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王宮医局のカルテ  作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第三章
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黒狼の選良騎士ー8

 自分専用に与えられた診察室を片付けたローズは、診療キャンセルとなった人員についてまとめた書類を眺めて、改めてセイラを採用して良かったと胸を撫でおろしていた。後輩候補にセイラの名が挙がった時、ターニャが頬を引きつらせながら、聞きかじった噂話を例に遠回しに反対を表し、本心から歓迎していない事には気づいている。

「でも、初めてでも仕事は正確だし、いくらメルさん好きったって、接点のない騎士棟に毎日押しかけるのもなかなか勇気のある行動だと思うんだよね」

 足元でじゃれつくコタロウに話しかけながら、麦わら色の艶味の褪せたセイラの髪と、華奢過ぎる顎の線を思い浮かべる。家庭の事情で栄養不足、発育不良気味であろう事は容易に推測出来た。セイラと似たような青白い顔色をしていた自身の少女時代を思い出すとほろ苦い気分に陥る。

 ローズは十八年前の政変で王宮に侍る騎士だった父親を失っている。政変後の混乱を経て恩給が支給されるまでの間は、世間知らずでのんびりした性質の母と二人で金銭的に苦労した。遠征を命じられたローズの父に、母が少ない貯金の大半を持たせて送り出したのが原因である。政変は大規模な武力衝突を経ず終結した。旧王宮騎士団が現政権の中枢となっている辺境へ攻め込んだ最初だけ小規模な戦闘があり、ローズの父は特攻隊長として活躍したらしい。周辺の貴族を味方につけた戦略、優秀な軍師による戦術により、旧王宮騎士団は敗走。特攻だけでなく殿も務めたローズの父は、指揮を執っていた当時の正妃腹第二王子を逃がした後で追い詰められて、渓谷へ身を投げたらしい。亡骸は見つかっていない。崖下は急流のため、生存は絶望的だと判断され、死亡認定が下りるまで五年かかった。ローズの父を含めた数少ない旧王政側犠牲者は、本人不在のまま戦争裁判にかけられており、旧王宮騎士団員は全て無罪とされたものの、手当の支給に至るまでには長い時間を要した。政変終了時十才だったローズは、金銭的に苦しいながらも王立学園に通わせてもらい、二年間の教養課程を経て、同学園の騎士科にも合格している。自分の父親を強く慕い、憧れも抱いていた少女ローズは、亡骸が発見されていない父の生存を信じて日々、剣を振り続けていた。騎士科は平均四年から六年で卒業となる者が多い。余談だが、ルーク、ランスロット、ヒースレッドはそれぞれ世代で最も優秀な類であり、三年で卒業している。

「十五だから、セイラより一才下の時、か」

 王立学園騎士科在籍四年目、ローズが十五才の時に父の戦死が認定され、恩給が支給される事になった。父親の生存に一縷の望みを抱いていたローズは、強い喪失感を抱き、騎士への情熱も失ってしまう。恩給支給と同時に、権利が曖昧なまま無償で貸与されていた土地が国の所有だと明らかになった。土地を買うか家屋を取り壊して退去するか迫られた母子は、銀行から借金をして土地を買う事にし、騎士への情熱を失ったローズは高額な授業料が発生する学園を中退し、見習い医師として就職した。

「せんせい、失礼します」

 物思いに耽るローズの耳に、遠慮がちなセイラの声が届いて、暫し後に扉が開く。

「ああ、セイラ、お疲れ様。今日はもうお仕事はおしまい。帰っていいわ」

「はい、お疲れ様でした。あの、せんせいはどうやって帰るんですか? 最終の乗り合い馬車だと混んでいて、コタロウ連れだと乗れないかもしれません」

 ライバル視していた過去など嘘のように純粋に心配の眼差しを向けるセイラに、ローズは柔らかく微笑んだ。

「送って貰う事になっているの。ほら、セイラのお父上も絡んだ事件の事で、一人で行動するなって言われてるから。あ、大丈夫、メルさんじゃなくて、ランスさんだから」

「メルヴィン様の事はもう、何とも思っていません」

 頬を染めるセイラに、ローズは小さく笑い声を上げる。暗い嫉妬心が見え隠れしていた少女の緑の瞳が、明るい輝きを放つよう変化した。搾取されていた給金が正当に懐へ入るようになり、セイラの頬も身体つきも少しだけ膨らんでいる。

「働いて恋をして、元気に素敵な大人になってね、セイラ」

「アァオン?」

 彼女に聞こえない程度の小声でつぶやいたローズに、大人しく丸まっていたコタロウが首をもたげて甘えた声で鳴いた。まだコタロウに慣れていないセイラは肩を跳ね上げて、動き出した柴犬に注目する。

