閑話ー3 ☆足音を忘れた男
テッテッテ、土を蹴る最小の足音がする。王宮で自分、ノックス・ヘイズより静かに歩けるのは彼くらいだろう。
「コタロウ、元気か」
夏の日差しが全身に降り注ぐ。肌が焼ける。また、夜闇に紛れやすくなる、と隠れる事ばかり考えるのは職業病か。王立学園騎士科を可もなく不可もない成績で卒業し、王国騎士団入団試験は一度落ちて二年目で合格した。実家は老舗の鍛冶屋で、富裕層にぎりぎり引っ掛かる程度の財力を持つ。警邏部の制服を着て王都を颯爽と巡回する騎士に憧れたが、俺が配属されたのは第十三部隊だった。
「クワっふ」
焼けた食パンのようにこんがりと美味しそうな色をした柴犬は、中庭の壁に張り付いて佇む俺に、後ろ足で土をかける。夏だというのに休憩に中庭を選ぶようになったのは、俺の推しが頻繁に訪れる姿を見かけたからだ。
「コタロウ? どこに行ったの? もう戻るわよ」
表庭のように一般公開されていない中庭は、経費節減のために年に数度しか手入れが入らない。鬱蒼と伸びた草に紛れたコタロウの姿は近づかないと見つけられないだろう。
「コタロウってば」
耳障りの良い綺麗な声で名を呼ばれるコタロウが羨ましい。大きな目を細めて愛犬を撫でる姿は何度見ても癒される。物思いに耽る俺の姿は、壁に張り付いているものの、彼女の視界に入ったはずだった。
「あ、コタロウ、いた! もう、隠れるのが上手ね」
ロングリードを付けているのだから、引き寄せればいいだろうに、かくれんぼに付き合って白い頬が赤く色づいている。壁に張り付いたまま、無言で目礼をする俺が、ローズ・ワーロングの視界に入る事はなかった。
「はあ、尊い」
休憩を終えて騎士棟へ戻る。副団長の補佐官を兼ねるチェリーナが第十三部隊にも所属していると知る者は少ない。だらしなく机に突っ伏す俺を、眼鏡の奥が冷たく見下す。
「また、女医のストーキングですか」
「見守りだ」
「声もかけずに周辺をただうろついているのが、見守り」
財務部官吏から警邏部に移籍した異色の経歴を持つ才媛は、嫌いではないが苦手だ。頭脳が明晰過ぎるし、観察力も記憶力も高過ぎるし、何より弁が達者過ぎる。口を閉じて決して返答すまいと決意した俺に、呆れた視線を残し、チェリーナは退室した。
「最近、新しい薬が入って来てるらしい」
鍛冶屋出身であることを活かした作業着姿で繁華街の居酒屋を訪れる。定期的に情報を集めるのも第十三部隊の仕事に含まれる。その居酒屋の店主がローズ医師と懇意なのは偶然の幸運だ。
「へえ? 薬ね」
「女に飲ませれば、ちょっとぐらい乱暴にしても平気だって」
黄色い歯をむき出して笑う下品な男は、気の強い花のやの主から追い出されて出禁となった。
「さっきの輩と知り合いじゃないわよね」
「違う」
「なら、また来てもいいけど。あの子に色目を使っても出禁よ」
夏だというのにフードを被って酒を飲むローズ医師を見て、俺は無言で頷く。大きな音を出さず、記憶に残る香水をつけない。必要最低限の会話で声も中音を維持、髪型も顔立ちもありきたり、的確に俺を表現している言葉だが、同時に第十三部隊の隠密任務時の心得でもある。俺をノックス・ヘイズと知って認識している人間以外に、俺の事を明確に記憶するのは困難らしい。適任が過ぎる。俺が行事以外で警邏の制服を着る事は一生ないだろう。
近衛部黒狼隊には、俺と真逆を行く存在感を放つ騎士がいる。パーシバル・ハリアー、38才で独身、王宮で働く女性の中で彼の名を知らぬ者はいないとさえ言われている。黒狼隊は王宮警備を担うが、副長である彼が警備のためにあちこち顔を出している訳ではない。
「ねえ、さっきパーシバル様を見かけたわ」
「きゃああ、いいなあ、顔を見てるだけで幸せよね」
「顔だけじゃなくて後ろ姿も素敵よ、鍛えてるけどごつすぎず」
「そうそう、扉を開けて押さえていてくれたこともあるのよ、紳士だわ」
「はあ、見染めてくれないかしら」
食堂の女給達が、俺に給仕をしながら騒いでいる。客がいるのに節度を忘れているようだ。俺は小さく咳払いをする。
「んん、んっ」
「でも、あの年増の女医と一緒にいたのよね。あーあ、がっかり」
「一緒にいたって別に恋人同士じゃないでしょ」
「だって、パーシバル様がこう上着を傘みたいにして腰を抱いてさしあげてたのよ、雨だからってそんなことする?」
女給の鼻たれ小娘たちのかしましい会話に嫌気がさし、俺は食堂を出た。真っ白なブラウスが泥だらけになるのを厭いもせず、犬を抱える姿は神話の女神のようだった。医局の女医が美人で気さくで優しいとは聞いていたが、コタロウが訓練場に迷い込んだあの日、彼女が噂以上に素晴らしい人物だと思い知って沼に沈んだ。
「ワーロング医師について語る時だけ饒舌で気持ち悪い」
チェリーナに注意されてからは、心の中だけで賛辞を送っている。
