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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第四章
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夏影の剣―2

 コタロウを散歩に連れ出すルークを見送って、机に着く。カウチで仮眠を取っていたパーシバルは、けだるそうに起き上がった。

「ローズせんせいと親しいという居酒屋店主の事だが」

 隣に腰を下ろした彼が、流し目を寄越す。執務室には女性が不在だったので、色気のある仕草が無駄に垂れ流された。

「はい、花のやのシア殿です」

「ああ、そう、テレンシア・トポロジー。チェリーナと同じ孤児院出身らしい。特に親しい仲ではないようだが」

 欠伸を噛み殺して肘を着く上司に流されず、ランスロットは背筋を伸ばしている。

「補佐官と……それは初耳でした」

「だよな。まあ、それはいい。俺が言いたいのは、貴殿かメルヴィンに、花のやへ行って貰いたいという事だ」

「はっ、承知しました」

「……何しに行くか言っていないが」

「はい、伺います」

 生真面目に返すランスロットに苦笑して、パーシバルはアッシュグリーンの髪をかきあげた。

「セリーナ・タイムズの記者が常連だろう? 情報を漏らさないよう釘を刺して来てくれ」

 頷いてすぐに立ち上がる部下を手で制し、臨時部隊の隊長は表情を引き締める。

「焦るな」

「失礼致しました」

 自分の机に戻ったパーシバルが引き出しから書類を持ち出した。

「本殿への通行許可証だ。事前申請なしで王宮内へ入れる。ローズせんせい救出に成功したら、いつでも来られるよう図らった。メルヴィンは彼女から、顔と腹に一発ずつ喰らったらしい。心配だけならいいが、怒りの余り口を滑らせてもらっては困る」

 黒狼隊の認証印を押した書類を忍ばせ、ランスロットは花のやへ向かう。繁華街の外れ、西住宅街へ向かう途中にある花のやは、品の良い騒めきに包まれていた。

「ねえねえ、ランスさん、前髪」

 ローズの家で酒食を共にした時、酔った彼女が自身の前髪を乱れさせたことを思い出し、かき回す。

「せえっかく、うちにいるのに、警邏中ですって髪型だったもの」

 楽しそうな笑い声まで蘇り、ランスロットは小さく首を左右に振った。警邏の制服は脱いで、黒の上着に襟巻を口元まで巻いて顔の露出も最低限にしてある。変装や擬態は苦手分野だが少しずつ克服したい。

「席はありますか」

 店内を見回してカウンターの一番奥が空いているのを見つけた。

「どうぞ」

 襟巻を下ろした事で露出した男の顔をまじまじと眺めて、テレンシアは声を潜める。

「ランスさん、だったかしら」

「はい、話をさせてください」

「ええ……ワインでいい?」

 瓶と杯を置かれ、揚げた芋と茹でた豆が添えられた。流れるような手つきに騎士への怒りは見られない。

「お願いがあります」

 ワインを注いで口に含んでから居住まいを正す。周囲に聞こえないよう顔を近づけていた二人は、突然滑り込んで来た名刺に驚いて口を噤んだ。カウンターの上を音も無く滑った名刺の後に、抗議の声が続く。

「あの、距離が近すぎやしませんか!」

 小柄な青年がランスロットのすぐ隣に腰を下ろし、滑らせた名刺を軽く叩いた。

「どうも、セリーナ・タイムズで記者をしている者です」

 返答に窮して二人とも無言になる。

「王都で最も有名な新聞の記者です。面白い話なら是非僕にも聞かせてください!」

 鼻息の荒い小柄な青年――エリオットを無表情に見返し、ランスロットは軽い会釈をした。

「お客さん、少し静かにしてもらえますか。記者の方が気にする話なんてしていませんから」

 冷たく断じるテレンシアに、エリオットは肩を落として口を開ける。

「そ、そんな」

 記者の青年をまるで取り合わないテレンシアを見て、ランスロットは釘を刺す必要などなさそうだと判断した。黙ってワインを飲みながら、出されたツマミを平らげる。

「お、また、シアさんに振られてんのか、エリオットも懲りないねえ」

 明るい酔っ払いの声が割り込んで来た。

「あ、え、いや」

 肩を掴まれてテーブル席へ連れて行かれるエリオットに、店主は一瞥もくれない。

「で? 続きをどうぞ」

 空になった皿が下げられてカウンターの上が空く。ランスロットの懐ろから出た封筒が置かれた。気づいたテレンシアはさり気なく手を伸ばして前掛けのポケットにしまう。

「約束を守れず申し訳ありません。彼女が戻ったら、いつでも会いに行ってください。また、先ほどのように、彼の事を追い払って貰えると我々としても助かります」

 ランスロットはポケットから大銅貨数枚を出してカウンターに置いた。

「ああ、それね。当たり前じゃない。あの子に何かあったらどうするのよ。馬鹿にしないで」

「失礼しました」

 小腹を満たして喉を潤した途端、焦燥と寝不足が染み入り、強い眠気が襲って来る。瞬きを繰り返しながら店を出たランスロットは、冷たい北風に肩を竦めた。外套のボタンをはめて襟巻を巻き直す。空には半月が輝いていた。



