黒狼の選良騎士ー12
王宮の北西から西を取り囲むように城外と通称される貴族や富裕層の邸宅が立ち並ぶ住宅街がある。王都内に点在している警邏部の詰所の中で、城外中央にある詰所が最も王宮に近い。高級住宅街ゆえ治安も安定しており、城外中央の詰所待機は休憩みたいなものだ、と軽口を叩く騎士もいるほどだ。
その日、城外中央の詰所には警邏部第二部隊の騎士が三名割り当てられており、二名ずつ交代で城外から聖樹の森までを巡回していた。
「きゃ、きゃあああ」
二人の騎士が城壁裏手近くの区域に差し掛かった時、女性の悲鳴が飛び込んで来た。騎士達は素早く視線を合わせて声の方向へ踵を返す。彼らは貴族議員の邸宅の裏口付近で折り重なるよう倒れている男女と、近くで腰を抜かしてへたり込んでいる女性を見つけた。
「どうしました」
「ひ、人が、死んでる?」
騎士の一人が女性を助け起こし、もう一人は倒れている男女の様子を伺う。
「おい、しっかりしろ」
声をかけて身体を叩いたものの、男女二人とも全く反応がない。胸辺りも動いておらず、脈を測るために掴んだ手首が異様に冷たい。
「死んでる」
一見して外傷はなく眠っているかのようだが、邸宅の裏口で折り重なって倒れている様子は異様だった。
「城外でまさか酔っ払いか?」
女性をなだめて帰らせた騎士が近寄りながら問いかける。
「いや、遺体だ」
「二人ともか」
「ああ」
「詰所へ運ぶか……確か、ここは議員のタウンハウスだったか。従僕を貸して貰えるか聞いてみよう」
親切な家令により筋骨隆々とした従僕を借り受ける事が出来た騎士達は、男女の遺体を詰所へ運び込んだ。
城外から聖樹の森外周を囲うよう整備された馬車通りを道なりに進むと、学園街に辿り着く。学園街は王立学園と学術施設が立ち並ぶ静謐な空気に満ちた区域であり、夜は一際静まり返っている。
「う、ううう、うう」
寮の門限を気にして急ぎ足で歩いていた少年の耳に、人の唸り声のような音が届いた。学園の卒業生が寄付した文化会館からほど近い路地の方角から聞こえる。
「なんだろう。紳士倶楽部で飲み過ぎたおっさんかなあ」
昼間は文化的展示や催しなどに利用される会館が、夜になると紳士倶楽部という名の社交場になる事を、学園生である少年は知っていた。学園街にも飲食店はあるが、街の雰囲気に合わせるためか、酒の提供はしていない。無視して通り過ぎようとしたが、今度はゴンと鈍い音も聞こえた。
「仕方ないなあ」
周囲を見回すが人影が見えない。少年が路地に近づくと予想通り上等な上着を身に着けた男が倒れている。
「あの、大丈夫ですか?」
倒れていた男は呼吸が浅く、不自然に喉を鳴らしている。持っていたランタンで男の顔を照らした少年は小さく息を飲んだ。顔色が蒼白で口元に泡立った涎が付着している。
「誰か、人を呼ばないと」
咄嗟に自分では対処できないと判断した少年は、一番近くて人がいそうな文化会館へ向かって走り出す。ガス灯に照らされた会館の入り口扉は閉ざされていたが、少年は構わず開けた。
「誰かいますか!」
扉を開けると玄関ホールで、灯りは入っていないが奥の方からはざわめきが聞こえる。
「急病人です!」
更に大声で叫ぶと中から気だるい表情をした中年の男が顔を出した。
「ここは子どもが来る場所じゃないぞ」
「あの、近くで人が倒れてます。声をかけても全然反応がなくて」
少年の訴えに、中年の男は面倒くさそうに顔をしかめる。一度ざわめきの中へ戻って来た男と入れ替わりに、上流階級の使用人らしき男が二人現れた。少年は路地へ男二人を案内した後、顔見知りだという彼らに後を任せて寮へ帰った。
落葉樹の葉の色が赤や黄に変わり、夜の冷え込みが強くなって来たので、居酒屋「花のや」では、煮込み料理が増えている。今宵の目玉は牛タンに焼き目を付けて香味野菜と一緒に煮込んだタンシチューで、最近常連となった小柄で痩せた青年も舌鼓を打っていた。
「美味しいです、シアさん。あなたみたいに深みのある味です」
「そう、私みたいの意味はわからないけど、美味しいなら問題ないわね」
笑顔もなく淡々と答える人見知りな反応に構わず、青年は続ける。
「仕事帰りに花のやに寄れると思ったら、退屈な取材も乗り切れるんですよ」
「取材?」
最近足繫く通うようになった二十歳前後の若い常連客、という認識しかなかった男の黒い目を、テレンシアは初めてしっかりと見返した。
「僕、新聞記者なんです。セリーナ・タイムズって知ってますか」
セリーナ時報社、セリーナ・タイムズ担当、エリオット・グレイと書かれた名刺を渡される。
「……むしろ、他の新聞を知らないわ」
「ハハ、そうですね、王都で有名なのってセリーナ・タイムズだけですもんね」
率直な店主の感想に喜んだエリオットは、痩せた胸を反らして得意気に答える。
「新聞は毎週買っているわ」
「わあ、嬉しいな。じゃあ、僕の記事も読んでくれてますかね。先週は王宮で開催された演奏会について書いたんです……退屈な内容ですけど」
