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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第二章 鉱山からの手紙
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第5話

 最後の患者の姿を見て、ローズは目を瞬かせる。患者の後ろから、ターニャが慌ててカルテを持って入室してきた。


「失礼します、せんせい。カルテです、遅くなってすみません。ナックルせんせいの机の上が書類山積みで探すのに手間取りました」


「ありがとう、ターニャ」


 慌ただしく出て行くターニャから受け取ったカルテを机に置く。


「どうぞ、座ってください」


 患者に声をかけておいて、ナックルが診察するはずだった患者の予約リストを取り出して、『財務部:サルエル・スケルトン』の名を眺めた。患者を捌くのに必死で見知った因縁の名前を見過ごしていたらしい。


「久しぶりです」


「ええ、本当に……お痩せになりました? 痩せたのは体調不良ですか……いや、症状の申し送りはだるさと寒気、ですね」


 去年の夏以来の邂逅だった。平均より大きかった腹囲が縮んでいる。


「はい、騎士団でも風邪が流行っているようだが、財務でも流行り始めていてね」


「そうなんですね。手続きが大変じゃありませんでしたか?」


 管轄変更で軍務局以外の官吏や使用人が医局を受診するハードルが上がった。愛想良く問いかけたローズに、サルエルは苦笑する。


「仕事が詰まっていてね、王宮の外へ出ている時間がないんだ」


 答えながら春にしては分厚い上着の合わせを手繰り寄せた。


「お忙しいんですね。では、無駄話はやめましょう。症状をお願いします」


「はい。寒気がして、節々が痛い。熱の前兆じゃないだろうか」


 頷いたローズは手を伸ばしてサルエルの額に触れる。


「受付で体温は測りましたか?」


「ああ、まだ微熱程度だった。受付嬢が忙しそうだったから、体温計はカウンターに置いておいた」


 セイラを薬の受け取りに出し、ナックルはモールフィの検査中、ターニャもローズも一人で二人分の仕事を回している。


「そうなんですね、すみませんでした」


 首を左右に振るサルエルに上着の前を開けて貰って、胸の音も聞いた。


「解熱剤と風邪薬を出しますね。ただ、風邪薬の在庫を切らしていて、今取りに行っているところなんです」


 言いながら、高速で処方箋に薬の名を書き込んでいく。


「できれば今日中に貰いたい。明後日には大事な会議があって、それだけは出ないと」


「じゃあ、宿舎まで届けます。まだ、宿舎に住んでます?」


「ああ、残念ながらまだ独身でね、住んでいる」


 率直な返答にローズは小さく笑った。尊大な印象が強かったサルエルの様変わりに驚いている。


「……去年のことは、私も少し、思うところがあって……引退した騎士から護身術を習い始めたんだ」


 最後に自分の名をサインしたところでペンを置いて、ローズはサルエルに向き直った。


「なるほど……まあ、不測の事態でしたし、そんなに気にすることはないと思いますけど」


 サルエルは熱なのか羞恥なのか、頬を赤くして俯く。


「その……今更だが、あの時は、帰ってしまって申し訳なかった」


「いえいえ、全然気にしてませんよー」


「……それはそれでどうだろうか」


 ぶつぶつつぶやきながら、サルエルは退室した。


「余分な脂肪と一緒に余分なプライドも、なくなったのかしら、なんてね」


 疲労のためか出た毒舌交じりのひとりごとに、自分でクスクス笑ってしまう。


「せんせい、最後の患者さん、帰りました」


 ローズの診察室をのぞいて声をかけたターニャは、受付周りの片付けを始めた。




「ただいま戻りました!」


 勢い良く扉が開く。駆けずり回るコタロウの毛を丁寧に掃除していたローズは、頬を上気させたセイラを優しい笑顔で出迎えた。


「お帰り、ご苦労様。ねえ、セイラ、見て。コタロウの毛がすごいの。ブラッシングしててもこれよ」


 抜けた毛の塊をふんわり抱えて見せる。


「わあ、すごく抜けてますね」


「……ナックルが言うには少ない方なんだって」


「そうなんですか、掃除、こまめに入らないとダメですね」


「うーん、こう忙しいと掃除ばっかりに時間も割けないし。困った」


 話題の柴犬は、セイラの周りを飛び跳ねて遊ぼうと誘いをかけている。


「私ももっとこまめに掃除しますから、大丈夫です。コタロウちゃんも、医局の一員ですから」


 コタロウ同伴はローズのわがままだと重々承知だが、譲りたくない。換毛期は母に預けるべきか、逡巡する彼女の気持ちを汲んでくれたセイラに、ローズは蕩けるような笑みを向ける。