 学園本館の書庫で参考資料を並べて自習していたランスロットは、肩を叩かれて我に返った。集中し過ぎて周囲への注意を怠っている隙に、目の前に見覚えのある顔がいる。

「あ、え」

「ふふ、熱心ね。もう、次年度の範囲も学んでるんだ」

 耳に熱が灯る。訓練場で会った碧眼の少女だった。書庫にランタンが点く時間なのだと、彼女の白い頬が照らされた様を見て思う。

「市街地理かな。地図を見ながら歩いた方がわかりやすいよ。君、王都出身?」

「はい……あ、歩いたこと、あります」

 答える声が緊張で震えた。少女は一瞬困った顔をしてから、ゆっくり手を伸ばしてランスロットの頭を撫でる。

「かわいい、緊張してる? 名前聞いてなかったよね、私、ローズ」

「あ、その……ラン…ㇳです」

 目元に影ができる濃い睫毛を忙しなく動かし、ローズは小首を傾げた。

「ラン、ちゃん? かわいい名前だね」

 心臓が煩く跳ねすぎて、口から音のない吐息だけ漏れる。

「ふふ、騎士科って女の子少ないから、嬉しくて声かけちゃったの。ローズ先輩は怖くないよ、覚えてね」

 さっと隣の椅子に移動したローズは、肩同士を擦り合わせて楽しそうに笑った。少女同士特有の距離の近さに免疫のないランスロットは固まって動けない。甘くて爽やかな果実水のような体臭が香る。

「もう、閉めるよ」

 居眠りをしていた書庫当番の生徒に追い出され、二人は専門教室が並ぶ翼廊を歩く。緊張して相槌すらまともに打てないランスロットだったが、ローズは楽しそうに話し続けた。

「さすがに訓練場も真っ暗だね」

「はい」

 春が近い夜は雲が多い。寮へ向かう通路に立つガス灯はぼんやり薄い明かりを落としている。ローズは何度も後輩を振り返り、小股でゆっくり歩く。声には好奇心が満ちていた。

「実技だと何が好き? 私はね、実は馬術が好きなの。動物が好きだから。ただ最近ちょっとお尻が重くなって一回で上がれなくなって来て。ランちゃんはまだ軽々行けそうでいいなあ」

 鞄の取っ手を握りしめ、ランスロットは立ち止まる。

「自分は、剣が好きです。でも、負ける事が多いです」

 訓練場の暗闇を睨んで、忸怩たる気持ちを明かした。ローズが気さくに話を振ってくれるので、答えなければと必死で言葉を絞り出す。

「力が弱くて、鍛えてますが、足りて……いません」

 途中で悔しさがこみ上げて語尾が震えた。

「ランちゃんて真面目で真っすぐぶつかっちゃう方かな?」

 空いた方の手を取られて握られ、ランスロットは再び言葉を忘れる。

「え、あ」

 彼女は彼の掌のまめに気づいて優しく撫でた。

「掌、固いね。しっかり素振りしている証拠。いくら振っても身体の軸がぶれてなかったし、目もいい。かわいい子がいるなあって、こっそりじっくり見たから知ってるよ」

 少女が触れている手に神経が集中し過ぎて痺れたような錯覚がする。彼の手を解放したローズは、今度は伸びた前髪に手を伸ばした。

「切らなくてもいいから、整えて、良く見る。で、対策を立ててから仕合に臨む。私は最近色んなところが太って来ちゃって動きが鈍くなって来たけど、ランちゃんは素早く動けるはず」

 制服の胸元を押さえたローズは、軽い足音を立てて訓練場に併設された武具庫へ走って行く。少年は束の間の解放に、大きく息を吐き出した。

「ローズ、先輩」

 木剣を携えてやって来たローズの名を呼んでみる。

「うん、見てて」

 授業で教わった基礎の(かた)とは異なる形を披露するローズに、思春期の入り口に立っている少年は見惚れた。見学しているうちに、勉強熱心な生徒である彼は、彼女が旧王時代の攻撃特化型の形をなぞっていると気づく。寒空の下、雲間から半分の月が顔を出しては隠れた。

「力が弱いうちは、防ごうとしても剣ごと飛ばされちゃうから、先手必勝で素早く動く、受け流して切り返す。ね? こっちの形は教えてくれないけど、仕合に応用するのは自由だから」

「はい、あの……教えて、貰えますか」

「うん、いいよ。でも今日はもう遅いから、また今度ね。さあ、帰ろう、お腹空いたな。夕ご飯何かなあ」

 無邪気に笑って歩き出したローズの背を追いかける。少年ランスロットの胸を甘い何かが締め付けた夜だった。


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