パーシバル・ハリアーを追うよう命じられた時、先入観がなかったとは言い切れない。彼が元部下達を陥れた事件を調べていると気づいた時は驚いた。事なかれかつ権威主義の黒狼隊長に命じられたとは思えない。元部下の友人や関係者に頭を下げて真摯に事情を聞いている。
「モールフィについての資料を精査していたから、不思議に思ったんです。既に近衛騎士への聴き取りは済んでいるので。事件が公けになったら、議会から近衛の薬物感染は責任の所在を追及されるでしょうが、彼は副長ですし、役職に固執しているとは思えない」
俺は彼が聞き込みとして訪ねた件数と態度について書いたメモを渡した。チェリーナが明晰な頭脳と観察力を遺憾なく発揮した結果は、パーシバル・ハリアーは男前過ぎるし、地位も高くて紳士だし、何より女性の注目を集め過ぎている。十三の部隊長として彼の誠実さを歪めて報告するなど論外とはいえ、釈然としない。ローズ医師の隣に立つのに、相応しい男かもしれないなんて思いたくない。もちろん、彼女の周辺をうろつく第一部隊の騎士達も相応しくない。個人の感想である。苦情は受付けない。
パーシバル・ハリアーを隊長とした特別捜査部隊が発足し、俺達の部隊で担っていたローズ医師の護衛という癒し任務が立ち消えた。騎士達から猛抗議されたとチェリーナに報告書を提出したところ、その場で破って捨てられた。
「くだらない遊びに付き合わせないでください。彼女のファンなら、彼女が自由に行動しても安全な状況になるよう協力すべきでは」
眼鏡の奥の眼差しが軽蔑に歪んでいる。見慣れているが、傷つかない訳ではない。
「わかった。すぐに動ける騎士を数名、用意しておく。何かあったら、言ってくれ」
特別捜査部隊に貸し出した騎士が、モールフィ事件筆頭捕縛対象、ミシェル・ムーの尾行に失敗した。
「政変後はあちこちに橋を架けたから、水路が廃れてしまったんですね。裏稼業に利用されるくらいなら、整備して私達で使いましょう」
王都内の逃亡に使われそうな経路をあちこち当たってみたが、ミシェル・ムー発見に至らなかった理由が判明したのは大きい。筆頭を取り逃がしたものの、イーサン・アシッド医師が密売に関わっていた事実は明るみになった。医局の内部資料は精査したが、不審点はない。俺は特捜部に選抜されていないが、他の仕事と同時にモールフィ事件にもどっぷり関わっている。チェリーナの補佐官兼任の余波を受け、副団長直下の案件を丸投げされる事も多い。部隊内で、事案の同時進行は通常運転であり慣れている。
「コタロウもいない。彼女は大丈夫なのか」
休憩がてら医局の様子を見に来た俺は、チェリーナの次に苦手としているメルヴィン先輩に捕まった。
「ノックスじゃねえか」
メルヴィン先輩は、身体と圧が大き過ぎるし、反面誰とでも気安く接し過ぎるし、何より部下だった俺の失態を己の瑕疵として降格されている。
「はい」
腰を折り曲げて礼だけは丁寧に表した。
「十三部隊にも負担をかけるな」
「いえ」
「あのローズせんせいがしょぼくれて見てられん」
あの、と親しい間柄を誇示するメルヴィン先輩に、忸怩たる思いがこみ上げる。彼とローズ医師が気安く会話する様子は何度も見かけた。
「点灯夫を推薦したのは黒狼隊長です」
「ああ、あの人か。責任は取って貰わねえとな」
「はい」
俺たちの意見が珍しく合致する。メルヴィン先輩の様子を見に来たと受付嬢二人に言い訳をして、イーサン・アシッドの看病をするローズ医師を覗いた。目を閉じて静かに深呼吸している彼女を少しだけ眺めてから、俺は何も言わずに医局を出た。
我々が追う人物は想像よりも凶悪な可能性が高まった。アルセリアでは原則所持を禁じられている銃を持っているらしい。あまつさえ俺の推しに向けて、弾を放って拉致した。許しがたい暴挙である。
「銃で撃たれて脅されたのに、手がかりを残して行くなんて、豪胆です。私は彼女を尊敬します」
特捜部への全面協力を買って出た十三部隊の士気は高い。彼女を俺のように熱く支持している訳ではない騎士も、護衛を通して好感は抱いていた。会議を終えて捜査出発のため厩舎へ向かう。
「ノックス、待ってくれ」
「ランス先輩」
急ぎ足の俺を呼び止めたランスロット先輩は、呼び止めて置いて何も言わない。理知的な言動、優れた剣技、上下どちらにもその誠実さと堅実さを評価されている将来有望な第一部隊長の彼を、俺は苦手には感じていない。端正ながら鉄面皮と呼ばれる無表情や、ローズ医師への距離を図りかねた接し方を見ていると、応援したくなる。彼が彼女に相応しい男だと思っている訳ではない。断じて違うのだが、彼の不器用さに共感してしまっている。
「メルに落ち度はない。彼女が行くと選んだんだ。だが……俺達が助け出すと信じてくれていると思う」
「はい」
ランスロット先輩もメルヴィン先輩もチェリーナでさえ、目の下の隈が濃い。俺の女神は皆の推しであり、癒しの光なのだと実感した。




