黒狼の選良騎士ー22
夜が明けた。秋晴れの青が眩しい。一晩と明け方近くまで花街にいたメルヴィンは、体に染みついた酒と香水の匂いに辟易としている。繁華街入り口詰所へ戻ると、警邏部第一部隊の同僚がいた。
「だいぶ眠そうだな」
「仮眠しか摂ってねえからな」
警邏の制服に着替えて詰所裏の厩舎へ行くと、普段だったら愛想の良い白馬が鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「悪いな、匂うんだな。ちょっとだけ我慢してくれ」
優しく鼻面を撫でられた白馬は、渋々といった態でメルヴィンを背に乗せた。騎士の中で一、二を争う重さの彼を、白馬は悠々と王宮まで運んだ。ご褒美の角砂糖を貰ってご満悦の馬と別れ自室へ向かう。身体を拭いて髭も剃った彼は、半開きの目元を擦って気合を入れ直した。ユーフェミア周辺の監視と接触者の洗い出し、花街付近の哨戒を担当していたが、数日前の夜に特別捜査部隊周辺で起こった出来事は連絡役より聞いている。
「お疲れ様です」
執務室にはチェリーナとパーシバルがいて、イーサン宅から回収して来た証拠品を並べている最中だった。
「ああ、ご苦労だった、メルヴィン。少しは寝たのか」
「花街で仮眠は取ってます」
「今日はせんせいの送迎だけだ。寝て来ていいぞ」
手袋を外したパーシバルは軽く伸びをして机に戻る。チェリーナは黙々と物品を袋に入れて封蝋を施した。
「その、ローズせんせいは、どこにいるんです?」
メルヴィン同様睡眠不足なのだろう、目頭を押さえたパーシバルは、一度大きく息を吐く。
「医局だ。医局長を運び込んで様子を看て貰っている。彼女も、もう丸二日以上、王宮にいるな」
「そう……なんですか」
チェリーナが手を止めて自身の机に戻り、引き出しから書類を数枚取り出した。
「交代の医師を手配しました。これは外部医師入局許可証。保管用として渡して。あと、医局の閉鎖届と、臨時診療の依頼書と、ナロキソンの特例申請書、医局でサインを貰って。その後で、一度帰宅するようせんせいを説き伏せてください」
困惑するメルヴィンに書類を押し付け、チェリーナは封蝋作業に戻る。
「コタロウは連れて行かれて消息不明だし、上司は倒れて予断を許さない。帰宅を何度か薦めているんだが、承知しない」
パーシバルは視線を落として呟く。嫋やかな見た目に反して頑固な女医の眼差しを思い出し、メルヴィンは苦笑した。
「あんまり他人の言う事聞く類の人じゃないんでしょうね」
「受付のターニャ・チェンバレンが、父親の上司である議員に口添えを頼んで、せんせいを休ませろ、と苦情を出しています。既に限界に近いと思います」
メルヴィンは頷いて足早に執務室を出た。胸の辺りがざわざわとして落ち着かない。三つ四つと段を飛ばして医局へ乱入したメルヴィンは、静まり返って薄暗い様子に眉をひそめた。
「あ、メルヴィン様」
イーサンが使っていた診察室の扉が開いて、セイラが顔を出す。
「おう、セイラ。大変だったな」
「いえ、私なんて、少ししかお役に立てなくて」
続いてターニャも顔を見せた。
「誰か来たの? あ、メルヴィンさん、おはようございます」
「おう、おはよう。せんせいは中か?」
頷いてターニャは小走りに寄って来る。
「これ以上せんせいを酷使しないでください。交代の医師はまだですか? コタロウもいないし、ルークもヒースさんも謝るばっかりで役に立たないし、私、怒ってますからね!」
「あの、わた、私も怒ってます!」
ローズを気遣うターニャとセイラの剣幕に圧倒された。メルヴィンは少女二人の頭と肩をそれぞれ軽く叩いた。
「すまん。お嬢さん達の気持ちは良く分かった。ローズせんせいと話をさせてくれるか」
神妙な顔で頼まれた二人は、顔を見合わせてから、診察室への道を空ける。室内は薄いカーテンが引かれ、直射日光は避けているものの十分明るい。柔らかそうな丸い頬が、こけてしまったよう感じるのは先入観のせいだろうか。真っすぐに自分を射抜く碧眼に、メルヴィンは知らず喉を鳴らした。
「あ、んん、よう、せんせい」
「おはよう、メルさん。お疲れ様」
ローズの声は不自然な程明るい。
「ああ。これ、チェリーナから書類を預かって来た。サインしてくれるか」
「ええ」
受け取ってサインをしたローズは、外部医師入局許可証を暫し見つめた。
「これは必要ないわ」
「ある」
「イーサンせんせいには私が付いています」
「それはもちろん。だが、休まないと倒れるだろ」
「仮眠は取ってるわ」
