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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
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黒狼の選良騎士―21

 点灯夫という職がある。王宮の点灯夫は宵の入りから夜明けまでの間働く。王宮使用人試験を突破しないと採用に至らないが、例外もある。臨時増員を必要とする時期だ。例えば正規員の半分以上が病に伏したり、来賓が長期滞在して本殿内の個室の稼働率が上がる等。

「ほう、おまえの伯父か」

「はい、雇われていたお屋敷で人員整理があって、点灯夫のお仕事を探していて。王宮だったらアタイも安心だし。隊長さあん、ねえ、お、ね、が、い」

 高級娼館には珍しい蓮っ葉な口調を気に入って常連となった娼婦に請われて、黒狼隊長は、初老の点灯夫の採用をねじ込んだ。折良く増員を必要としていたため、隊長本人による推薦と略式書類提出で事足りた。

「前金で金10、調査の上、可能だったら引き受ける。成功報酬は後に決める」

 不思議な雰囲気を持つ依頼人だった。女にもてそうな優男だが、甘さより危うさが際立つ。請負人なんでもやは交渉もなく言い値を出す男、ミシェルに眉尻を跳ね上げる。

「金はいくらでも出すよ。本当に欲しいモノのためには、惜しまないって決めてるんだ」

 声も口調も柔らかいが、感情の温度が薄い。感情の一部が欠損した人間に見られる特徴で、裏の人間に多い。請負人は後ろ暗い依頼も受けるため、慣れた類の相手でもある。

「彼女を手に入れたら東方に行こうと思ってるんだ。だから、木札はもう作らなくていい。これは、今までのお礼」

 さらに金貨を10枚置いて、ミシェルは嫣然と笑って去った。請負人はローズ誘拐を成功報酬金貨50枚で引き受ける事にした。王宮の警備が厳しくとも与しやすい人間はどこにでもいる。黒狼隊長のお墨付きを得て一ヶ月経った。請負人にとうとう機会が来た。


「失礼しやす」

 パーシバル以下ミシェル捜索班とルーク含むイーサン宅捜査班に分かれ、ヒースレッド以外の騎士が慌ただしく出て行った直後、点灯夫が巡回に来た。長い棒を持つ一人が扉を押さえ、漏斗と油壺を持ったもう一人が入室して来る。

