警邏部の新人ー3
頑丈な縄で編まれた掌サイズの縄玉が、薄手の絨毯の上を転がって行く。間髪入れずに追いついたコタロウは手製の玩具をくわえて、したり顔でローズを見上げた。
「上手ね、コタロウ、さすがだわ。イーサン医師の作った玩具よ、うれしいね」
「ハハハ、コタロウを見ていると癒されるね、午後も頑張れそうだよ」
ローズとは異なり、白衣をしっかり着込んだイーサンは、彼女の上司であり、王宮医局に二人しかいない医師のうちの一人である。王宮医局は比較的軽い症状を診察する医務室のような部署であり、重い病気や症状の場合は専門の医院へ行くよう促している。急病など緊急な呼び出しにはイーサンが出向くが、事例としては多くない。王族や貴族議員にはお抱えの医師がいるため、医局の医師が診察することはほとんどない。
「午後の予約は何人ですか」
「私が五人、ローズ君が十人かな」
「わかりました」
先ほど受付嬢のターニャに渡された予約台帳に視線を落とし、イーサンは細い目をさらに細める。
「この、騎士のルーク君は、よく来るね。どこか専門の医院に紹介した方が良いんじゃないか?」
「ああ、その子は多分、成長期に時々ある症状が強く出ているだけなようなので、様子見してるんです」
「ん? 成長痛か何かかい?」
「いえ、カルテ見ます?」
背後の棚を振り返るローズに、イーサンは緩く首を左右に振った。
「いや、ローズ君の仕事を疑っている訳じゃないから」
患者ごとに分けられたカルテは、二人の医師がいつでも自由に閲覧できるようになっている。話の流れでルークについて話題に出したものの、イーサンは若い騎士の病状に強い関心はなさそうだ。会話を続ける二人の足元をコタロウは玩具の縄玉を追いかけて駆け回っている。
「イーサン医師に信用していただけて嬉しいです」
「ローズ君もここへ来てもう三年だね。本当に助かっているよ。私の助言はろくに聞かない騎士たちも君の言うことなら従うんだから」
優し気な細い目を更に細くして、イーサンは笑顔で言った。
「私よりイーサン医師の言うことを聞いた方が確実なのに、困った騎士たちですね」
自分の容姿が男性に好まれやすい事実を、ローズ本人は過少に受け止めている。十代二十代の若い騎士から四十代五十代の壮年の騎士まで、ローズのファンは多い。
「いやいや、私だって、私のような冴えないおじさんより、君のような綺麗な人に診てもらいたいからね、仕方ないさ」
「だからって患者が騎士だったら私に全振りするのはやめてくださいね」
医局は予約制であり、事前に申し送りのあった症状によってどちらの医師が担当をするか、イーサンが決めている。
「君に会いたいだけの仮病の騎士は弾いているから、大丈夫」
「そんな人いませんよ。部隊長の認可が必要なんですから」
「だと、良いんだけれどね」
「ここは医局で貴婦人のサロンじゃないんですから。さすがに騎士の方々だってわかってますって」
眉尻を下げて肩をすくめるイーサンに、ローズはふっくらとした唇を尖らせて抗議した。
「そう、願っているけれどね、色恋沙汰で思いつめた人間が一番厄介だからね、気をつけて」
「医師もターニャも心配し過ぎですよ、私だって大人なんですから、その辺は弁えています」
「うん、君が誤解されないよう診察していることはわかっているけれどね、いや、これ以上はやめておこうか。とにかく、私やターニャ君も気を付けているけれど、ローズ君も君に好意を抱きそうな相手とは一定以上の距離をおくように」
「はあい」
真摯な目で見つめられて、ローズはしぶしぶ返事を返す。イーサンは苦笑して立ち上がった。
「さて、じゃあ、午後も頑張ろうか」
「ええ、おいで、コタロウ」
縄玉にかじりついて壊してしまいそうなコタロウは、ローズの手をすり抜けようと逃げ出した。遊ぼうぜと跳びはねたが、部屋の隅に追い詰められて抱き上げられる。不満そうなコタロウの後ろ頭に頬を摺り寄せて、ローズは柴犬の匂いを吸い込んだ。
「もう、シバイヌって、本当に抱っこが嫌いなんですよね」
「へえ、そうなのか」
「さっき話に出たルーク君が詳しくて、教えてくれたんです」
並んで休憩室を後にしながら、イーサンは振り返ってコタロウの頭を撫でる。鼻息を強く吐き出して抗議めいた様子を見せる柴犬に、細面の医師は再び苦笑した。




