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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第一章 医局は再び動き出す
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第5話

 十九年前の政変を経て、アルセリア王国には貴族議会制が導入された。ヒースレッドは議席を有する名門貴族フェリーチェ家の三男である。


「ヒース、本当にいいのか」


 春の議会の閉会を明日に控えた晩、ヒースレッドは城外にある兄のタウンハウスに招かれていた。


「はい、唯々諾々と従ったのではなく、私が望んだことです」


「近衛ではなくなる、危険も増えるだろう」


 一切音を立てず優雅に皿の牛肉にナイフを入れる。静かに咀嚼して飲み込んでから、ヒースレッドはフェリーチェ家の特徴でもある藍色の瞳に強い色を浮かべた。


「……承知の上です。昨年の事件で、私は己の未熟を痛感しました。近衛として邁進する道もあるでしょうが、特捜にある方が守れるものが多い気がするのです」


 義姉がカトラリーを置いて柔らかな声で割り込んだ。


「フェリーチェ家の家訓通りですね。高き身は、民の盾たるべし」


「ノブレスオブリージュをまっとうしようとする志は買うが、小さいヒースが……」


 弟は兄の言葉に頬を紅潮させた。


「兄上、私はもう小さくありません……騎士としては小柄かもしれませんが」


 兄夫婦は顔を見合わせて笑う。


「話は変わるが、今期の議会で案件が通れば、議員有志による医局の視察をする話が出ている。その折には、私も参加するつもりだ」


 ルークと二人で研究室になる記録庫を片付ける手伝いをしたことを思い出し、ヒースレッドは首肯した。珍しくうんざりした顔をしていたローズも同時に脳裏に浮かんだ。


「医局にもしっかり予算を取っていただけますか」


「その辺は財務と軍務の折衝になるだろう」


 ローズの助言に従って落ち着いて休暇を過ごしたからか、先輩騎士ジュール・メイスンの死を受け止められた。恩ある彼女の家族同等の愛犬の拉致を許してしまった。続けて、ローズも拉致されてしまったが、懸命に捜して見つけ出した。たった数ヶ月間の経験だが、ヒースレッドの中で強く息づいている。


「せんせいには公私ともに大変お世話になりました」


「ああ、そうだな。医師にしっかり……挨拶をしないとならないな」


 答えた兄の表情が硬かったことを不思議に思いつつ、その日の晩餐を終えた。




 春の議会閉会の日、議場で鐘が一度だけ甲高い音を立てる。ざわめきが徐々に治まった。王伯父であり貴族議会議長のサウスポール・ヒッタイが、鋭い眼差しで議場全体を睥睨する。


「王都特別捜査部隊発足の件、王宮医局付属特別捜査研究室設置の件、旧水路再開発の件。賛成の諸君、起立を求めます」


 低く張りのあるヒッタイ家当主の声が響いて、ほとんどの議員が立ち上がった。書記官が議長を見上げて頷いた。


「起立多数、可決する」


 議場にざわめきが戻る。


 黒狼隊の制服に身を包んだパーシバル・ハリアーは、静かに議場を後にする。議場入り口を警備する部下に頷いて見せ、階段を駆け下りた。


 


 記録庫だった部屋がすっかり様変わりしている。様々な実験器具や資料が運び込まれた室内は、ナックルの希望を聞きながら、主にターニャとセイラで整理整頓をした。ナックルだけでなく、ローズも片付けるという作業は苦手としている。


「できない訳じゃないの。本当よ、でも……気づいたらうたた寝していたの」


「それが大人の言い訳か」


「ひたすら物を積み上げるだけの人に言われたくありませんっ」


 いがみ合う医師二人を引き離し、ターニャとセイラは記録庫を『特別捜査研究室』らしく整えた。


「管轄が軍務局に変わって給与が上がるのだけが救いね」


 ため息交じりのターニャに、セイラは無言で同意する。


「ナックルせんせいが、持ち込んだ資料なんですけど、ところどころ、綴じてある方向が違っていて、全部直しました」


 意を決して報告するセイラを、ナックルは無表情に見下ろした。一歩後ずさる彼女の前に、すっとターニャが割り込んで圧のある笑顔を浮かべる。


「そうそう、ナックルせんせい。頁の並びもバラバラで、正しい順番にするのにも、すごく、時間がかかりました」


 ローズは受付嬢二人が話している資料を手に、しきりに頷いて見せた。


「これ、ノルディアの研究所の資料の写しじゃない。二人とも、ありがとう」


 鳥の巣に似た乱れた黒髪に掌を突っ込み、ナックルも静かに告げる。


「感謝する」


 彼の無言の睥睨が、言葉を探して考え込んでいるだけなのだと、受付嬢二人も少しずつ慣れて来たようだ。


「ここに、何が運び込まれるんですか」


 セイラは広く取られた長机の埃を拭きながらつぶやく。医師二人は、動きを止めて顔を見合わせた。


「遺体は来ない、検査が必要な薬物、毒物、体液……」


 率直な答えは不穏な単語の羅列であり、セイラは不安に目を潤ませる。気づいたローズは眉尻を下げた。


「飲み物や食べ物を毒入りかどうか検査するだけよ。もちろん、細心の注意を払う。やっぱり、怖いかしら。セイラが望むなら他部署へ推薦状を……」


 ローズの提案の途中で、ターニャがセイラの腕をそっと叩いた。


「いえ! 私、私は、ローズせんせいとターニャ先輩と一緒に、働きたいんです」


 セイラは反射的に大きい声で提案を拒否する。医局長代理を内示されている上司は部下である受付嬢二人に、順番に笑顔を向ける。


「セイラが頑張ってくれるなら、私も助かるわ。もちろん、ターニャもよろしくね」


 そっと両手を取られたセイラは、頬を紅潮させて頷いたし、ターニャも当然とばかりに胸を張った。


「研究室が本格的に動き出したら、ここだけはコタロウが入ったら危険だから、二人にはその点、特に気を付けて欲しい。今、ゲートを作ってもらっているの。完成したらすぐ設置するわ。さて、そろそろコタロウも戻ってくるかな」


 女性三人で盛り上がった空気に、無遠慮な声が割り込んだ。


「セイラ、医局には俺もいる」


 名を出されず不満そうなナックルを置き去りに、女性三人は連れ立って研究室を出る。冬に診察を再開してから一ヶ月半、患者の予約数は再開前の半分程度に減らしている。空いた時間で研究室を整えたり、資料を読み込んだりしていた。今日、議会で医局に研究室を設置する案が可決されている。明日以降、要検査品が持ち込まれたら、捜査に協力することになっている。


「せんせい、戻りました」


「ありがとう、ルーク君」


 相変わらずコタロウの散歩を買って出てくれているルークが、息を弾ませて戻って来た。頭と背に白い花弁を付けたコタロウは満足そうで足取りが軽い。


「ワフ」


 短く鳴いてぶるぶるとドリルをして花弁を落とした。


「お帰り、コタロウ」


 愛犬に蕩けるような碧眼を向けたローズに、ルークはリードより先に手紙を差し出した。受け取った封筒を裏返したローズは差出人の名を見て口を引き結んだ。




【王宮医局 ローズ・ワーロング殿 イーサン・アシッド】

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