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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
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黒狼の選良騎士ー20

 患者を運び込んだばかりの休憩室は秋の晩の冷気が染みわたっている。

「どうして、いえ。今は……もっと毛布を。湯たんぽは用意できますか」

 すぐそばにいたパーシバルに尋ねると彼は飛び出して行き、チェリーナもルークの背を叩いて連れ出した。

「イーサンせんせい、ローズです、せんせい、聞こえますか」

 彼女の声は届いているのか、イーサンの眉が僅かに動く。

「ランスさん、横向きを維持するために枕を背中に。気道が塞がらないように」

「はい」

 扉を押さえていた手を離し、歩み寄ったランスロットは、命じられた通り、イーサンの背中に枕を当てて固定する。再度扉が開く。ルークが戻って来た。

「とりあえず三枚っす。今、お湯を沸かして貰ってます。湯たんぽもあるそうです」

「うん、ありがと、ルーク君」

 患者の足元に毛布を重ねたルークは、踵を返して退室する。頼んだ湯たんぽを受け取りに向かったのだろう。

「意識は戻りますか」

「……わからない」

 瞳孔が縮んでおり、呼気が浅くて顔色も白い。指先に触れると冷えていて微かに甘苦い薬臭がする。以前、同じ部屋で診た近衛騎士――隣国の薬物治療療養所に入所した――と同じ症状だった。指先にある火傷痕は騎士にはなかったものだが。

「せんせい、椅子を」

 ランスロットが置いてくれた椅子に腰を下ろし、ローズはこわばった肩の力を僅かに抜く。

「薬を首に打ったって言ってたわよね」

 首にかかる髪の毛を除けて確認すると、注射痕が一つだけあった。躊躇いなく刺したのだろう、痕は小さい。

「まさか、アシッド医師だとは……王宮に運び込むまで、ミシェル・ムーだと誤認しておりました」

「え……ああ、言われてみれば、骨格や髪型が似てるわね」

 吐息混じりに答えたローズは、己を見守る灰色の瞳を見つめ返した。

「ローズせんせい、彼を任せてかまいませんか? 申し訳ありませんが、ここを離れます。ミシェル・ムーの方にかからねばなりません。トポロジー補佐官はおりますので、何かあったらそちらに」

「ええ」

 ローズは短く答えて視線をイーサンに戻す。事務的な連絡以外の言葉が出ない。去り際のランスロットは気遣わしげな眼差しと吐息だけを残した。危篤の娘に侍っているはずの上司が何故騎士達によって運び込まれたのか。今は疑問を封じ込めるしかない。ランスロットと入れ替わりにルークが戻った。

「せんせい、湯たんぽっす。温かいっす」

「うん、足元に入れてあげて」

「はい」

 手際良く作業を終えたルークは、黙ってイーサンの横顔を見下ろす。

「これから俺は、イーサンせんせい宅の捜索班に入るよう命じられました。病気の娘さんがいるんすよね?」

 低く抑えた声で尋ねられ、ローズは逡巡して開いた口を何度か閉じた。

「……危篤だって完全に休暇に入ってから、五日は経ってる。もう、亡くなっているんじゃないかしら。じゃなきゃ、自分に薬を打ったりしないと、思う」

「そうっすね、おそらくもう」

 赤味がかっていて柔らかそうな茶色い髪をぐしゃりと額からかき混ぜて、ルークは顔を歪める。定期的に医局へ通っていたルークは、イーサンとも気軽に会話する仲になっていた。ローズほどではないものの、衝撃を感じている。

