警邏部の新人ー4
予約通り十人の騎士や上級使用人の診察を終えたローズは、ブラウスの二つ目のボタンを外して、両腕を頭上に伸ばす。
「んんーっ、はあ」
大きく伸びをして心地好い疲れを感じていると、ノックの音が聞こえた。
「ローズせんせい、まだお時間大丈夫ですか。警邏部の部隊長さんがいらっしゃってます」
ターニャが戸惑いがちに声をかけつつ扉を開ける。小柄な彼女の頭二つ分ほど上に整えられた金髪の騎士の顔が見えた。
「突然申し訳ございません。自分は、警邏部第一部隊長、ランスロット・リーガルンと申します」
折り目正しく頭を下げるランスロットに、ローズはしばし唇を尖らせて考えを巡らせた後で、口の端を持ち上げる。
「予約外診察をご希望という訳ではなさそうですね」
今日も話題に上った新人騎士ルークが警邏部の第一部隊に所属していた事実を思い出し、ローズはターニャに目配せを送った。小さく頷いて横へずれたターニャにも軽く一礼し、ランスロットはローズの診察室に足を踏み入れる。
「どうぞ、おかけください」
「失礼します」
勧められるまま椅子に腰を下ろしたランスロットの背はまっすぐに伸びている。ローズもつられて少し胸を張った。彼女の豊かな胸元が揺れてしまい、目の当たりにしたランスロットは、僅かに視線を斜めへ逸らす。硬い雰囲気をまとう騎士をローズは口元を引き締めて見上げた。
「こちらで、自分の部下のルーク・レコメンドがお世話になっております」
「はい、ルーク君ですね、何度か来てもらっています」
「部隊長として部下の健康状態について詳しくお聞きしたく、参りました」
「所見と処方については申し送りしておりますが」
「はい、朝起きられない、無理矢理起床しても全力で動き出せるようになるまで大きく時間がかかる、頭痛や腹痛、立ちくらみのような症状も時々あると」
「おっしゃる通りです」
「軽症との判断で薬を処方しているようですが、根治が不可能なら、専門の医院を紹介して頂きたい」
医師としての判断に疑義を挟む物言いに、ローズは不快を押し殺して大きくため息を吐く。ランスロットは視線を落として淡々と言葉を続ける。
「ルークが最初に診察して頂いてからもう三ヶ月になります」
医局は継続的に治療が必要な患者を診る場所ではないので、ランスロットの言い分は的を射ている。ローズは眉間にしわを寄せて唇を尖らせた。
「薬で多少の改善はありますよね」
「確かに頭痛や腹痛は減ったようですが」
「部隊長さんもまだお若いので朝起きるのは得意ではないですよね」
突然自分への質問が降ってきて、ランスロットは瞬きを増やす。面食らった内心を押し隠すように骨ばった手指を組んだ。
「自分は朝はだいたい時間通りに目覚められます」
「何時に寝ても?」
「はい、騎士として当然です」
「うーん、じゃあ、理解しにくいかもしれませんけど、怠惰が理由ではなく朝が苦手な若者って多いんですよ。ルーク君ほど極端ではなくても、朝なんとなくぼんやりするとか、目覚ましをたくさん用意しないと起きられないとか、よくある事なんです。騎士は規律に厳しいお仕事ですし、朝が苦手でなんて方は若者でも珍しいかもしれませんけど、市井ではよく見かけましたよ」
「よくあるというのは、よくある病気という意味でしょうか」
「病気と言えなくもないというか、成長期を終えればおそらく朝だけ体調が悪いという症状に悩まされることは減ると思うんです。この症状の若者に関して専門的に診ている医院はおそらくないと思います。少なくとも私は知りません」
「なるほど。市井では散見される、と。ですが、このままですと、ルークの正規採用を見送らねばなりません」
「ですよね、そう思って、お薬だけでも飲んでなんとかならないかなあ、と、通ってもらってるんですけど」
異例ながら何度も部下を医局に通わせている部隊長は、ルークの症状を寛容に見守っているとばかり、勘違いしていた。
「以前よりましになっているからといって、王都内に警邏巡回に出すにあたって、体調不良の可能性が高い者は……」
言葉を選んで視線を落とすランスロットの声が小さくなる。不本意なのだろう、何度も手指を組み替えた。ここ数年、王宮内での新人育成の方針が変化している。若者は伸び伸び育てようという方向性になっており、騎士団にも部下育成時の不当な暴力や虐待を禁ずる通達が出ていた。武力を至上とする集団である。生真面目にノー暴力ノー圧力を守っているランスロットは珍しいものの、特に若い部下からは慕われていた。
「症状が落ち着くまでは、ルーク君は夕方から夜の警邏に就くようにはできませんか? 例えば騎士の中でもお年を召した方は夜勤が辛いとかあると思うんです。そういう方と交代させたり」
黙って考え込むランスロットを、ローズは再び凝視する。門外漢である自分の意見を真剣に検討しているらしい。警邏部の騎士の勤務が三交代制であることはローズも聞き及んでいる。夜勤が続いて体調を崩した引退直前の騎士が医局に診察に訪れたこともあった。
「勤務体制については自分に裁量が任されているので、せんせいのご意見を取り入れる事もやぶさかではございませんが、持ち帰って検討します」
軽く頷いて肩の力を少しだけ抜くランスロットに、ローズは柔らかな笑顔を向ける。
「民政局の総務が何か言ってきた時用に診断書を書いておきますよ」
わずかに目を見開くランスロットにローズは華やかな笑い声を上げた。
「うふふ、ルーク君は医局での態度も良いですし、前途ある若者ですから、長い目で見守りたいんです。うちのコタロウも懐いてますしね」
「コタロウ、どの?」
つぶやくランスロットの脳裏に人懐こい笑顔のルークが浮かぶ。ランスロットが部隊長となってから、第一部隊は人当たりの柔らかい性質の新人騎士を回して貰うようにしている。街中を見廻る際に王都民から親近感を持たれるように。自分自身のような表情筋が死んでいる騎士は怯えて敬遠されてしまうことも多い。事件の調査などで王都民の協力を得やすいのは圧倒的に人当たりの柔らかい者だ。ルークも人柄を重視して配属させた。
「コタロウは人を見る目がありますからね、それはもう」
うっとりした口調になるローズに、ランスロットは小さく頷く。
「部隊長さんもコタロウにお会いになって行かれますか」
「いえ、遠慮いたします」
怪訝な表情で首を左右に振る若き部隊長を、艶やかな医師がゆっくり立ち上がって見下ろす。
「お時間ありがとうございました」
硬い声で礼を言い、ランスロットも素早く立ち上がって扉へ向かった。
「次は予約して診療時間内に来てください」
「はい、では」
振り返って腰を折った騎士の灰色の瞳は、柔らかに波打つ医師の髪を通過した後で伏せられた。




