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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第五章
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早春の灯ー1

 王都セリーナで最も大きな医院であるヤーン総合医院の前に立ち、ローズは何度か手を握っては開く。診療所で勤務していた時に何度か患者移送で訪れた事はあるが、王宮で働き出してからは初めてだった。

「すみません、隔離病棟はどちらでしょうか」

 すました顔をした受付嬢が、つっけんどんに案内を寄越す。

「うちの子たちの方がいい子だしかわいいわ」

 言われた通りの階層へ向かいながら、ぼやいたローズは、病棟の前に立つ旧知の騎士に笑顔になる。

「ガンメタールさん、こんにちは」

 イーサンをヤーン総合医院隔離病棟に移送して三日経っている。ナロキソンによって昏睡から目覚め、容体が安定した。病棟前には警邏部の騎士が交代で監視に就いている。

「やあ、ローズせんせいじゃないですか。ああ、そうか、彼の診察ですかな」

「ええ、もう、だいぶ長い時間起きていられるようになったと、聞いたので」

 騎士団は牢で治療できない者を監視収容する施設を持っていない。今後のためにヤーン総合医院に相談した結果、精神の病で正気を保てない患者を収容する病棟の一部を、監視対象の罪人の治療に貸し出してくれることになったらしい。交換条件として院長次女であるユーフェミアの刑の減刑を願い出ている。

「中はなんだか寒いんで、冷えんようにのう」

 ガンメタールの心配通り、薄暗い病棟内は陽射しが届かずひんやりしていた。厳重に錠をかけられた鉄格子扉の前で、中をのぞくと長身の男が顔をのぞかせる。

「ナックル、開けて」

「ああ、来たか、ワーロング。患者の容体は安定して来ている。ノルディアで見た症例と比べても回復が早いようだ」

「……先に開けてくれるかしら」

 鉄格子を挟んでする会話ではない、との苦言を堪えて、ローズは辛抱強く待った。ナックルは鍵を開けて彼女を招き入れる。

「もう、四六時中の見守りは必要ないだろう。お前が忙しいなら、俺は暇だから、主治医を代わってやってもいい」

 ローズは眉間に皺を寄せて首を横に振った。

「診療所には戻らなくて平気なの?」

「長期間ノルディアにいたものだから、もう戻るつもりがないと判断したらしい」

 彼は淡々と答える。

「ええ? うーん、まあ、それもそうか。診療所は忙しいもの」

 各地へ出張して治療に励んだ日々を思い出し、ローズは肩をすくめた。

「そんなわけで暇だ。モールフィはもっと臨床研究するべき薬だ」

「それって結局、ナックルがモールフィに興味があるから、なるべく多くの臨床例をみたいってだけじゃないの」

「そうとも言う」

 この元同僚と会話していると噛み合わない上に際限がないので、切り上げて病室へ入った。

「食事でもしてくる」

 声だけかけて姿を消すナックルには答えず、ローズは起き上がって窓の外を眺めているイーサンに声をかける。

「せんせい、こんにちは」

「ああ、ローズ君……」

 呟いた後、イーサンはしばし言葉を発する事ができずに黙り込んだ。寝台横の椅子に腰を下ろしたローズは、持参した袋を渡す。

「りんごです。ターニャから」

「ターニャ君とセイラ君には、本当にお世話になったと聞いている」

「ええ、そうです。私がミシェルに誘拐されている間も、二人で夜の看護をしてくれていました」

 袋を抱えて口を噛むイーサンの手首をそっと掴む。黙って脈を取るローズに、イーサンは苦く微笑んだ。

「呆れて、いるだろう。医師としても人としても越えてはいけない山を越えた」

 痩せて力の抜けた彼の手を解放し、ローズは無言でイーサンの細い目を見つめる。

「クララがもうダメだと悟った時、最期は静かに逝かせてやりたいと思った」

「どんどん、痛みが強くなる病だったと聞いています」

「ああ、医師だというのに見ていられず、母にほとんど看護を任せていた時期もある」

 イーサンの母は孫娘のクララが亡くなると、息子に追い出されるよう、王都外の故郷へ帰されたらしい。イーサンの昏睡の知らせを送った手紙に返事は来ていない。

「昔の同僚医師などの伝手を頼って、効果がありそうな鎮痛薬を探し回った」

 その結果、違法薬に辿り着いてしまったのだと、理解する。ローズは視線を落とした。

「モールフィの特性を聞いて、液体抽出して純度を高められたら、クララに少しずつ投与して、苦しみを軽くしてやれると思った」

 ローズは静かに深く息を吐く。冷静に聞こうとしているが、胸が締め付けられた。

「……娘さんは、苦しまず、逝ったんですか」

「……ああ、逝ってしまった」

 胸もとを押さえて咳き込むイーサンの背を擦る。

「一度横になって休んでください。無理は禁物です」

 彼は素直に横たわり目を閉じる。

「何度も薬を詰めたアンプルを閉じては、ミシェル・ムーに渡した。クララのために始めたことだが……抜け出せなくなっていた」

 声が掠れてもイーサンは続けた。

「せんせいご自身にも定期的に注射していたんですか」

「いや……少量ずつ試しはしたが、致死量を投与したのは、こうなる直前だけだ」

 生き延びてしまった事実を受け止めきれているのかどうか、ローズには判断できなかった。これ以上の会話は負担になると判断し、その日は後をナックルに任せて退室した。


 翌日、ローズは再びヤーン総合医院にいた。

「ナックル、昨日の話だけど、お願いする事にした。チェリーナ補佐官に頼んで騎士団にも話は通したから」

「わかった」

 軽く答えたナックルは、再びローズをイーサンの病室に置いて出て行く。イーサンは起き上がって昨日よりはっきりした眼差しで彼女を見た。

「やあ、ローズ君、連日すまない」

「はい……申し訳ありませんが、私が来るのは今日で最後です」

 告げながら脈を取り、患者の顔色や様子を伺う。

「せんせいが作り上げた医局は……私が引き継ぎます。だから……心配しないで」

「……すまない、ローズ君。負担をかける」

「ええ、本当に大変です。でも……短い間でしたが、せんせいにはお世話になったし、色々と学ばせてもらいました。だから」

 それ以上は言葉にならなかった。泣き出したいような、怒り出したいような、複雑な心が表情に出ているのだろう。イーサンも困った顔になる。

「ミシェル・ムーは捕まったと聞いた。私もなるべく早急に裁かれねばならない。歩けるようになったらリー医師が手続きに同行してくれるそうだ」

「あら、そうなんですか。ナックルは大きいだけで私よりも非力ですから、倒れない自信がついてから、外出した方がいいですよ」

 少しだけ笑い声を残し、ローズは立ち上がる。イーサンは眩しそうに彼女を見上げた。

「……元気で」

「ええ」

「ターニャ君とセイラ君にも礼と謝罪を伝えてくれたまえ」

 深く腰を折って一礼し、ローズは退室する。病棟を出ると日は高いが風が冷たい。見張りの騎士に挨拶をして、木陰で震えながら昼食を食べるナックルを笑い飛ばし、帰路に就いた。

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