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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
36/114

黒狼の選良騎士ー13

 太陽が中天にかかる昼、草いきれに混ざって、甘い香りが鼻孔を突く。厚手の薄紅色のブラウスの袖をまくり、額に汗を浮かべたローズは、必死に中庭の土を掘り返していた。近くにはロングリードに繋がれたコタロウがいて、草むらに鼻を突っ込んでは鼻を鳴らして、跳び回っている。

「ああ、せんせい? 何してんだ」

 丸みを帯びた臀部を揺らして一心不乱に掘削作業に没頭していたローズは、馴染みのある声を聞いて顔を上げた。

「メルさん、どうも。お散歩を許可して貰ってるお礼に、花壇を作ってるの」

「いや、そりゃいいけど……なんつう姿勢で。もっと人目を気にした方がいいぞ」

 戸惑いと呆れを含んだ騎士の忠告に、ローズは碧色の目を瞬かせる。リードいっぱいに遠ざかっていたコタロウがメルヴィンに気付いて早足で戻って来た。

「中庭を利用する人ってほとんどいないから油断してたわ」

 シャベルを持ったまま立ち上がったローズは、大きすぎる黒いスラックスを履いている。成長途中の少年のような風情で不思議と似合っていた。短く刈られた後ろ頭をかきながら、メルヴィンは大きな目を細めて笑う。

「せんせいって結構ガサツだよな」

「むむ、お淑やかなご令嬢ではありませんので」

 少し口を尖らせた表情が服装と合致して無邪気だった。ローズの気持ちを代弁するかのように、コタロウがメルヴィンの固い脚に遠慮ない強度で飛びついている。ものともしない騎士の足首を辺りを今度は甘噛みし出す。

「コタロウ、メルさん以外の人は噛んじゃダメよ」

「おい、俺も噛むなって」

「ええ? 何のダメージもないでしょ。それに、コタロウは人を選んで手加減してるから。今のところ、私とランスさんとメルさんは甘噛みしていいって判断してるみたい。ルーク君は細いから心配しているのか、噛む振りだけするの」

 コタロウについて語るローズの瞳の輝きは眩しいほどで、メルヴィンはそっと目を反らして小さく息を吐く。

「はあ、もう、アンタさ、コタロウの事になると話が終わらねえんだよな」

 メルヴィンの足首にじゃれつくのに飽きたコタロウは、今度はローズのスラックスに鼻面を押し付けた。

「ふふ、はあ、かわいい、私の犬、最高だわ」

 保温性の高い温かな毛を撫でつつ、ローズは甘い声で囁いた。愛犬に触れようと屈んだ拍子に、緩く結んだ赤味を帯びた黒髪が胸元へ流れる。

「なあ、この前、ランスと一緒に出勤して来たのは、そういう事か」

 親友の気持ちを知って後押ししていたメルヴィンは、黙して語らないランスロットに業を煮やして、伝言がてらローズに問いかける事にした。

「何その聞き方、気持ち悪い」

「おい、もうちょっと言い方あるだろ。俺だって傷つくぞ」

 二人の仲が深まるにつれ会話から遠慮が消えている。

「独身同士の大人が一晩一緒に過ごして、それを他人に詮索される必要ってある?」

 棘のある返答に、メルヴィンは情けなく眉尻を下げて厚みのある口を引き結んだ。

「ねえな。確かにちょっと気持ちわりい、な、俺」

 苦笑するメルヴィンに向かって、ローズは屈託のない笑顔を向ける。

「ごめん、ちょっと意地悪言っちゃっただけ。ランスさんがお酒飲んだのに馬に乗って帰るって言うから、家主さんの寝室に泊まって貰ったの。残念ながら、アツアツな関係にはなってません」

「なんだよ、ったく……ランスの奴、ヘタレだな」

 胸をなでおろしたメルヴィンは、己の感情の動きに戸惑って小さく首を振った。

「ヘタレじゃなくて紳士でしょ。だいたい、護衛対象と深い仲になったら面倒臭い事この上ないじゃない」

 若干据わった目になるローズに、メルヴィンは慌てて言い募る。

「お、おう、まあな。たださ、ミシェル・ムーが捕まったら考えてもいいんじゃねえか? アイツ、本当にいい男だろ」

「恋は勧められるものじゃなくて、落ちるものでしょ」

「なんだよ、それ」

 いつもよりメルヴィンの距離が近かったため、ローズは顎を反らして大きく首を後ろに傾けていた。メルヴィンは自分の腕が上がって、彼女の額に伸びるのを他人事のように眺める。

「秋だってのに、汗かいて」

 彼が手の甲で優しく額の汗を拭った後、二人は互いに驚いて見つめ合った。メルヴィンは我に返って一歩後退する。

「せんせいが変な事言うのが悪い。いや、俺も悪い。その、今日またイーサンせんせいの方が休みだろ? 帰りに騎士が送ってく」

「そう、なの?」

「ああ」

 太い首から耳までを赤く染めているメルヴィンを見なかった事にして、ローズは首筋を伝う汗をブラウスの肩に押し付けて拭った。

「で、だ。帰り支度を終えたら、二階の一番奥の個室まで来てくれ。騎士団から正式に話がある」

「わかった」

 素早く踵を返して去るメルヴィンを、ローズは瞬き多く見送った。いつの間に遠くへ移動していたコタロウは、自分の尻尾を追いかける遊びに興じていた。


 帰り支度に身を包んだローズは、コタロウを連れて指定された本殿二階の多目的個室のうちの一つを訪れた。ノッカーを叩いて来訪を知らせると、鍵が開く音がしてルークが顔を出した。

