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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第四章
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夏影の剣ー10

 毛足の長い真っ白な毛に覆われた犬が、扉の向こうでお座りをしている。ルークの知り合いだという邸に招き入れられたローズは、客間で数時間仮眠を取らせて貰った。

「お姉ちゃん、起きましたか」

 犬の後ろから少女が顔を出す。覚醒しきらないまま起き上がったローズの口角は自然と上がった。

「あら、かわいい」

 優しい声に少女も犬も入室して来る。部屋の中の匂いを確認しながらローズに近づいたサモエド犬は、飼い主らしき少女を見て鼻を鳴らした。

「良かったら、浴室を使ってください。うちの騎士たちが準備しました」

「それは、助かります。ありがとう」

「え、えへへ、はい」

 少女はサモエドに寄りかかりながら、ローズをチラチラと見ては嬉しそうに笑い声を上げる。

「こっちです、お姉ちゃん……うふふ」

 案内に歩き出す少女の後ろを、サモエドが尻尾を振りながら付いて行った。一人と一匹は時々ローズが来ているか振り返る。

「お名前を聞いてもいいかしら? 私は、ローズです」

「あ、えと、この子はホワイトです! サモエドです。賢いです」

「ホワイトちゃん、本当、賢そうね」

「はい! ローズお姉ちゃん、綺麗な名前。ぴったりですね」

 身体を揺らしながら元気いっぱいに褒められて、ローズはクスクス笑い声を上げた。少女の邪気のない好意が心地好い。浴室で湯を浴び、浸かって身も心も温まったローズは、次に食堂へ連れて行かれた。

「まあ、美味しそう」

 焼きたてのパンからバターが香り、オニオンスープは湯気が立っている。スクランブルエッグとボイルドポテトに加えて、林檎のコンポートまで添えられていた。

「お姉ちゃんは、とてもお腹が空いているってルークお兄ちゃんが言ってたので、デザートも付けました」

 目を輝かせたローズは、老齢の執事が注いでくれた水を一口飲んだ。

「本当に、感謝します、いただきます」

 心づくしの食事を黙々と堪能し、ローズはもう一度丁寧に礼を言った。ローズに慣れた様子のサモエドのホワイトが、食後の珈琲を楽しむ彼女の足に鼻面を押し付ける。

「はあ、かわいい。コタロウに会いたくなっちゃう」

 手を舐めるホワイトの顎下を撫でてやり、ローズは隣に並んで期待を込めた顔をした少女に小首を傾げた。

「その、できればお嬢様も撫でて差し上げて頂けますか。女性のぬくもりに飢えていらっしゃいまして」

 執事に促され、少女の頭を撫でてやると、彼女ははしゃいだ様子で駆け去ってしまう。

「ワフ」

 残されたホワイトは、ローズにチョンと鼻先で触れて挨拶をしてから少女の後を追いかけた。

「お客様、騎士様がお迎えにいらっしゃいました」

 食後にぼんやり窓の外を眺めていたローズは、執事の声で我に返る。濃紺の警邏の上着を渡された彼女の表情は引き締まった。

「また、来てね」

「ええ、お礼に来るわ。コタロウも連れて来ていいかしら? ホワイトちゃんが遊んでくれたら、嬉しいわ」

「はい!」

 犬の代わりに明るく返事をした少女に別れを告げ、ローズは馬車に乗り込んだ。


 護送用の馬車と付き従う馬上の騎士たちを見送る。ローズの護衛にランスロットとルーク、御者役にメルヴィンが別荘地に残った。親交の深い者の方がローズの心理的負担が少ないだろう、というパーシバルの配慮だ。

「シャツだけじゃ寒いだろ、中に入ってろよ」

「いや、いい」

「あの、俺は入っててもいいっすか」

 ちゃっかり馬車の中へ入るルークを見送り、ランスロットは馬車に軽く寄りかかり腕を組んだ。メルヴィンは馬の元へ歩み寄って首を撫でる。

「メル」

「なんだ」

「あの人は……平気な顔をしているだけだろうか」

 虚空を睨む灰色の目には感情の揺らぎが見えた。こけた頬と目の下の隈、青白い顔色は、学園時代の彼女の記憶と重なる。

「暴行は受けていないみたいだったな。事後避妊薬もいらねえって」

「そう、か。気まずい役回りを任せてすまない」

「いいって。俺が聞いた方が、ローズも……ローズせんせいも、気兼ねなく答えられるだろ」

 御者席へ上がったメルヴィンは、馬の背中を見ながら軽い口調で言った。友人の表情が見えなくなる。ランスロットは組んでいた腕を解いた。

「それは、どういう意味だ」

「どういうって……俺は、違うから」

 何が違うのか、問い返す言葉が出て来ない。メルヴィンもそれ以上説明せず黙り込んだ。爽やかな秋風を浴びながら、ローズを待つ騎士たちは静かに思考に沈んだ。


 

