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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第一章 医局は再び動き出す
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第2話

 洗濯物が積み上げられたカウチの上に飛び乗り、コタロウがワンワン吠えている。着替えと資料だけしか入っていない鞄を肩に、ナックルはローズ宅に足を踏み入れた。飼い犬は警戒心も露わに吠えたてており、歓迎はされていないようだ。


「良く吠えるな。いい腹筋だ」


「……コタロウ、やめなさい。苦情が来ちゃうわ」


 ローズが抱きしめてなだめようとするが、コタロウは彼女の手をすり抜ける。


「火を点けて。私はヤカンに水を入れてくる」


 愛犬をなだめるより先に冷え切った部屋を暖めようと切り替えたローズの指示に従い、ナックルは小型のストーブの蓋を開けて火を点けたマッチを入れた。


「冷えるわね」


 沸いたお湯でお茶を淹れて、テーブルを挟んで向かい合う。分厚いガウンを羽織って部屋着に着替えたローズは一息吐いた。カップを口に運んだナックルの眼鏡が曇る。彼はポケットから出した皺くちゃのハンカチで眼鏡を拭いた。ローズは眉間に皺を寄せてハンカチから視線を背ける。彼は丸めていた背を伸ばし胸を反らした。


「洗ってある」


「なんで自慢気なのよ。洗ったら皺くらい伸ばして。紛らわしいから」


「潔癖には見えない部屋だが」


 ナックルは主に衣類が散らかった部屋を見渡した。


「放っておいて。居候の癖に文句言わない」


「ふむ、一理ある」


 コタロウは大人しく洗濯物の上で丸まっている。部屋が温まって腹が満たされたら落ち着いたらしい。眼鏡の奥の目を細めて微笑むナックルに、ローズは苛立ちのまま告げる。


「二階は寒いわよ。暖房器具がないし、暖炉はあるけど、薪はないから」


「……ここで寝る」


 ローズはカウチで丸まるコタロウに声をかけた。


「ねえ、コタロウ、ナックルがここで寝るんですって。どう思う? カウチから膝どころか腿もはみ出しそうだけど」


「床でいい。そんなことより、あの下着はやめた方がいい。腹を冷やすぞ」


 洗濯物の山に陣取っていたはずのコタロウが、レースの紐を咥えて暴れ出した。


「はあ?」


 ブラウスの襟に巻いてタイとして使うレース素材のリボンを、下着だと推測したナックルの発言に、ローズは怒りを含んだ低い声で応じる。


「夏の暑い時期なら紐型でも構わないだろうが、今日のような冷える夜はやめておけ」


「いくら私が大雑把でも、見える場所に下着を放置したりしないわよ」


「では、柴が隠し持っていたのか。犬は餌や宝物を隠し持とうとする傾向が……」


「ナックル!」


 訂正を諦めて彼の名を叫んだローズに驚いて、コタロウが動きを止めた。


「柴が驚いているぞ。警戒心が強い犬種だからな。大声は良くない」


「誰のせいよ!」


 はあはあと肩で息をしたローズは、コタロウからリボンを取り返し、ナックルの目の前にドンと音を立てて置く。


「これのどこが、下着ですか。良く見なさい」


「俺は女の下着を愛でる変態趣味ではない」


 笑ってくれるターニャやルークがいないので、ローズはこれ以上ナックルと会話を続けることをやめた。リボンは引き出しにしまい、黙々と洗濯物も片付ける。ナックルは鞄の中から書類を取り出した。


「上級使用人登用試験は、君も受けたのか」


 片付けたカウチの上にだらしなく横たわったローズに、ナックルが淡々と話しかけてくる。


「受けたわ。せんせいの推薦付きだから、実際より加点されてぎりぎりの合格よ」


「そうか」


「……あなたも私の推薦付きだけど、加点は必要なかったでしょうね」


 彼はローズが理解に苦労した資料を軽々読み解ける。医療分野や医薬分野に関しては特に興味も造詣も深く、診療所の中でも博識でそういう点では頼りにしていた。


「試験のためにアルセリアの王国古代史を覚えたんだが、東黎帝国で学んだのと違った」


「そうなんだ」


 上体を起こしたローズに深く頷いて見せて、ナックルは続ける。


「アルセリアでは侵略や暗黒の時代とされている部分が、東黎帝国では西方を平定して秩序と文明をもたらしたとされている」


「ふうん、まあ、見え方の違いってことかなあ」


「そうだな、受け取り方は当時も双方の国で違ったろう」


 ナックルは真っすぐにローズを見て真面目くさって考察した。


「……古代の人も、リボンと下着は間違えないと思うけどね」


 




 ざんばらに伸びた髪のサイドを編み込みにした、年頃の少女らしい髪型で、セイラ・ソーダは弾んだ足取りで回廊を歩いていた。出勤してすぐターニャに捕まり、緩く一つに結んだ髪型に手を入れられた。貧しい生い立ちゆえ、見た目を整える方法をあまり知らない。


「何その髪型、切る時間がないにしても、ちゃんと纏めなさい」


 言葉はきついが可愛らしい編み込みにして手鏡を渡して来るターニャに、セイラは潤んだ目で礼を言う。育児を放棄していた両親により、日々の生活で精一杯だったセイラには、親しい友人はいない。女給として王宮食堂で働き始めてみたら、同世代の先輩には卑屈すぎる態度のせいか嫌われてしまった。


「ふふ」


 ターニャにとっては他愛無い気遣いだろうが、セイラは本心から喜んでいる。騎士棟前に辿り着いたセイラは、訓練帰りのランスロット・リーガルンとメルヴィン・モーガンに会った。


「よう、セイラじゃねえか。配達か」


 明るい笑顔で優しい声をかけてくれるメルヴィンを見上げ、セイラは頬を紅潮させる。


「はい、ガンメタール・ギャレン様にお届けです」


 初めて男性に助けて貰った経験から、メルヴィンに対して恋愛的な意味で憧れを抱いていた時期もあったが、今は純粋な尊敬だけが残った。


「ガンメタールは警邏中だ。預かっておこう」


 端正だが無表情のため冷たい印象を抱かせるランスロットに、セイラはおずおずと薬包の入った紙袋を差し出す。


「はい、お願いします」


 渡そうと踏み出した途端、強い北風が吹いた。ランスロットが手を差し出したままよろめいてたたらを踏んだ。紙袋がセイラの手を離れて飛んでいく。


「あ、申し訳ありません」


「すまない」


 互いに謝罪しながら追いかける。悪戯な北風が紙袋を更に転がした。


「部隊長! 第二から応援要請です」


 裏門の方から濃紺の制服に身を包んだ騎士が駆け寄って来る。セイラが紙袋を手にして振り返ると、メルヴィンが顔の前で手を合わせて叫んだ。


「セイラ、悪い、急ぐから、第一の詰所に持って来てくれ」


「はい」


 ランスロットも青白い顔色で、軽く頭を下げ、二人は足早に騎士棟へ入った。

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