「あ、せんせい、お疲れっす」

「うん、ルークもお疲れ様」

「コタロウ、俺が預かりますね」

 コタロウを彼に託し、ローズは室内へ踏み入る。一番奥の机にパーシバル、隣にランスロット、向かいには見知らぬ女性が座っていた。メルヴィンは書棚の中に書類を収納している途中だったらしく、ローズを見て笑みを浮かべる。

「お呼び立てして申し訳ございません」

 眼鏡をかけた長身の女性の誘導に従い、ローズは長椅子に腰を下ろす。パーシバルとランスロットも向かいに腰を下ろした。彼らの背後に、眼鏡の女性が立って挨拶をする。

「まずは自己紹介を、私はチェリーナ・トポロジー、警邏部大将の補佐官を務めております」

「初めまして、ローズ・ワーロングです。ご存知でしょうが、医局の医師です」

 部屋の隅でルークがコタロウと小声で遊んでおり、メルヴィンはチェリーナの隣に並んだ。四名の騎士と医局の医師一名が向かい合う状態に落ち着いた。

「こんばんは、ローズせんせい。ご足労、痛み入る」

 パーシバルは神妙に挨拶した。

「おいで頂き感謝します。今日お呼びしたのは、せんせいも関わりのあるモールフィ事件について、です」

 ランスロットが灰色の瞳に宿る親しみを押さえつつ口火を切った。チェリーナが話の尾を引き取る。

「モールフィの流通は王都内で拡大しており、警邏部だけでは人員が足りない状況に陥っております。そこで、騎士団では警邏と近衛の垣根を越えた特捜部隊を臨時に組織しました」

 伸ばしていた背筋を僅かに丸め、ローズは両手の指を握り合わせた。立っているチェリーナを見上げて首肯する。

「ええ」

「実は麻薬の流行が上流階級まで及んでいます」

 小さく息を飲むローズに、パーシバルが頷いた。

「ヒースレッドを診て頂いた日の事は覚えていますか?」

 薬物中毒が疑われた近衛騎士の事を思い出したローズは、眉間に深い皺を刻んだ。

「血液検査の結果、重度のモールフィ中毒だと診断されました。今は隣国にある療養所に入所しています」

 コタロウがルークの周りをかける軽やかな足音だけが響く。愛犬を見て不安を抑えたローズは、声が掠れぬよう問いかけた。

「ミシェルはまだ見つからないんですね」

 ローズは親密な騎士二人を順に眺める。チェリーナは眼鏡のつるを押し上げながら答えた。

「はい、ミシェル・ムー捕縛はもちろん、近衛騎士とモールフィを繋げた人物特定も、果たせていません」

 チェリーナは絶望的な状況を伝えた。

「ここ一ヶ月、モールフィによる中毒死が増加している。ヒースレッドが難聴を患う要因ともなった騎士の死因もモールフィだった」

 忸怩たる気持ちを滲ませるパーシバルに、皆が視線を落とした。

「クウン」

 重苦しい空気を割いて愛らしいコタロウの鳴き声が響く。チェリーナはコタロウに視線を向けて、眼鏡の奥の瞳を緩めた。

「ワーロング医師には、愛らしい相棒がいらっしゃいますが、解決までは騎士の護衛を受け入れて頂かなくてはなりません」

「わかりました」

 チェリーナがメルヴィンを見上げて続きを促す。

「今までせんせいの護衛に就いていた部隊は、特性上アンタに気付かれないよう見守っていたから鬱陶しくなかったろうが、これからは毎日送迎させてもらう。アンタと面識のない騎士については都度紹介する」

「ええ、わかったわ。ありがとう」

 ローズは会釈して微笑んだ。彼女の笑顔を見て、ランスロットは肩の力を抜いた。

「それと……ルーク、資料を頼む」

 ランスロットの頼みを引き受け、ルークが書類を持って来る。見覚えのある表紙を見て医師は小首を傾げた。

「せんせいからお借りした資料です。ここを見てください」

 ランスロットは資料を卓の上に広げる。

「液体に溶解して抽出した場合の純度について実験結果が書いてある。解説を頼めますか」

 パーシバルが該当箇所をトントンと叩いた。資料を睨む医師を、彼らは固唾を飲んで見守っている。

「純度が高い上に液体で摂取したら、効きも依存も速くなるでしょうね」

 医師としての見解は、無情に響いた。ひとしきりはしゃいで満足したらしいコタロウも寝そべって大人しい。

「せんせい、隣国でモールフィの研究はまだ続いているんですよね?」

「ええ、そう聞いてる」

 先日飲みながら語った内容を確認されて頷く。

「これは正式な依頼ではないのですが、貴女には医師としての助言も頼みたいんです。毎日馬車で送迎させてもらうから、その間だけでいい。お願いできますか」

 パーシバルが頭を下げて、他の三人も続いた。コタロウの側にいるルークも先輩達に倣って頭を垂れる。

「私でお役に立てるなら、いくらでも」

 力強く請け負う医局の薔薇に、騎士達は感謝の眼差しを向けた。

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