「コタロウって、噛んだり、しませんか」

「私のところへ来てからは人に嚙みついた事はないわ。言葉が通じているんじゃないかと思うくらい賢いかわいい子」

 蕩けるような笑顔でコタロウの背を撫でるローズに、彼も甘えて鼻づらを擦り付けた。

「受付の奥にいる時はだいたい寝ているから、そんなにお世話する事はないし、普段はターニャがいるから大丈夫よ」

「はい、承知しました。では、また明日、お願いします」

 愛犬同伴が当然であるかのようなローズに疑問を挟む者は医局にはおらず、セイラは丁寧に礼をして退勤して行く。幸いにも患者として訪れる者からも苦情は出ていない。後を追うような素振りを見せたコタロウは、リードの長さに阻まれて追いつけず、セイラの濃紺のスカートに包まれた足辺りを尻尾を振って見送った。


 コタロウが馬に乗るのを嫌がって暴れる騒動があったため、すっかり日が暮れてしまった初秋の晩、霧雨の中を馬車がゆったり走っている。結局パーシバルの野次馬的好意に甘える事にして、三人と一匹で近衛の馬車の中にいる。馬車ではローズの隣にパーシバルが座り、向かいの席にランスロットと不貞腐れた様子で丸まっているコタロウがいた。

「聞いてもいいですか、ワーロング医師」

「なんでしょう」

「モールフィについて、です」

 澄んだ水色の眼差しが、柔らかな丸みを帯びた白い頬辺りに固定される。ローズは話しかけて来たパーシバルではなく、灰色の瞳をした無表情な騎士へ視線を向けた。

「ミシェルが持ち込んだ麻薬だと聞いています」

「流通するまではご存知なかった?」

「はい、ですが、隣国で発表されたばかりの研究論文を取り寄せたので、作用副作用一通り頭に入れました。痛みを麻痺させる事に特化しているけれど、通常の麻薬より劇薬で人によってはあっという間に致死量を摂取してしまう。流通を止められなかったら、うちの国でも療養所を作らなきゃならない羽目になるんじゃないか、と思ってます」

 重たいため息を吐くローズの眉間辺りを見つめて、ランスロットが静かに口を開く。

「そうなる前に、ミシェル・ムーを捕縛します」

「ええ、本当に、お願いします」

「四年前、彼が薬物売買に関わる切欠になったのは、医師だった貴女ではないんですか」

 近衛でも幹部であるパーシバルには警邏の資料を閲覧する権限がある。彼なりに今回の事案を精査した上での質問だった。

「そういう疑いが出るだろうとは思います。ある意味、私のせいとも言えるし」

「それは、違います。ミシェル・ムーが薬屋に顔が利く助手の娘と通じたのは、ローズせんせいには関係ない事ではないですか」

「まあでも、私と付き合っていたから、ユフィとも接点が出来ちゃった訳だし、大きなくくりでいったら、私も原因の一つだと思う」

「ですが!」

 納得が行かないとばかりに大きな声を出すランスロットを、パーシバルが目を細めて眺める。突然の大声に驚いたコタロウが、立ち上がる。

「大きな声を出さないで、コタロウが驚いちゃうから」

「申し訳ありません」

 語尾はすっかり小声で謝罪するランスロットを横目に、長い手を伸ばしてコタロウの背を押さえたパーシバルは、小さく笑い声を上げた。

「ハリアー副長、でも、私は悪かったとは思ってません。だって、男を見る目がない人間なんて山ほどいるじゃないですか。私がその一人だったからって、それを責められる云われはありません」

 唇を尖らせて顎も持ち上げたローズは、不本意も露わに眉根を寄せて、優しくコタロウを押さえるパーシバルを眺める。首だけローズに向けた色男は色香たっぷりに微笑んだ。

「なるほど確かにそれはそうだ。失礼しました、せんせい」

「急に親しそうな呼び方になってますが」

「医局の薔薇とは大仰なと以前は思っておりましたが、花も棘も興味深い」

「うわあ、その呼ばれ方、本当に恥ずかしいんですよ、やめてください。名前がローズなのは私のせいじゃないやい」

 幼気な子どものごとくぼやいたローズと、女性達を魅了して止まない笑顔を浮かべるパーシバルを見比べて、ランスロットは口を引き結んで目線を落とした。コタロウは揺れる馬車の中で器用に身体をぶるぶると震わせてから、小さく甘えた鳴き声と鼻息を漏らす。

「はあ、王宮で一番かわいいのはコタロウだよね」

 知り合って日の浅いパーシバルに対して張っていた気を緩めたのか、ローズは医師として伸ばしていた背筋を丸めて背もたれに寄りかかった。

「犬が好きでない者もいるでしょう」

「そうかもしれないけど、私にとってはコタロウが何よりも誰よりも一番です」

 ランスロットは伏せていた視線を隣の茶色い毛玉へ流し、パーシバルは耳に心地好い静かで優しい笑い声を上げる。

「なるほど、人間の男はコタロウには敵わない、と」

 僅かに下唇を動かすランスロットも、腕を組みなおすパーシバルも視界の外に追いやり、ローズは寝入りばなのようなうっとりした声で答えた。

「見た目の優れた人間の男性より、見た目の優れたかわいい柴犬の方がいいって事です」

 明らかにパーシバルに対する皮肉だったが、本人もランスロットも沈黙を選んだ。


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