夏影の剣ー8
上品な笑みを浮べた老婦人が、装飾の付いた日傘を揺らしながら、馬車通りを通り過ぎる。ミシェルは笑顔で会釈を返し、馬車に乗り込んだ。一週間の約束で送迎を頼んでいた御者に、銀貨を五枚渡す。
「こんなに?」
「あちこち行って貰ったからね、今日はまた、街道の外れの方まで頼むよ」
「いやあ、旦那みたいな色男でも、ご令嬢と結ばれるのは苦労するんですねえ」
「彼女の親御さんに認めて貰おうと努力はしたのだけれど」
花街で酒を奢って手懐けた男に、駆け落ち話を吹き込んで、一週間の御者役を引き受けさせている。
「じゃあ、行きますよ」
小窓から赤や黄色に色づく落葉樹を眺めていると、出かける直前のローズの眼差しが思い浮かんだ。
「顔色が良くないわ、私ほどじゃないけど」
こちらを観察して値踏みしている、そう感じさせる碧色が煩わしい。交際していた頃とは異なる。
「もうすぐ。のんびり暮らしたらすぐに元に戻る」
小さな農村をいくつか通り過ぎ、王国騎士団の街道の監視詰所付近へ辿り着いた。歩き回って地理は把握してある。
「さあ、これが、最新の痛み止め薬です」
「これじゃあ、足りない」
「大丈夫、明日また持って来ますから、手筈通りに頼みますね」
小さな村に騒ぎを起こすための火種を撒いて、美麗な笑みを浮べた男は待たせていた馬車に乗り込んだ。
小柄な男が苛立ち紛れに肩をいからせて歩いている。
「痛っ、気を付けろ」
向かいの男が余所見をしており、二人の肩がぶつかった。
「これはすまねえ、兄さん。ちょっとほら、あっちをつい眺めてたもんで」
男の視線の先に、警邏の制服に身を包んだ騎士が五名ほどいた。貧民街の方向へ向かって行く様子だ。足早で緊張感のある騎士たちの背を見て、エリオットは帽子を目深に被る。
「いい加減に別のネタを持って来い」
編集長はエリオットの原稿を放り投げた。
「王都で麻薬が流行しているのは明らかです」
「そのネタはまだ、寝かせて置け。いいな」
納得は行かなかったが、掲載可否の権限は編集長にある。癒しを求めて繁華街へ向かおうとしていたエリオットは、騎士の後を追いかける方へ舵を切った。貧民街の路地を抜け、穀物庫だったらしき廃墟も過ぎる。封鎖された橋を横目に、迷いなく歩む騎士たちを小柄な記者が必死で追いかけた。真実を追うため尾行くらいは日常的にしている。何度か対象に見つかって殴られた事もあるが、後悔はしていない。エリオットは、騎士たちが舟着き場だった場所へ下りて行くのを、朽ちかけた橋の上からそっと見守る。
「これを全部片づけるとなると、捜査じゃなくて掃除じゃのう」
がっちりとした中年の騎士の言葉に、周囲の騎士たちは笑い声を上げた。騎士たちが瓦礫の山の中から、流線形の小舟を見つけ出すまで全て見届けた。
「何年も放置されていた舟ではありませんね」
「ふむ、一度特捜へお伺いを立てた方が良いかのう。すまんが、行ってくれるか」
一人だけ戻って来た騎士に見つからないよう、エリオットは急いでその場を離れた。
夕刻、特別捜査部隊の面々と第十三部隊より代表のノックス・ヘイズが集合している。
「じゃあ、まずは俺から。ガンメタ爺さんが、地図に載っていなかった貧民街の舟着き場で、新しそうな舟を見つけて確保してくれた。二、三日以内に使った形跡はないようだ」
立ち上がったメルヴィンに驚いたらしく、うとうとしていたコタロウが鼻を鳴らして動き出し、彼の足を甘噛みし始めた。
