家の決めた縁組に従うつもりです。その他の女性に対して特別な感情を抱くつもりはありません」


「そうか、ヒースは純粋に医師として彼女に感謝しているのだな」


「最初からそうとしか言っておりません」


「……そうだったか?」


 誤魔化すよう小声になる兄に、呆れた視線を向ける。


 検査室を最後に視察は終了である。出て来た議員団は、ローズやナックルに質問したり、私語に興じたり騒がしい。


「ところで、柴犬がいると聞いたが、会えるかね」


 好々爺然とした議員の言葉に、ローズは緊張した面持ちで頷き、受付奥で大人しく繋がれていたコタロウを抱いて連れて来た。


「おお、かわゆいのう。つい先日、柴犬を飼うよう勧められたんじゃが、話と写真だけじゃあどんな犬かわからなかったんだ」


 そっと顔の前に出された老議員の手の匂いを嗅いだコタロウは、大人しく顎下を撫でられて目を細める。


「ふむ、大人しいな」


「私が抱えているので大人しいだけです。警戒したら大きい声で吠えます。ただ、飼い主の命令には忠実に従います」


 ローズはコタロウを床に下ろして、待て、お回り、などのコマンドを披露した。


「いいこね」


「ワフ」


 ご褒美の干し小魚を食べるコタロウの頭を撫でたローズは、コタロウのリードをターニャに手渡す。


「この子がここにいるのは王宮に迷い込んだからですが、体調不良で気落ちしている患者さんたちの癒しにもなっています」


「なあに、許可を取り消そうなんて思ってやせんよ、心配なさるな」


 ヒースレッドの兄に詰められた時より緊張した面持ちだったローズは、ほっと肩の力を抜いた。

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