「セイラったら、もう」


 そっと抱きしめられて、セイラは真っ赤になって固まった。




 ローズの暖かなぬくもりを胸に、セイラは今日最後の仕事を果たそうと使用人宿舎を訪れている。


「サルエル・スケルトン様にお薬を届けに参りました」


 男性棟で寮監に告げると、すぐに本人が出て来た。熱が上がっているらしく、足取りがおぼつかない。


「サルエル様、大丈夫ですか」


「あれ、セイラか……どうして君が」


「あの、今は医局にいるんです」


 言いつつ薬の袋を差し出した。


「そうか……」


「一日三回、食後に服用してください」


 注意事項を伝えるセイラを、サルエルが熱で潤んだ目で静かに眺めている。


「心配、していたんだ……食堂では、いつも困った顔をしていた」


「え……そう、でしたか」


 食堂に来るたびに良く声を掛けてくる官吏が、自分を心配しているとは知らなかった。


「いい顔になった」


「あ、ありがとう、ございます。せんせいや、先輩にすごく良くしてもらっています」


「うん……異動が功を奏したようだな。励みなさい」


「はい!」


 ふわりと柔らかく笑う顔見知りの官吏の好感度が上がった夜だった。





 騎士団の風邪流行が下火になった頃、チェリーナもようやく出勤可能となった。副団長の執務室で溜まっていた書類を片付けた後で、診察を受けに医局へ向かう。熱が下がったばかりの身に五階分の階段は辛かった。


「ふう」


 辿り着いたチェリーナは、受付奥で丸まっていたコタロウが自分に気づいて動き出す様子を見て、薄く微笑んだ。寝ぼけた様子でゆっくりこちらへ向かうコタロウを、ターニャがそっと抱き上げる。


「こんにちは、チェリーナさん。ちょっと今、コタロウが換毛期で騎士の制服に毛が付いちゃうんですよ」


「いえ、ケホッ、大丈夫よ。うちにも猫がいるから、粘着テープは常備しているの」


「そうなんですね、苦情が出てコタロウ出入り禁止になったら、ローズせんせいが萎れちゃうから、先に注意することにしてるんです」


 ターニャの手を舐めるコタロウの頭をそっと撫でて、チェリーナは促されるままに受付前の椅子に腰を下ろした。ローズの診察室から顔見知りが出て来て、チェリーナは僅かに眉尻を上げる。


「こんばんは、久しぶりね、スケルトン官吏」


「トポロジー補佐官……どうも、ご無沙汰しています」


 三年間財務局に勤めていた経歴を持つチェリーナは、補佐官になってしばらくの間は、警邏部の予算決裁等に関わっていた。


「互いに担当を外れて何年も経つから」


「……はい」


 視線を反らすサルエルを、チェリーナはじっと見つめている。ターニャは受付で、二人が放つ微妙な空気感に気づいて、内心の好奇心を高ぶらせて観察していた。


「あの、サルエル様、こちらへどうぞ」


 距離を取って見つめ合う大人二人に気づかず、薬保管室から出て来たセイラが声をかける。


「ああ」


 すっとチェリーナから視線を反らしたサルエルは、処方された薬を受け取って、セイラに笑顔を向けた。


「ありがとう、セイラ」


「はい。サルエル様、お大事にしてください」


 セイラがサルエルにはにかんだ笑顔を向けるのを、ターニャもチェリーナも見守っていた。彼が去った後、ターニャがチェリーナに意味深な眼差しを向ける。


「チェリーナさん、どうぞ、ローズせんせいの診察室へお入りください」

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