「失礼します。ルーク、隊長が呼んでいます。ここは任せて行きなさい」

「はい」

 チェリーナはかつかつと軍靴の音を響かせながらローズの隣へ移った。

「せんせい、お辛いでしょうが、気をしっかり持ってください。外部の医師を手配する手もありますが」

「モールフィについて、資料を相当量読んでいます。私が診ます、いえ、診させてください」

 チェリーナの華奢な手が静かにローズの肩に乗る。

「ええ、では、明日は医局を臨時休業とするよう、総務に連絡します」

「はい……診察予約の振り替えは、明日、受付の二人にやってもらいますので」

「承知しました」

「あ、そうだわ、コタロウは……」

 執務室のカウチに繋がれたままだったコタロウの事を思い出したローズが腰を浮かせる。

「そのまま執務室にいると思います。今、今後について臨時会議中なので、特捜部隊の騎士が戻って来ています。面倒を見ているでしょう」

「そうですか、コタロウの事を忘れるなんて……きっと空気を読んで大人しくしていたのね」

「連れて来ますか」

「ええ、お願いします」

 ローズは毛布を患者の肩口まで引き上げた。


 パタパタと軽い足音が執務室へ向かっている。扉の前で顔を上げたチェリーナは、小柄な侍女が息を切らせて向かって来るのを見守った。

「どうかしましたか」

「あの、副団長の補佐官様ですか?」

「ええ」

 襟元に刺してある階級章を示すチェリーナに、侍女は丁寧に腰を折る。

「副団長様がお呼びです。まだ執務室で待機しているから報告に来いと」

 チェリーナは王宮に侍る使用人の顔をほぼ全て記憶している。目の前の侍女にも見覚えがあった。

「すぐに行きます」

 コタロウの送迎は後回しにして、チェリーナは階段へ向かう。警邏大将でもある副団長は、基本的に騎士棟の執務室にいる。特別捜査部隊の騎士全員がほぼ出払う作戦日だった今日、副団長も帰宅せず執務室で待機していたらしい。一階へ降り、扉警備の黒狼隊騎士に挨拶をしたチェリーナは、小走りに騎士棟へ向かう。通路を照らすガス灯の明かりは街灯より控え目で、目に優しい。

「失礼致します」

 上等なカウチの上で横になっていた副団長が起き上がる。

「おお、来たか。騒がしかったな。密売の関係者が自害を図ったとか」

「はい、医局のイーサン・アシッドを運び込みました。閣下同様、ローズ・ワーロング医師が待機していたので、診察を依頼しました」

「ええ? 医局長が密売に関与してたって?」

 チェリーナは小さく笑みを浮かべた。

「ふっ、ええ。これから捜査しますが、おそらく死亡した近衛騎士にモールフィを薦めたか供与したのは、アシッド医師でしょう。一度だけですが診察記録があったと記憶しています」

 白髪交じりの頭をかきながら、副団長は肩を竦める。

「一回診察したくらいじゃあ、結びつかないのは仕方あるまい。で、筆頭の方はどうした」

「私の同僚が追いかけている途中で見失ったようです。ただ……政変前の水路を利用しているのでは、と報告が上がっています。舟着き場で切断された真新しい縄を見つけたそうです」

 繁華街で見かけたミシェルを尾行した第十三部隊の騎士が、花街との連絡を取りに行ったルークに託した伝言だった。堂々と巡回捜査する第一から第五部隊とは全く異なり迅速な動きをする第十三部隊の面々のやり方に、ルークは驚きと好奇心を持って接している。

「相変わらず行動が早いな。十三は独自に動いているのか?」

「はい、明日の朝までは特別捜査部隊の手伝いを優先してくれるそうです」

 頷いて副団長は再び身を横にした。

「チェリだけで事足りそうだな。一旦寝る」

「御意」

 さっと腰を折り、チェリーナは颯爽と退室した。


 騎士棟より舞い戻り、コタロウをローズの元へ送り届けようとしたチェリーナは、愛らしい柴犬の姿が見えない事に内心でがっかりした。

「連れて行った?」

 執務室内には、新聞社から戻ったヒースレッドしかいない。

「お疲れ様です、トポロジー補佐官殿、新聞社は快く民政局の要請を受け入れてくれました。記者本人の意向はわかりませんが」

「ええ、そう。なら、まだ大丈夫そうですね。お疲れ様、ヒースレッド。ところで、隊長達は?」

「はい、カシアン殿とエドマンド先輩とルークがアシッド医師の自宅捜索、パーシバル副長以下残り全員が、筆頭ミシェル・ムーの捜索に向かいました。花街担当の騎士達はそのまま継続捜査中です。私はここで待機して、何かあった時に補佐官殿の命で動くよう命じられました」

 チェリーナへの報告の命を受けたヒースレッドは緊張しながら丁寧に伝言を伝えた。

「わかりました。とりあえず、休憩室にいるローズせんせいの様子を見て来て貰えますか? 何か必要な物があるかも聞いて来て下さい」

「承知しました」

 昨晩も三時間しか眠れていない。チェリーナは自分用の机に腰を下ろし、眼鏡を外して天を仰いだ。今夜は眠れないかもしれない。

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