表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
40/105

黒狼の選良騎士ー17

 コタロウがスカートの裾を咥えて引っ張っている。濃茶のワンピースに白いエプロンドレスを身に着けたセイラは、困り果てていた。

「こ、コタロウちゃん、やめて、ね、やめてって」

 か弱い声で抗議するものの、コタロウはぐいぐい彼女のスカートを引いて動かそうと試みる。イーサンが娘の最期を看取るために休暇に入って以降、セイラの毎日は目まぐるしく過ぎて行く。貧しい生まれで動物を愛でる習慣のないセイラは、コタロウの存在に慣れない。

「ほら、急いで、戻らなくっちゃ、せんせいも、待ってるから」

 スカートを引っ張って外そうと試みるも、コタロウは布が破れない絶妙な強さでかじりついて放さない。中庭での短時間の散歩を終えて本殿のロビーに入ったところで、コタロウが急にセイラの方向転換を促した。

「あらあ、あらあら、これはこれは。うまい事医局に潜り込んだセイラじゃない」

「動物なんか連れて何してるのよ」

「せっかく私服でいいのに、その服はないんじゃない?」

 食堂の女給、ザリ、ヤリン、クシャナが嬉しそうに寄って来る。コタロウは三人とは反対方向へセイラを導いていたのだが、彼女は気づいていない。

「あ、お久しぶりです」

 コタロウに見せていた豊かな表情を消して、セイラは静かに挨拶をする。

「で、その犬って医師の飼い犬だっけ? なあんだ、医局配属なんて息巻いておいて、結局は雑用押し付けられているだけなんじゃない」

「やだ、そんな事言っちゃかわいそうよ、可愛がられるのだけは得意だもんね、その犬と一緒で」

 三人が口々に騒ぎ出した途端、コタロウはセイラのスカートを開放し、そっぽを向いてお座りをした。

「すみませんが、急いでいるので」

 踵を返すセイラの肩をヤリンが掴んだ。女給時代の嫌な思い出が一気にセイラの脳裏を駆け巡る。

「待ちなさいよ、どうやって医局に潜り込んだか、教えなさいよ。どこの官吏に媚を売ったの?」

 眦を吊り上げるヤリンの背後から、笑い声が聞こえた。

「アハハ、やだ、三人とも何セイラになんか絡んでるの? 暇なの?」

 軽やかな笑い声と共に、女給達の間をすり抜けて現れたターニャに、コタロウがすかさず尻尾を振って駆け寄った。

「コタロウ、お散歩お疲れ様、さっきぶり」

 さっとしゃがんでコタロウを撫でたターニャは、セイラを見上げる。

「ねえ、セイラ、すぐに医局に戻って。せんせいのお昼がまだだから」

「あ、はい、すぐに」

 セイラはペコリと会釈をして素直について来るコタロウと共に、階段へ向かう。残された三人は、不満顔でまくし立てた。

「ちょっと、ターニャ、私達まだセイラと話してたのよ」

「そうよ、どうして邪魔するの」

「ターニャだってセイラの事うざいって言ってたじゃない」

 階段を上りかけたセイラの耳に、最後のクシャナの告げ口が聞こえただろうが、彼女はそのまま足早に去る。ターニャは綺麗に塗られたサーモンピンクの口角を上げ、腰に手を当てて仁王立ちになった。

「ねえ、セイラは今、医局の受付なの」

「知ってるわよ、だからって」

 ターニャが右手を出して話そうとするザリを制する。

「いいえ、わかってない。あの子は私がこき使うから、今後一切余計な口出しは不要。いいわね?」

 相手が三人でも全く怯まないターニャの宣言に、女給三人は呆気に取られて頷いた。

「あと、コタロウは大きな声や喧嘩が嫌いだから、あの子がいる時は優しい声で優しい調子で話しかけること、それもいいわね」

「ええ? また、犬の話?」

「ターニャ、犬の事になるとうるさいのよね」

「戻って休もう、ザリ、ヤリン」

 強めのコタロウ推しを全面に出したターニャに圧倒され、女給三人はぶつぶつぼやきながら食堂へ戻る。推し愛を強めに語って相手を煙に巻くのはターニャの特技の一つだ。

「はあ」

 思い切り息を吐き出したターニャは、階段の影で様子を見守っていた人物に声をかける。

「そこの人、気まずいからって隠れてないで」

「やあ、ターニャさん、ご無沙汰しています」

 苦笑しながら姿を見せたのはヒースレッドで、ターニャは頬に血を上らせた。

「あ、ヒースレッドさん。うわあ、お見苦しいところをお見せしました」

 頬に手を当て恥ずかしがるターニャに、ヒースレッドは首を左右に振った。

「いえ、鮮やかな撃退でしたね」

「え……」

「後輩とコタロウを守ろうとしたとお見受けしました」

 ターニャは首から耳まで真っ赤に染めて、俯く。後輩として迎え入れたセイラに対して、まだわだかまりはあるが、イーサン不在で多忙を極める日々の中、互いに打ち解けて信頼が生まれつつあった。

「あの、そういうの、思ってもあんまり言わないでください。恥ずかしいです」

「そ、そうですか、失礼しました。私はルークのように人の心の機微を察知した言動を取れないもので。ところで、医局へ戻るんですよね」

 ヒースレッドは階段を上り始めて、ターニャは横に並んだ。鮮やかな赤毛を耳にかけて撫でつける。

「あの、ヒースレッドさんは人の心を察する方だと思いますよ。今だって、普通だったら、私が後輩にもあの子達にも強気に出ただけだって思うんじゃないかしら」

 五階までの道のりは長い。少々息が切れて来たターニャに歩調を合わせて、ヒースレッドは足取りを緩める。

「ルークから、ターニャさんはとても頭が良くて優しいご令嬢だと聞いていたので、そんな風には思いませんでした」

 ヒースレッドに他意がないのは理解していたが、彼の発言はいちいちターニャの心の琴線に触れた。頬の熱が冷めぬまま医局へ戻って来た二人は、泣き出しそうな顔のセイラに出迎えられる。

