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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅡ 第一章 医局は再び動き出す
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第1話

 青空を見上げて、ローズ・ワーロングは目を細めた。昼の日差しは強いが乾燥した風が強く吹いている。ダブルコートの柴犬は夏より一回り大きく見えるもふもふの身体で、元気いっぱいにボールを追いかけている。


「コタロウ、そろそろ、戻ろうか」


 中庭の四阿(あずまや)の柱に括り付けられていたロングリードを解いて、抵抗するコタロウを手繰り寄せた。


「また、夕方遊ぼう、ほら」


 踏みとどまろうとする愛犬の姿に笑いながら、ローズはコタロウのリードを付け替える。いつものように『ふんす』と鼻を鳴らして抗議する柴犬を連れて、本殿へ戻ろうとしたローズは、扉の前で待機するヒースレッド・ホワイト・フェリーチェに笑顔を向けた。


「戻ります」


 重たい扉を開けてくれる近衛部黒狼隊の若い騎士は、足に纏わりつくコタロウを優しく撫でる。


「さっきも一人だったっけ?」


「先輩は手洗いに行っています」


「ああ、冷えるもんね。コタロウを抱っこしてもいいよ。温かいから」


 ヒースレッドは生真面目な顔で首を左右に振った。


「いえ、これぐらいでしたら大丈夫です」


 色素の薄い肌のあちこちを赤く染めているので説得力はなかったが、ローズはそれ以上は勧めず、中へ入る。


「じゃあ、また」


 ヒラヒラ手を振ったローズは、コタロウのリードを引いて階段へ向かった。


「ん? コタロウ」


 リードを強く引かれて振り返ると、コタロウが後ろを振り返って低い唸り声を上げている。ロビーを行き交う人の中から、頭一つ抜きんでた姿を見つけて、ローズは苦笑した。


「目立つなあ」


 相手も気づいたようで近づいて来る。


「ワーロング、来たぞ」


「見ればわかる」


 鳥の巣のように絡まった黒髪に、眼鏡姿のナックル・リーを見て、ローズは冷たい口調で言った。


「宿舎の入居手続きに来たのよね?」


「入れない」


「は? どういうこと」


 眦を吊り上げるローズを、ナックルは静かに見下ろしている。コタロウはリードで取れる距離いっぱいにナックルから離れて様子を伺っていた。


「満室だそうだ」


「ええ、どうするの……とりあえず、医局に行こうか」


 再開準備を終えた医局は整理整頓されて清潔だった。この際だから磨き上げようと、女三人で掃除にも励んだ。


「もう、明後日から出勤って話になってたはずだけど」


「問題ない。適当に寝る」


 半年近くノルディアに滞在していたため、借りていたアパートは解約になったらしい。イーサンが鉱山へ送られるまでの間は、ヤーン総合医院で要監視の罪人の主治医として隣室に泊まり込んでいた。


「ちょっと待って、イーサンせんせいがいなくなった後はどこにいたの」


「そのまま、医院にいた。気づかれて追い出された」


「そりゃそうでしょ!」


 ローズが大きな声を出すと、隅で丸まっていたコタロウが起き上がる。


「イーサンが寝ていた寝台でいい」


 彼は他人の苛立ちを意に介さない。


「王宮内に勝手に泊まり込みはできない。申請や許可が必要だし、ああ、もう、面倒くさいわね」


 ローズは髪の毛をかきあげて、大きく息を吐いた。道理を説いてもずれた返答をするのがナックルという男である。診療所でともに働いていた頃から変わらない。


「二日くらいは宿に泊まったが、もう金がない」


「え、じゃあ、今日までどうしてたの?」


「知り合いの家を転々としていた」


 ゆっくり目を閉じたローズは、一度立ち上がり、コタロウの側へ寄って温かな毛を撫でる。


「コタロウ、あいつ、本当に相変わらずすぎる。役に立つけど腹立たしいわ」


「聞こえているぞ、ワーロング。犬に愚痴を吐くとは、変わったヤツだな」


「あなたほどじゃあありません」


 コタロウは憤るローズの手をなだめるよう舐めた。


「君の家はどうだ。俺も東黎(とうれい)帝国出身だからな。柴には慣れている」


 ナックルの前へ移動したローズは、鋭い眼差しで彼を睨んだ。睨まれた方は、目を瞬かせて小首を傾げる。


「あなたが慣れているからってコタロウが良しとするかは別だけど、仕方ない。空きが出るまでは居候させるしかないかしら……二階のアトリエに寝台はある」


「良かった。助かる」


 薄く笑みを浮かべるナックルに、ローズは苦笑した。




 騎士棟方面から本殿へ通じる扉の前に、薄汚れた大きな鞄が放置されている。


「これはいったい何ですか」


 ターニャ・チェンバレンの問いに、黒狼隊の騎士は困った顔で答えた。


「明後日から医局に配属される医師が、置いて行ったんだ。中身を確認する規則だと話したら、後で取りに来るからここに置いておいてくれって」


「ええ、そうなんですか……せんせいが悪い人じゃないけど、常識が通じないから覚悟してって言ってたのってこういうことか」


 呟いたターニャが医局の受付嬢だと気づいた騎士は、鞄を彼女に差し出す。


「中は着替えと書類だけだったから、持って行って貰えると助かるんだが」


 頬を引きつらせたターニャは、騎士に押し付けられた鞄を抱えて医局へ戻った。


「こんな汚い鞄を持ちたくない」


 小声で文句を言いつつ医局へ戻ったターニャは、受付カウンターの前に鞄を置いて、外出用の分厚い上着を脱いだ。


「ターニャちゃん、ちわーっす」


「あれ、ルーク。どうしたの?」


「薬貰いに来た。せんせい、いる?」


「うん、多分。ちょっと待ってて」


 休憩室へ向かうターニャの隣に、ルーク・レコメンドが並んだ。


「コタロウもいるんだよな? 会いたいから俺も行く」


 嬉しそうなルークを見上げて、ターニャも口元を緩める。医局は明後日より再開予定だが、閉局中も経過観察中の患者には薬を処方して配達したり受け取りに来て貰っていた。


「せんせい、失礼します」


 扉を叩いたターニャは、扉が開いた途端に視界を塞ぐ大きな人影に驚いて息を飲んだ。


「ナックル、せんせい」


 小声で名を呼ぶターニャを遥か上から見下ろして、ナックルは大きく頷いた。


「いかにも。俺はナックルだ。君は確か、受付のターニャン」


「……猫じゃねえし」


 後ろでルークが呆れた声で突っ込みを入れる。ターニャは噴き出しそうになるのを堪えながら、改めて自己紹介をした。


「ターニャ、チェンバレンです、せんせい、ぶふ、よろしく、お願いします」


「ああ、よろしく」


 小柄なターニャと長身のナックルだと大人と子どもほどの身長差があり、近くで顔を合わせて会話しようとすると首が痛くなるほどだ。


「ターニャ、戻ったのね。こんにちは、ルーク君。薬かな」


「はい、ちわっす。お願いします、せんせい」


 ターニャとルークに気づいてコタロウが寄って来る。コタロウを部屋の外へ出さないよう扉を閉めて中へ入った二人に、柴犬は尻尾を振ってじゃれついた。

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