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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
42/110

黒狼の選良騎士ー19

 古びた外套を羽織って背を丸め、振り返らずとも背後を気にしてゆっくり歩むパーシバルを、ランスロットは遠目で追った。尾行の基本に忠実に、ランスロットがパーシバルを、カシアンはランスロットを視界に収めて進む。

「あれは」

 灰色の外套に首辺りで緩く結んだ暗色の髪、ガス灯が照らす横顔を認めて息を飲む。老婆と会話しているパーシバルを、彼の視界に入らぬよう観察している男がいた。目を凝らすランスロットに追いついたカシアンは、彼の背に寄り添うように小声で囁いた。

「どうしました?」

「筆頭だ」

 特別捜査部隊内で、ミシェル・ムーを筆頭捕縛対象としている。ランスロットは首の動きで、ミシェルの居場所を示した。

「追いますか」

「いや、目当ては変えない」

 パーシバルとミシェルを視界の端で捕えつつ、ランスロットは腰の剣に触れる。

「十三の誰かが居合わせてくれたらいいが」

「呼子を鳴らしたら筆頭に気づかれますよね」

「ああ」

 当初の作戦手筈を変えない言質を取ったカシアンは、自然な足取りでランスロットと距離を取った。老婆と話し終えたパーシバルは、雑踏を避けて手の中の何かを確認している。

「カシアンに聞いた。筆頭は自分が行く」

 問屋街の哨戒を終えた一人が、運良くカシアンと話せたらしい。ランスロットの横を通り抜けざま、第十三部隊の騎士が小声で宣言してミシェルを追った。箱を抱え直してのんびり歩き出すパーシバルが、目的地を変えたのだと察知する。

「貧民街か」

 政変後の建築基準に準拠しない建物や、所有者が判然とせず放置された空き家がひしめいているため、狭い路地が多い。ゆっくりした挙動で歩む後ろ姿を捕らえつつ、ランスロットは外套の前を開いて剣の握り部分を見せた。武器携帯による抑止の意味だ。警邏の巡回で貧民街を回る時は、警戒を怠らず厳しい態度で臨むように、と部下にも指導している。近衛騎士は貧民街に足を踏み入れた事などないだろう、心配しつつ尾行の距離を詰めると、案の定少年に絡まれていた。

「おうおう、なんだ、アン……タ、いや」

 傾いた軒庇(ひさし)の影で、近衛騎士と貧民少年のやり取りを見守っていると、住人らしき男が抗議しようと出て来たが、彼の剣を見て奥へ引っ込む。

「すまない」

「……うるせえのはごめんだ」

「もうすぐ行くから心配するな」

 生真面目に宣言してから、天幕の並んだ辺りへ突っ込んでいくパーシバルを追う。後ろを気にして天幕が数張並んだ手前で足を止め、追いついて来るカシアンを待った。貧民街へ入った事で、人の目が減っている。街に住み着く人間の特性として、他者への関心も薄い。

「この先の地理は不案内だ。先はカシアン、後ろは俺が」

「はっ」

 カシアンが先行してすぐ後ろをランスロットが進む。不審な人影を捕らえる事はないまま、廃屋と化した穀物庫らしき建物に着いた。カシアンが屋内の安全確認へ動く。ランスロットは、パーシバルの背を追って建物を出た。

「安全確認完了、誰もいません。隣も行ってきます」

 すらりと腰の剣を抜いて去っていくカシアンを見送り、開けた空き地の中央で人待ち体勢に入ったパーシバルを見守る。

「対面に門があるな、別方向からも来られるのか」

 巡回経路から外れた場所であり、大まかな地理しか把握出来ていない。もう一棟の建物内も確認して来たカシアンは囁きで答える。

「おそらく。修繕が間に合わず封鎖された橋があったと記憶しています」

「では、あちら側から来るか」

 二人の騎士は剣の柄に手をやりつつ、息を殺してその時を待った。


 灰色の外套の男が、パーシバルの誘引行動につられて姿を見せた。暗色の髪を後ろで一つに結んでいる。捕縛に苦労するような相手ではないだろうに、パーシバルは男に背を向けたまま動かない。ランスロットとカシアンは、厳しい顔で互いに目配せして、手早くランタンに火を点けた。