「ターニャ先輩、ご迷惑おかけしました」

「クウン」

 足元でコタロウまで切ない響きの鳴き声を上げた。ターニャは訳知りの笑顔のヒースレッドに一度拗ねた顔を見せてから、鼻息を吐く。

「迷惑じゃない。あの子達の相手をしてたらいくら時間があったって足りないし、それに……セイラが来てくれて、助かってる」

 息を飲んだセイラの瞳は喜びで潤みがかり、ターニャは恥ずかしくてそっぽを向いた。少女二人が絆を深める様子に癒されつつ、ヒースレッドは割って入る。

「二人が仲良くやってくれたら、コタロウも喜ぶだろう。ところで、受付をしてもらって良いでしょうか」

 慌てて受付内へ戻ったセイラは、予約台帳を手に取った。

「はい、近衛部、黒狼隊のヒースレッド様ですね。午後最初の診察です。せんせいにもう入っていいか、聞いてきます」

「はい、お願いします」

 小走りに診察室へ消えて行くセイラを見送ったヒースレッドの足元にコタロウが来る。彼は手を差し出して匂いを嗅がせた。

「アーオ」

 愛らしく鳴いたコタロウは、満足そうに受付奥へ戻って寝そべる。

「コタロウったら、ヒースレッドさんも認めてやる、みたいな上からな態度ね」

 コタロウの後を追って受付に入ったターニャは、上品な笑みを浮かべて佇むヒースレッドを上目遣いにチラチラと眺めた。



 診察室の奥に設置された机の上に書類が山積みになっている。席を立ってヒースレッドを出迎えたローズの手には、刷りが荒くぼやけた文字が印刷された書類があった。

「うーん……と、先に診察をしましょう。ヒースレッド君、座ってください」

「はい、失礼します」

 書類を傍らに置いたローズは、ヒースレッドに難聴回復後について詳しく質問をする。

「問題なさそうね、また、何かあったら来てね。漢方はお守りとして多めに出しておくわ。あと、内耳がむくんでも聴こえにくくなるから、水分はこまめに取るようお勧めする」

「承知しました。ありがとうございます、せんせい」

「治って良かったわ」

 ふわり、柔らかく微笑む医師に、ヒースレッドは感謝を込めて目礼を返した。

「薬は準備してあるから、帰りに受け取って。で、帰る前に伝言をお願いしたいの」

 ローズは書類を手に取り、ヒースレッドに渡す。

「これは、モールフィの最新治験結果」

「研究所の正式発表じゃないの。同僚がその目で見た結果を古いタイプライターで打ったものだから、見難いんだけど」

「この、ナロキソンというのは」

「モールフィの反転薬よ。呼吸が浅くなっている時に投与すると元に戻せる。急性で危篤状態の時に有効だと思う。アルセリアにはないから、輸入しなくちゃならないんだけど、おそらく色々な手続きが必要よね? 個人的に少量でも輸入出来たら、急性の中毒者を助けられるかもしれない」

 素人に専門用語と数字の羅列は解読が困難だ。

「なるほど、副長に伝えておきます」

「うん。ヒースレッド君は今日の問屋街の捕り物には参加しないんだよね?」

「はい、私は記者の方へ行きますので」

「そっか」

 目線を落とすローズの次の言葉を待ったが、彼女は口を開いては閉じるを繰り返し、声が出て来ない。

「あの、せんせい、ルークが心配ですか」

「騎士の心配はキリがないからしない。なんていうか、やるせないなあって」

 緩く結んだ後ろ髪に触れながら、ローズは長い睫毛を伏せる。

「私がお聞きして良い話でしょうか」

 生真面目に背筋を伸ばす少年に、女医は目を細めた。

「ミシェル、薬の密売人ね。彼のせいで、大きな医院のお嬢さんだったユフィが、娼婦になって、犯罪にも関わって。どんどん人も亡くなって……罪悪感とは違うわね、とにかく、胸が痛むわ」

 胸元で手を組んで目を閉じるローズのつむじを、ヒースレッドは黙って凝視する。気の利いた言葉で慰めたいけれど、何も出て来ず歯がゆい。

「騎士の皆さんにも毎日送迎して貰って、偉そうにちょっとした助言なんてしたって、大した役にも立っていない」

「そんな、ことは」

 ないです、と語尾を飲み込んだヒースレッドは己の拳を膝の上で固める。特別捜査部隊に臨時配属され、初めての仕事にまい進して数日、ヒースレッドは充実を感じていた。黒狼隊として訓練と警備に明け暮れる日々より、事件解決に向けて動ける現在の方が単純に楽しい。

「私は、先輩方のように常に先を読んで動く事も、ルークのように誰かを癒す事も、せんせいのように病気を治す事も、できません。ただ、できる事がある限り、やろうと。そう、思っています」

 大人びた少年らしい率直な心中を明かした。彼の藍色の瞳に決意の火が点いている。

「そっか、ヒース君は、乗り越えたんだね、強いね」

「いえ、私など……せんせいでも思い惑う事があるのですね」

 ヒースレッドの拳をポンと叩いたローズは椅子を立って伸びをした。

「うっーん、余計な事考え過ぎちゃったわ。自分でどうにもできない状況をストレスに感じてたんだなあ、ヒース君と話したら、わかった」

 ローズが伸びをする姿がルークと重なる。澄んだ湖を思わせる碧眼以外に似た色はないのに、不思議だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