 午後の陽が緩く差し込んでいる。窓の外を見上げたコタロウは、むくりと起き上がり、扉へ駆け寄った。山積みとなっている書類と格闘していたチェリーナは、扉に飛びついて前脚で引っ掻くコタロウを見て小首を傾げる。

「お散歩に行きたいの?」

 問いかけた直後、チェリーナは椅子を蹴って立ち上がった。扉が開いて、パーシバルが顔をのぞかせる。執務室内はノーリードで過ごしていたコタロウが空いた隙間から飛び出した。

「おっと」

 捕まえようとするパーシバルの手をすり抜け、一目散に階段を降りる。本殿一階のホールは騎士や官吏が慌ただしく行き来していた。前後左右縦横無尽にステップを踏みながら、コタロウは騎士棟との連絡口側の扉の前で一度止まる。

「ルーク・レコメンドか、ご苦労だったな」

「はい、後から、ランスロット・リーガルン部隊長とメルヴィン・モーガンが、救出した医局のローズ・ワーロング医師を連れて参ります」

 黒狼隊の騎士が手元の帳面を確認している隙をつき、コタロウは騎士たちの足元をすり抜けた。

「え? コタロウ?」

 驚きの声を上げるルークの足に一度だけ前脚で飛びつく。

「ちょ、待てって」

 捕まえようとしゃがんだルークの手を後ろ足で蹴りながら、コタロウは走った。

「止まれ、コタロウ」

 息を切らして追いかけて来たパーシバルの声で、コタロウは一度振り返った。

「ワン!」

 大きく吠えて再び脱兎のごとく走り出した柴犬が、人間では到底追いつけない速度まで加速する。コタロウはハアハアと息を吐きながら風を切る。

「コタロウー」

 背後の連絡口付近からチェリーナの声がした。全速力のルークがコタロウに追いついた時、柴犬は目的を達成して足を止めた。

「コタロウ、コタロウ」

 しゃがんで腕を広げるローズの胸に飛び込んだコタロウは、彼女の顔を舐め回し、興奮したまま一度離れて、ランスロットとメルヴィンの足にも跳び付いた。三角の耳を倒して尻尾を振り回し、全身で喜びを表現するコタロウの姿に、追いついたチェリーナも頬を緩める。

「速いな、コタロウは」

 パーシバルが低く呟き、息を整えながらルークが目を細めた。

「せんせいに会いたかったんすね」

 一しきりコタロウの歓迎に付き合った後で、ローズは見守る面々にゆっくり頭を下げた。


 テレンシアに泣きながら説教をされ、自宅で泥のように眠った翌日、ローズは久しぶりに一人で出勤する。彼女を直接拉致した偽点灯夫は捕縛されていないものの、自由行動の許可を得ていた。裏稼業の請負人(なんでもや)について調査していた第十三部隊調べで、王都を出ていると聞いた。

「せんせい、コタロウ、ううう」

 医局に足を踏み入れた途端、ターニャにも号泣され、セイラにも縋りつかれた。

「よう、ワーロング」

 受付嬢たちを休ませるために一度追い出したローズは、診察室の扉を開けて入って来た人物に驚いて立ち上がる。

「ナックル・リーじゃない、どうしたの」

 続いてチェリーナも姿を見せた。

「あ、チェリーナさん、お疲れ様です」

「はい、せんせいも。戻ってすぐ出勤されて、恐れ入ります」

「いえ……何故、ナックルが?」

 長い前髪に眼鏡、見上げるほど長身だがローズより軽いのではと疑わしいくらい細い。一度見たら忘れない容貌をしたローズの診療所時代の同僚は、無遠慮に近づいて、イーサンをのぞき込んだ。

「リー氏が、反転薬をお持ちです。先ほど、許可をもぎ取って来ました」

「ノルディアの研究所で仕事を手伝ったら分けてくれた」

 ローズの元同僚は診療所を退職し、勉強を兼ねて隣国ノルディアに出向いていた。

「投与していいんだな?」

 彼はチェリーナとローズの顔を見比べて問う。ローズは立ち上がり、注射器を準備した。

「騎士団として経過を見守ります」

 チェリーナが寄って来たコタロウの顎を撫でつつ宣言する。二人はナックルの慣れた手つきを固唾を飲んで見守った。

「脈をとるわ」

 ローズが黙って数を数えている途中で患者の胸郭が少し大きめに膨らむ。イーサンの指先が僅かに動き、眉間に皺が寄る。

「聞こえますか。イーサンせんせい」

 唸り声の後で薄っすら細い目が開いた。

「……クララ……」

「ワーロングはクララか」

「ローズよ、クララは娘さんの名前」

 とぼけたつぶやきを漏らすナックルを睨んで、ローズは一先ず意識の戻ったイーサンを注意深く見守った。

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