「行くぞ」

 ミシェルに逃亡を許してはならない。剣を抜きつつ駆け寄ったランスロットは、男の獲物が注射器であると気づいた。

「ミシェル・ムー、それを捨てて投降しろ!」

 パーシバルも素手だが包囲体勢に入っている。三人に囲まれた男は、注射器を己の首へ突きつける。カシアンは片手に剣、片手にランタンを持ち、腰辺りを照らした。

「今、側に逝くよ」

 灰色の外套の男は優しい声で言ってから、冷静な手つきで己の首に注射してそのまま、崩れ落ちる。

「くそ!」

 駆け寄ったカシアンが顔をのぞき込んだ。

「高濃度は事実だったか。おい、しっかりしろ」

 パーシバルは転がった注射器を拾いつつ、声を張り上げる。

「う、あ」

 意識も混濁し始めたようで、呼吸が徐々に浅くなる。

「運びましょう。カシアン、足を持て」

「はっ」

 ランスロットが横向きのまま脇の下を持ち上げ、カシアンが足を持った。

「頭部が下がらないように運べ」

 パーシバルはランタンを持って先導する。

「学園街まで間に合わないかもしれん」

 夜間に緊急の患者を受け入れてくれる医院は学園街にしかない。狭い路地を住民のひんしゅくを買いながら駆け抜けて、騎士三人と意識不明一人は何とか詰所へ辿り着いた。

「馬車を借りて来る」

 乗り合い馬車の最終便は終わっている時間帯だが、以前にも緊急時に借りた事がある。ランスロットは、外套を脱ぎ捨てて警邏の制服を羽織り、詰所を飛び出した。

「今、誰か運び込まれたみたいですね、どうしたんですか」

 変装姿を解く間もないまま、詰所の外へ出たパーシバルは、小柄で痩せた男を無言で見下ろす。

「警邏の騎士様が慌てて出て行きましたよね。急病ですか? 良かったら何か手伝いますよ」

 親切を装った男、エリオットの目が、詰所横のガス灯に照らされて輝いた。

「けっこうだ。邪魔になるから、帰ってくれ」

 冷たく断るパーシバルの厳しい表情に慄いて、エリオットは一歩後退する。

「今、馬を繋いでます、運びましょう」

 馬車乗り場と繁華街入り口詰所は至近のため、ランスロットは瞬く間に戻った。エリオットなど視界に入っていないがごとく詰所へ入る。

「帰れ」

 パーシバルが再び言って、詰所の扉を開け放って押さえた。ランスロットとカシアンが病人を運び出す。

「急病人だ、そう、発表される」

 言い捨てて馬車へ向かう部下二名の後を追いかけるパーシバルの背を、記者はギラギラとした眼差しで見送った。



 特別捜査部隊に選抜された騎士の人数は少ない。捜査線を絞っているとはいえ、今日は作戦が重なってしまい、ローズの護衛に割ける騎士がいなかった。

「食堂で貰って来ました」

 チェリーナがローズの前にトレーを置く。ローストポークと貝のクリームスープ、温野菜も添えられていて豪華な組み合わせだった。

「ありがとうございます。コタロウがいるから、食堂や厨房は立ち入り禁止なんです」

 話題の犬は、カウチの下で微動だにせず眠っている。護衛出来る騎士が帰って来るまで、散歩をして待とうと二時間以上はしゃいだ後だった。

「どうぞ、食べてください。特捜隊の予算から出ますので遠慮なく」

 真顔で言われて、ローズは小さく笑って食器を手にする。

「いただきます。チェリーナさんて真面目な顔で冗談を言う人なんですね」

 眼鏡の蔓を押し上げ、チェリーナは目を瞬かせた。

「私の人となりを即時に理解していただいて光栄です。さすが医師として観察眼が鋭い」

「ふふふ、また言ってる。職業は関係ありません」

 ローズは肉を頬張り咀嚼する。チェリーナは自分用に淹れた紅茶を一口飲んだ。

「以前から疑問だったのですが、コタロウ同伴の許可はどうやってもぎ取ったんですか? 医局も犬がいては、衛生上よろしくないと思います」

 スープを飲んでローズは、うんうんと首を二回縦に振る。

「んん、そう。仰る通りです。ただ、先に弁明しますとね、コタロウは排泄は外でしかしないし、抜け毛もしっかりブラッシングして処理してますし、診察室に入った後は、一通り床掃除してます。シバイヌって綺麗好きですから、匂いもほとんどしませんよ」

