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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第五章
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早春の灯ー3

 イーサンが使っていた私物や資料を整理して、片付いた部屋を見回した。少しずつ日が長くなり夕陽が差し込んでいる。新しい体制が決定するまで医局は閉鎖中なので、リードなしのコタロウが駆けずり回って遊んでいた。

「あとは、記録庫か……面倒臭い」

 本音が零れ落ちた。記録庫に放り込んでいたカルテや資料、雑多な物品を全て片付けて、研究室として使えるよう整えなくてはならない。ターニャは民政局や騎士団総務との事務的やり取りで飛び回っているし、セイラは継続的に治療をしている患者の薬の手配や配達を頼んである。三ヶ月前にはここに医師としてのイーサンがいて、二か月前には患者としてのイーサンがいた。

「匂いはもう残ってない、と」

 寝台周りは交換し、寝不足や頭痛程度の患者が眠れるよう、カーテンで仕切りも作った。医局は行政区域上、王宮直属となっており、上層部が存在しない。医局長だったイーサンと、民政局総務の匙加減で行われてきた制度と内容に、刃が入った。窓の方向を見ながらぼんやり休憩していたローズは、コタロウが扉を前脚で引っかき出したのを見て立ち上がる。

「誰か来たの」

 問いかけながら、リードを付けて扉を開ける。

「あ……せんせい、失礼、します」

「ああ、ランスさん、こんにちは」

 互いに微妙に視線をそらし挨拶をした。ローズが救出された秋以降、多忙過ぎてまともに会話を交わせていない。ミシェルが捕縛されて、護衛が必要なくなり、顔を合わせる必然的機会が減少しているのも要因の一つである。立ちすくむランスロットの足に、コタロウは遠慮せず甘噛みをした。

「こら、コタロウ、だめよ」

 コタロウは背を大きくしならせて、遊びに誘う体勢を取る。

「遊ぼうって、ランスさんは遊びに来たんじゃないのよ」

 笑い声を上げるローズに、ランスロットは僅かに目元を緩めた。

「いえあの、誘いに……来ました」

 小声になるランスロットをまじまじと見つめて、ローズは遠い昔、かわいい後輩だったランちゃん――ランスロットに食事に誘われた日の事を思い出す。無言でランスロットを見つめ続けるローズに困惑し、ランスロットは一歩後退した。

「せんせい?」

「せんぱい、じゃなくて?」

 彼女の囁きは彼の耳に届き損ねる。

「え?」

「ううん、なんでもない。お誘いって、遊ぼうって? ふふふ」

 普段通り明るい声で柔らかな笑みを見せるローズに、ランスロットは背筋を伸ばして大きく頷いた。

「はい、ルークが特別捜査部隊の慰労会を企画しまして」

「ふふ、へえ、そうなんだ。騎士団てそんなことするのね」

「いえ、初めての試みです」

 慰労会の誘いすら固い口調なのが彼らしい、ローズはずっと小さく笑い声を上げている。

「いつ、どこでですか」

「今日これから、花のやで、シアさんが貸し切りにしてくださるそうです」

「あら、素敵! 毎日花のやに寄ってご飯食べてるから、予定通りといえば予定通りだわ」

「そう、なんですね」

 コタロウは騎士の足元で伏せをして耳だけ動かしていた。彼女はしゃがんで愛犬の背を撫でる。

「ねえ、見て。コタロウったら、こうやっていい子で人間のお話を聞くのよ。かわいいわよね」

 ランスロットは柔らかな眼差しで一人と一匹を眺めてから、集合時間を告げて行った。



 訓練所を走る二人と一匹を、ターニャとセイラは並んで眺めている。ルークの腰にコタロウに繋がるリードが巻かれていて、誰よりも早く犬が走り、その後ろをルーク、負けないようヒースレッドが走った。夜の入り口、午後の訓練を終えて仮眠を取った後、眠気を覚ましつつコタロウにも運動をさせてやろうというルークらしい計画である。この後特別捜査部隊の慰労会が、花のやで開かれる。一緒に行こうとルークを呼びに来たヒースレッドは、何故かルークとコタロウのコンビと競争することになった。