喜びから一転、悔しそうな表情になる青年に、テレンシアは小首を傾げた。
「そうなの?」
「はい、僕はもっと、書きたい事があって」
「へえ」
客の語りに最低限の相槌で答える癖が付いているテレンシアを、無愛想と断じる者もいれば、控え目で心地好いと感じる者もいる。後者はだいたい常連になり、エリオットもその一人だった。
「ここだけの話ですけど……」
声を潜めてテーブル席の方を伺う若手記者を、テレンシアは凪いだ眼差しで見守っている。
「王都で麻薬が流行っているんじゃないか、僕はそう思っています」
不穏な台詞にテレンシアは杯を拭いていた手を止めた。
「どうしてそう思うの?」
エリオットは前のめりになって、酒精に強くないため薄めて貰ったエールを飲み干してから答える。
「これは、三日前の話です。城外で男女の遺体が発見されたそうなんです。とある中央貴族の親類夫婦で、対外的には病死と発表されています」
彼の発言の意図が読めず、テレンシアは目を瞬かせて再び小首を傾げた。
「僕の予想通りだとしたら、と考えて、上流階級の近くにいる友人数名に、不審な死亡事案や急病人が出たら教えてくれって言っておいたんです」
彼が意図を持って情報を収集している事実を明かした。
「その前日の夜には学園街の文化会館近くで倒れていた紳士がいたらしくて、急患として運び込まれたそうです」
「学園街にも伝手があるの?」
「学園街の医院に伝手があります。その紳士は薬物の過剰摂取で重症だって聞きました」
大手新聞の記者として様々な情報源を有しているらしいエリオットの言葉に、テレンシアは知らず固唾を飲んだ。
「最初の夫婦を検死した医師は口が堅くても、周りは必ずしもそうじゃない。夫婦も薬物中毒死なんじゃないかと、検死の医師の助手が話しているのを聞いた人がいます」
驚いてテレンシアが答えに窮しているため、エリオットが口を噤むと店内のざわめきが割り込んで来る。一度唾を飲み込んだ若手記者が、再び語り出した。
「王宮の財務にいる知り合いから聞いたんですけど、騎士団が警邏と近衛の枠を超えて、特別捜査の部隊を作ったらしいんです」
上目遣いにテレンシアの反応を伺うエリオットに、彼女は少しだけ頷く。
「王宮みたいにお堅いところが前例を無視してまで騎士を集めて捜査しなくちゃいけない。結構な大事件じゃないですか? ヤバい薬が流行っているとしたら、辻褄が合う」
自分の語りに酔ってか黒々とした瞳を爛々と輝かせるエリオットに、テレンシアはそっと水を差し出す。
「一度飲んで。その話、一介の居酒屋に話していいの?」
促されるままに水を飲んでから、エリオットは小さく首を左右に振った。
「ちょっと前に、同級生が急に死んだんです」
視線を落とすエリオットのつむじを眺めて、テレンシアは言う。
「まだ、若いのに」
「はい、二十一ですよ。若過ぎます。葬儀に行ったら親父さんが、健康だったはずの息子が病死なんておかしいって泣いてて。商人の息子が近衛になったって喜んでいたのに、死ぬくらいなら騎士にするんじゃなかったって」
俯いて聞き取りにくい小声になるエリオットの頭に、テレンシアがそっと手を乗せる。軽く二回撫でられて、若手記者はこみ上げる涙を堪え切れず鼻を啜った。
「王宮の演奏会の取材をした時、死んだ同級生の同僚の近衛騎士が、隣国の薬物治療療養所に入所したって聞いてピンと来ました」
「その騎士も薬で亡くなったのかしら」
エリオットの台詞を奪い取ったテレンシアに、彼は目を瞬かせて微笑んだ。自分の話を熱心に聞いてくれた事に大きな喜びを感じた。
「おそらく、そうでしょう。僕は王都に危険な薬が流れているなら、記事にして注意喚起したい。これ以上、犠牲者を増やしたくない。今、あちこちにお願いして、不審な死者や急病人の情報を集めているんです」
語り過ぎて冷めてしまったシチューの残りを、黙ったまま口へ運ぶエリオットを残して、テレンシアは他の客に呼ばれて一度彼の前を離れる。
「シアさん、もう一杯、薄めたエールをお願いします」
エリオットは二杯目の薄いエールを舐めるようちびちび飲んだ。テレンシアは客を捌いて料理や酒を提供しつつ、セリーナ・タイムズ記者の語った内容を頭の中で反芻した。
「来週の新聞に、あなたが話した内容の記事が出るの?」
お会計を、と請われて問いかけたテレンシアに、エリオットは大きく顔を歪める。
「いえ……まだ裏取りが出来ていないし、騎士団に許可を取るのも難しい内容じゃないかって」
「そう」
「でも、諦めません。取材を続けて、きっと上司を説得して見せます」
最後に頬を染めつつ彼女の手を握ろうと伸びて来た若者の手を、テレンシアは無情に叩き落した。
「そういうのはお断り」
酔客のあしらいは慣れている。記者の情熱に好感は抱いても、簡単には気を許したりしない。
「すみません、もう、しませんから」
慌てて謝罪して去って行くエリオット本人よりも彼の語った内容の方が、テレンシアに強く印象づいていた。