「灯の巡回に来ました」

 カウチの下に潜り込んで寝ていたコタロウが這い出して、点灯夫に尻尾を振った。点灯夫は猫なで声で答える。

「犬っころがいるんですねえ、かわいいねえ……おっと、失礼しました。油の補充は必要ですかい?」

「ああ、はい。朝まで明るい方がいい。お願いしよう」

 許可を得て灯りに近づいた点灯夫は、大げさに鼻を鳴らした。

「ふん、ふふん、あの、騎士様、どうも変な匂いがしやがります。一度、窓を開けていいでしょうかね」

 ヒースレッドは立ち上がり、窓へ向かった。

「いい、私が開ける。補充を頼みます」

 彼が窓を開けている間に、灯りが薄くなる。風が吹き込んでカーテンを揺らした。かちりと金具が外れるような音がしたが、窓際にいるヒースレッドは気づかない。

「ああ、零した。すまねえ、拭き取り布を。騎士様、滑りますので、そのままそこで動かねえでください」

 薄暗くなった室内へ、扉を押さえていた点灯夫がやって来て、油灯の前にいる男に布を渡す影がぼんやり見えた。

「慌てずともいいから、しっかり拭いてくれ。犬が舐めてしまったら危ない」

「はい、お待ちください」

 点灯夫は丁寧に床を掃除して、油の補充後は慌ただしく退室して行った。


 昏倒したイーサンを運び込む時に下ろすよう命じ、小一時間ほどで騎士達が出動して行ったため、裏門側の跳ね橋は下りている。

「点灯夫か? どうした」

 点灯夫が一名、道具を抱えて走って来た。裏門警備担当の黒狼隊騎士が問いかけると、彼は足を止めて振り返る。

「門の外のガス灯のところに、大事な道具を忘れちまったみてえで」

「戻って来るときに身分確認があるが、大丈夫なのか。私はもう交代時間で別の騎士が来るが」

「はい、雇用票は肌身離さず持っておりやす」

 背を丸めて恐縮した風情の点灯夫を、騎士は静かに見送った。

「今夜はこのまま何度橋を上げ下ろししますかねえ」

 騎士の背後に控えていた、跳ね橋上下担当の門番がぼやく。

「こんなに忙しい夜は珍しいのだから、心してかかれ」

 裏門哨戒担当の騎士と門番は同世代で、勤務時間を重ねるうちに身分を越えて気安い間柄になっていた。

「まあ、そうですね、頑張りますか」


 執務室で一人きり、落ちかけていた意識が、扉を乱暴に叩く音で現に戻る。

「チェリーナさん! コタロウがいません!」

 悲鳴のような大声でカウチの下をのぞき込んだローズは、リードを拾って苛立ちも露わに放り投げる。

「どういう事ですか! コタロウはどこに行ったの?」

 連れて行くと請け合ったのは自分である。チェリーナは答えられないまま、必死で頭を巡らせる。

「申し訳ありません、すぐに探します」

「ええ、ああ、ごめんなさい。コタロウが、心配で」

 率直に謝罪されて我に返ったローズは、不安と怒りを抑えるよう両手を握りしめた。

「当然です。私も猫を飼っているので、わかります。ただ、できれば休憩室へ戻ってヒースレッドと交代していただけますか。彼ではアシッド医師が急変した時に対応できません」

 平常心を失っている彼女に昏睡状態の患者を任せて大丈夫だろうか。チェリーナの探るような眼差しを受け止めて、ローズは己の両頬を叩く。

「私が診ると決めたんでした。すぐにヒースレッド君と交代します。絶対にコタロウを見つけてくださいね」

 来た時よりは静かに出て行くローズを見送り、チェリーナは、カウチの上に投げられたリードを手に取る。屈んだ時に微かに油の香りがした。ローズと入れ替わりに戻って来たヒースレッドは、顔色を失い、直立不動で沙汰を待っている。

「反省するより先に事態を把握しましょう」

 ヒースレッドから話を聞き出したチェリーナは、彼を黒狼隊の先輩騎士の元へ走らせた。本殿出入口、裏門ともに、短時間に巧妙に突破している。状況と証言を鑑みてコタロウが王宮から連れ去られたのだろうと推測した。ヒースレッド以外の特別捜査部隊の騎士達はまだ戻っていない。

「せんせい、よろしいですか」

 コタロウを連れず一人で現れたチェリーナを見て、ローズは絶望的な表情になった。

「あなたの犬は、点灯夫に、いえ、点灯夫に扮した何者かに連れ去られたようです。手口が速やかだったので、玄人の仕業だと推測しています」

「点灯夫……何度か帰るときに、コタロウに干し肉をくれた人がいました。コタロウはあんまりガスの匂いが好きじゃないから、点灯夫の人達に懐いたりしないんだけど、一人だけ」

 うめき声を上げたイーサンの肩口へ毛布をかけつつ、ローズが答える。

「なるほど、事前に侵入して接触していたから、コタロウが吠える事なく、連れて行かれたのでしょう」

 ローズが立ち上がった。

「チェリーナさん、湯たんぽのお湯を入れ直しましょう」

「え、はい」

 突然立ち上がったローズは、湯たんぽを手に退室を促す。

「今、イーサンせんせいの容体は安定しています。呼吸も最悪よりは戻りました。外で話しましょう」

 休憩室を出た二人は厨房へ向かった。イーサン到着直後は巡回警備中の黒狼隊騎士がお湯を沸かしたり湯たんぽを貸し出す手伝いをしてくれたが、今は別の場所を巡回中で姿が見えない。

「連れて行かれた、ということは、無事ってことですよね?」

「はい、争った形跡はありませんでした。血痕も」

「お金目的でしょうか……いえ、私がお金持ちじゃないなんてわかりますよね」

 厨房に着いて石炭焜炉に火を入れて、ヤカンを置くローズの手は震えている。チェリーナは眉間に皺を寄せてため息を飲み込んだ。

「申し訳ございません、せんせい。不審の輩の侵入を許したのは、騎士団の失態です」

 謝罪するチェリーナの隣で、ローズが肩を震わせる。天を仰いで涙を堪える姿が痛々しく見えた。

「今は、コタロウが無事でいる事を祈ります」

 特別捜査部隊全員が駆り出される事態で、騎士団が犬の捜索に人手を割けない。チェリーナは、打つ手がないか、明晰と称えられた頭脳を必死で動かした。

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