「はあ、はあ、はあ、勝った」

 ルークは荒い息を吐いて親指を立てる。

「君、じゃなくて、コタロウが早いんだろう」

 膝に両手をついて呼吸を整えていたヒースレッドが、上体を起こして反論した。

「あの、お二人とも、早かったです」

 気遣うセイラの肩を叩いて、ターニャが呆れた声を出す。

「どっちが走るのが早いかなんてどうでもいいじゃない。学園の教養科生徒じゃあるまいし」

「えー、ターニャちゃん冷てえ。ルークったらかっこいいとか、ないの」

「ルークって時々それを言うけど、ないから」

「ええー」

 抗議の声を上げながら、ルークはコタロウに促されて再び走り出した。彼のおかげで柴犬が運動不足にならずに済んでいると言っても過言ではない。

「ふう、元気だな」

 苦笑して汗を拭ったヒースレッドは、セイラが差し出して来た上着を受け取る。

「どうぞ」

「ああ、すまない。ありがとうございます」

 上品に微笑むヒースレッドに、セイラははにかんで頷いた。

「これから、慰労会なんですよね」

「はい、花のやの料理は美味しいと聞いているので、楽しみです」

「……夏の終わりは、イーサンせんせいも一緒に、花のやの屋台で食事してたんですけどね」

 ため息交じりに囁くターニャに、ヒースレッドは俯き、セイラは息を飲んだ。

「ごめんなさい、なんだか、信じられなくて」

「大事な人やお世話になった人が、突然姿を消してしまうのは、辛いです。僕で良かったら、話を聞きますから、言ってください」

 真摯な藍色の瞳に射抜かれ、ターニャの頬に血が上ったが、薄い暗闇が隠す。

「ありがとう、ございます」

 小声でお礼を言ったターニャの足元に、コタロウが突っ込んで来て、フンフンと鼻を鳴らして何かを訴えた。

「お水かな? ルーク、コタロウにお水をあげて」

 一人と一匹は今度は水道に向かって走り出す。薄闇の中で冬で乾燥した訓練所の砂煙が舞い上がった。



 花のやは明るい笑い声で騒がしかった。騎士たちはひたすら杯を空けている。テレンシア、ローズ、チェリーナの大人の女性陣の前に並んでいる瓶の数が一番多い。

「ああ、楽しい、もう、眠いけど」

 欠伸をするローズの肩に身を寄せて、テレンシアが甘えた声で言う。

「嫌、まだ、帰らないで」

「シアって、見た目によらず、甘えん坊なのよね」

 酔った経験はないと豪語するチェリーナは顔色も姿勢も変わらない。

「ふふ、そうですよね、かわいいなあ」

 笑み崩れる女同士の隣には、ランスロットがいて、静かに飲みながら眺めている。

「眠いってよ、送ってけば」

 ランスロットの隣にはメルヴィンがいて、まんべんなく周囲と会話しながら、全体を観察していた。肩を小突かれたランスロットは小首を傾げる。

「帰り、ますか」

 ローズは腕に巻き付いているテレンシアの頭を撫でて、頷いた。

「さあ、シア、チェリ姉が連れて行ってあげるわ」

 チェリーナはふらつくテレンシアを奥へ誘導する。ローズはお酒を飲まない若者二人と一緒にカウンター付近にいるコタロウを連れて外へ出た。

「わあ、寒ぅ」

 強い北風が赤みがかった長い髪を揺らす。

「大丈夫か」

 扉から出て来たメルヴィンがそっと彼女の肩に手を乗せた。続いてランスロットが顔を出し、メルヴィンの手は離れる。

「行きましょうか。メル、行くぞ」

 ランスロットは普段より緩んだ口調で言った。

「俺はいいだろ」

「実は少し、酔っている」

 友人の告白に、身構えていた様子のメルヴィンは声を出して笑う。

「なんだよ、それ。俺にお前を連れて帰れって?」

「そうだ。先輩を送る俺をお前が送る」

 生真面目に頷くランスロットに、ローズとメルヴィンは顔を見合わせて笑った。

「アオ―」

 さあ行くぞ、とばかりに愛らしい鳴き声を上げるコタロウを先頭に、三人は冬の夜道を歩き出した。

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