「おい、コタロウ、痛えって。悪かったよ、驚いたんだな。んん、ええと、気を取り直して。昨日の夜、郊外方向の別荘地まで行ったヒースとルークが、筆頭らしき男が出入りしている建物を見つけて来た」
照れ臭そうに視線を落とすヒースレッドと、得意顔で胸を張るルークに、パーシバルが笑みを向ける。
「よくやった、ヒースレッド、ルーク」
メルヴィンは腰を下ろして、まとわりつくコタロウの背を撫でた。チェリーナが立ち上がり、壁に貼り付けた地図を指し示す。
「この、彼らが見つけた舟着き場の周辺は、荷馬車の通行が多い区域です」
水路図にチェリーナ自らが書き加えた舟着き場が赤で囲われていた。
「ここを起点に潜伏場所を予想した結果と、ヒースレッドとルークが持ち帰った情報を精査しました」
ルークの実家へ行く途中にある郊外の別荘地に向かって、チェリーナが赤で線を引く。他の候補地は青い線とバツ印が記されていた。
「青とバツは検討した結果、可能性が薄いと判断した場所だ。赤が違ったら再検討する」
パーシバルが立ち上がり、地図を貼り付けた壁の前へ移動して騎士たちを見渡した。
「ランスロット」
「はっ、別荘在住のご婦人の証言から、筆頭が夜のうちに隠れ家へ戻っていると推測できます。包囲して捕縛します。邸にはローズ医師も囚われている可能性が高い。人質奪還も同時に行います」
ランスロットの次にノックスが挙手をする。
「十三部隊の動きをここで明確にしておいてくれ」
「はい、我々は、突入しません。邸の外で待機する班、逃走経路で待機する班、念のため、支流を監視する班で分かれます」
王都に置き去りにされた小舟は、ガンメタール以下第一部隊の騎士たちが、重りとして鎖を巻き付けて簡単には移動できないようにしてある。
「装備品を確認して動線を正確に把握しておいてください。現場で計画の変更を余儀なくされる場合の別案にも目を通しておくように。ミシェル・ムーは銃を所持しています。対処について今一度確認をしてください」
最低限必要な情報を端的に述べるチェリーナが、過剰に注意事項を並べた。緊張で僅かに震えるチェリーナの足に、コタロウが寄って来て身体を擦り付ける。
「あなたのご主人を、助け出すからね」
囁いて彼女は柴犬の温かな茶色の毛並みを撫でた。
ミシェルの手が無遠慮にローズの頬に触れる。眉間に皺が寄るのを我慢できない。
「まだ、怒っているの」
顔を寄せられて横を向いた彼女から一歩遠ざかり、ミシェルがため息を吐いた。
「ミシェル、一つだけ、聞きたい事がある」
今日戻って来たミシェルは、ローズに真新しい着替えとしっかりした食事を用意している。艶めいた眼差しのミシェルの肩を軽く押しやり、ローズは自身の肩を抱いた。
「イーサンせんせいの、こと……娘さんのために、モールフィに手を出した、そうよね」
「他の男の話なんかして、妬いて欲しいの?」
彼の中低音に甘さが乗る。
「娘さん、亡くなっているのよね」
ローズは声を大きくして、再度問いかけた。
「ああ、そうみたいだね。良かったんじゃないかな? 痛くてまともに眠れないくらい病状が進行していたらしいよ。イーサンがモールフィを液体にしてくれたから、仕入れ値も抑えられて助かった」
額を押さえて目を閉じたローズは、ミシェルに抱き寄せられて肌が粟立つのを感じた。
「離して……まだ、そんな気分になれない」
「そっか、そうだよね。楽しみにとっておくよ」
うっとり囁く彼に彼女は返事を諦めた。鼻歌を歌いながら出て行くミシェルを茫然と見送り、ローズは強く首を左右に振った。
「たった四年で、こうも変わるのね……いえ、見えていなかっただけか」