メルヴィンは大股に歩み寄ってローズの目の前に仁王立ちとなる。彼女の腕を引っぱって患者から遠ざけた。急に腕を取られて胡乱な眼差しになるローズの耳元で、メルヴィンは大きな声で言った。
「しっかり寝ろ! 頭が回ってねえぞ」
「ちょっと、患者がいるのよ」
「どうせ寝てる」
「静かにしてってば」
「これで目が覚めたらそれはそれでいいじゃねえか」
「そ、そんなの! っく、っぷ、ふふふ」
彼女は糸が切れたように笑い出す。
「寝不足と疲れでおかしくなってんだろ? 医師じゃない俺だってそれくらいわかるぞ」
肩を震わせて笑っていたローズは黙り込んで静かに目尻を拭った。メルヴィンは慰めに伸びそうになる腕を組んで封じる。
「一度、帰るわ。メルさんが一緒に来てくれるの?」
「ああ、俺もアンタを送迎したら短いが休みだ。寝る」
二人で騒いだが、イーサンは微動だにせず眠っている。メルヴィンがイーサンの眠る寝台へ近づくと、ローズは小声で説明した。
「小康状態を保ってる。時々呼吸が浅くなるから、それが心配だわ」
「そうか……今度花のやで、また、くだらねえ話でもしながら飲もうぜ。ランスもルークも一緒にな」
「ふふ、うん、そうね。そのためには早くミシェルを捕まえて貰わなくちゃね」
「だな……帰る準備して待っててくれ。迎えに来る」
書類を持って出て来たメルヴィンを、少女二人が笑顔で出迎えた。
「さすがです、メルヴィン様」
「せんせいを笑わせてくれてありがとうございます」
彼女達の称賛を面映ゆく背で受け止め、メルヴィンは医局を後にした。
近衛から借りている来賓用の馬車に乗った途端に、ローズは舟を漕ぎ出した。目の下には隈が出来ていて、唇も渇いている。萎れた薔薇の姿が、メルヴィンの脳裏に強く焼き付いて離れない。視線を剥がすために外の景色を眺め続けた。
「せんせい、馬車はここまで。後は歩きだ」
「うん……ええ。さ、コタロウ……いないんだったわ」
悄然と馬車を降りるローズのつむじが視界に入る。
「待っててくれ」
メルヴィンは御者に声をかけてから彼女の隣に並んだ。
「コタロウ、ちゃんとご飯を貰っているかしら。散歩も行けてるといいけど」
「おう」
「イーサンせんせいもお子さんを失くして、こんな気持ちだったのかしら」
「まあ、せんせいにとってコタロウは家族だもんな」
互いに視線は合わせないまま、暗い話題も出来るだけ淡々と紡ぐ。
「ええ、最悪、私の元へ戻らなくても、元気にしてくれているなら、それでいいわ。かわいくて連れて行ったのなら、大事にしてくれるはずだし」
「……違うってわかってんだろ?」
ミシェル・ムーとランスロットが彼女に固執する理由を理解しかけている気がした。ローズをおびき出すための餌としてコタロウを連れて行ったのだろう、と特別捜査部隊内で意見は一致している。
「ねえ、メルさん」
「なんだ」
「私、ミシェルに会ったら自首をするよう勧めるから」
「おう」
拳を握って浮かべた笑みが痛々しい。
「じゃあ、お湯を浴びて、着替えて来る。中で待ってる?」
玄関の前で気軽に問われて、メルヴィンは静かに首を左右に振った。
「ここでいい。のんびりしたら俺も寝そうだから」
「そう、なるべく急ぐ」
ローズは中に入るとすぐにしゃがんで何かを拾い、すぐにスカートのポケットにしまう。メルヴィンはそっと扉を閉めて待機した。
「お待たせ」
玄関から顔をのぞかせたローズは、衣類を詰めた鞄を手にし、乾ききっていない髪を団子に纏めている。
「髪の毛濡れてねえか」
「急いだの、大丈夫、晴れてるしすぐ乾くわ」
「そんな大雑把な話があるかよ」
メルヴィンの背にローズの緊張した声がかかった。
「ねえ、ちょっとだけ、花のやに顔を出してもいい?」
「馬車を反対方向で待たせてるんだが」
「うん、そうなんだけど、どうしても、シアに会いたくて」
必死の形相で頼み込むローズに、メルヴィンはそれ以上何も言わず花のやのある方向へ歩き出す。緊張した面持ちでスカートのポケットに触れるローズを、メルヴィンは目を細めて注視した。
「いてくれて良かった」
花のやは夕方開店なのでテレンシアがいるかどうか不明だったが、幸い早めに店に来ていた。
「ローズ? 顔色が悪いわ、大丈夫なの?」
「うん、色々あって。シアの顔を見たら元気が出るかと思って」
彼女の肩を抱くよう座らせたテレンシアは、入り口で突っ立っているメルヴィンを訝しそうに見る。
「どうしたの、入ったら?」
「いや、外で待っとく。せんせい、シアさんになら弱音吐けんだろ。気が済んだら出て来てくれ」
言い捨てて扉を閉めるメルヴィンを、テレンシアが不思議そうに見送った。