 女医は自慢気に豊かな胸を張った。補佐官はささやかな己の胸元を押さえる。

「シバイヌが他の犬より清潔だったとしても、犬は犬です、せんせい。そう簡単に許可は下りない。違いますか」

「そりゃそうです。今の弁明はただのコタロウの自慢です。どうして許可が下りたかって、私にも良くわからないんですけど、経緯の問題じゃないかなあ」

「経緯、ですか」

「ええ。コタロウって騎士団の訓練所で捕まったので、騎士団が扱いを決めなくちゃいけなかったみたいで、ほら、飼い主を探したり、場合によっては、そんなことしたら許しませんけど、処分するとかそういうのも含めて全部」

 会話の合間に、ローズは温野菜を放り込む。チェリーナは急かさず続きを待った。

「どこの部隊だったかな、私が預かっている間に来た騎士が、コタロウを飼ってくれないかって。医局に連れて来てもいいなら考えますって言ったら、王宮内の事は民政局の扱いだから聞いてみるって」

「なるほど、だんだん見えてきました」

 訳知り顔で頷くチェリーナに、ローズも似たような顔で続ける。

「民政局でも王宮の使用人に関する決定や権限はあるけど、医局に犬を置いていいかの判断は出来ないってなって。次は王宮の建物内の事は近衛部に権限があるって事で、黒狼隊長から騎士団長に話が行ったみたいで」

 チェリーナは額を押さえてため息を吐いた。

「おそらく閣下は医局の事は医局でご自由にどうぞとでも仰ったんでしょう」

「そう。上司のイーサンせんせいは許可が下りるなら別にいいよって言ってくれて。で、最初に飼ってくれって頼んで来た騎士へ話を戻したら、最後に第十三の部隊長さんが出て来て、誰にも文句は言わせませんって」

 紆余曲折を経て権限の所在が曖昧になっているらしい。前例のない事象を処理しようとして時折陥るカラクリだった。

「十三隊の部隊長は貴女の熱烈なファンですからね」

「ええ? そんな態度はしてなかったと思いますけど」

 潜入に適した影の薄いもう一人の上司の顔を思い出し、チェリーナは肩を竦める。

「まあ、あの人の事は覚えなくていいです」

 僅かに口角を上げて真面目ぶった冗談を言ったところで、コタロウが這い出て来た。扉方向を見てそわそわと歩き回り始める。

「コタロウ? もうお散歩は疲れちゃったわよ」

 低く唸り声を上げるコタロウの背を撫でてなだめようとした時、扉を強く叩く音がして同時に叫び声もした。

「失礼します!」

 チェリーナへの報告を終え、花街の連絡を取りに出ていたルークが戻って来た。

「せんせい、モールフィの急性中毒っす、診てください」

「え?」

 チェリーナとローズが顔を見合わせる。

「近衛の休憩室にいます。学園街へ運ぶより、せんせいが診た方がいいっすよね」

 歩み寄って腕を掴むルークに引きずられるよう、ローズは立ち上がった。休憩室は灯りに火を入れたばかりなのだろう。油の匂いが鼻を突く。ランスロットが扉を押さえて待っていた。目が合うと目礼を返す。患者の横に騎士に見えない出で立ちのパーシバルがいた。彼が状況を報告する。

「首に薬を注射してすぐに意識を失った。急いで運んで来たが……」

 簡易寝台へ寄ったローズは、患者に手を伸ばした。

「わかりました。顔は横で良し、呼気が浅い、顎を上げ……て」

 彼女は患者の顔を覗き込んで動きを止める。

「イーサンせんせい?」

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